ココログの「かつて日本は美しかった」からの転載です。これは私も同じく信じこまされていました。アメリカはプロパガンダをかなり重要視する国ですから、自国の正義を強調するために、敵国を貶める宣伝工作を捏造してでもやるところがありますね。
湾岸戦争の時もイラクが、重油を海に流したために海鳥が重油まみれで苦しんでいる映像が出て、世界中が非難しましたが、あとで捏造だったということがバレたことがありましたよね。
さらにクェートからの難民で、イラク兵が病院などに侵入してきて、赤ちゃんを殺したなどと訴えていた少女が、本当は難民ではなくクェートの王族で、訴えていたのも嘘だったとか。
CMの誇大広告と同じで、宣伝専門の企業に委託してプロパガンダを行うのだから、信じすぎると、あとで詐欺師に騙されたような思いをします。
バターン死の行進というウソ
プロパガンダを信じ込まされていました。
私は子供の頃、とにかく大東亜戦争中、日本は「悪」として教え込まれました。その中でフィリピンでバターン死の行進という日本軍がアメリカ軍に対して残虐行為をしたと教えられました。実はこれはデタラメでアメリカのプロパガンダでした。
アメリカの司令官はマッカーサーです。アメリカ軍はコレヒドール要塞に立て篭もっていましたが、状況は不利になり、マッカーサーは部下を置いてトンズラしています。残った部下たちは餓死するかマラリアなどの病気で死ぬしかありません。そして日本軍に投降しました。日本側はアメリカ軍捕虜2万5千と見積もっていましたが、7万5千が投降してきたのです。捕虜に与える食糧も不足しており、捕虜収容所へ輸送するトラックも不足しており、マリベレスからサンフェルナンドの区間88キロを、捕虜の半数以上が徒歩で行進することになりました。これが死の行進というプロパガンダに使われたのです。この距離なら、だいたい3日もあれば歩けます。しかし、衰弱していた人やマラリアにかかった捕虜が途中で亡くなりました。
当時を知るフィリピンの画家、ダニエル・H・ディソンさんはサンフェルナンドから鉄道に乗せられて移動してくる捕虜にアンヘレスというところで現地住民が食糧を与えている様子を著書に記しています。
「それぞれの車両の屋根には銃剣を構えた日本兵が見張りに立っていたのですが、兵隊たちは食べ物が捕虜たちに与えられているのをただ見ているだけでした。
列車の周りにいる人々は、大声を上げ、あるいは悲鳴を上げながら、水の入ったビンやビスケット、玉子、サトウキビ、バナナの葉でくるんだライスなどを次々に投げ入れていました。
それを兵隊たちは何もせずに見ており、笑ってさえいたのです」
捕虜を意図的に虐殺しようとしていたのであれば、このような光景はあり得ないでしょう。
このバターン半島死の行進をジャーナリストの笹幸恵さんが実際に歩いて検証しており、ウソが暴かれています。西村知美だって24時間テレビで100Kmマラソンやっているのですよ。これには死の行進を強制されたという元アメリカ軍のレスター・テニーと言う人が抗議してきました。このテニー氏の著書「我が地獄からの兵役」を引用してジャーナリストの高山正之氏が面白い記事を書いています。
日本軍の拷問
「板に大の字に寝かせ足を十インチ高くする。それで塩水を飲ませる」
これはアメリカがフィリピン占領のときにアギナルド軍に対してもやった拷問で「水治療」というものだそうです。アメリカ軍がやったことを日本軍にすり替えたわけです。私が読んだフィリピン人の証言にも日本軍がこの「水治療」をやったことが書かれていますが、おそらく拷問の現場を見ていないのでアメリカがやったことを想像して証言しているのでしょう。
「竹をひも状にして親指を縛られぶら下げられた」
これはゲーリー・クーパー主演の「海の魂」で海賊の拷問なのだそうです。日本人は知りません。
「指の爪の間に竹ひごを突っ込まれ、そこに火をつけられた。指が焼けた」
これもクーパーの映画「ベンガルの槍騎兵」か「ボージェスト」なのだそうです。
笑うのはテニー氏は水牛狩りを手伝わされ、日本兵が銃を貸してくれて狩をした、というものです。失敗して銃の台尻で殴られたのだそうです。捕虜に銃など渡しますかいな。それに日本軍は銃は天皇陛下からの頂き物という意識があったので平時にそのような使い方はしないのだそうです。
参考文献
祥伝社黄金文庫「東條英機 歴史の証言」渡部昇一(著)
桜の花出版「フィリピン少年が見た カミカゼ」ダニエル・H・ディソン(著)
歴史通2010.9「『バターン死の行進』はクサイぞ」高山正之
参考サイト
WikiPedia「バターン死の行進」
添付写真
バターン死の行進の証拠写真とされてきたが、2010年3月19日、AP通信は「バターン死の行進を撮影したものでなかった」として訂正するとともに検証記事を配信した。同通信によると、この写真は行進から数週間後に収容所にて撮られた、米兵の遺体を埋葬のため運ぶ様子を写したものであるという。(PD)
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失礼致します。
後世伝えられた「バターン死の行進」はプロパガンダ的な要素と、事実が両方織り交ざったものだと思っています。
私の祖父はフィリピン戦線に赴き、パターンの行進にも加わったそうです。行進中、自分の家族を見つけて列を飛び出した捕虜(おそらくフィリピン人兵士)が後ろから撃ち殺されていたと言っています。
捕虜に対して手厚い待遇をされてた方もいたでしょう。しかし事実は非常に曖昧です。
間違いを起こさない国などありません。私はむしろそれを謙虚に受け止め反省する国こそに美徳と誇りを感じます。
2011/12/12(月) 午後 1:17 [ pqh*m85* ]
pqh*m85* 様
確かにそのとおりだと思います。パターン氏の行進は、日本軍の予想以上に捕虜が投稿してきたために起きたものと言われています。そのために収容しきれなくて、移動させるしかなく、しかも移動の手段も多すぎて車に乗せきれないで、歩かせるしか無かったという話です。そういう状態で、捕虜を粗雑に扱うことはあると思いますし、そこは確かに反省しなくてはいけませんね。
2011/12/12(月) 午後 11:29 [ kakinoki ]
それでもまだ、日本軍の捕虜の扱いはましかも知れません。アメリカ軍はそもそも捕虜を取らない方針の軍が多く、投降してもみな殺してしまっていたといいます。支那人などは非常に残虐な事をしたという話しですし、全部が全部ではないにしても、捕虜をとるということだけでも人道的だと思います。
日本人が捕虜になるよりも自決するというのは、過去の経験で、捕虜になったあと、何をされるかわからないという恐怖からだというのが
真相だそうです。実際リンドバークは、この事実を日記に書いて、アメリカ軍の日本人投降者を虐殺した数は、ナチスを非難する資格がないと言っています。
とは言え、捕虜の扱いが、かつての日露戦争のときの武士道が残っていた時代と比べると、それが失われて、虐待した人もいると思います。これはしっかりと反省するべきだと思います。
2011/12/12(月) 午後 11:29 [ kakinoki ]
はじめまして 「バターン」で検索しておりましたら辿りつきました。
よく解る記事なので恐縮ですが勉強のため転載させていただきました。
また来ますので宜しくお願いします。
2016/6/6(月) 午前 9:09 [ いかづちまる ]