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「すっから菅総理」のスタンドプレー

         飯島 勲 「リーダーの掟」      プレジデント 2011 7/4号

 
6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。
被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、
私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。
被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。

国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。
タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。

菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。
 
薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。
森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。
当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。
さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。
95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。
しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、
菅厚生大臣が誕生する。
大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。
このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。
しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。
 
以来「総理にふさわしい人」として菅大臣はマスコミの寵児となった。一方でファイル探しに汗を流した前大臣は無能呼ばわりされ、キャリアとノンキャリの壁を超えて探し回った官僚たちは情報隠ぺいの犯人扱い。菅大臣はこのときから他人の手柄を横取りし、自らが発表するという手法を確立していたのだ。
厚生大臣時代を振り返るとき、もう一つ忘れてならないのが、カイワレ大根の風評被害事件だろう。
薬害エイズで人気絶頂となった菅大臣をO-157の食中毒問題が襲った。果断な発表は支持率アップにつながると、2匹目のドジョウを狙い「O-157の原因としてカイワレ大根の可能性が否定できない」と記者会見した。 あっという間に全国のスーパーからカイワレ大根が消え、カイワレ栽培農家は大騒ぎとなった。
特に大阪の農園経営者は、厚生大臣ではなく、菅個人を訴えると激怒した。
あわてた菅大臣が思いついたのがカイワレを食べるパフォーマンスだった。しかし、関東地方の店先にはカイワレは一パックも残っていない。全国中を探し回り、ようやく数パックのカイワレが見つかった。あわててノンキャリアを買いに走らせたが、このときの交通費などが6万円かかっている。
無論、国民の血税からの支出だ。
 
大臣がカイワレをドレッシングもかけずに涙目でむしゃむしゃと食べたところで、風評被害が収まるはずもなく、カイワレ農家は国を提訴した。
パフォーマンスの効果は、農園経営者の訴訟の被告を菅個人から厚生省に変更させた程度にとどまった。菅大臣にはそれでよかったのだろう。
最高裁は04年12月、国に賠償総額2290万円の支払いを命じる判決を言い渡した。菅は、カイワレに関して、合計で2296万円の損害を国に負わせたことになる。
 
自殺者まで出したカイワレ事件。驚くべきことに最高裁で敗訴が確定しているにもかかわらず、本人はこれを成功体験ととらえているらしい。目立つことさえすればマスコミに賞賛される。それを感覚として知っているのだ。
 
菅大臣退任後、厚生省官僚のどん底まで落ちたモチベーションの問題は少しずつ改善されたが、ひとつ困った置き土産があった。クレーマー化した市民運動団体の来訪だ。本当に困っているのであれば、全力で助けるのだが、国を叩くことだけが目的の集団が押し寄せてくると手のつけようがない。
 
私自身が対応していて感じたのは、問題のある市民運動家には(1)すぐ言い返す、(2)すぐあげつらう、(3)すぐ怒鳴る――という3つの共通点があることだ。第三者が何か指摘すると、相手が口をはさめないほどのスピードで反論する。些細な矛盾を血眼になって探す。相手が納得しないと声を荒らげて怒鳴り散らす。相手をやり込めることが目的では問題も解決のしようがなかった。
震災後の菅総理を見ていて、市民運動家の3カ条に付け加える必要があると考えた。それは、上手く立ち回れなくなると、「すぐ誤魔化す」だ。

http://president.jp.reuters.com/article/2011/06/11/77BE92C8-9277-11E0-B097-061F3F99CD51.php
 
 
  まとめ
 
昔から菅は目立ちたがりで、人気があると勘違いしている。
 
人の手柄を横取りして、自分の手柄にしたがる。
 
迷惑かけてるのに、主役だと思いこんでる、オツムの弱いヤツ。
 
だから自分から辞めるなんて大人の対応は出来ない。
 
クビを斬り飛ばすしか方法はないのである。
 
 
 
 
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転載元転載元: My favorite 〜Osaka, Japan〜

かつて日本は美しかったからの転載です。日本人は古来より、天皇を中心として国民が心を一つに合わせて生きてきました。今回の東日本大震災で、今上陛下が被災地にお見舞いに行かれると、その陛下の心から国民を心配され、子どもを愛する親のような慈愛深さに、多くの人が涙が出るほどありがたく感じたと言っていました。今回の時ではありませんが、かなりお年のおばあさんが、天皇陛下よりも自分は歳上なのだが、まるで天皇陛下が自分の親のような感じがしたと言っておられました。

日本で、国民のことを一番大切に愛してくださっているのが天皇陛下であるのは、確実なことです。そしてこれは、古来よりずっと変わらぬ皇室の伝統であり、昭和天皇が、マッカーサーとの会見で、たとえ絞首刑になっても戦争の全責任を負うと言われたように、自分のいのちがどうなっても国民を護ろうとされるのが、歴代の天皇陛下でした。

明治憲法は、欽定憲法と言われ、まるで、西洋の絶対君主のように天皇が意のままに振る舞える君主の権利を認めた憲法であるかのような、封建的な憲法のイメージを、私たちは植えつけられました。ところがじっさいには、この憲法では天皇が統治権を行使されるようにはなってなく、内閣や議会が天皇の名において、いろんな政治を行うことになっていたのです。天皇はそれに従わなくてはならず、かってに議会や内閣の決めたことに反対はできませんでした。

だから第二次大戦の開戦においても、天皇は戦争に反対の立場であられましたが、反対を押し通すことはできなかったのです。終戦の時も同様で、意見を求められて天皇の決定に従うという議会の合意のもとで初めて、終戦のご決断もかなったのです。

なぜ天皇に統治権があると書いてあるかといえば、政治を実際に行う内閣や法律を制定する議会が、天皇の名のもとに行うということで、天皇の国民を思って常に祈られる心、神々に祈られるその御心に沿うように、自分たちの権力闘争を抑え、天皇の神聖性を汚さぬように配慮する気持ちがめばえ、日本全体のことを考えるという姿勢を取るようにするために、天皇に統治権があると書かれているのです。これによって、日本では個人で権力を振り回す独裁者が出ることもなく、政治家は、私欲を自己抑制して、天皇の名においてと記すときには、誠意のある気持ちをもって臨むことができました。


このように明治の帝国憲法では、天皇に主権があったわけではなく、また国民主権でもなく、国家という日本人の古来より連綿と続いた民族的な生命体国家そのものが主権を持っていたと考えるべきでしょう。

この大日本帝国憲法という欽定憲法は、五箇条の御誓文に則って、作られましたが、この五箇条の御誓文というのは、神にむかっての誓いという意味です。日本人は古来より、神々を大変敬う国民でしたから、五箇条の御誓文で神に誓い、形の上では、それを天皇が裁可して発布するという欽定方式でした。そして、憲法も同様な形をとったのです。だから欽定憲法というのは、日本では当然元首の裁可で発布されるという意味ですが、更に神々に誓うという精神が欽定という方式にはこもっているのです。

日本人が日本人らしいやり方で、古来よりの国柄を大切にして創り上げた憲法は、当時は、世界でも伝統と近代を見事に融合させた絶品の美しい憲法と言われ、賞賛されました。

 
転載開始

 
戦後こそ恐ろしい気がします。
\?\᡼\? 1

  私は子供の頃から「日本国憲法」は「国民主権」であり、自由と権利、平等が保障されており、はすばらしい!大日本帝国憲法は「天皇主権」で国民にとってひどいものだった、教えられました。よくまあ、こんなウソを教えられたものです。

大日本帝国憲法一章

第1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す


第2条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す

第3条 天皇は神聖にして侵すへからす

第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ

  1条から4条の途中まで「国体」を表しており、4条の「此の憲法の条規に依り之を行ふ」が立憲君主制の政体を表しています。

  「天皇之を統治す」というのは「シラス」ということで「お知りにな る」が由来で、天皇が国民の心を知って国民のために公平に統治するという「統治理念」をいいます。これは古事記からきています。反語として「ウシハク」と いうのがあり、西洋や支那のように国土国民を私物にして支配するものです。「シラス」は支配なき自己統治形態といえます。

  「天皇は神聖にして侵すへからす」は国政に関する無答責(政治的には責任はない)を述べており、「国体」と「政体」は別であることを言っています。仮に天皇が主権者であれば無答責のはずがありません。

  「天皇は国の元首にして統治権を総攬し」の国体論として「元首」を規定し、「統治権を総攬」というシラスを手に取ると述べ(有することではない)「此の憲法の条規に依り之を行ふ」と憲法の規定に縛られるとなっています。

  どこにも主権など述べていません。天皇主体説など「天皇主権」を唱える解釈もあり、天皇機関説事件がありましたが、天皇主権であれば日米開戦は昭和天皇は反対だったわけで主権者の意思が通らないはずがありません。

  また、大日本帝国憲法でも言論・出版・集会・結社の自由(第29条)、信教の自由(第28条)は保証されています。なお、婦人参政権※1や労働基本法の制 定は大日本帝国憲法下で枢密院で諮問されて憲法上合致していることを確認されて裁可されています。大日本帝国憲法は自由民権運動の結晶ですから、抵触しよ うはずがありません。ちなみにこの事実を言うとフェミ系の人は「そんなはずはない」と言って怒るそうです。

  戦後、GHQは日本には天皇の下の平等という思想があり、有史以来、天皇と国民が対立したことがないことを知りました。この天皇と国民の一体感が日本の強 さの秘密であると気づきます。そこで日本を弱体化させるため「国民主権」を入れ、天皇と国民が対立可能な構造にしたのです。そして「天皇主権」という圧政 から「国民主権」に解放された、という神話を作ったのでした。

※1 2010/11/8追記

GHQ憲法は昭和22年5月3日に施行。(公布が昭和21年11月3日であり、施行までは大日本帝国憲法が有効)時系列で並べると以下の通り。

昭和20年(1945年)12月17日に改正衆議院議員選挙法公布により女性の国政参加は認められる。

昭和21年(1946年) 4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する。
昭和21年(1946年)10月 7日第90特別議会での審議を経て、憲法改正案成立となる。
昭和21年(1946年)11月 3日GHQ占領憲法公布
昭和22年(1947年) 5月 3日GHQ占領憲法施行

ちなみに明治13年(1880年)9月20日、日本で初めて(戸主に限定)地方女性参政権が認められている。(「区町村会法」を改訂により4年間で消滅)



参考文献
  「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
  「天皇論」小林よしのり著
  「父が子に教える昭和史」『"民主主義”占領軍がもたらしたのか?』岡崎久彦

添付画像

  憲法発布略図(PD)

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転載終り

五位鷺を見ました。

最近、近所で五位鷺をよく見ます。いままで一度も五位鷺の成鳥を見たことがなかったので、とても嬉しくて、なんだかこれは吉兆ではないかとさえ思ったりします。去年の9月頃この五位鷺の幼鳥であるホシゴイを、家のごく近所の用水路のような小川で目撃したことがあり、その時は、鋭い目がとてもかっこよくて、この初めて見る鳥に、とにかくびっくりしました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7b/158f6d1424c6dead32dcf3e3ba95dc18.jpgホシゴイです

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/27/432f5cea961faf4cea56272fe2a4c126.jpg首を伸ばしたホシゴイ

一体なんという鳥だろうと、ネット図鑑などでいろいろさがしました。最初はヨシゴイの幼鳥かと思ったりしたのですが、なんか違うという感じで、ふと五位鷺のところを見たら、まさにこの鳥の幼鳥であったのが判明し、その時のうれしさは、なんか貴重なものを目撃し発見したような感動がありました。
家のまわりでいろんな野鳥を見る中で、このような猛禽類のような鋭い目でじっと水面を見る鳥ははじめてだったので、じつに衝撃的だったのです。アオサギも結構似たような目で水面を見ていると思うのですが、不思議に見慣れてしまったせいか、さほどにはびっくりしません。
それ以来、このホシゴイでも五位鷺でもいいから、もう一度見てみたいとずっと願っていました。そうして、以来9ヶ月が過ぎました。
そしてこの前、家族が運転する車で、買い物にいく途中で、道路のそばの田んぼをふと見ると、その田植えの終わった田んぼに、五位鷺が立っているではありませんか。なんどもネット図鑑などで見た姿なので、すぐに分かりました。といっても、走っている最中に止まることもできず、さいわいスーパーはすぐ近くだったので、そこに車をとめた後、急いで、歩いて引き返して、デジカメで撮影しました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/6f/bc11adec47661ccefe500004b6836464.jpg

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/fe/9530bb62c9f8efbfd9c20a4a4f169e38.jpg

五位鷺はあまり動いたりせず、時たま向きを変えたり、ちょっと歩いたりしましたが、きっと撮影している気配を感じたのか、しばらくすると、飛び立っていってしまいました。
それでも、カメラに収めたうれしさは、なんとも言えず300メートルくらいの距離をてくてくスーパーに向かって歩きながら、幸せな気分を味わいました。
そのあくる日、またスーパーに、行くと、今度はこのスーパーの真ん前の田んぼにいるのです。このときは、五位鷺は、あたりの様子も気にせず、一生懸命に餌を探して、田んぼ中を歩きまわっては、水面をつついて餌をとっていました。

イメージ 1



五位鷺は、何となく鋭い顔の鳥という印象でしたが、この田んぼを歩きまわる様子は、なんとも言えず可愛らしくて、大きさもアオサギと比べるとかなり小さいので、顔の怖さから言えばアオサギのほうが、ずっと上だなと思い直しました。
さて、それから数日後に今度は家の北側の少し離れた田んぼに、五位鷺をまた見ました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/73/39aa0c1a5ce63e622bcf9d9062a05f3a.jpg

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こうもたてつづけに五位鷺を見ることに、非常に驚きました。それまで見たいと思いながら見ることができなかっただけに、こんなに簡単に見れる鳥だったのだろうかと、あっけにとられる思いです。この鳥は夜行性とか書いてあるのも見たことあるし、夜鳴いているグワッとかいう声が五位鷺だとかも書いてあったので、昼間は殆ど見ることのない鳥だと思っていたのです。


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/2e/3aabfec57ec2bb08a54896e98d88d529.jpg

そして、家の近くの田圃では、近くまで行ってカメラでとっていたら、ふと違う方向を見たとき、もう一羽いるのを発見しました。どうやら夫婦かも知れません。どちらが旦那さんで、どちらが奥様かと思いながら、ズームで見ると、あとから発見したほうが、なんとなくすました顔で、しとやかそうに首を伸ばしてこっちを見たので、きっとこちらが奥様なんだろうなと勝手に決めました。

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http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d3/93a9c0b0e509cea09fbc140b19c14650.jpg

それにしても、ゴイサギは、こうしてなんども見ているうちに優美さを非常に感じるようになってきました。さすがに、正五位を賜った鳥らしく、気品まである気がしてくるから不思議なものです。
それからまた、数日後、別の場所を車で走っていると、またも、二羽の五位鷺が田んぼを歩いては、突っついています。このときはそのまま見ながら通り過ぎました。
なんとなく、狭い範囲の町中での目撃なので、もしかしたら、みな同じ五位鷺ではないかという気もします。
家のものには、五位鷺を見たのは吉兆だ、きっといいことがあるに違いないと言っています。まだ別になにもありませんが、そう言っているだけで、気分が晴れ晴れと明るくなってきます。気は心です。
その後は、見ていませんが、見るたびに違うところにいて、同じところで見るということがないので、ちょっと遠くに行ったかもという気がしています。
また一年後でもいいから、見たいものです。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f5/8c1cdbc78ae54a73c1775353b5856edb.jpg
このとなりの田んぼにはいつも白鷺がいます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/11/8f6be8cf9db08325cb42025a2344f57d.jpg
白鷺はほぼ毎日きています。
ジンボルトさんからの転載です。


転載開始

日本の底力(必読!住宅業界が悲鳴…業界総がかりで準備した仮設住宅用資材、「みなし仮設」導入で在庫山積みに)
 
今日見つけた必読ニュースをお送りする。まあ、正確には今日の朝に見つけたわけだが、これがなぜか必読なのかは後に判明する。まずは記事を読んで頂きたい。
 
必読!住宅業界が悲鳴…業界総がかりで準備した仮設住宅用資材、「みなし仮設」導入で在庫山積みに
 
みなし仮設住宅制度の導入が遅れたことは、住宅メーカーにも大きな打撃を与えた。仮設住宅の建設予定戸数がいきなり減少したためで、震災直後から政府の求めに応じて建設資材を準備してきたメーカーは、行き場のない在庫の山に頭を抱えている。
 
「柱や合板からユニットバスまで、1千戸分以上の在庫を抱えそうだ」大手住宅メーカーの担当者がため息をついた。
 
政府は震災直後からプレハブ建築協会に仮設住宅の供給を要請。必要な戸数は4月上旬、約7万2千戸に達し、専門のプレハブリース業者のほか、通常はプレハブを扱っていない住宅メーカーも含めて、住宅業界が総掛かりで対応した。
 
そんな状況がみなし仮設導入後に一変。必要戸数が激減し、約2万1千戸分が宙に浮いた。各社は発注済み資材のキャンセルを強いられ、間に合わない分は大量在庫となった。
 
住宅メーカー幹部は「仮設用に通常の住宅資材を短く切断して利用したり、ユニットバスも小型のものを特別に注文したりして対応してきた。今さら通常の顧客向けに転用することはできない」と指摘。「最終的に廃棄処分も考えなければならない」(大手住宅メーカー)との声もある。
 
業界側は水面下で政府と対応策を協議している。しかし、政府は「資材調達は業者の責任だ。国費での負担軽減などは一切考えていない」(国土交通省)とにべもなく、業界からは「今後は政府への協力を控えたいのが本音だ」(別のメーカー)との不満が漏れる。
 
(【東日本大震災】迷走政権のツケずしり だぶつく仮設住宅、資材の在庫山積 住宅業界が悲鳴 - MSN産経ニュース )
 
さて、一体どうなっているのか。なぜ、政府は建設予定戸数がいきなり減少したと伝えてきたのか。実はこんな取り決めがあったようだ。これを知って、なるほど民主政府はこの業界全員を敵に回したようだ。
 
日自治団体、韓国産資材輸入で恩返し
 
<アンカーコメント>
地震被害の被災者たちのために臨時住宅を建設している日本の自治団体が必要な大部分の資材を韓国から輸入する方案を推進しています。
 
地震被害の時に受けた助けに報いる意味だといいます。
 
ファン・ジョンファン記者が報道します。
 
<リポート>
超大型の地震津波が日本東部海岸を焦土化させて、3ヶ月を越えたが、まだ家を失った20万人が学校の講堂と村の会館などで避難生活をしています。
 
これらを受け入れるのに必要な臨時住宅(仮設住宅)10万軒余り。 日本自治団体がこのうち68千軒を韓国から輸入することにして市場調査を担当する代表団を派遣しました。
 
すでに国内の4-5個業者と了解覚書を締結した状態で、地震が起きた時に最も積極的に助けた韓国に大部分の物量を配分しました。
 
<録音>ヒロツネ・ヨシオ(日本リングカースグループ会長/日本市場調査団代表):「今回の地震で心配をかけて韓国国民に申し訳なくて、いろいろな韓国の支援に対して心深く感謝申し上げます。」
 
68千軒の分量の資材を全て納品する場合、業界では1兆ウォンを越える経済効果を期待しています。
 
<インタビュー>イ・ヤンホ(建設業者代表):「私どもの業界でも良い機会と考えて、工期・納期日を遵守して日本国民が暖かく冬を越せれば良いです。」
 
契約が実際に成し遂げれば韓国の地震被害助け合いで始まった韓日間の和解の雰囲気にさらに一層肯定的な影響を及ぼすと見られます。
 
KBSニュース ファン・ジョンファンです。
 
ソースは韓国語なので2CHより記事転載。
 
いやあ、スゴイなここまで露骨に売国されるとは、韓国に支援されたからお返しだと?気が狂っているのか。民主政府は。
 
 


 
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日本の底力(必読!住宅業界が悲鳴…業界総がかりで準備した仮設住宅用資材、「みなし仮設」導入で在庫山積みに)
 

 
昨日のニュースがどうやらYOUTUBEで翻訳されている。ふざけた内容なのだが翻訳付きなので間違いない。明らかに自治体とのべている。これはTwitterで教えてもらった情報だ。
 
 
管理人が見たときは再生回数1000回ぐらいだったのが、今、確認すると3万回を超えている。Twitterと管理人のようなブログ、2CHのまとめブログに取り上げられていたことを報告しておく。3万回が多いが微妙だが、マスメディアが気付くには十分な再生回数だ。産経辺りから今頃、裏を取っているかもしれない。今後、どうなるかわからないが、このような内需をわざわざ韓国に発注する理由は一つもない。

転載終り

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