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あることろで、景観デザイン基準について議論している中で、 あぶなっかしい斬新な建築を生み出すことは諦めて、 この際、創生なんて言わない方が良いと思う。 というような意見があったので、考えを纏めてみました。 ************* 私たちが目指すものは、やはり「創生」だと思います。 京町家が並ぶまちなみの保存でも再生でもない。 そのまちなみがもっとも京都的で、もっとも美しかったのですが、 それを再現しようというものではありません。 もしそうなら、全部、伝建地区に指定してしまえばいいのです。 (もしくは高さは10mに指定して、準防火は外すか。) 伝統建築物群保存地区(富田林) 今、私たちが住んでいる京都は、悲しいかな?大都市です。 そして、常に文化の中心であり、最先端を先取りしてきた近代都市でもあります。 美しい京町家の意匠は、長年の積み重なる生活文化のなかで 洗練されてできあがってきました。 そこには、構築された共有するエレメントがあります。 山本良介氏のいうところの遺伝子です。 出格子、虫籠窓、出格子、犬夜来、駒寄せ、軒庇、一文字瓦・・・ それらが組み合わさり、調和して文脈を作っています。 私たちは、それらを読み取り、その遺伝子を受け継ぎ、 その延長上に、現代の京都らしい美しい街並みを 創って行かなければならないのです。 さて、それは可能なのでしょうか? それらのボキャブラリーを綴った文章が、(現在の生活者に通じる) 日本語なのか、京都弁になるのかと言う疑問です。 およそ「美」なるものには、プロポーションやスケールが介在すると思います。 2階建ての住宅や、せいぜい5階までの建物は、 巧く工夫すればその範疇の納め方もかろうじてあるでしょうが・・・・ ・・・・それとてなかなか美しいと言えるかどうか。 内包するものの表象としてのフォルムには説得力がありますが、 単に形式をくっつけたものは、(よほどの力量がないかぎり、) 薄っぺらい上辺のものになってしまいます。 ましてや、もともと木造には存在しえなかった大きなスケール、 異なる構造、新しい機能をもった建物に、 それらを当てはめて、 美は創造し得るのでしょうか?!! そこで、創生です。?!? 今、私たちは100年後の京都を目指して、 現代に即した美を創生していかなければならないのです。 (試行錯誤もしながらでしょうが) 伝統のエッセンスを受け継いだ延長上に、 現在の美を創りだして行かなければならないのだと思います。 今、京都市内を見渡してみて、その域に達している建物がいくつあるでしょうか? ホテルフジタ(吉村順三)、元萬珠堂(竹中工務店)、京都会館(前川國男)などは、 多くの人が納得する建物なのでしょうか。 私は、平安会館や裏千家会館、京都市資料館などの一連の作品もその線上と思うのですが 如何でしょうか? 平安会館
裏千家会館
京都市資料館 それから、京都に住む者として、京都の景観を論ずるときに、気になるのが、 観光者の目で言われる時です。 観光者の求めるまちは、新橋や清水の伝建地区のような佇まいなのでしょう。 いわゆるテーマパークに近い、外観のみを踏襲したまちは「京都的」で、 そのようないわゆる観光地以外のまちが、同じ視線で「京都らしくない」と言われるのは、 京都市民にとって大きなお世話だと思います。 いまの新景観は、京都中をそんな江戸村のようなテーマパークにしようというのでは ないはずですから。 そもそも観光とは、光を観るのであって、凍結された遺産を巡ることではなく、 今現在、いきいきと生活している活動している姿、体温を持った暖かさに触れることです。 ですから、観光は見て貰うものではなく、勝手にご覧になるんで、 こちらが魅力的な暮らし方・営みをしていれば、それでいい訳です。 (それが表れるものの一つが、まちなみです) 観光という意味では、そういう視点で考えていく必要があると思います。 (京都市民は「観光」という言葉にさえアレルギーですから・・・) ということは、何よりもまず、京都人の生き方、価値観、 アイデンティティーが問われるのだと思います。 合理化、経済性、利便性、重視のなかで、排除してしまった生活文化を取り戻し、 さらに、今も誇りを持って生きるという姿勢を「創生」するところから、 出発すべきだと思っています。 それは、とても根元的なことがらですから、 地域での討論の積み重ね、価値観共有の構築作業が必要で、 気の遠くなる思いがしていまいます。 地域と言えば、景観条例はほぼ市全域にかかり、 それを12地区、76区域に分けて、 その地域特性に応じたきめ細かいデザイン基準を2年を目処に策定していく予定、 と謳われていましたが・・・ 76という区域の多さに、どうにも手が付けられない状況ですし、 いざ、区域をみてみると、あまりのおおざっぱさに、また手が付けられない気がします。 京都は、町衆の知恵で創られてきた都市ですし、 その仕組みも比較的、残っていると言えますが、 しかし、その根底をなす人の繋がりや、作法、 隣の目を気にしたり、お互いさまと助け合ったりする関係が崩れてきています。 それがあれば、まちなみは保たれた筈ですし、・・・・・これは卵とひよこの関係です。 地域住民の(美)意識の向上と、価値観の共有。 これはまさに、まちづくりの神髄です。 ということで、デザイン基準を論じながら、
視覚的でない精神論的なところに辿り着きましたが、 やっぱり、そこが振り出し、出発点だと思っています。 |
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景観を残せば京都の文化は残るのか??疑問ですね。
現在でも写真の新橋などは殆どがクラブになっておりお茶屋さん
は2件ほどしか残ってません。
2008/6/11(水) 午前 9:42 [ ぎおん子 ]
ぎおん子さん、コメントたくさん、ありがとうございます。
本当に難しい問題です。京都市民が真剣に考えないといけないと思います。形だけ残しても文化になりませんよね。京都は本物を目指したいですが、江戸時代や明治時代の本物ではなく、今の時代の文化が本物になっていかいといけないと思うのですが、そんなカンタンじゃない・・・妥協?じゃないのだけれど、広い心で色んな物も認めつつ、文化を創っていかなければならないのでしょうが・・・具体的にどうしていったらいいのでしょうね。。。。
2008/6/11(水) 午後 10:30 [ mov*_i*uko ]