国際派日本人の情報ファイルからの転載です。天下の無法松氏の日本再興へ向けた、日本国憲法廃止に関する記事の続きです。 |

- >
- 政治
- >
- 政界と政治活動
- >
- その他政界と政治活動
こんにちは、ゲストさん
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
国際派日本人の情報ファイルからの転載です。天下の無法松氏の日本再興へ向けた、日本国憲法廃止に関する記事の続きです。 |
|
歴史に学ぶということは大切であります。
野田首相はTPPへの交渉参加を“協議する”と公言しました。
「アジア太平洋地域の活力を取り込んで、我が国の再生に取り組んでいく」と言っています。
アメリカという、いつの時代も自国の論理を押し付けてくる国に対し、
今の日本の政治家や官僚はどのように日本の舵をとって、この難局を処していくのでしょう。
戦後、GHQの占領政策に対する日本の政治家や官僚は、日本が占領下という状況の中、
「アメリカの言うことをそのまま取り入れたら日本はダメになる」とわかっていて、
したたかにアメリカの言い分をかわしながら処してきたのです。
以下、このあたりについて中西輝政氏の参考になる文章を紹介いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・
最も典型的だったのは経済政策です。GHQは戦後の日本ではもっと市場経済を発展させ、
ものは海外から買うようにしろ、日本でのものづくりなどなるべくやめてしまえ、と言いました。
まさにGHQはアングロサクソン・モデルを無理やり日本に当てはめようとしていたわけですが、
当時の大蔵官僚や通産・商工官僚たちが、それを食い止めたのです。
彼らは、外交ばかりを重視した吉田茂が経済を軽視していることに異を唱え、今一番大事なのは製鉄だ、石炭だ、造船だと主張しました。そして、それらの点を強化しなければ日本の復興はないとして、日本の産業を育てるうえで障害となるような輸入をさせなかったのです。
当時の大蔵省官僚や通産・商工官僚は、日本には日本に合った発展の仕方があると考えていたのでしょう。大きな視点で先を見ていた彼らが「外資を締め出した」ことが、日本のものづくりの基盤を守ったといえます。
その根幹には、満州発展の記憶があります。日本が統治するまで満州は一面の荒野で、支那大陸よりはるかに発展が遅れていました。ところが満州事変後、日本人が本格的に入植し始めると、あっという間に工業国家に発展し、近代産業の最前線基地になったのです。この記憶から、今後の経済は「満州モデル」に則るべしという信念が生まれたことは間違いありません。
こうして日本の政治家、官僚は、アメリカに占領されながらも占領政策を丸呑みはせずに、したたかに、かつ柔軟に対応しながら「日本型モデル」を築き上げました。
そして日本の高度経済成長は、表向きは日米安保体制下での自由主義経済でありながら、実際は通産省主導の完全な日本型モデルという、ある種の「二重構造」のもとで成し遂げられたのです。
これとは正反対に、アメリカの差し出すモデルをそのまま適用し、失敗してしまったのが、バブル崩壊後の平成日本の政治家や官僚でした。バブル崩壊のショックが大きすぎて、日本経済の構造そのものに欠陥があると思いこんでしまったのです。
実際のところは、バブル崩壊は単なる金融システムの目詰まりで起こったことに過ぎません。いわば人間であれば必ず犯すミスの範疇であり、構造に問題があったわけではないのです。
それなのに構造そのものに非があると考えるのは、たとえていえば、道を歩いていて転んでしまった時に、自分という人間の骨格や精神構造に非がある、と考えるようなものです。
結局は日本型経済システムが悪い、日本型企業のガバナンスが悪いと、バブル崩壊とは関係のないところにまでメスを入れてしまい、健康なものを切り取って「臓器移植」までしてしまおうとしました。いま起こっている長期デフレの経済不況は、その「臓器移植への拒否反応」なのです。
もっと本来の血液型に適合した移植にしてくれ、と身体が訴えているのです。
格好のモデルケースがあったにもかかわらず、その知恵は、ここで活かされなかったわけです。
平成日本のリーダーが、さらに大きく劣化していたことの、何よりの証明といえるでしょう。
・・・・・・・・
今の日本のリーダーやマスコミはTPPという“危機”を“チャンス”と読み違えている気がします。
「アジア太平洋地域の活力を取り込んで、我が国の再生に取り組んでいく」という
野田首相のこの都合のよい考え違いは、上記のバブル間違いのように思えてなりません。
戦後教育と戦前教育の差か、平和主義や個人主義が染み付き過ぎたのか、そこは定かではありませんが、政治家の力の劣化・低下とともに、日本人自身がかつて持っていた国民全体の力がどんどん弱くなってきていることを自覚した上で、日本を自立した国家として立ち直るにはどうしたらよいのかを考えていくべきかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
さくらの花びらへの応援お願いします。
*歴史ブログランキングのクリックをお願い致します。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
|
|
祖国に誇りを抱き、国のいのちと連なる生き方を!
そうして第三回旅順総攻撃が行われ、やがて難攻不落(なんこうふらく)の
旅順要塞を陥落することができました。
この時、既に長男の勝典(かつすけ)は戦死しており、二百三高地の戦いで
次男保典(やすすけ)も戦死します。二人目の息子を亡くし(子供は二人だけ)、
さぞや静子夫人は気を落としているだろうと寺内正毅(まさたけ)陸軍大臣
自らが戦死の報告に行きます。すると夫人は毅然としてこう答えられた。
「よく死んでくれました。これで世間の母人方(母人方)に対して申し訳が
たちます。」主人の乃木は多くの部下を戦争で死なせている。その部下の
お母さん方に対してせめてわが子を失うことにより申し訳がたつというのです。
乃木希典大将も部下から息子の死を聞かされた時、「よく戦死してくれた。
これで世間に申し訳が立つ」と云いました。夫婦が符節を合わせて同じことを
云うのです。
皆さん、最愛の息子を亡くして「よく死んでくれました」と言わなければ
ならなかった乃木大将夫妻の心情を思いやっていただきたいと思います。
旅順攻略はそれほど古今まれに見る最難戦であり、日露戦争の勝敗を
決する戦いであったのです。この奇蹟の勝利がなければ、空前絶後の
日本海海戦の勝利も、日露戦争の勝利も生まれなかったでしょう。
欧米人は
「乃木及び彼の軍隊の人間以上の剛勇によって沈黙せしめたる旅順」
と賞賛しました。
人間の力では陥落できなかった旅順を、乃木大将と彼の率いる第三軍が
、死線死闘の末落としたのです。
いま国難を打開するにあたり、大切なことは、乃木大将のような偉大な
英雄を生み出した祖国の歴史と伝統に誇りを抱き、国のいのちと連なる
生き方を回復することではないでしょうか。
(完)
日本政策研究センター主任研究員
岡田 幹彦 書より
下記は昨日「カマちゃんさん」からのコメントです。
皆さんに読んで頂きたく掲載させて戴きました
凱旋後、乃木大将は明治天皇陛下の御前で自筆の復命書を奉読された。
復命書の内容は、第三軍が作戦目的を達成出来たのは 天皇の御稜威、
上級司令部の作戦指導および友軍の協力によるものとし、また将兵の忠勇
義烈を讃え戦没者を傷む内容でした。
さらに自らの作戦指揮については旅順攻囲戦では半歳の月日を要した事、
奉天会戦ではロシア軍の退路遮断の任務を完遂出来なかった事、またロシア
軍騎兵大集団に攻撃されたときはこれを撃砕する好機であったにも関わらず
達成できなかった事を上げてられ、甚だ遺憾であると言われました。
乃木大将は、復命書を読み上げるうち、涙声となられ、さらに乃木は、
明治天皇陛下に対し、自刃して明治天皇陛下の将兵に多数の死傷者を生じた
罪を償いたいと奏上されました。しかし明治大帝は、乃木大将の苦しい心境は
理解したが今は死ぬべき時ではない、どうしても死ぬというのであれば朕が
世を去った後にせよ、という趣旨のことを述べたとされるます。
まさに名君の下に名将ありです。 明治の志あらば我国は如何なる国難にも耐えれましょう。 2011/11/15(火) 午後 2:51
|
国際派日本人の情報ファイルからの転載です。天下の無法松氏が述べる「日本再興の手掛かり」シリーズからです。天下の無法松氏は戦後の国民の幼稚化の根本原因は現行日本国憲法であるとおっしゃっています。憲法中の矛盾の多い条項、憲法としてありえない意味不明さ、そしてこの憲法の非現実性、これらを解決しなくては、日本人は幼稚化から抜け出せないと言われています。 転載開始 天下の無法松「日本再興の手掛りシリーズ」 第17弾「戦後の幼稚化現象の解消へ向けて」パート10■■ 転送歓迎 ■■ No.1893 ■■ H23.10.17 ■■ 8,949 部 ■■
今週からは今まで述べてきた日本国憲法をどうするべきかについて述べて行きたいと思います。 |
全1ページ
[1]
[PR]お得情報