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サイタニのブログからの転載です。「忠」という道徳は、昔の日本人には、最高の道徳と考えられてきました。現代人は、そんな忠だとか、孝だとかいう観念は、封建時代の遅れた古臭い考えのように思うようです。しかし、詳しく歴史を読んでゆくと、その時代に生きた人々の「忠」という誠心誠意の姿勢は、現代人には思いも寄らないくらいの強い精神力であり、圧倒されずにはいません。楠木正成とその一族の純忠を貫いた生き方は、戦前まで多くの日本人に、その美しさを心に焼き付け続けました。維新の志士たちが皆心に楠木正成を理想像として抱いていたことを御存知でしょうか。先日も坂本龍馬が最も尊敬する人物が楠木正成であるという手紙を書いていたという話を聞きました。そんな楠木正成も、戦後は歴史から消されて、習うことも、耳にすることさえほとんどなくなりました。
「七生まで只同じ人間に生れて朝敵を滅さばや」と言いましたが、仏教では、臨終にあたっての執念が、後生の善悪の原因になるということで、妄念とされていますが、太平記では、その考え方をとらず、この章を「正成兄弟、節死する事」と記して、節に死する本懐の生き方と教えています。ここには日本人の国民宗教とでも言ったらいいほどの、美学が感じられます。
「七生報国(しちしょうほうこく)」
七度(ななたび)までも、ただ同じ人間界に、生まれ変わって、
国のため世の中のために力を尽くす 楠木正成(くすのきまさしげ)は天皇を守るため、ただ一人、千早城(ちはやじょう
)で幕府軍と戦い続け、「建武中興」への道を開きます。そして、正成(まさしげ)
・正季(まさすえ)兄弟が最後に残した「七生報国」の精神は、時を超えて、その後
、国を守るため命がけで起ち上がった人々の心の支えとなったのです。
楠木正成公(くすのきまさしげこう)が歴史上に登場されるのは、元弘元年(げん
こうがんねん)(一三三一年)九月、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に召(め)
されて笠置山(かさぎやま)に参向(さんこう)、深い信任を受け、身命を賭(と)
して国の大事に処(しょ)する決意を表明されたのに始まります。
そして延元元年(えんげんがんねん)(一三三六年)正成公が湊川(みなとがわ))
の合戦で足利氏(あしかがし)を迎え撃ち、衆寡敵(しゅかてき)せず、遂(つい)
に敗れて、七生滅賊(しちしょうめつぞく)を誓って亡くなる迄の間が、正成公の
歴史上の一生といえます。「太平記」は、この六年間という正成公の短い生涯を、
純忠至誠(自分の欲がない純粋な忠義とまごころ)で終始した史上最高の人物として
称賛を惜しまないのです。
太平記で良く知られた「桜井の父子の別れ」は、戦前青少年がよく歌った、青葉茂
れる桜井の、の歌と共に、多くの日本人に感動を与えた名場面です。正成公は、
その子、正行公(まさつらこう)に対して、
自分の死後も、なお帝(みかど)のために忠誠を励み、一家一族の
安全や栄達を望んではならない、と諭(さと)されます。自らの功名功利
(てがらや利益)だけでなく、子孫にも望まない純粋さであり、殉じても只々
大義(人の踏み行うべき大切な道)を貫き通すのみとする純忠そのものだった
のです。
更に太平記では、正成公の最後を記して、
「智(ち)・仁(じん)・勇(ゆう)の三徳(さんとく)を兼ねて、
死を善道に守るは、いにしえより今に至るまで正成ほどの者は、
いまだ無かりつるに」
と、人として最善の道を守るため、死をも省みない、そんな正成公ほどの人はいない
というのです。
笠置山で帝に決意のほどを示されてより、寝返りや逃亡などが常套手段(じょうとう
しゅだん)の時代に、戦いの勝敗も功業(てがら)を無視して、ひたすら自らの
信条に徹して、湊川の戦いに散っていかれた正成公の忠誠(ちゅうせい)の純粋
さに、日本人は感動しました。そしてこの精神が正行公(まさつらこう)に継承
され、三世五十余年、正成公の遺志は固く守られ、悉(ことごと)く一族一門が
滅びることとなる悲史にその忠誠の典型を見て、強く心を打たれたのです。
日本の精神史上には、忠義、忠誠、或いは忠というのが、最も美しく貴いと
信じられてきた伝統があります。忠は、まごころ(誠心)をもって、相手の
ために尽くすことです。それも終始一貫、成し遂げるまでする。もし成功しな
かったら、たとえ生命を犠牲にしても惜しまない態度、これが、忠なり、と
すれば、おのれ一代だけでなく数代に亘(わた)って、自らの信ずるところを
貫き徹(とお)そうとした正成公の忠ほど、純粋無比なものはないと言えます。
功業の成否や大小でなく、純粋な忠の精神に徹することを貴いとし、日本人が
特に理想として称(たた)えてきたのが、この楠木正成公とその一門の人々の
忠であったのです。
一般人ではとうてい到達し得ない、まごころ、の人、それ故に正成公は、神に祀られ
たのでありましょう。私共として大切なことは、正成公ほどでなくても、誠をもって
、また、まごころを込めて、人と接し、仕事をし、人生を全うすること、そのことが
最も大切なことではないでしょうか。それには、まず、信頼される、ことが前提です
。行動をもって、自らが本当に人に、信頼される存在、となるよう努力することです
。そのことに心掛けたいものです。
湊川神社宮司 栃尾 泰治朗執筆より抜粋 注:この精神こそ、幕末の志士を動かし、日清、日露、大東亜戦争を戦った英霊の
大和魂でしょう。占領軍や日教組が絶対にこれだけは教えたくなかったことだと
思います。 |
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おはようございます。
「七生報国」の精神こそやまと魂ですね。
傑作
2011/9/25(日) 午前 8:35
カマちゃん様
日本人の理想ですね。
傑作有難うございます。
2011/9/25(日) 午後 0:46 [ kakinoki ]
戦前の天皇絶対主義に利用された正成像を強調しなくとも 彼の義賊性 戦術家としての知力 そして滅びの美学...
今でも素直にその人格には十分な魅力を感じます
ちなみに私は少年期の皇国教育を見直している一人です
2012/12/8(土) 午後 2:36 [ まさしげ ]