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「乃木を代えたら、乃木は生きておらぬぞ」
国民は旅順総攻撃失敗の深い事情は解りませんから、乃木愚将論が吹き
出しました。乃木大将の手元には二千四百通の手紙が殺到します。
「何をやっている。責任をとって腹を切れ。辞職しろ」と責め立てます。
国民の批判だけでなく、軍内部からも乃木批判が沸騰(ふっとう)し、山県
有朋(やまがたありとも)参謀総長もついに乃木更迭(こうてつ)を決意し、
天皇陛下にお伺いを立てます。そうしますと、
明治天皇はたった一言、「乃木を代えたら、乃木は生きておらぬぞ」と仰せに
なられました。乃木を代えたら、これまで多くの部下を戦死させた責任をとって
乃木は割腹自決(かっぷくじけつ)する。乃木のような二人とない名将を失って
もよいのか、乃木は代えるなというご真意です。
明治天皇は乃木大将を人格、識見、才能ともに陸軍将師中最も高く評価
されておられました。乃木のような名将が苦戦する以上、他の如何なる人物に
代えても旅順は陥落(かんらく)しない。乃木にやらせろという事だったのです。
明治天皇の人物を見る目がいかに高かったか。明治日本の偉大なる発展の
最大の理由は、国家、国民を一つに統合する 明治天皇がいらっしゃった
からです。近代日本の最大最高の人物として唯一人上げるとすれば、それは
明治天皇のご存在は重く大きい。その事を現在の日本人は解らなくなっています。
乃木大将は 明治天皇のこの限りなきご信任に感奮感泣(かんぷんかんきゅう) して、ついに旅順を陥落するのです。日本民族の最も誇りある血と涙と汗の
結晶の歴史がこの旅順攻略戦だったのです。
明治天皇を別とすると、内外の乃木非難に最も心を痛めたのは奥様の静子夫人
です。十一月、第三回の旅順総攻撃が始まる十日ほど前のことです。
現在の東京赤坂の乃木神社の隣りに乃木邸が今もあります。夫人が朝早く
二階の窓を開けました。若い将校が門前に突ったっていて、夫人にめがけて
怒鳴(どな)りつけたのです。
「乃木のノロマめ。何をまごついているか。われわれが兵隊をつくってやれば
端(はた)から殺してしまう。潔(いさぎよ)く責任をとって腹を切れ。腹を切る
のが痛ければ辞職するがよい。一体家族の者は何を愚図愚図(ぐずぐず)
しているのか」聞くに堪(た)え難(が)い罵倒(ばとう)です。
静子夫人は、終日部屋にうずくまり、どうしたらよいのであろうと悩みます。
悩んだ末、その日の夕方汽車に乗り、伊勢神宮に向かいます。そして朝方、
水をかぶり身を清めて、伊勢神宮内宮で必死に祈るのです。
「神威(しんい)をもって旅順を陥落させ給え」と一心不乱に祈り続けている
うちに確かに涼(すず)やかな声を聞くのです。「汝の願望は叶えてやるが、
最愛の二子(にし)は取り上げるぞ」この声を聞いた夫人は「二子のみでなく、
私共夫婦のいのちも差し上げます。どうぞ旅順だけはとらせてくださいませ」と
哀願するのです。
続く
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2011年11月14日
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乃木稀典大将の生き方に学ぶ
難攻不落の旅順要塞
日露戦争の勝利の鍵を握ったのは戦争指導者です。
その指導者の資質、人格、統率力、人間力こそ最も大切なものです。 それを証明したのが、陸軍では乃木希典大将、海軍では東郷平八郎大将
でした。(今回は乃木希典だけに絞ります)
乃木希典大将は旅順攻囲戦を担当した第三軍司令官です。
日露戦争の最大激戦、難戦が旅順攻囲戦でした。しかし最初はそのことが
解らなかった。一週間から十日で陥落し、直ちに北上せよというのが乃木大将に
与えられた使命でした。
ところがこの旅順は、科学技術の粋をつくした世界一の難攻不落の要塞
でした。敵総帥クロパトキンが「いかなる敵を引き受けても断じて三年は
支えることが出来る」と自負した要塞です。
日本側は、厳重に秘密保持されていた旅順要塞の内状を察知しえないばかりか、
ロシア軍兵力を誤算しました。敵の戦力を一万千名、火砲約二百門と推定しま
したが、実際はその三倍の戦力を擁していました。
そもそも要塞の攻略には、守る側の最低3倍の兵力が必要だといわれます。
ロシア軍が四万八千名の兵力でしたから、常備十四万〜十五万名の大兵力
と質量ともにロシア軍を圧倒する火砲及び砲弾が必要不可欠でした。
しかし乃木大将の第三軍には兵力五万、火砲が三百余門しか投入されなかった
。砲弾は六日目にして底をつきました。これでは大惨敗に終わるのも無理
ありません。
第一回の旅順総攻撃で一万六千名という厖大な死傷者を出しますが、誰が
主将であってもこのような損害が出たでしょう。
旅順の要塞は強固なコンクリートの鉄壁でおおわれ、十五センチ砲弾が
何千発と打ち込まれてもびくともしないものでした。第二回の総攻撃では、
最大の攻城砲である二十八センチ榴弾砲を使用しますが、これも通用しません。
そのため第二回の旅順総攻撃も失敗します。
その間に、第一軍、第二軍、第四軍は世界一の陸軍国ロシア相手に連戦連勝
でした。それもあって第三軍だけがもたついているようにみえたのです。
続く
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