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日月紋(日月紋)
元来皇室の御紋は、「日月」(じつげつ)でした。現在でも天皇が即位なさる際には、「日の丸」と「月」がそれぞれ錦の御旗(にしきのみはた)に掲げられます。太陽は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月は月読尊(つきよみのみこと)を表しています。
「日像纛旛」(にっしょうとうはん)、左が「月像纛旛」(げっしょうとうはん)です。
瑞雲文様、長さ約5.5m、巾約90cmあります。 京都御所紫宸殿の前庭に立てられ、昭和天皇の即位式に使われました。 五七桐花紋
この紋章は本来皇室の紋章です。
古くから桐は鳳凰の止まる木として神聖視されており、日本でも嵯峨天皇陛下の頃から天皇陛下の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。また中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉などもこれを天皇陛下から賜っている。このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。
近代以降も五七桐は「日本国政府の紋章」として大礼服や勲章(桐花章、旭日章、瑞宝章)の意匠に取り入れられたり、菊花紋に準じる国章としてビサやパスポートなどの書類や金貨の装飾に使われたり、「内閣総理大臣の紋章」として官邸の備品や総理の演台に取付けられるプレートに使われている。
皇室の菊花紋(十六八重表菊) 国章
鎌倉時代には「桐紋」が皇室に定着していたのですが、時の後鳥羽上皇が「菊」を好みあそばされ、「菊」を自らの印とし、その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が「菊」を印として継承し、慣例のうちに「菊花紋(十六弁八重表菊紋)」が天皇陛下・皇室の「紋」となったそうです。 菊紋が公式に皇室の御紋とされたのは明治二年(1869年)の太政官布告195号によります。この時に、天皇陛下の紋章として「十六弁八重表菊紋」が、その他皇族方の紋章としては「十四弁一重裏菊紋」がそれぞれ定められ、また、明治四年(1871年)には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。が、戦後は解禁されています。「菊の御紋」とは「十六弁八重表菊紋」のことを指し、皇族でもこの紋を使用することはできませんでした。 ちなみに日本のパスポートの表紙は「十六弁一重表菊紋」であり、皇室の正式な御紋を「八重」から「一重」に略したものです。 三笠宮 ご紋章
常陸宮 ご紋章
高円宮 ご紋章
桂宮 ご紋章
秋篠宮 ご紋章
現在の宮家もそれぞれ、異なった菊紋をお持ちであられます。というのは、「十六弁八重表菊紋」は天皇陛下のみがお使いになる御紋なので、皇族といえども、内廷外皇族はこれを敬避なさり、お使いになりません。
本ブログでも西郷南洲翁遺訓を記載していますが、 明治維新の功臣である西郷南洲翁も、明治天皇陛下より菊紋を下賜されました。それは明治天皇陛下自ら考案なさったもので、「抱き菊の葉に菊」紋であり、「天皇陛下を左右から補佐せよ」という意味が込められていました。西郷は恐懼(きょうく)して退下し、家人を集め、その旨を話し、「この紋は、一代限りのもの」と戒めたそうです。そのため、西郷家の子孫にこの紋は伝わっていません。
衆議院議員章
国会議員の議員記章には「十一菊」の図案が使用されています。
菊の花言葉は「高貴、高潔、真実」。
「菊の御紋」は天皇陛下の紋章として、大切に受け継がれているのです。 そして、畏くも天皇陛下より信任を受けた内閣が五七桐花紋を、衆参両院議員も
「十一菊」を、政治を司る者は天皇陛下の大御心を、「努々(ゆめゆめ)忘るるなか れです」
そして、パスポートを所持されている方々は海外でも日本人としての誇りを・・・・
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民主党の野田佳彦代表(54)は30日、衆参両院本会議で新首相に指名された。野田氏は党役員人事で輿石東参院議員会長(75)を幹事長、前原誠司前外相(49)を政調会長に起用することを内定した。(毎日新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000111-mai-pol
外国人はたとえ永住資格を持っていたとしても、帰化申請手続きを通じてアメリカ人としてのアイデンティティーを身に付け、アメリカ国家に愛着心を持ち、忠誠を誓う国民になって、初めて参政権を付与されるべきだ。 そして、こうしたアイデンティティーと愛着心は、帰化申請手続きに時間と努力を要するからこそ、培われるものだ、と言っています。 このアメリカ帰化申請には5つの条件があります。 1つ目は、永住資格を取得後5年間居住すること。これはその国に住まずしてその国の文化は理解できないからです。 2つ目は、道徳的人格を備えた者であること。日本にも素行が善良であることという規定がありますが、アメリカは徹底しています。 過去5年に遡って、殺人、薬物所持、ギャンブルによる違法収入、売春、重婚といった具体的犯罪歴がないか、FBIが調査するのです。 3つ目は、読み、書き、話し、聴くといった英語能力で、英語能力なくしてアメリカを理解することはできないからです。 4つ目は、国旗に敬意を払い、国歌を歌い、戦没者に追悼に意を捧げることを始めとして、アメリカの歴史と文化、そして政府の仕組みに関する知識を取得することです。 これら4つがクリア出来て、最後に5つ目の忠誠宣言が行われます。 この宣言で、帰化申請をする外国人は、母国に対する忠誠を放棄し、もし要請があれば武器を持って合衆国軍の一員として戦うことを誓うのです。 母国とアメリカが一戦を交えることがあっても、アメリカ人として武器を持てるのか、こうした覚悟が無ければアメリカ人としても市民権、つまり国籍は与えられない、ということです。 たかだか250年の歴史しかない移民大国のアメリカでさえ、自国の歴史に誇りを持ち、国家への忠誠心、具体的には国防の義務と参政権はセットとして考え、国籍のバーゲンセール、安売りは絶対にしません。 2600年も連綿と続く日本が、日本人としての生活習慣や文化、日本語の能力、日本の歴史や政府の仕組みに関する知識の取得、そして日本に対する忠誠心を、なぜ新しく日本人になる人に要求出来ないのでしょうか。 日本が今なすべきは、国籍取得のハードルをもっと高くして、日本に忠誠心を尽くすことを誓う外国人にだけ、国籍を与えるように法律を改正することです。 歴史と伝統を誇るこの素晴らしい日本を守るために、外国人参政権付与法案と国籍の安売りを絶対に阻止しましょう。
∧∧ 野田、話があるニダ♪ < `∀´ > O┬O ( .∩.| ι| |j::... ∪::::::
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学校で教えない歴史 33(二・ニ六事件と天皇陛下)
昭和11年5月、帝国議会における陛下の詔勅は
「今次、二月における事件は、朕のはなはだ憾(うらみ)とするところなり」
この勅語こそ陛下が統制派に組せられ、事情を知らない者は反乱将校ら皇道派を厳罰に処したことは軍全体を厳重に戒めたように思われたが、実際は統制派の意に沿わぬものを左遷や予備にさせられ、陸軍部内が統制派一色に変貌していったのであります。
二・二六事件で陛下の御失政を言うと、「陛下に間違いなどはない」という人がいる。
しかし磯部浅一のあの憤怒の声こそ、本当の忠誠の諫言ではないかと思うのです。
磯部浅一の天皇陛下への憤怒に共感を持ったのが三島由紀夫でした。
三島が磯部の「獄中日記」を素材として書いたのが『英霊の声』です。
「朕が股肱の臣を殺した青年将校を許せといふのか。戒厳司令官を呼んで、我が命を伝えよ。速やかに事態を収拾せよ、と。もしこれ以上ためらえば、朕みづから近衛師団をひきいて鎮圧に当たるであろう」
この天皇の声は、今や霊界にいる青年将校たちに伝播し、決定的な悲しみに堕ちてゆく。
そして「怒れる神霊」は悲しく謳うのである。
これは神としてのみ心ならず、人として暴を憎みたまひしなり。
そして、最後に絶叫するように、
などて天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまひし。
この時の陛下は神であらせられず、単なる人間の憎しみを持った暴であるという。
河野司の弟・河野寿大尉は二・ニ六事件で湯河原の牧野伸顕を襲い負傷、熱海陸軍衛戍病院に収容された後、3月6日に自決しました。河野司は刑死した青年将校の遺族を糾合して「仏心会」を組織し自ら代表となってきました。その河野のもとへ三島から『英霊の声』が送られて、河野自身の著書『天皇と二・ニ六事件』にこう書いています。
「二・ニ六事件以来、三十年余、遺族の立場としてどうしても言えないことを、これほどはっきりと書いてくれたことは驚きであった。青年将校たちへの理解、とくに天皇への不信が、霊媒者の口を通してではあるが、ズバリと書かれていることは、三島氏のこれがはじめてといえる」
昭和の元老、重臣たちの中には反逆者として銃殺された青年将校たちほど本気で君国を思う者が一人もいなかった。
君国に対する絶対の忠誠と職務に対する献身とは下層にあって上層部にはなかったのです。
しかも前者はその故に非業の死を遂げ、後者はそれにもかかわらず人臣の位を極めていった。
これでよいのか。
これでは日本の臣道が逆さに歩いていることになる。
立国の基礎がぐらつくのも当然ではないか。
真の良臣であるならば国家の非常時には特に幾度か陛下に対する忠諫の言葉があるべきです。
古語にも「国に争臣なくんば、その国危うし」とあります。
しかし、忠諫は一身の利害を捨てた忠誠の士でなければなしうるものではありません。
だからこそ将軍である徳川家康は「諫言の功は戦場の一番槍に勝る」といって尊んだ。
一人の良臣も持たれなかった陛下は、臣下の激しい忠諫にもお遭いにならなかったかもしれません。
その二・二六事件の反乱は、陛下に対する忠諫の士がいないことに原因する青年将校たちの陛下への悲愴きわまる死諫でありましたが、この時においても陛下にその死諫を善用する良臣が一人もいなかったために処置を誤り、その後の国運を一層不幸に導いたのかもしれません。
明治の時代は西郷隆盛の実直がありました。
当時、御若年であられた明治天皇が絶対の信頼を寄せられ、西郷もまた誠心誠意その殊遇におこたえした水魚の関係があったのは知られたことです。
西郷が官軍に抗して死んだ後も明治天皇はなおも西郷の忠誠を疑わず、幾度か西郷を追憶された逸話もあるくらいです。
さらに、しばしば御機嫌をおかして直諫(ちょっかん)する山岡鉄太郎がありました。
あるときは面をおかして直諫の苦言を奉り、過ち改められない限り一歩も引かなかった、という見事な
諍臣(そうしん)ぶりに、明治に生を受けたものは深い感銘を覚えたという。
もちろん山岡はその都度一身を投げ出してのことであったが、明治天皇はよくそれを容れて、
ますます山岡を信頼されたのです。
しかし昭和の時代は果たしてどうだったであろうか。
大正から昭和にかけて陛下の側近にはいつの間にか古今を大観する達人、
天地を貫く剛直の士が影をひそめてしまったのではないか。
万民の苦しみをよそに側近はひたすら陛下を大内山(青年将校が使う言葉)の奥深くあがめ奉ることにのみ専念これとつとめていた。
西園寺公望、牧野伸顕、木戸幸一、・・・あまりにひどい佞臣(ねいしん)であった。
大蔵栄一は著書『二・二六事件への挽歌』でこのように書いています。
『諌臣なき国は亡ぶ』 と昔よりいわれたように、忠諌の士が遠ざけられて、
佞臣の跋扈するところ、大内山には暗雲がただよい、ために天日はおのずから仰ぎ難くなる。
『二・二六事件』はこの暗雲を払い天日を仰がんとする忠諌の一挙であったのだ。
明治天皇は『億兆ひとりとしてその所を得ざるは朕の罪』と仰せられた。
万民の苦しみ、悲しみを、自らの責として同しく憂いなされるところに、
真の日本の天皇陛下の御姿があります。
昭和の時代の天皇陛下は側近の重臣によって万民とのつながりを断ち切られていたといえる。
二・二六事件は、いいかえれば大内山に立ちこめる妖雲を払って天皇陛下に直参せんとした捨て身の決起であったのだ。
悲しいことに、それはたちまち天皇ご激怒という予想にしなかった事態に遭遇し、結果するところは天皇に弓を引くという「叛乱罪」の汚名をきせられて、恨みをのむ悲劇となって終わった。
幸徳秋水の大逆事件に対して、明治天皇はいくたびかご仁慈の手を差し伸べられた。
このお話を洩れ聞いて明治の人達は感涙にむせんだものだった。
それに比べると昭和の時代は、まことに索莫たるものが感ぜられる。
天皇の側近の真人が、一人もいなかったという証左である。ただあるものは、ひたすら、しきたりに明け暮れる扈従(こじゅう)の佞臣のみであったといわれても仕方あるまい。
磯部浅一の「魂の叫び」を最後に記しておかねばならないと思います。
昭和8年12月23日、皇太子御誕生の日の磯部浅一は皇太子生誕の号砲を聞くと、
蒲団を蹴ってはね起き、斎戒沐浴して二階の床の間にひれ伏した。
この磯部の姿勢こそ真の忠臣たるものであります。
しかし、磯部浅一の「獄中日記」は陛下に対する叱声が多い。(文中の菱海とは磯部のこと)
・・・・・
天皇陛下は十五名の無双の忠義者を殺されたのであろうか、
そして陛下の周囲には国民が最もきらっている国奸らを近づけて、
彼らのいいなり放題におまかせになっているのだろうか、
陛下 われわれ同志ほど、国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません、
その忠義者をなぜいじめるのでありますか、
朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、仮りにも十五名の将校を銃殺するのです、
殺すのであります、陛下の赤子を殺すのでありますぞ、
殺すと言うことはかんたんな問題ではないはずであります、
なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございますか、何というご失政ではありましょう。
こんなことをたびたびなさりますと、日本国民は陛下をおうらみ申すようになりますぞ、
菱海はウソやオべンチャラは申しません、
陛下のこと、日本のことを思いつめたあげくに、以上のことだけは申し上げねば臣としての忠道が立ちませんから、少しもカザらないで陛下に申し上げるのであります。
陛下 日本は天皇の独裁国であってはなりません、重臣元老貴族の独裁国であるも断じて許せません、 明治以後の日本は、天皇を政治的中心とした一君と万民との一体的立憲国であります、
もっとワカリ易く申し上げると、天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります、
さようであらねばならない国体でありますから、何人の独裁をも許しません、
しかるに今の日本は何というざまでありましょうか、
天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財閥の独裁の独裁国ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、この特権階級の独裁政治は、天皇をさえないがしろにしているのでありますぞ、天皇をローマ法王にしておりますぞ、ロボットにし奉って彼らが自恣専断を思うままに続けておりますぞ。
日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあえいでいるのでありますぞ。
陛下 なぜもっと民をごらんになりませぬか、 日本国民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ。
陛下がどうしても菱海の申し条をおききとどけ下さらねばいたし方ございません、 菱海は再び陛下側近の賊を討つまでであります、今度こそは宮中にしのび込んでも、
陛下の大御前ででも、きっと側近の奸を討ちとります。
おそらく陛下は、陛下の御前を血に染めるほどのことをせねば、お気付きあそばさぬのでありましょう、
悲しいことでありますが、陛下のため、皇祖皇宗のため、仕方ありません、菱海は必ずやりますぞ。
悪臣どもの上奏したことをそのままうけ入れあそばして、忠義の赤子を銃殺なされましたところの陛下は、 不明であられるということはまぬかれません、かくのごとき不明をお重ねあそばすと、神々のおいかりにふれますぞ、いかに陛下でも、神の道をおふみちがえあそばすと、ご皇運の涯てることもござります。
陛下 菱海は死にのぞみ、陛下の御聖明に訴えるのであります、
どうぞ菱海の切ない忠義心を御明察下さりますよう伏して祈ります。
獄中不断に思うことは、陛下のことでごぎります、陛下さえシッカリとあそばせば、
日本は大丈夫でございます、同志を早くお側へおよび下さい。
・・・・・
相沢中佐、対馬は天皇陛下万歳といいて銃殺された。
安藤はチチブの宮の万歳を祈って死んだ。 天皇陛下 何という御失政でござりますか、なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召し下さりませぬか。 八百万の神々、何をボンヤリしてござるのだ、なぜおいたましい陛下をお守り下さらぬのだ。 これが余の最初から最後までの言葉だ。 日本国中の者どもが、一人のこらず陛下にいつわりの忠をするとも、余一人は真の忠道を守る、 真の忠道とは正義直諌をすることだ。
・・・・・ 竜袖にかくれて皎々不義を重ねてやまぬ重臣、元老、軍閥等のためにいかに多くの国民が泣いているか。
天皇陛下 この惨タンたる国家の現状を御覧下さい、 陛下が、私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考えあそばされていられるらしいウワサを刑務所の中で耳にして、私どもは血涙をしぼりました、真に血涙をしぼったのです。
陛下が私どもの挙をおききあそばして、「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂いました。 「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、 何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであるという意味らしいとのことを
ソク聞した時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
だが私も他の同志も、いつまでもメソメソと泣いてばかりはいませんぞ、 泣いて泣き寝入りは致しません、怒って憤然と立ちます。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、 私は今は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました、
だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。
天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザマです、 皇祖皇宗におあやまりなされませ。
・・・・・
私は、いまもって青年将校たちの悔しい魂の叫びが聞こえるようであります。
磯部浅一(上写真)と磯部の『獄中日記』(下写真)
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ご遺骨が語る大東亜戦争の真実
チャンネル桜キャスター 戦後ジャーナリスト
佐波 優子
頭部がない、指先がボロボロ
ーノモンハンと硫黄島のご遺骨- その後、私は十年間で世界11箇所の遺骨収集に出かけました。土の中を掘って
みると、冷凍保存されたようにそのまま歴史の時間が止まり、固まっているのです
。私はどのご遺骨も、死してなお日本を守りたい、という精神に溢れていると感じ
ました。
例えばノモンハン事件のあったモンゴルで遺骨収集を行った時です。土を2mくら
いどんどん掘って行きますと、ソ連の大きな戦車が出てきました。その戦車にしが
みつくようにしてぴったり張り付いた日本軍の将兵のご遺骨がありました。しかし、
そのご遺骨には頭部がなく、その下の身体だけがしがみついているのです。
モンゴルの学者の方がおっしゃるには、「この将兵は、ソ連の戦車を止めるため に戦車に飛び乗って手榴弾で爆死したか、他の砲撃によって首を飛ばされたので
あろう」とのことでした。
遺骨収集にあたり、私も大東亜戦争に関する本を何冊か読んでいたのですが、 戦死とか、爆死という言葉をこれまでいかにサラッと読んできたかを反省させられ
ました。このお姿こそ戦争で亡くなるという重い現実であり死者やご遺骨は何も語
らないけれども、必ず日本を守るという強い精神が、激しく伝わってきました。この
ような方々が戦前、悪いことをしたとは、とうてい思えませんでした。
また、硫黄島での遺骨収集では、多くの将兵のご遺骨は、手の指先がボロボロ
に砕けていました。ご承知のとおり、アメリカは日本の本土空襲をおこなうための
燃料補給基地として硫黄島を狙い、日本はそれを阻(はば)み本土を守るために
、栗林忠道陸軍中将以下、懸命に戦いました。五日間で陥落させるアメリカ軍の
予定でしたが、一カ月と六日もかかったのです。
お聞きしたところによると、栗林中将は万歳突撃を禁止されたのだそうです。 今日の感覚でいうと、天皇陛下万歳、と敵陣に突っ込むのは残酷なように思え
ます。しかし、劣悪な環境下で、下痢や負傷による膿が蔓延した身体で長く苦しむ
よりも、万歳突撃で一気に死ぬ方が将兵にとっては楽だったのです。
しかし栗林中将は、「万歳突撃で直ぐに死ぬことは可能だけれども、俺たちがすぐ
死んでしまえばそれだけ早く硫黄島が陥落し、日本本土が焼夷弾で焼かれてし
まう。俺たちは1日でもながく島を守ろう。そうすれば一人でも多くの子供や女性
が助かり、その子供達から新しい生命が生まれる」と訓令して、将兵達は壕(ごう)
やトーチカを掘り、陣地を築いて持久戦に備えました。
最初はスコップで掘っていても、そのうちスコップの先がボロボロになって使えなく
なる、だから最後は自分の手で土を掘ったのです。手の爪がはがれ、指先がボロ
ボロになるまで土を掘ったというお話を聞き、私は、目の前にあるボロボロになっ
た指先のご遺骨を見て、このようにして島を守り抜いて下さったのだと思うと、
涙が止まりませんでした。
もし、五日間で硫黄島が陥落していれば、私の祖母も焼夷弾で焼かれていたかも 知れない。そうすると私の母も、私も此の世に誕生しなかったかもしれない。そう
思うと、このボロボロになった指先のご遺骨と私のいのちとがしっかりとつながり、
こんなにまでして、私たちを守ろうとされた将兵の方々への深い感謝の思いが湧
き起ってきました。
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私には、 「憲法9条はおかしい」 とか
「スパイ防止法がないのがおかしい」 という程度の認識はあっても、
詳しい法律のことは無知・無学なので、読めるかどうか自信がなかったのですが、 思い切ってこの本を買って読んでみたら、 日本人として、胸がすく思いでした。 (金欠なのでアマゾンで中古を買ってしまいました。。。ごめんなさい。。汗
この理論は、理解してしまえば、実に明快なんですが、
わかるまでは 「頭の体操」 みたいなところがあります。 南出先生の講義は youtubeにもたくさん アップされているようなので、
断片的に 色々見ているだけでも、だんだんわかってきます。 ↓私もこの動画等を見ながら、並行して本を読んだら、とてもわかりやすかったです。
憲法無効宣言は、ぜひ実現してほしいです。
最近は 「改正派」 ではなく 「無効派」 の議員も増えてきたようで、 楽しみです。
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