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戦前の教育の一端を知る資料として、山口県郷土読本の中から項目の十七番目の乃木無人を転載いたします。この教科書は旧制中学校の教科書で、多分副読本なのかとも思いますが、詳しいことはわかりません。
凡例に
1.     本書は、主として本県青年子女に我が郷土を知らしめ、且つ郷土を愛護する念を養い、防長(周防、長門)精神を啓培し、進んで将来への発展にまで寄与せんとする意志の陶冶をなさんがために編纂したものである。
2.     本書編纂に就いては中等学校下級学年及び青年学校高等小学校生徒の課外読物として、又修身・国語・国史・地理等の参考書として格好のものたらしめようとつとめた。
3.     本県は歴史的地理的その他各方面に豊富な材料を有するので、その題材の選択には一段の考慮を払い、特に本県の特色を物語、青年子女をして感奮興起せしむるに足るもの三十二篇を採択した。

以下略 
             
山口県教育会


と書かれていますので、これが全国の県で同じようなものがあったのか、山口県独自のものであるのかは判断しかねますが、修身に加えて、郷土愛と郷土への誇りを高める努力もされていたのだということがわかります。
 
十七 乃木無人

                 父 希次、母 壽子、無人、弟 真人、妹 いね子


 遥々と遠い江戸から一月近くも辛い旅を続けて、夢にのみ描いていた故郷の長府に着いたのは、安政五年、無人が十歳の時のことであった。
 憧れの故郷、懐かしの故郷。山も海も美しく、人の情も醇かったが、一家の貧しさは、江戸にいた時よりも一層ひどくなっていた。父希次は名高い清廉の士で、百五十国の小禄であった上に、突然帰藩を命ぜられ、更に減俸までされたので、故郷へ帰ったといっても、まず住む家さえも無い有様であった。
 小串屋という暗い旅宿の一室で親子五人は疲れた旅後の十幾日かを過ごした後、中町裏の河村氏方へ移って、半年あまりの寂しい月日を送った。さらにそれから田中の菅野氏方へ越していったのだが、ここで無人が十三の年まで、一家は血の出るような貧苦の中に暮らした。まだ幼い無人は、どんな破れ家でも、せめて借家で無い自分の家があったらと、時には悲しく思うこともあったけれども、しかし父が日頃の訓のように、
「家屋敷は無くとも、武士の魂は持っているのだ。」
と、いつも心に繰り返しながら、家計の助けに塩煎餅や砧巻を作る母の仕事を、骨身惜しまず手伝った。
 未明から夜更けまで、母は子を、子は母を、互いに労り励ましながら、孜々(しし=熱心に)として働いた。町へ行った母の帰りが遅い時など泣く妹のいね子を背負って、土間の隅で夕食の支度をすることも度々あった。その孝心深い従順な無人の姿に、隣家の人々が感嘆と同情の涙に咽んだこともあったという。
 後年の崇高な人格は、こうした困窮の中に、自ら養われていったのである。
 無人は又その忙しい苦しい中で、臺柄(だいがら)にかかりながら、ほの明るい黎明の光で論語や太平記に読み耽ることがしばしばあった。そして常に楠公父子のことを考えたり、江戸を発つ時、泉岳寺にお別れの参詣をして来た四十七士のことを思ったりした。
 父もまた早朝登城の前には必ず無人を膝下に呼びよせて、厳かに教えた。
「食う米は無くとも、着る物は無くとも、武士にとって恥ではない『悪衣悪食を恥じ居安きを求むるは、則ち志士に非ず』と素行先生も教えておられる。命よりも大事なもの、知っているはずじゃ、いうて見い。」
 「はい、『忠義』で御座ります。士は大君の御為、主君の御為、いつ如何なる時でも身命を投げ捨てる覚悟が、大切なので御座ります。」
 それは毎朝必ず繰返される言葉であった。しかもその度燃えるような感激が、親から子へ、子から親へと伝わった。こうして貧しくこそあれ、父は君を尊び、母は夫に順い、兄妹互いに睦び合った一家の心の世界には、いつも高潔な光が澄み渡っていた。
 十四歳の頃になって、漸く江木氏の邸を買いとることが出来た。長府の町に、軍神乃木大将の少年時代を物語っている尊い記念の旧邸址がそれである。勿論買うといっても余分の金があるわけではなく、やはり母と無人とが人知れぬ苦労の結果であった。由緒深い忌宮の傍、一歩出れば海上遥かに満珠干珠の島を望む所に、初めて自分の家を持った少年無人の心は、どんなにか嬉しかったろう。


イメージ 1

 文久三年十五歳の夏になって、無人は当時藩内にあった集童場の前身桜柳亭に入学した。あたかも我が二州は危急存亡の秋で、下関が外国船の砲火を浴びた頃である。従って集童場では、総督熊野則之・教授福田正則の志士達によって、厳格熱烈な教育が行なわれた。生徒達の心にも忠君の念が火のように燃えた。従順な無人の胸にも愛国の血が高鳴った。一死君恩に報ぜんと、少年武士たちは堅く手を握り合って文武の道に励んだ。
 無人は成績が優れていたので、いつも総代として朝夕集童場の規則「遺命状」を朗読した。
「当場御開きの節より、我等両人に都督教授の任仰付けられ、御国内後家来中末々に至る迄就業仕り候儀は、まず楠公の神霊を表し候て、尊王攘夷の本意を受け継ぎ、忠孝の大義を守り、武士道の心得肝要の事」
 これが第一条である。無人の声は高く澄んで響いた。
 それから一年余りたったある日、
「御父上様、勉強のために私を萩へやって下さいませ。」
と願い出た。
 かねてから、松陰先生の師であり、また乃木家とも親戚である玉木文之進先生の高風を慕って、どうかその教えを受けたいと思っていたのである。武士たるものが、学問のみで身を立てようとしてはならぬと、容易に許されそうもなかったが、幾度かの熱心な願はやがて父を動かした。
 「錦を着て帰れ。何処にても武士の名を汚すな。」
 「必ず立派な士になってまいります。」
 そうして、玉木先生の許を尋ねて、松陰先生の遺風薫る憧憬の萩へ旅立った。
 慶応元年無人が十七の秋であった。

                     乃木希典
  皇師百萬征強虜  野戦攻城屍作山  
  愧我何顔看父老  凱歌今日幾人還
 
皇師(こうし)百萬(ひゃくまん) (きょう)

野戦(やせん)(こうじょう)屍(しかばね)山を作(な)す

()(われ)何(なん)の(かんばせ)ありてか父(ろう)()ん、

凱歌(がいか)今日(こんにち )幾人(いくにん)か還( か)える




転載元転載元: 日本の感性をよみがえらせよう

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