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続き 楠木正成公  「桜井の別れ」
 
正成は、桜井の宿(京都と大阪の境)という所まで来ると進軍を止め、
重臣恩地左近を呼んで言いました。
「左近…この地より、わが子正行を河内に戻す。そなたに正行の供を命ずる。」
 
ハッとして正成を見上げた左近の目に涙浮かび、唇をかみしめると言いました。
「某(それがし)、若き頃よりお館様にお仕えし、賜りましたご厚情、言葉に尽くす
ことはできませぬ。せめてものご恩返しに、お館様を最後までお守りし、お館様の
お命に先立ちて討死にしようと心定めておりました。…この度の戦…お館様
討死にご覚悟の戦と承知しております。…最後までお仕え申し上げること…
かないませぬか…?」
 
「そのようなそなたであればこそ、わしはこれまでわしの兵法わしの生き方の
全てをそなたに伝えて来た。そなたの他に、わが子正行(まさつら)を託せる者は
おらぬ。わし亡き後、足利尊氏の天下となれば、帝にお仕えする楠木一族を
率いる正行の歩む道は、厳しいものとなろう。わしの志を正行に伝え、正行を
支えることを、わしの最後の命と思ってほしい…。」
 
唇をかみしめたまま正成の言葉を聞いていた左近は、はっきり心を決めると
言いました。
「承知…致しました。若君を楠木一族のりっぱな御大将にお育てしますことを、
某の最後の使命と思い、身命を尽くしますゆえ…ご安心くださりませ…!」
「左近…正行を…たのむ…!」
「ははっ!」
深く頭を下げた左近の目から、とめどなく涙が流れ落ちたのです。
 
正成は、わが子正行を呼びました。正行はまだ十一歳でしたが、父と共に戦に
出るため、これまで従って来ていたのです。正成は、正行の顔をじっと見つめて
言いました。
 
「正行…お前はこの地より、母の待つ河内に戻るのじゃ。」
驚いた顔を上げた正行が叫びました。
「なぜでございます!私は、父上と共に足利軍と戦いまする!」
「ならぬ!河内に戻れ!これは命令じゃ。」
 
正成の厳しい語調に正行は、こみ上げる涙をこらえながら言いました。
「私は…最後まで父上と共に戦いとうございます。私は…私は…大将である
父上を…最後までお守りしとうございます…!」
正成が静かに言いました。
 
わしが討死にしたならば、天下は必ず足利尊氏のものになる。だがお前は
楠木一族を率い、身命を賭して 帝(みかど)にお仕えいたせ。足利の力が
強ければ強いほど、お前にとっては厳しい道となろう。だが、命が助かりたい
ばかりに、長年の 帝のご恩を忘れ、敵に降参するようなことだけは、
してはならぬ。
 
 
楠木一族の者が一人でも生き残っていれば金剛山に引きこもり、敵が
攻めて来たならば、帝への忠義を尽くし、命を捨てて正しいと信じた
志のために戦い抜け!これがわしへの第一の孝行と心得よ。」
続く
 
                                    楠木正成
                                    後藤久子著より抜粋
 
注:これが戦前学校で教えられていた唱歌「青葉繁れる桜井の・・・・・」です。
 
  
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

続き 楠木正成公 後編「天に向かう志」
 
 
屋敷に帰ると正成は仏間にこもり、一人祈っておりました。
 
…必ず負ける戦に行かねばならぬ…
 
正成の心は揺れました。しかし、全てを捨てて 天皇の命に従おうと決意した時、
正成の心は驚くほど、澄みきっていったのです。
 
弟の正季が、そっと仏間に入って来ました。
「正季…すぐに兵庫へ下向する。だが、この度の戦…勝つ見込みはない…。
「それでも…兄者は行かれるのか?」
 
「命を捨てて帝をお守りするのが、わしの使命…義(正しいこと)を重んじ、
帝と国のため命をかけるのが、わしの真の志じゃ。」
 
正季は正成の澄んだ雰囲気にハッとしました。
兄者は…すでに覚悟を決めておられる…、
正成が静かに口を開きました。
 
「正季…時の勢いというものがある。今、時の勢いは尊氏殿の上にあり、これは、
一人の人間がどうあがこうと変わるものではない。このような時、わしにできる
ことは唯一つ。
 
 
自分が正しいと信じた志を天に向かって真っすぐに立てること。
わが命を捨ててその志を貫き通すことじゃ。さすれば、たとえわが身は
滅びようと、その志は残ろう。後の世のいつか、その志に感じ、志を受け
継いで心底国のために立つ者もでよう
 
 
それこそが、わしが真実生きた証じゃ。この度の戦が、わしの最期の戦…
最後の最後まで、足利軍と一直線に切り結んで果てる覚悟…!正季…
お前は今までようわしに従ってくれた。
この度は、お前の心のままにするが良い。」
 
正季は、こみ上げる熱いものをぐっとこらえると、少しムッとした様に言いました。
「初めから言ってあるはずじゃ。兄者には地獄の底までついゆくと!武士に
二言などない!」
「とうとう…この様ところまで、お前を連れて来てしまった。…すまぬ…!」
それを聞くと、正季は急に激して言いました。
 
「なぜ兄者が謝るのじゃ!兄者は今までいつも、帝のため国のため命がけで
戦って来たではないか!兄者は、わが一族の誇りじゃ!わしは…兄者に
従えることが、心から嬉しかった…。」
 
正季の両の眼から大粒の涙がポタポタとこぼれ落ちました。正季は拳を握り
しめて言いました。
「かくなる上は、この正季…最後に兄者の楯となって果てる覚悟…」

九州四国勢の大軍を率い、京都へ攻めのぼってくる足利尊氏の軍勢を
くい止めるべく、正成は兵庫へ出陣してゆきました。
延元元年(一三三六年)五月半ばのことです。
 
 
続く
 
 
楠木正成
後藤久子著より抜粋
 
 
注:結局楠木正成の志は、水戸光圀に見出され、幕末の志士によって、
  明治維新がなり、日清・日露・と日本は勝利し、大東亜戦争で敗れた
  とは言え、世界の国々は日本人を日本の国を称賛したのである。
  しかし今や、鳩山・菅と完全にアメリカはじめ、諸外国は呆れ
  果てている。野田もまだアメリカからの正式招待を受けていない
  ありさまである。
  これが、占領軍と日教組の日本弱体化政策の結果であろう
  1日も早く占領憲法を廃止して、大日本帝国憲法を復元して、
  新しいまともな憲法を造る必要がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

 「天に向かう志」
 
 
建武三年(一三三六年)二月半ば、足利尊氏(あしかがたかうじ)が九州へ逃れて
ゆくと、京の都は勝ち戦に沸き、二月二十九日には気分を一新しようと、年号が
『延元(えんげん)』と改められました。
 
しかし、正成だけは、心にのしかかる不安をどうすることもできませんでした。
「尊氏殿が、九州四国の兵を従えて再び京都に攻めのぼってくれば…その時は…。」正成の深い悲しみにきづく者はなかったのです。
 
四月末、早くも尊氏が九州四国勢の大軍を従えて京都へ攻めのぼってくるという
知らせが届き、都は大混乱となりました。
 
五月十六日、正成が呼び出され、兵庫に下って新田義貞と共に尊氏の軍を防ぐ
よう、命令が下されました。この時…後醍醐天皇(ごだいごてんのう)と公家の
並ぶ前に畏(かしこ)まった正成の顔は厳しいものでした。
 
「恐れながら申し上げます。足利軍は九州四国勢を従えた大軍…まともにぶつ
かったのでは勝つ見込みはござりませぬ。勝つための唯一の方法は…
帝(みかど)に比叡山延暦寺にお移りいただき、足利軍を一度京都に入れたあと
食糧を運ぶ道をさしふさぎ、弱ったところを新田殿と私が挟みうちに攻撃すると
いうもの…これしかありませぬ。どうか…お取り上げ下さいますよう…私は身分
卑しき者ではございますが、武略の道においてはこの正成…違うことはござり
ませぬ…!」
 
正成は真剣でした。この危機から 天皇を守るため、考えぬいた唯一の作戦
だったのです。
「それ程までに正成が言うのであれば…」
公家達が正成の意見取り上げようとしたその時です。一人の公家が口を開き
ました。
 
「待たれよ。帝は先の尊氏との戦で延暦寺にお移りになったばかり。再びお移りに
なるというのは、いかにも軽々しく思われ、帝の権威が損なわれましょうぞ。
今までとて、少数の兵で大軍を破って来たのじゃ。それは作戦が良かった
ためではなく、帝の正しいお心が天の道にかなったればこそ、敵を打ち破る
ことができたのだ。今回とて 帝がおわすのじゃ。正成は義貞と共に敵軍に
全力であたれば良いのじゃ」
 
正成は下を向いたみ、じっと拳を握りしめました。
正成の心の中で、張りつめていたものが、プツリと音をたてて切れたように
思いました。
 
…もはや…これまで…!
「この上は…あえて異議を申し上げませぬ…。」
正成は一度顔を上げると、じっと後醍醐天皇を見上げました。
 
帝…今生の…お別れにございます…
正成は深く深く頭を下げると、心の中で 天皇に、おいとまごいを申し上げた
のです。
 
 
 
                                    楠木正成
                                    後藤久子著より抜粋
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

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宮嶋茂樹氏
 
 
今日の産経新聞40*40に筆者と同じく兵庫県出身の報道カメラマン宮嶋茂樹氏のコラムが記載されていました。
歯に衣着せぬ素晴らしい内容でしたのでご紹介します。
 
以下に記事全文引用します。
 
大阪では、福島の業者が納めた資材がアブナイからと、橋が架けれんようになっとると聞く。同じ関西の京都の五山送り火では、セシウムがちょこっと出たというだけで、岩手の松が突っ返された。愛知では東日本大震災復興と銘打った花火大会で被災地の福島の業者が作った花火を、放射能まき散らす気か、とネジ込まれ、大輪の花を咲かすことができんかったのである。あまつさえ東京都が岩手のガレキ受け入れるのさえ反対した。
 何でも反対、反核、反戦、平和をお題目とする「プロ市民」のしわざや。プロ市民はすぐ子供をダシにするのが特徴や。漫画家が“ちょっと変わった家”建てたら、気分が悪くなった。近所にサバイバルゲームのフィールドができると、迷彩服見て子供が怖がって外に出られん−。これらと同じ連中である。
 プロ市民は単なる「地域エゴ」を市民運動と呼ぶ。日本にはプロ市民が信奉する憲法があり、表現、言論の自由が確かに認められている。反政府やろうが反原発やろうが、どんな勝手な意見述べるのも自由やがおんどれらのエゴで同じ日本人が風評被害に苦しめられとんのやで。
しかし、不肖・宮嶋とてプロ市民のこと言えん。3月15日、福島第1原発が水素爆発起こした翌日は南相馬から真っ先に脱出、土砂降りの雨の中、原付きで逃げ回ったのである。
 それでも福島に戻った。緊急時避難準備区域解除になる前にも、南相馬に戻った市民も少なからずいる。そこが生まれ育った故郷だから、そこに家や仕事があり、家族が隣人が友人がいるからである。たとえガレキに埋もれてても、たとえ原発の近くでもである。
 そこに住むなというのか、なぜ同じ日本人として福島の苦しみを共有しようとしない、なぜ東北の悲しみが理解できない、プロ市民は。おのれは安全地帯にいて危機感を煽(あお)るだけ煽る。汚染されとる、アブナイとヒステリー起こし、風評被害拡大させとんのはどいつや!
 
筆者も補足しますが、このプロ市民の活動を増長させている政治家、エセ文化人はもっと恥ずるべきだと思います。
「人」という字は、支え合ってこそ、「人」となります。
自分さえよければいいという、支え合うこころのない人は「人で無し」というのです。
 
そして、何一つ風評被害に対し、手を打たない愚かな政権政党こそ非難されて然りです。
口先だけの被災地復興、復興という大義名分の名のもとに、こそこそと今やらなくてもいいことばかり、優先する素人政治家集団「民主党」。
 
前原誠司政調会長は11日、韓国政府が賠償請求権交渉を求める慰安婦問題について、平成19年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を参考にした新たな基金創設を構想していることを明らかにしました・・・「愚の骨頂」ここに極まりとは、民主党」のことです。
 
アホか?
政府がやらなければならないのは、北朝鮮に拉致されている同胞の全員帰国、不法占拠されている竹島問題、竹島付近の日本領海内で「海洋科学基地計画」を打ち上げるなど挑発的な行為を続けている現状への抗議・解決が先ではないのか?
自民党時代からのハト派政権が繰り返した「譲歩外交」の失敗をどうしてこうも繰り返したがるのか・・・
18日には野田佳彦首相が訪韓するそうですが、一体何を目的でいくのでしょうか?
韓国は来年、4月には総選挙、12月には大統領選が控えています。来年には交代する政権に何を期待してのこのこ出かけていくのでしょうか?
 
野田内閣も、期待通りの「愚かな政権」ですが、せめて風評被害を拡大させる「プロ市民」「人で無し」集団ぐらいは、責任をもって終息させなければならないでしょう。
 
他に何もできないのですから・・・
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

従軍慰安婦

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「米国国立文書館から出てきた戦時中のOSS(戦略情報局)の文書が解禁されたおかげで
日本の戦後史がガラッと変わってしまったのである」
最近発売された田中英道著『戦後日本を狂わせたOSS日本計画』にはこう書かれています。
 
OSSとは何か。
CIAの前身で、戦後日本に大きな影響を与えたものです。
戦前、日本を敗戦に導き、革命を起こし、
日本を共産主義の人民共和国としようとしたコミンテルンとそのスパイたちがいた。
しかし、それとは一線を画し、戦後日本のGHQに深く入り込み、
占領憲法、マッカーサー検閲30項目、神道指令など、実際に日本解体を行ってきたのが
OSS、いわゆるフランクフルト学派というユダヤ人たちだったのです。
 
しかもこの思想は今も生きているという。
例えば、左翼勢力が人々の間に対立感情を煽るために「差別」や「格差」をいたずらに誇張する世論作り、
これなどもOSSの対日戦略の一つであったというのだ。
 
このOSSは戦時中に様々なプロパガンダを行っていました。
戦争末期にはサイパンに放送局を設け「新国民放送局」が編集され、
日本の軍部批判や敗戦必至を訴えた戦局情報が勢いを増した。
このようなプロパガンダが効果を上げたかどうかはわからないが、
このプロパガンダで流された情報が戦後の占領体制の基本情報になった。
この中には従軍慰安婦も取上げられていたという。
 
そこには「特集看護婦募集 朝鮮人のみ」という張り紙を見て募集に応じたとある。
しかし、戦後行われた慰安婦調査で看護婦募集の名で慰安婦を募った例はなかったことが判明している。
それはそうだろう、所詮はプロパガンダ、作り話なのだから。
しかも鋭いほど考え尽くされた日本をおとしめるさすがのOSSのプロパガンダにも
戦後言われる「強制連行」という言葉はないのだ。
 
この宣伝のための“作り話”にもなかった「強制連行」を主張し、
日本からお金を欲しいがために作り上げたお話が韓国の言う従軍慰安婦だ。
しかも、この作り話を妄信している愚かな日本人がいるのだ。
それも政治家というから驚きだ。 いや、「またか」という感じだ。
 
10月12日、ソウルの在韓日本大使館前で開いたデモに社民党の服部良一衆院議員(比例近畿)が参加し、こう言ったそうだ。
「野蛮な行いをしながら公式な謝罪をしていないのは、日本の国会議員として恥ずかしい。
帰国したら慰安婦問題を広める」
そして、「闘うぞ」とのシュプレヒコールを上げた。
 
また、民主党の前原も従軍慰安婦に対し村山富市政権の時の「アジア女性基金」を参考にした基金構想を示唆したそうだ。
 
もはや日本はOSSからSOSの状態である。
 
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