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アメリカ占領軍により、「大東亜戦争」という言葉が禁止され、「太平洋戦争」という呼称で呼ぶように命じられて、そのアメリカの歴史観のみを正しいとして、戦後は日本人はその歴史観で生きてきました。それがどんなに異常であるかさえ気づかないほど、しっかり教育されてきたということです。

アメリカはアメリカ大陸に移住した時から、西進の歴史が始まります。セオドア・ルーズベルト、フランクリン・ルーズベルト、両大統領の信奉する戦略家のマハンは、次のように言っています。以下、国際派日本人養成講座より引用です。

  「大海軍の建造がまずアメリカにとって重要だ、二番目には世界各地に植民地を獲得する必要がある。三番 目には、そのために海軍が世界各地に軍事基地を設けなければならない。それを踏まえてアメリカは世界貿易に雄飛すべきであり、その対象はとりわけて中国市 場に目を向けなければならない。」 


またベバレッヂ上院議員は、1900年に国会で次のような演説をしている。

「我々は東洋におけるわれわれの機会を放棄しない。我々は神によって世界の文明を託されたわが民族の使命を遂行するにあたってわれわれの役目を放棄し ない。・・・今後我が国最大の貿易はアジアと行われるにちがいない。太平洋は我々の大洋である。・・・中国はわが国本来の消費者である。」


 1897年、日清戦争のわずか二年後に、アメリカは日本を仮想敵として、対日戦略プログラム「オレンジ計画」を策定した。この計画は、以後、定期的に改訂を重ね、50年後に実行に移された。1911年には、次のように書かれている。


もっとも可能性の高い状況は、日本がアメリカの封じ込め政策を終わらせ、同時に自国の通商航路を防衛しなが ら側面海域を現在および将来の攻撃から守っていこうとするものだ。そうすることは必然的にフィリピン、グアム、そして多分ハワイまで占領して合衆国を西太 平洋から駆逐することになるであろう。

より困難な状況の下で、米国は独力で日本を満洲から撤退させるべく、大陸への介入ではなく、海上の作戦によって戦うことになるだろう。それによって制海権を握り、失地を回復し、日本の通商路を抑え息の根をとめることになるだろう。

1911年は大正元年、この時にすでに満洲に関する日米の確執を予言し、中国市場を独占するために、日本を封じ込めて暴発させ、「息の根をとめる」までのシナリオが正確に描かれている。真珠湾攻撃のちょうど30年前である。

日本が降伏した日に、ニューヨーク・タイムスは「太平洋の覇権を我が手に」と題して、次のような記事を載せた。 
「我々は初めてペルリ以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ」

これがアメリカの戦争の本来の動機です。これを日本の侵略を制止するための正義の戦いという風に捏造して、この捏造史観を東京裁判を始めとするウォーギルトインフォメーションプログラムによって、日本人に植えつけたのです。



 
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。 
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なぜ「大東亜戦争」と呼称すべきなのか 
 
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高知大学名誉教授 福地惇 
 
連合国軍総司令部は昭和201215日、日本政府に対し、国家神道の禁止と政教分離の徹底を支持する覚書を出すが(神道指令)、その中で「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じた。 
「大東亜戦争」の呼称は昭和161212日の閣議で、「今次対英米戦を支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と決定したことによる。いわば日本にとって戦争の大義を示した言葉である。
米国がそれを否定し、「太平洋戦争」と呼称することを命じたのは、あの戦争が文明と人道に対し野蛮な挑戦をした日本を懲らしめ、平和と民主主義を願う文明・正義の戦争だったというアメリカにとって都合のよい認識を日本国民に刷りこもうと意図したからである。
  
そ もそも戦争とは当時国双方が互いに妥協不能の政治的、軍事的、経済的な対立に立ち至った時に発生する。だから当然、双方に言い分も理屈も正義もある。 ど ちらも根本には国威、国益を擁護・拡大したいという国家の本能が盤踞するが、一方が邪悪で不義、他方は善で正義だということはあり得ない。
大東亜戦争の真実は、我が国側からすれば、国家の大義と国益を死守するための「防衛戦争」であった。「開戦の詔書」はそれを表明している。だからこそ私は「大東亜戦争」と呼ぶ。
  
日本は連合国を向こうに回して勇猛果敢に戦った。 ルーズベルトは日本の「無条件降伏」を望んだが、日本圧服を目前にした19454月 に病没。後任大統領トルーマンは、本土決戦で予想される双方の甚大な人的・物的被害や大戦後の国際政治を勘考する現実主義の国務長官代理グルーや陸軍長官 スチムソン、英国首相チャーチルら堅実な政治家との合意の上で、日本に国家存続の最低条件を突き付けて降伏させる形での終戦をめざした。「ポツダム宣言」 がそれである。
  
我 が国政府はツダム宣言が「國體」が護持されると確認した上で降伏し、同宣言の条件による連合国軍の軍事占領管理に国家の命運を委ねた。占領支配に直面し た我が国にとって必要だったのは、ポツダム宣言の誓約を超えた占領政策には巧妙に抵抗し、面従腹背しながら政策の内実を空洞化するなど「講和後を見据えた 我慢強い被占領側の政治」であったろう。それが出来なかったことは、それまで対外戦争の大敗北を経験したことのなかった我が国の弱点だった。
この弱点ゆえに、占領政治推進のためにねつ造された太平洋戦争史観を鵜呑みしてしまい、「無条件降伏」したのだからという諦念のもとに専制権力たる占領軍政府に迎合した日本政府は、国家体制変造に抵抗できなかったばかりか、「敗北主義」の蔓延を阻止しなかった。
 
小泉首相の解放感謝(2003年 に訪米した小泉首相はブッシュ大統領との会談で、日本の占領統治について日本を解放してくれて有難うと感謝した)の談話は何を意味しているか。 民族の弱 点に付け込んで醸成された「敗戦国体制」と、それを支える「敗北主義」的な意識、この占領政治の呪縛が半世紀以上経ってもなお日本を重く拘束し続ける魔物 であることに、我々は改めて思い起こさねばなるまい。
・・・・・・・
 
戦前、日本では「太平洋戦争」「日中戦争」などという言葉はなく、「大東亜戦争」「支那事変」でありました。 確かに一時占領中はそういう呼び方を強制されていたのでやむを得ませんが、それを戦後六十数余年、今でも正しいと思い込んで使い続けているところに日本人の魂が抜かれた姿があるのです。
東京裁判、そして日本国憲法の「自由」「平等」という矛盾を「民主主義」という虚構ですっかり騙されている日本人は、その狡猾な意図さえも考えることを拒絶してしまって、現在の安楽に浸ってしまっているのです。
 
戦後から現在も売られている歴史の本の多くは「太平洋戦争」という言葉で書かれています。
これはアメリカ側の立場に立って書かれた本だということを知らない日本人が多いのです。連合国が”正義”で日本は”悪”、これこそ日本にとっては自虐史観であります。
そして学校でも、新聞も、テレビも、当然のように「太平洋戦争」という言葉を使っています。
これらすべてがアメリカの立場からの植え付けられた歴史観なのです。アメリカの立場の歴史観が正しいと思いこんでいる日本人の姿は世界的にみても異常でありましょう。
そのことを教えない教育の在り方も占領中のまま何も変わっていないということであります。
 
・・・・・・ 
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大東亜戦争未だ終わらず・・

傑作
ランクリ

2012/1/25(水) 午後 6:25 アメブロにタイトル同じで移行。

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日本も日露戦争後の御前会議で海軍の敵国をアメリカとしましたね。

2012/1/25(水) 午後 10:03 保守の会会長 松山昭彦

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カマちゃん様
ほんとですね。
傑作ランクリありがとうございます。

2012/1/25(水) 午後 11:44 [ kakinoki ]


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