|
国際派日本人養成講座からの転載です。
パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。 1948年、アメリカ人女性ヘレン・ミアーズによって書かれた、"Mirror for Americans: JAPAN"である。この本の日本での翻訳出版は、占領軍総司令部によって禁じられた。 ■2.日本人には隠しておくべき真実■ 実は当のマッカーサー自身が次のような発言を1953(昭和26)年5月3日に合衆国上院の軍事外交合同委員会で行っていた。 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。 もしこれらの原料の供給が絶ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するだろう事を彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。 ■3.私たちアメリカ人の責任■ ミアーズは1925年、二十歳代の時に日本や中国を訪れて、アジアに深い興味を抱き、大戦中は大学で日本に関する講義や研究をしていた。戦後、占領軍の労働局諮問委員会のメンバーとして来日し、労働法の策定などに参加したが、帰国してからこの本を書き上げた。 アメリカでは日本擁護者として批判され、本は絶版となってごく限られた専門家以外には忘れ去られ、ミアーズ自身も学者として世に出ることができなかった。 しかしミアーズが書きたかったのは、日本弁護論ではない。著者自身の前書きには次のように述べられている。 私たちアメリカ人は、今のところ、地球上で最も強い国民である。・・・だからこそ、私たちは世界が置かれている深刻な無秩序状態の責任を免れることができないのである。私たちが本当に平和を望んでいるなら、世界の戦争原因を究明するにあたって、もっと現実的になる必要がある。 ミアーズの本を読んでいて心うたれるのは、「現実的」になるために史実を曇りない目で見据える客観性と、それを根底で支える人類愛である。 ■4.英米蘭に依存していた日本の軍事力■ ミアーズはまず事実として、戦前の日本経済が、特に軍事物資の調達においてアメリカ、イギリス、オランダに全面的に依存していたことを明らかにする。 (JOG注:東京裁判で主張されたように)もし日本が1931年に世界征服を開始していたとしたら、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスは征服事業の協力者といわねばならない。これら各国が支配する地域からの物資供給がなければ、日本は満洲事変と日華事変を遂行できなかったし、パールハーバー、シンガポールも攻撃できなかったろう。そればかりでなく、多くの日本人が食べていけなかったろう。アメリカ、イギリス、オランダ3国は、日本の軍事必需品の85%を供給していた。1938年には、アメリカだけで57%を供給しているのだ。 ここで言う軍事必需品とは、アメリカから輸入していた工作機械、石油、屑鉄を含む。そしてマッカーサーも指摘しているように、日本はニッケル、ゴム、スズ、銅、鉛、コバルトなども、オランダ領東インド諸島、イギリス領のマレー、アメリカ領のフィリピンなどから輸入しなければならなかった。 ■5.日本に石油を売らなければ戦争になるだろう■ アメリカは公式的には満洲事変と日華事変に反対し、日本への戦争関連物資の輸出規制を徐々に強めていったが、実際には原料綿、屑鉄、石油などの輸出は、日華事変以降急増している。 米国内ではガソリンが配給制になっていたのに、日本への石油輸出が続けられていることに、米国民は納得しなかった。しかしルーズベルト大統領は、もしわれわれが日本に石油を売らなければ、彼らはオランダ領東インド諸島に南下して、武力で奪い取り、そうすれば「戦争になるだろう」、だからわれわれは日本に石油を売り続けなければならない、と説明していた。 驚くほど正確な読みである。そしてこの読み通り、アメリカは1941年8月1日に石油全面禁輸を実施し、4ヶ月後には開戦となった。米海軍のスターク提督も、戦争中の1944年に、「石油禁輸後の後は、日本はどこかに進出して石油を取得する他なかったのであり、自分が日本人だったとしてもそうしたであろう」と述べている。 ■6.生き死ににかかわる問題■ 日本は輸入だけでなく、輸出でも大きくアメリカに依存していた。日本のほとんど唯一の輸出向け資源は生糸であり、2百万人の農民が養蚕で生計を立てていたが、その90%はアメリカに輸出されていた。 アメリカは自国に競合商品のない生糸は無関税で輸入していたが、それ以外のすべて加工製品には高額の関税をかけた。たとえばセルロイド製おもちゃ129%、魔法瓶192%、乾燥豆類163%など。 日本が抱えていたのは、過剰な人口、日本人移民を入れない世界の障壁、対外貿易への過度の依存、国民に雇用と食糧を保証するための物資輸入、そのために必要な輸出の拡大、という生き死ににかかわる問題だった。 彼ら(日本人)はまた、アジア・太平洋地域で大国(米英蘭)に「包囲」されていると信じ込んでいた。競争力の強いこれらの諸国は、やろうと思えば、日本との通商関係を断絶し、日本を殺すことができる。問題の基本にあるのは資源の欠如ではなく、民族間の信頼の欠如だった。日本は、自由経済と主権尊重といった表向きの政策は、実際に行われていることではなく、飾りにすぎないと思った。 ■7.日本の求めた生存圏■ 欧米列強に囲まれ、首根っこを押さえられていた日本は生存のための資源と市場をどこに求めたのか? (1)満洲に(JOG注:ソ連からの)「合法的自衛」手段としての戦略的拠点を確保し、(2)日本帝国圏(韓国と台湾)と満洲、華北からなる経済ブロックを作って経済の安全保障を確立しようというのが、日本の計画だった。そうすれば、これまでのように原材料物資と市場をアメリカ、イギリス、フランス、オランダに依存しなくてもすむ。・・・ しかし、イギリスとアメリカは日本の政策に反対した。・・・日華事変の交戦国は中国と日本ではなかった。それは依然として、日本と欧米列強、とりわけイギリスとアメリカとの対立だった。対立する双方に、中国の将軍と政治家がついていた。中国人民は、相も変わらず、双方の犠牲者であり、飢えるか殺されるかの役回りしか与えられていなかった。 最後の一文にミアーズの人類愛が滲み出ている。 ■8.日本は行くところまで行くしかなかった■ 輸出入の両面で日本の首根っこを押さえていたアメリカは、「自由経済と主権尊重」を主張しつつ、日中戦争にのめり込む日本に戦略物資を輸出し、同時に相手の蒋介石政権に莫大な援助を続けていた。 現実的に言えば、ヨーロッパでの戦争にめどが立ち、アメリカの「防衛」計画がもっと固まるまで日中戦争を続けさせるのが私たちの政策だった。日本は中国で忙殺されていた。蒋介石は日本に屈しないで、戦闘を続けられるだけの援助を受けていた。 日本は日華事変を終結させ、一応の安定に復帰するため、絶えず蒋介石に働きかけていたが、アメリカとイギリスは、日本が莫大な財政的損失を出し、アジアの前で威信を失うまで、戦争を続けさせる考えだった。 問題が日中間に留まるものなら、日本は寛容を装ってでも、大幅な戦略的撤退をしていただろう。しかし、戦争の終結条件を決めているのが中国ではなく大国である以上、日本は行くところまで行くしかなかった。でなければ、生存の条件と教えられた大国の地位を失うしかなかった。 行くところまで行って、日本がたどり着いたのがパールハーバーなのであった。 ■9.学んだことを実行すると、先生から激しく叱られる■ 私たちはアメリカから多くのこと、とくに隣接地域の不安定政権にどう対処するかを学んできた。そして、学んだことを実行すると、先生から激しく叱られるのである。 新渡戸稲造のこの言葉をミアーズは引用する。次の例はその典型だろう。 つい5年ほど前、米英両国の軍隊と砲艦が自国民の生命財産を守るために中国の「盗賊」を攻撃したとき、両国の世論は中国人を野蛮人と呼んで非難した。イギリスとアメリカの国民は忘れているようだが、日本人はよく覚えている。ところが、日本が同じように中国の「盗賊」を攻撃すると、同じ国民が日本人を野蛮人と呼ぶのである。 日本が先生から学んだ最重要の学課は、海外領土の確保による経済圏の確立だった。イギリスは、本土面積(9.4万平方マイル)の200倍以上、2千万平方マイルの海外領土、5億人に君臨する世界帝国を作り上げた。アメリカはインディアン、イギリス、メキシコと戦って3千万平方マイルの大陸を獲得し、さらに太平洋を渡って日本列島の5倍に相当する71万平方マイルの海外領土を奪取した。ロシアはシべリアを東進し、支配面積を882万平方米マイルに拡げた。 西洋列強はいま、日本を激しく糾弾している。日本が「凶暴で貪欲」であったことは明白な事実だが、だからといって、西洋列強の責任は、彼らが思っているようには、免れることはできない。日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。 ■10.アメリカの鏡:日本■ ミアーズがこの本を書いていた頃、終戦からまだ2年も経っていないのに、米ソ冷戦が始まっていた。 私たちは現在、「ソ連を押し戻す」、そして「共産主義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた政策だ。 今日私たちがいっているように、ソ連が「世界の脅威」であり、(JOG注:日露戦争当時)日本を支援したかつての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満洲を緩衝国家にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に無能だったことになる。 そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。 日本はパワー・ポリティックスを西洋列強に学び、そしてそれをよく守ったがゆえに、悲惨な結果を迎えた。その日本の近代史を鏡として、アメリカは自らのパワーポリティクスを見つめ、反省せよ、というのが「アメリカの鏡:日本」という原題の意味である。 しかし、その後もアメリカはソ連の脅威を封じ込めるために、共産中国とまでも手を結び、中国が成長して脅威となると、今度はこちらを封じ込めようとする。東京裁判史観によって真実を覆い隠したまま、アメリカがそのパワーポリティクスを続ける限り、「世界が置かれている深刻な無秩序状態」はまだまだ続くだろう。 転載終り |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年08月15日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



