過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/832405/img_832405_35132848_0?20110703161035

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/832405/img_832405_35132848_1?20110703161035

人気ブログランキング ← 最初に、応援のクリックをお願い致します


良識ある日本国民の皆様には、インドネシア共和国はご存知だと考えます。

インドネシアには、古くから伝わる「ジョヨボヨ王の予言」(12世紀前半、東ジャワのクディリ王国のジョヨボヨ王が書き記したバラタユダの一説)、という伝承がありました。

「我らが王国は、白い人びとに支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する。この黄色い人びとがいるのは、ジャゴン(トウモロコシ)が育つのと同じくらいの期間だ」

1602年のオランダ東インド会社設立頃より、350年間に渡ってインドネシアはオランダの植民地とされ、1930年前後からインドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧して徹底した愚民政策で、インドネシア全土を植民地支配しました。

多数の部族を互いに敵対させて、オランダ人に従順な一部の部族を警官とし、経済は華僑を利用して、統一言語ができると抵抗運動がおきるので部族間の言葉はそのままにさせ、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほどの、徹底した奴隷支配でした。

1941年、日本がアジア開放のために大東亜戦争を開戦すると、インドネシアにも日本軍がやってくるらしいという噂が流れ始め、ある日、インドネシア人が爆音に空を見上げると、空にはいくつもの白い花が咲き戦士達が降下して、これが空の神兵と呼ばれる日本軍の落下傘兵でした。

これこそがジョヨボヨ王の予言にある「空からの黄色い人々ではないか!」と、 インドネシア人は驚き、そして日本軍を歓迎して協力をしました。

1942年1月11日、日本軍はセレベス島のナドへの攻撃を皮切りにジャワ島を目指し、スマトラ島では幽閉されていたスカルノ、ハッタ、シャフリールら、当時のインドネシアの代表的な指導者を解放して、今村均中将率いる陸軍16軍は3月1日にジャワに上陸、わずか9日間でオランダ軍を降伏させました。

インドネシア人は、自分たちを350年も支配して来た白い人びとを、わずか9日間で駆逐してしまった黄色い人びとが現実となり、これはまさにジョヨボヨ王の予言の実現であることを知ると共に、インドネシア人は白人が決して全能の神ではなく、アジア人が彼らの奴隷ではないことを確信しました。

その後、インドネシアは日本軍政の支配下に置かれ、国名は蘭印からインドネシアに、オランダ名だった首都バタヴィアは、古インドネシア王国のジャヤカルタに倣ってジャカルタに改称され、オランダ語の廃止、新しくインドネシア語(当時はジャワ語の分かる日本人がいなかったので、特務機関で学習されていたマレー語を採用)が作られました。

日本は、将来のインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア人の若者による「郷土防衛義勇軍」(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を施して、このPETAはインドネシア独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったので、今でもPETA出身の軍高官は、「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」と語っています。

日本は、1945年3月にインドネシアの独立準備委員会を発足し、8月19日にスカルノ、ハッタ、ラジマンによって、独立宣言をするという方針を決定・承認していましたが、8月15日に日本は大東亜戦争終を終結、日本の軍政は3年半と、これもジョヨボヨ王の予言にある、トウモロコシが育つまでの期間と同じでした。

8月17日、後の初代大統領スカルノによって独立宣言文が読まれましたが、この宣言文の日付は「17805(05年8月17日)」と、西暦ではなく日本の「皇紀」で書かれています。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/832405/img_832405_35132848_2?20110703161035

日本軍はポツダム宣言受諾以降、連合軍が来るまで現地の治安維持と、武器の管理を命じられていましたが、秘密裏に武器を流すなどして自らが育てたPETAを支援して、武器庫の番をしていた日本軍兵士が暴徒化したインドネシア人に殺された時、自らの血で「インドネシアの独立に栄光あれ」と壁に書いて息絶え、このような日本軍将兵の姿勢はインドネシア人に衝撃を与えました。

インドネシアの独立を認めずに、再びインドネシアを植民地支配するために、イギリス軍とオランダ軍が侵略してきましたが、日本の統治によってインドネシア人は猫から虎に変わり、そして、2000人以上の日本軍将兵は現地に残ってPETAと運命を共にし、4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜いたのです。

残った日本軍将兵の動機は様々でしょうが、彼らは玉音放送における、「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」(私は日本と共に、終始東アジアの解放に協力してくれた諸盟邦に対してすまなく思う)との、昭和天皇の大御心を代わりに果たして、インドネシアの独立の礎となったのです。

1949年12月のハーグ円卓会議で、インドネシアはオランダからの独立を承認されましたが、インドネシア独立のために戦い散った日本軍将兵は1000人、英霊達の御霊はジャカルタにあるカリバタ国立英雄墓地に祀られています。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/832405/img_832405_35132848_3?20110703161035

8月17日のインドネシア独立記念日には、毎年盛大な独立記念祭が行なわれて、インドネシアの人びとは日本の軍歌を歌いながら行進し、インドネシア国軍のパレードで使われているのは「PETAマーチ」で、パレードのクライマックスではインドネシア人の男女2名と、日本陸軍のふん装をした男性による3名で、インドネシアの国旗を掲揚するのです。

「郷土防衛義勇軍(PETA)マーチ」(斉藤守氏訳)

1、
アジア すでに敵に向かい 蜂起せり
己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと
玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

2、
古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に 
幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり
アジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/832405/img_832405_35132848_4?20110703161035

スカルノ氏 インドネシア元大統領

「インドネシアの独立戦争では、約3,000名の日本兵がインドネシアの為に戦ってくれました。私たちはその『心』を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。その『心』は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にも繋がるのです。

ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人達はほとんど知りません。残念でたまりません。私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。

そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」

サンパス元復員軍人省長官

「特にインドネシアが感謝する事は、戦争が終わってから日本軍人約2000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれた事である。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」

アラムシャ元第3副首相

「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」

ブン・トモ氏 元情報相

「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない」


昭和天皇の大御心を代わりに果たして、インドネシアの独立の礎となった日本軍将兵は美徳ある日本の武士道精神で、インドネシアをオランダによる350年の植民地支配から開放し、「ムルデカ(独立)」させたのが大東亜戦争の真実です。

良識ある日本国民の皆様、インドネシアの独立の礎となった日本軍将兵についてご考慮下さい。

===↓↓ ランキングの応援クリックお願いします ↓↓===


「人気ブログランキング」 https://blog.with2.net/in.php?646336

転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

 
 
政府とは誰により、誰の為にあるべきか?
それはその国に暮らす国民により、国民の為にあるべきです。
これは、世界中どこの国に於いても当然のことです。
ところが、国民の代表たる国会議員、政権与党としての最低限の良識さえも持ち合わせていないのが、政府民主党です。
政権詐取後も日本国民の為の政策、未曾有の大災害となった東日本大震災後も、被災地の為の有効な政策など何があったでしょうか?
ただひたすらに、支那・韓国を迎合し、これらの国に媚びた政策ばかりではなかったでしょうか。
 
世界が賞讃した明治維新。
明治維新は維新軍と幕府軍が対立しました。
それぞれに異議主張がありましたが、ある一点では完全に一致していました。それは「日本を外国の植民地にするべきでない。」ということです。
幕府は幕府の力でそれを成し遂げるべきだと考え、維新軍は幕府にはその能力はなく維新新政府によりそれが行われるべきだと考えました。国思う愛国者のぶつかりあいだったのです。
欧米の歴史は侵略者の歴史です。
その刃は、日本にも向けられました。
米国のペリー提督率いる黒舟が現れ、武力に圧倒的な差があった幕府は不平等条約を結ばされ、我国も植民地化への途を辿るかに見えました。しかし、国思う愛国者が次々とたちあがり論を唱え、幕府の有様に業を煮やした、長州藩、薩摩藩などは単独で諸外国と戦いました。紆余曲折を得て近代的な装備を持ち明治天皇の勅許を得、官軍となり、幕府軍を打ち破りいよいよ江戸城に迫りました。
それに対して将軍はどういう決断を下したでしょうか?
 
1:諸外国軍隊を呼び入れそれと共に維新軍と戦った。
2:幕府軍のみで戦った。
3:戦わず無血開城した。
 
1:は日本のことよりも何よりも幕府の既得権保守を優先した発想です。
幕府にのみ利益をもたらし日本にとって最悪の不利益をもたらす選択でなのです。幕府がわざわざ軍隊を呼び入れてくれたなら、彼らは嬉々として日本に軍隊を派遣し、そして維新軍を蹴散らした後も駐屯する。そして日本は完全な植民地となります。
また、日本国を外国に植民地として差し出し、その代わり外国の傀儡政府として政権の座に居つづけようという方法で、欧米列強の侵略にさらされた世界中の国々にはこういう売国奴が現れ次々侵略されていったのが現実です。
 
2:は国力疲弊は免れません。内紛に明け暮れ国内で潰し合うことは、日本を侵略しようと狙う外国にしてみれば、漁夫の利を得る機会がもたらされます。内紛で軍事力など国力が疲弊したところを狙えば、より侵略は容易になります。
 
3:は徳川幕府にとって最悪であり、国にとって最良の選択です。
 江戸城を明渡せば、幕府は倒れ将軍以下末端に至るまであらゆる幕府関係者が持つ既得権をことごとく失い、更に新政権により裁かれ命を失うことも意味します。
 しかし、国を守ることがきる。内紛による国力疲弊を防ぐことができ、日本の植民地化を回避する道も開けます。
 
皆さんご存知のとおり、徳川幕府は3:を選択しました。
大政奉還に続く、尊皇論者だった徳川最後の将軍徳川慶喜公の大英断であったと思います。
当時、幕府はフランスと密な関係にありましたが、フランス軍を呼び込むようなことはなかった。
この点は官軍(維新軍)も同様でイギリスと密な関係でしたが、イギリス軍を日本に呼び入れて味方につけて幕府を倒すようなマネだけは行いませんでした。
勝つために有利となることは判っていても外圧を呼び込むような卑劣な売国行為はしなかったのです。
 
坂本竜馬は維新の最大の功労者は最後の将軍、徳川慶喜公だと評価していました。まさにその通り。坂本は維新最大の功労に報いるため徳川慶喜公を新政権においても重用する計画をたてていたと言われています。
将軍は新政権で重用されることはありませんでしたが、諸外国の例のように処刑されることもなく後に明治天皇陛下と会見し和解もしました。
幕府軍側の人々も当初は明治新政府に登用、重用されることがありませんでしたが、次第に政府で重きを為す存在と多く方々がなりました。
双方が国思うことで一致した愛国者であったのです。
 
現代日本を顧みると、徳川慶喜公や維新政府とは対極の売国奴が山のようにいます。欧米列強支配を自国に呼び込むことで傀儡権力を得た売国奴同様の連中がうじゃうじゃと・・・それは議会や役所や報道機関あたりに大量に存在します。
支那や韓国の外圧を呼び込んで国内政治を意のままに動かそうとする輩たち。
政府民主党、総理は勿論の事、他に外務省、文科省、社民党、共産党、公明党、民主党の一部、自民党の一部、そして朝日新聞、毎日新聞列挙すればきりがありません。
外圧を呼び込みむことで国内政治を意のままに動かそうとする行為。これ以上売国と呼ぶに値する行為などなく許されるものではありません。
占領軍に与えられた占領基本法を「平和憲法」などと呼称して喜んだ所(つまり外国に憲法制定権を明渡し拝領して喜んだ所)から、この国は狂い始めた。ここから「日本国の立法行政などの政治は日本国民自身が行うべき」という政治運営上の常識が狂い始めました。
 とはいえ、政府民主党、社民党あたりの目的は「自国の主権を共産支那、韓国に明渡すこと」そのものにあるわけで、売国者として当然の行為を確信犯的に行っているのです。
 
多くの日本国民は長い戦後の平和ボケから、多くの国民は
「中国・韓国がそんな野望などあるはずがない、友好国だから」
「日本の政治家が国民を裏切るはずがない」
「彼らは国民の生活が第一と言っている」などと楽観し、現実を知ろうともしない・・・
今現在、覇権国家中共がベトナム・フィリピンと主権に関する問題をも見ようとはしません。
 
政府が売国政権であることは、選挙により民意で政府機構の関係者を選んだところで、その政府機構自体が外国の監視下影響下にあるなら、選挙も民意も何一つ意味をなさない。
それが今現在の日本の置かれた状況なのです。

売国者は日本が侵略されても、自分はその統治下で重用されると、めでたい思考をしています。大東亜戦争後に国を売った売国奴と同じように・・・
 
侵略されるということは、民族の言語、文化、歴史、価値観、をも亡くなることであり、命の存続さえも支配者に委ねることです。
明治の愛国者たちが富国強兵にすべてを注いだ情熱、、危機感が何であったかを、大東亜戦争で多くの英霊・先人が何の為に戦ったかを知るべきです。
 
今為すことは、平成の売国奴から政治を愛国者の手に取戻すことです。
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 

転載元転載元: 美しい国

全1ページ

[1]


.
kakinoki
kakinoki
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事