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高志さんの記事より、掲載します。
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昨日(*9月20日)の朝日新聞「声」欄は「語りつぐ戦争」というテーマで、関連した記事が載っている。
一つは【引き揚げ女性の孤独な闘い】。
敗戦後の一時期を舞鶴の国立病院で、引揚者の入退院事務の仕事をしていたという今年79才の女性からのもので、当時まだ10代の多感な娘さんだった彼女にとっては生涯忘れ得ぬ思いを綴ったものである。
《悲惨な命の現場に立ち会った記憶は今も、私の心の奥底に重く沈んでいる。》
と彼女は控えめな表現で記述している。
《入院して来た女性たちは疲れ果て、頭は丸刈り、薄汚れたネズミ色の綿入れ上着とズボンの男装。 現地で旧ソ連軍の兵士らによる暴行や地元民からの迫害を受け、心身に深い傷を負った人が多かった。家族が待つ仮宿舎の向かいの産婦人科病棟で、人工妊娠中絶がひそかに行われた。
医師らにとっても苦渋に満ちた決断だったに違いない。妊娠後期に入り、困難な手術もあったようだ。》
「声」の女性は《古い布に包まれた胎児の遺体》を雑役のおじさんと二人で木箱に納め、 《薪の束と小さな「棺」をリヤカーに乗せ、町外れの焼き場まで運び、荼毘に付した。
戦後復興の歴史の裏に封印された、引き揚げ女性たちの長く孤独な闘いを思う。
悲惨な命の現場に立ち会った記憶は今も、私の心の奥底に重く沈んでいる。》
と結んでいるが、同様な事は舞鶴よりも距離的に大陸に近く、引揚者の数も多かった博多では、もっと大々的に人工中絶が行われている。一体どれ位の女性が犠牲になったのか、人工中絶の手術を受けた女性だけが犠牲になった訳ではない。
内地に帰り付くまでに亡くなった人もあるだろうし、心ならずも出産した人もあるだろう。
犠牲になった女性の人数をチャイナ流で表すと五百万人か1千万人かという事になる。
在留邦人の数から見て、計算が合わないのはアチラさんの流儀で言ったからである。
「声」欄には同時に【強盗を取り押さえたソ連兵】という岡山県の80才の男性の記事も載っている。 《・・・旧ソ連の占領下(平壌)で・・・ある夜、出刃包丁を握った数人の強盗に押し入られた。全員が1か所に座らせられ、金品を奪われた。私は頭を出刃の先でこづかれ、木綿のパンツに血がポタポタと落ちた。20分ほどたっただろうか、突如、自動小銃を携えたソ連軍の兵士が数人飛び込んできて強盗を取り押さえた。東洋系の幼い顔立ちだった。・・・ソ連兵の蛮行の噂は聞いていたが、この時ばかりは地獄に仏だった。》
ソ連軍政の下、そういう事はあって当然だが、私は邦人がソ連兵に助けられたという話を聞くのは全く初めてである。ソ連兵の悪事の埋め合わせをする為に載せた記事の様な感じもする。 現在、ソウルでは日本大使館前に「従軍慰安婦」の記念碑を建てるとか建てないとかで紛糾しているというが、この架空の物語に比べると「中絶」の事実は余りにも重い。
だが、事実は事実として教科書にも載せるべき話である。
少なくとも「従軍慰安婦」という記述を掲載している教科書には「人工中絶」の事実も掲載しなければ片手落ちの誹りは免れないだろう。
(記事の*はさくらの花びら記入)
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歴史上なかった”従軍慰安婦”の記念碑を建てろと言っているが、
我々が知るべきは真実の歴史なのです。
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平成の現在では、一部の人間の嘘が真実のように語られ、実際に公然とあった真実がベールに包まれたままになっています。
真実はひとつです。
このままでは、日本人の誇り、矜持は取戻せません。
傑作
ランクリ
2011/9/28(水) 午後 1:42
転載感謝いたします。
☆
2011/9/28(水) 午後 5:14
カマちゃん様
真実を取り戻さねばいけませんね。堂々と主張しなくてはいけない時が来ましたね。
傑作ランクリ有難うございます。
2011/9/30(金) 午前 0:39 [ kakinoki ]
さくらの花びら様
いつも素晴らしい記事ありがとうございます。
☆ありがとうございます。
2011/9/30(金) 午前 0:39 [ kakinoki ]