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(1)鎌倉幕府滅亡
 
 
千早城奥の葛城山(かつらぎさん)にある転法輪寺(てんぽうりんじ)と
いう寺の住職は、正成(まさしげ)に大変心を打たれました。
 
「幕府の大軍相手に、いかに正成殿とて城が1ヶ月は持つまいと誰もが
思った。しかし、戦が始まって二月以上たつというに、毫(ごう)も
たわまぬ。みごとなものじゃ。帝(みかど)のために命を捨てる覚悟を
した正成殿の無私(欲がない)の心なくしてできることではない。
これより、我らも正成殿にお味方いたすぞ。」
 
住職は葛城山全域の寺に連絡を取り、千早城に食糧を運ぶ等、正成の力
となったのです。
 
一方、護良親王(もりよししんのう)は吉野、十津川の野伏(のぶし)に
正成に協力するよう指令を発しました。野伏達は幕府軍の食糧を運ぶ道を
塞いでしまったので、幕府軍ではたちまち食糧が尽き、多くの武将が
たまらず国に帰って行ってしまいました。
 
三月のある朝、正成は兵達を集めました。
 
「良い知らせじゃ。帝(後醍醐天皇)が隠岐(おき)を脱出されて、
名和長年殿(なわながとし)と挙兵された!」
 
「わぁ!」歓びのどよめきが起こりました。
 
「護良親王様の令旨(指令)に応え、各地で武将達が 帝側について
挙兵し始めおる。もうひと息じゃ!」
 
「エイエイオー!エイエイオー!」
どこからともなく上がった鬨(とき)の声が千早城全軍へと広がって
ゆきました。孤立無援だった千早城の正成達の前途に光が見え始めた
のです。正成は朝日に輝く空を見上げました。
 
ついに、正成決死の千早城の戦は、幕府の大軍相手に挙兵の時から、
奇跡とも言える半年間を戦い抜き、世の中を動かす大きな原動力と
なったのです。
 
何十万という幕府軍が、千に満たない兵力の千早城を落とせない……
このことは、鎌倉幕府の力の衰えを天下に示すこととなり、次第に播磨
(兵庫県)の赤松村ら各地の武将達が 天皇側について挙兵する原動力と
なったのです。
 
一方、隠岐を脱出された後醍醐天皇は、伯耆(鳥取県)の船上山で
名和長年と共に挙兵され、京都を取り戻すために京へ兵を送られましたが
、その時『急ぎ軍勢を金剛山へ遣わし、正成を救出せよ!』
 
という厳命を下されました。一人の救出のために 
天皇御自(おんみずから)、軍令を下されるということは、古今に
例がないことです。全国の幕府軍を相手に千早城で唯一人戦い抜いた
正成を、天皇がいかに信頼され、お心にかけておられたかを物語る
ものでありました。
 
 
続く
 
                        楠木 正成
                        後藤久子著より抜粋

転載元転載元: サイタニのブログ

天涯の孤城、千早城
 
 
元弘三年(一三三三年)二月末、千早城(ちはやじょう)にこもり、
何万という幕府軍と戦っていた正成(まさしげ)の下に、赤坂城落城の
知らせが届きます。赤坂城を任されていた平野将監(ひらのしょうげん
)は、城内に井戸を掘るようにという正成の忠告を聞かず、外から引い
いた水を幕府軍に止められてしまったのでした。正成の弟正李が憤慨
して言いました。
 
「将監が兄者の言うことを聞かぬからじゃ!大切な赤坂城を失って
しまったではないか!」
 
しかし、正成は静かに言いました。
 
「いや将監が悪いのではない。わしに将監を従わせられるだけの
度量がなかったのじゃ。わしの不徳の致すところじゃ。」
注:元菅総理や民主党議員とは違うね!
 
 
正成は、じっと遠くを見つめたまま、将監を責める言葉は一言も発
しませんでした。
 
この千早城は、金剛山という山の一つの峰に造られた城で、三方が
百〜二百メートルもの深い谷になっており、城へ登る道は細く、正に
自然の要害(敵を防ぐのに優れた砦)です。
 
 
しかし、赤坂城と吉野の城が落ち、幕府軍が全て千早城に集まって来た
ために、千早城の周りは何十万という幕府軍に埋め尽くされました。
幕府軍が動くと、まるで山が動いている様に見えました。
 
今、正に千早城は、天下の孤城となってしまったのです。助けに来る
援軍はどこにもなく、わずか千人に満たない兵力で、この何十万という
幕府軍を相手にしなければならなかったのです。
 
しかし正成は兵達を集めると言いました。
 
「よいか、敵の数を見て気をのまれてはならぬ。この千早城は、どんな
ことがあっても落とさせぬ!それが国の真の安泰を願ってたちあがられた
帝(後醍醐天皇)のお心にお応え申し上げる道じゃ。我らが持ちこたえ
れば、必ず 帝側について挙兵する武将がたくさん出る。我らは、世の中
を変える先がけとなるのじゃ。真に国のため、命をかけて戦う我らには、
天が味方ぞ!」
 
「オー!」
兵達は城を守りぬこうと心に誓い合ったのです。
 
一方、幕府軍は楠木軍を侮りました。
「山城とはいえ、千人足らずの子城ではないか!」
・・・・・・・・
元弘三年二月末、攻撃すればするほど兵を失う結果となるので、幕府軍は
千早城を取り囲み、城の食糧が尽きるのを待つことにしました。

………………

この時幕府の大軍相手に正成一人が立ち向かう千早城の戦は、全国の
注目の的でした。そして小さな千早城一つ落とせない鎌倉幕府の弱さを
目の当たりにし、帝側について挙兵する武将が出始め、世の中が
動き始めていたのです。
 
続く
 
 
                        楠木正成
                        後藤久子著より抜粋
 
注:戦前の教育受けていた方は、この楠木正成公の忠義の心を教わり
  自分の事より、国家の為、天皇陛下の為、親兄弟の為に、自分の
  命を捨ててでもつくす事が人間として価値ある生き方、美しい
  生き方だと自然に身についておられたから、戦争でも我先に敵に
  向かわれたのでしょう。だから、アメリカはわずかの日本軍にたい
  してたくさんの死者を出したのでしょう。それが
 
 
  アジア、いや世界の国々からは小さい国の小さい人間の偉大さを
  見て尊敬されたのでしょう。
  戦後生き残った方々も亡くなった戦友の為にも国家再建をと、自分を
  捨て、国家の為働かれたので、世界第2位の経済大国になたのでは
  ないでしょうか。それが今は、政財官とも戦後生まれの日教組の教育
  を受けた人間ばかりです。
 
  鳩山の宇宙人に、菅のあの見苦しさ、素人民主党議員をみている
  と占領憲法と日教祖がいかに美しい日本を破壊したかが
  わかります
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

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