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こんばんは。
実は、ちょっと知っているとある有名人で、こんなこと言っている人がいました。
ちゃんと調べてないくせに、そういうこと、 簡単に言うの辞めて欲しい。 あんたは、あっちこっちで影響力あるんだから・・・
それで、この人。 脱出先に特亜のチャイナを挙げていたけど、やっぱり彼の地のことは、ご存知無い様子。 KEIちゃんは、ネット以外では、可愛いお嬢様で通っているので・・・(半分嘘) あえて彼に面と向かって反論しませんでしたけど、でも、ネットのニュースを プリンターで出力してあげました。 さりげなく黄色のマーカーで、重要部分に線を引いて(笑)
中国で“無計画停電” 上海・江蘇などで日系企業にも影響 産経ニュース 2011.5.14 00:45 【北京=河崎真澄】中国の上海市や江蘇省など一部地域で、工業用の電力供給が突然停止する事態が断続的に発生し、日系企業にも影響が及んでいる。中国では電力業界が今夏に3千万キロワットの供給不足が生じると予測し、計画停電の実施を予告している。しかし資源高騰で火力発電所向け石炭の調達が滞り、採算が悪化した電力会社が電力供給を早くも絞り始めたようだ。 日系企業関係者によると、この事態は電力会社や当局から何の通知もない“無計画停電”で、食品や機械、自動車部品などの製造業が集積する地域で今月上旬から断続的に起きている。需要がピークを迎える夏場にかけて停電規模が拡大する恐れが出てきた。 日系企業の一部は、すでに電力会社から夏場の停電への協力を要請されたという。 上海に工場をもつ日系の化学品メーカーでは、「これまでも季節によって停電はあったが、突然の停電や事前の協力要請は異例。自前の非常用発電機を手配した」と話している。 少雨で水力発電所の稼働率も低下し、浙江省や湖南省などでも停電が起きているようだ。 中国では経済成長に伴い電力需要が急増。さらに中東・北アフリカの政変などに伴う資源価格の上昇を受け、火力発電用の石炭価格も高騰、電力各社は発電量の確保に苦しんでいる。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110514/chn11051400460000-n1.htm
そして、なんと言っても・・・
・・・なんですって。 3000万キロワットって、ほぼ東電の発電量じゃん(爆) 因みに震災直後の日本ですら・・・ 300万キロワットの不足のみ。 東京電力、100万世帯300万kw不足の恐れ (2011年3月12日10時59分 読売新聞) 東京電力は12日、地震の影響で福島第一、第二原子力発電所などの発電所や送電設備が稼働できないため、午後6時〜7時に100万世帯分の電気使用量に相当する300万キロ・ワットの電力供給が不足する恐れがあると発表した。 東電は、12日の電力需要を3800万キロ・ワットと想定しているが、供給能力は3500万キロ・ワットにとどまる見通しだ。この供給能力には、中部電力に融通してもらう100万キロ・ワットも含んでいる。需要予測は、災害時に電力の供給を一部停止する契約を結んでいる大口顧客700社が電気使用を抑制することを織り込んだものとなっている。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110312-OYT1T00161.htm まぁ、日本の場合も、今度の夏場はもっと不足するようですけど、 それでも3000万キロワットってことはありません(笑) でも実は、そういう電力のリスクだけじゃないですよね。 ・・・チャイナリスクって。
こういうリスクもあります。三橋さんのブログから・・・ 実は現在の日本では、未だに「最悪の中国リスク」が全く知られていないのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10680363035.html「最悪の中国リスク」とは、「中国民事訴訟法231条」になります。 東ア板などをご覧になられていた方々は、07年ごろにやたらと「韓国企業の中国からの夜逃げ」のニュースが報じられたのを覚えていらっしゃると思います。あの大量韓国企業夜逃げを受け、中国共産党がいわば「夜逃げ防止法」として07年秋に作ったのが、本「中国民事訴訟法231条」になります。 この法律、中国で「民事上の問題(要はカネの問題)」を抱えている外国人に対し、法的に出国を差し止めることができるという凄まじい内容なのです。まずは文面を見てみましょう。 『中国民事訴訟法231条 被執行人は法律文書に定めた義務を履行しない場合、人民法院は出国制限をし、或いは関係部門に通達をして出国制限を協力要請をすることができる。 -司法解釈規定 出国制限される者の具体的範囲としては、被執行人が法人或いはその他の組織であった場合、法定代表人、主要な責任者のみならず、財務担当者等債務の履行に直接責任を負う者も含む。』 読めばわかりますが、本231条は極めて「拡大解釈」がしやすい条文になっています。何しろ「法律文書に定めた義務を履行しない」が条件で、「主要な責任者」を出国停止にできてしまうわけです。本法律が施行された結果、中国に進出した企業で働く人が、日本人だけでも百人近く、台湾人は桁が違う人々が「出国停止」すなわち中国から出れない状況に至っているのです。
本当のチャイナクオリティーなんですよね。 まったくぅ。 どうしてこういう肝心なことを報道しないんだか。 日本のマスゴミは。
それから・・・ 影響力のある人もちゃんと勉強して欲しいです!!
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2011年06月13日
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自衛隊と反日マスコミ
今日で3か月目となった東日本大震災と福島第一原発事故。遅々として進まない被災地の復旧・復興は政治の責任である。
世界は慎ましく耐え忍び、助け合う日本人を称賛するが、必ずしもそうではない現実もあるようだ。 週刊新潮(6月9日号)の「『小隊長の手帳』に示された『被災地自衛隊の3ヵ月』」は衝撃的だ。
「やじうま住民から苦情多数」「自己中心的な要望」というメモも見られる。 被災者から「救出されるまで2時間も待ったぞ」とクレームされる自衛隊員。2メートルの海水で満たされた道路を「潜って(助けに)来い」と言う被災者。 自衛隊員のなかには家族の安否も確認できない隊員もいる。 菅首相はお盆までに被災者全員が仮設住宅に入居できるようにすると約束しているが、実現できそうもない。
一方では入居の抽選に当選したのに入居を躊躇う被災者もいる。 理由は三度の食事を無料で受けられなくなるからだという。 体育館の共同生活より仮設住宅の方が良いのに決まっているのに入居しないのは、失業して食費も賄えないということだろうか。 何百億という義捐金もまだ殆ど被災者に給付されていないのは何故か。 分からない事だらけだ。 高山正之氏の連載コラム「変見自在」は自衛隊の活躍と自衛隊を蔑む反日左翼マスコミの様子が描かれている。
一昔前の水俣市の水害を伝える共同通信の写真には泥沼の中を必死に遺体の捜索に当たる自衛隊員と、それを「中年の女性が手持ち無沙汰にしゃがんで見つめている」写真に「もっと探して」という見出しがついている。 「何とも違和感が残る。身内が埋もれているなら自分たちで探すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた」
見つめていた中年女性は単なるやじうまだったかもしれない。
しかし、朝日新聞と共同は常に自衛隊蔑視キャンペーンを張ってきた。 「新聞には毎日、震災死者数と行方不明の数が載る。死者数は増え、、その分、不明者が減るのは遺体が新たに発見されるからだ。だれが発見するのか。被災者の身内ではない。彼らは『外は臭くて』(朝日新聞)とか言って日なが一日避難所に籠ったままだ」
懸命に身内を探す被災者の姿をテレビでも見かけるので一概には言えないが、大部分は自衛隊員が懸命に遺体捜索に当たっている。
警察官と違って、日頃遺体を扱った事のない若い自衛隊員のご苦労がしのばれる。 高山氏は反日マスコミだけでなく官僚も自衛隊を蔑視していると矛先を官僚に向ける。
アメリカが安保理の常任理事国入りを餌にルワンダの難民救済に自衛隊派遣を要請した時・・・ 「外務省は喜んで派遣部隊に被害が出ればより効果があると読んで、ほとんど丸腰で送り出した」
自衛隊はそんな悪条件にもかかわらず、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師を救うなど立派に任務を果たした。
外務省はお前らは死ねばいいのに何勝手やるか、朝日新聞も共同も自国民救出は自衛隊の越権行為だと非難した。 その自衛隊員達は帰国の際も民間機を使って目立たぬように私服で帰国されられた。
着替えなど持たないひどい身なりの隊員たちは飛行機の中で乗客の目を引いた。 しかし、飛行機が公海上に出た時、機長が次のようにアナウンスした。
「このたびは任務を終え、帰国される自衛隊の皆様、お国のために誠に有難うございました。国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。当機は一路日本に向かっております。皆様故国でよいお年を迎えられますよう」
乗客から拍手が沸き、やがて機内一杯に広がったという。
「機長は乗客リストを見て、自衛隊員の帰国を知り『当然の事をしただけ』と語る。成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる」
最近とみに涙腺が弱くなったPonkoは不覚にもウルウルしてしまった。
高山氏には失礼も顧みず勝手に抄本してしまったが、いずれ単行本として発刊された時には是非とも全文をお読み頂きたい。 著者の多少の毒を含んだ文体には痺れてしまうこと間違いない。 *****************************************************
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もののふの大和心をよりあわせ たひらけき 道うしなへる 世の中を ゆりあらためむ 天地のわざ
安政二年十月二日、江戸に未曽有の大地震があった。世に「安政の大地震」という。この日の夜、四つ(十時)過 ぎに始まり、翌朝まで大小の余震が三十回も続いた。住宅も城郭もくずれ、火の手が同時刻に五十ヶ所から上がり、江戸の市街は忽ちに焦土と化した。つぶれた家は一万六千、全焼した家は長さ二里十九町、幅二町といわれる。おびただしい死者と重傷者を出した。水戸の大哲人、藤田東湖が圧死したのもこの大震災のと きである。 九州福岡の郊外、平尾村にあって、江戸大地震のことを伝え聞いた野村望東尼の詠んだ歌が、すなわち先の一首である。 前年の一月にアメリカの提督ペルリが再度浦賀にやってきた。それと前後してイギリスが長崎に、ロシアが下田にそれぞれ入港して通商を迫った。これら列強の意図は、なまやさしいものではなかった。場合によっては大砲の威力にものをいわせる積りであった。後の世にいう帝国主義である。これにたいして幕府は為す ところを知らず、狼狽のうちにようやく講武所を設けたり、お寺の鐘をつぶして大砲を作ったりしていた。 皇室を中心として全国民の精神を一つにしなければ、この一大危機は乗りきれない。しかるに幕府は、そのようなことは夢にも思わず常に朝廷に対立し、幕府批判の勢力を弾圧した。安政の大獄は、すでに近づきつつあったのである。 久しく泰平に酔うた人心は、迫り来る国の危機にもかかわらず、今までの惰性に生きて、ただ黒船の噂におびえるばかりであった。 このとき突如として幕府の拠点である江戸に大地震が襲った。かねて尊皇の思いを胸に秘め、幕府の専横に対して深い憤りを抱いた野村望東尼は、「たひらけき道」を失った世の中が天の怒りを招いたと言ったのである。「たひらけき道」とは、どんな意味であろう。それは大いなる調和と統一を実現すべき日本の道とい うことであった。道を失った「世の中を」天地の神々が神怒(かみいかり)に怒って、幕府の中心地江戸を大地震を以て揺り改めようとしたのだというのである。 たひらけき 道うしなへる 世の中を ゆりあらためむ 天地のわざ……これは一種の予言であった。安政の大獄に純粋な志士たちがいのちを捨て、つづいて桜田及び坂下の変が起こり、寺田屋の事件を経て、やがて公然と討幕の兵を挙げた大和及び但馬の義挙と大揺れに揺れて、世は大政奉還へと向かう。望東尼は、じ つに大政奉還の直後に病没したのであった。これらの大揺れは、彼女において天地のゆれ改めのわざであった。 よほどの信念がなくては、当時女性の身を以てこのような歌を詠めなかったであろう。現在、福岡市に平尾山荘通りがあり、近くに野村望東尼ゆかりの地が史跡として保存されている。 野村望東尼、名は「もと子」、福岡の藩士、浦野勝常(うらのまさつね)の第三女である。書と歌と技芸に秀で、天性の美貌は遠近の評判だったが、二十四歳の時ようやくよい配偶を得て、同じ藩の野村貞貫(さだつら)の後妻になった。先妻の子供三人を愛すること深く、一家の和合は人も羨むほどであった。四十二歳の時、夫の貞貫が藩務を辞したのを転機として郊外の平尾村に草庵を結んで、夫とともに歌の道と山水の美とに親しんだ。
五十四歳の時に夫に死別して尼になり、望東尼と称して仏道三昧の生活に入った。しかし、やがて世は狂瀾怒涛の時代になり、女性ながら憂国の思いに身を焼く人になった。歌も茶も華も全て日本の道につながっていたのだ。
平尾の山荘は、いつしか勤王志士の隠れ家となり、彼らの密議の場所になった。文久元年、平野次郎もここに難を避けて潜んだ。高杉晋作も元治元年、ここにのがれて望東尼の世話になった。
高杉晋作が山荘に潜伏したのは、元治元年の十二月である。そのとき高杉の長州藩は蛤御門の戦いに敗れ、言語に絶する窮地に陥っていた。薩摩の島津久光の兵が禁門を警備し、長州の兵を迎え撃ったので、勤王の一路を突き進んだ長州藩は多くの人材を失い、孤立無援の姿になった。藩の内部にも佐幕派が擡頭して志士たちは身をおく場所もなくなったのである。
一説によると、薩摩の西郷隆盛がひそかに平尾山荘の高杉を訪ねたという。福岡の志士たちが手引きしたと伝えられる。薩摩と長州とは積もる恨みを解き、たがいに連合して国難にあたるべきだとして、それには先ず西郷と高杉との話合いが必要だというのであった。
窮地に立つ高杉は、恨みの深い薩摩の西郷に会うことを拒んだということである。このとき、野村望東尼は心痛ひとかたならず、高杉に歌二首を示したという。
くれなゐの 大和錦も いろいろの 絲まじへてぞ あやは織りける
太い糸、細い糸、そして色の異なるさまざまの糸を織りなしてこそ、美しい大和錦は出来上がる。大和の国もまた、いろいろの人が一つに結び合ってこそ、美しい国として実現しましょうものをという、深い嘆きの歌である。いかにも女性らしい実現であるけれども、国のため忘れ難い恨みを忘れて堅く手を握れよという凛然たる気迫が込められている。
西郷と高杉のことは、史実でないかも知れない。しかし、この歌が薩長を念じて止まなかった当時の彼女の作であることは疑う余地が無い。ひろく言えば、日本の民全てが、一つになって美しい大和錦を織りなせよと祈ってやまなかったのである。
同じ祈りの歌が、もう一首ある。そうしてこの祈りは、奇しくも叶えられた。薩長の和解と連合はまもなく実現した。西郷と桂小五郎とは、恩讐を越えて手を握るのである。単に薩長の連合だけではない。国民がこぞって恩讐の彼方へ向かって進んだ。そうして、一路維新回天の大業へと前進したのである。
これによって、日本はアジアで独立を守りぬいた唯一の国になったのだ。もしも恩讐にとらわれ和解できなかったら、日本はインドや支那や東南アジアと同じ運命を辿り、白人列強の植民地、もしくは半植民地として、むしり取られていたであろう。
イギリスの史家トインビーは、あの時日本が独立を失わなかったことを「世界史の奇蹟」と呼んでいる。どうして日本だけが植民地にならずに独立を守り得たかは、今なお謎に包まれているというのである。トインビーはこの謎をとくために、三度も日本を訪ねた。
もし、恩讐にとらわれて国内の統一がなかったら、今のベトナムの運命(注、昭和52年当時)を辿っていたかも知れないのだ。
これを深く思って、望東尼のもう一つの歌を詠むと、そのありがたさに覚えず涙がこぼれるのである。
日本では、世を捨てた出家の尼僧すら、このように国を憂えて身をこがしたのであった。
もののふの やまと心を 縒(よ)りあわせ すゑ一すぢの 大綱(おおつな)にせよ
これも元治元年の作。望東尼五十九歳のときである。天を仰ぎ地に伏して、祈りに祈る彼女の姿が髣髴として眼前に浮かぶ。
深く思えや、日本人ならば、持って生まれた大和ごころがあるはずだ。そのやまと心の底には、わが大君への帰一があるはずだ。ここに魂を据えるならば、忘れ難い恩讐も、堪え難い不信も雲霧を吹き払うことの如くに消え去るであろう。
もののふの やまと心を 縒りあわせ すゑ一すぢの 大綱にせよ……分裂して内に統一を失えば、いともたやすく断ち切られて外に独立を失うであろう。老いも若きも、男も女も、為政者も民百姓も、みんな心をよりあわせ、すえ一筋の大綱にせよ。このような祈りが日本を救ったのだと私は思う。そうして、この一首こそは、万代に言い継ぎ語り継ぐべき珠玉の傑作である。
薩長の同盟が成就して、慶応三年、討幕の兵を進めるに際し、望東尼はその出陣のさまを一目見たいと三田尻へ老いの身を運んだ。その時の記録が世に名高い「防州日記」である。九月の下旬に筆を起こし、十一月六日の病死の日に及ぶ魂の記録である。十月二十九日以後になると、彼女は自分で筆をとることができなくなり、看護の人に語って筆録してもらったのであった。
冬籠(ふゆごもり) こらへ堪へて 一時(ひととき)に 花咲きみてる 春は来るらし
これが臨終の日の最後に彼女のもらしたかすかな声であった。六十二年の生涯は、この一首で終わっている。恐らくは大政奉還のことを聞き知っていたのであろう。
思えば長い年月の祈りであった。冬籠 こらへ堪へて 一時に 花咲きみてる 春は来るらし……霜月のいと寒い日の臨終であったが、万朶の桜が一時に花開く時が、彼女にはもう眼前にあった。このように美しい臨終が世にあろうとは。
かつて福岡の藩論が一変して勤王派の弾圧になり、望東尼は呼び出されて吟味を受けた。このとき彼女は、志士たちの罪を一身に引き受けて累を及ぼさなかった。その折の一首を、ここに謹んで拝誦し、我らの魂の導きとする。
もののふの 重荷の罪を 身ひとつに 負いて軽くも なるいのちかな
原著、田中忠雄『男性・女性・仏性』―もののふの大和心をよりあわせ―
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