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このかたのコメントは、 聞く側にとっては、
ひょっとしたら、つらく、厳しいものかもしれない


なんてことを、と思うかたも おられるかもしれない。

でも、氏の言葉には、「真」 がある、
そして 「義」 もある。

そう感じて、ここに紹介させていただきます。



【正論】 筑波大学大学院教授・古田博司 
さらば市民派のきれい事
の正義

2011.9.2  産経新聞 正論
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110926/trd11092602310000-n1.htm







 何をいつまで悲しむのか。
 なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、素の自分をさらけ出すこと、それで
ここまできたという。素の自分とはまじめであることに曇りがないということで
ある。

 ≪悲しみ苦しみ続けてはならぬ≫

 もちろん辛いことは限りない。被災地でいまだに父や母が見つからない。娘がもどらない。あのとき、あの場所にいなければ、息子は津波にのまれなかったかもしれない。悔いても悔やみきれない。だが、その悲しみに限りのない自分は、まじめな自分である。まじめすぎて自分を責めてしまう。

 日本では神様までがまじめである。日本の神話では神様も悩む。あの世に逝った妻が幸せだろうかと、後を追う。あの世で娘の魂を離さない父の手から、苦難の末に、その娘をこの世に連れ帰る。

 まじめは一番である。でも、神様のように苦しむことはない。たとえ姿は失われようと、夢の中で何度でも会うことができる。夢と現実は実用性が違うだけで同じだと言ったのは、哲学者のショーペンハウアーとマッハだった。こういう話は聞いてもよいと思う。

 生きているのは苦しいことだけれど、死した人々が励ましてくれる。朝日を受けるたび、彼らのエネルギーがわれわれの体に降り注いでくる。それは神々と一緒なのだといってもよいではないか。

 ばかばかしい、もっと悲しもうという市民派は、彼らだけで満ち足りた人々である。


チャンネルを回せば、そんな人がキャスターとして毎日出てくる。彼らは、自分の論理だけが論理だと思っている人々、自分だけが正義だと思っている不まじめな人々である。正義を既得権益のように振りかざす者ほど胡散(うさん)臭い。正義は時代によっても違う。16世紀フランスで聖バーソロミューの大虐殺が起きた際にローマ教皇は祝砲を撃たせた。

 ≪われわれは試練を乗り越える≫

 何を悩んでいるのか。

 もう悩むことは何もない。われわれは試練を乗り越える。素の自分で死んだ仲間とともにまじめに生きればよい。


市民派のきれい事の正義は終わった。まだ自分に正義があると思い込む彼らは、タバコ代を値上げしろとあがき、放射能が移ると嫌がって腕をさする。復興遅滞、政経不安で国民を苦しめ、朝鮮学校無償化をイタチよろしく最期に華々しく放った。彼らの世界を変えようとする意図はここまで卑俗に落ちたのである。

 「市民」という言葉はとうに薄汚れてしまった。それに気づかせてくれたことは、鳩山由紀夫、菅直人
両政権の成果だった。日本は日本人だけのものでないとうそぶき、子ども手当で外国人に十億円も垂れ流しした。マルクス・レーニン主義を奉じる主催者の市民団体に、専ら政党交付金が源とみられる莫大(ばくだい)な資金を環流させた。自衛隊を暴力装置と呼びつつ、逆に自分たちが階級支配の暴力装置となって国家を内側から破壊した。

 彼らのいう「政治主導」とは独裁であり、独裁を「民主集中制」と偽ったレーニンと同様である。


彼らは冷戦の落とし子、旧社会主義勢力の申し子である。米軍基地を追い払おうとし、国防を危うくした。社会主義国に内通し連帯して尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオを隠匿した。電力供給を様々(さまざま)な手段で阻害し、資本主義経済を弱め、多くの有力企業を海外に追いやり日本経済を空洞化させた。
 某市民派新聞も同類である。原子力ムラは戦艦大和の最期、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人は「国体護持」を叫んで終戦に抵抗した軍人、被災地の光景は米軍空襲による焼け野原に見えると、反資本主義の意図を太平洋戦争の敗北になぞらえる社説を堂々と掲げた。

 ≪多くのこと教えてくれた失政≫

 だが、時代は変わった。なぞらえるべき過去はもはや太平洋戦争ではない。冷戦こそが焦点を当てるべき歴史である。某市民派新聞のプロパガンダは冷戦時の反資本主義勢力のそれであり古くさい。彼らの描く風景は、民主党の失政が東大安田講堂攻防戦の最期、脱原発依存を叫び日本経済を弱体化させる市民たちは、「マルクス・レーニン主義」を奉じ資本主義の滅亡を願った自称革命家たち、焼け野原の光景は冷戦に敗れ荒廃した彼らの心象風景だと、そっくり言い返すことができるだろう。

 何をいつまで悩み続けるのか。早く電力供給を回復
させ、空洞化を防ぎ、まじめに働く人々に雇用をもたらさなければならない。


 市民派は、バブル崩壊直後に就職氷河期にぶつかったポスト・バブル世代の低賃金労働者から、不公平をチャラにするため戦争をしようと提案されて大きな衝撃を受けた過去(赤木智弘著『若者を見殺しにする国−私を戦争に向かわせるものは何か−』)を忘れたのか。在日外国人が尊厳ある対等な立場に立てるように運動する前に貧困労働層の日本人男性をなぜもっと対等に扱ってくれないのか、彼はそう市民派に訴えていた。

 まじめに生きようとしても生きられない、そんな社会を作ってはならない。市民派の失政はわれわれに多くのことを教えてくれた。
(ふるた ひろし)



良薬は、口ににがい。

success

日本は、世界のためにも
一刻も早く 立ち直らなければならない





転載元転載元: successのブログ

ウソと真実

高志さんの記事より、掲載します。
・・・
 
昨日(920日)の朝日新聞「声」欄は「語りつぐ戦争」というテーマで、関連した記事が載っている。
一つは【引き揚げ女性の孤独な闘い】。
敗戦後の一時期を舞鶴の国立病院で、引揚者の入退院事務の仕事をしていたという今年79才の女性からのもので、当時まだ10代の多感な娘さんだった彼女にとっては生涯忘れ得ぬ思いを綴ったものである。
《悲惨な命の現場に立ち会った記憶は今も、私の心の奥底に重く沈んでいる。》
と彼女は控えめな表現で記述している。

《入院して来た女性たちは疲れ果て、頭は丸刈り、薄汚れたネズミ色の綿入れ上着とズボンの男装。
現地で旧ソ連軍の兵士らによる暴行や地元民からの迫害を受け、心身に深い傷を負った人が多かった。家族が待つ仮宿舎の向かいの産婦人科病棟で、人工妊娠中絶がひそかに行われた。
医師らにとっても苦渋に満ちた決断だったに違いない。妊娠後期に入り、困難な手術もあったようだ。》

「声」の女性は《古い布に包まれた胎児の遺体》を雑役のおじさんと二人で木箱に納め、
《薪の束と小さな「棺」をリヤカーに乗せ、町外れの焼き場まで運び、荼毘に付した。
戦後復興の歴史の裏に封印された、引き揚げ女性たちの長く孤独な闘いを思う。
悲惨な命の現場に立ち会った記憶は今も、私の心の奥底に重く沈んでいる。》
と結んでいるが、同様な事は舞鶴よりも距離的に大陸に近く、引揚者の数も多かった博多では、もっと大々的に人工中絶が行われている。一体どれ位の女性が犠牲になったのか、人工中絶の手術を受けた女性だけが犠牲になった訳ではない。
内地に帰り付くまでに亡くなった人もあるだろうし、心ならずも出産した人もあるだろう。
犠牲になった女性の人数をチャイナ流で表すと五百万人か1千万人かという事になる。
在留邦人の数から見て、計算が合わないのはアチラさんの流儀で言ったからである。

「声」欄には同時に【強盗を取り押さえたソ連兵】という岡山県の80才の男性の記事も載っている。
《・・・旧ソ連の占領下(平壌)で・・・ある夜、出刃包丁を握った数人の強盗に押し入られた。全員が1か所に座らせられ、金品を奪われた。私は頭を出刃の先でこづかれ、木綿のパンツに血がポタポタと落ちた。20分ほどたっただろうか、突如、自動小銃を携えたソ連軍の兵士が数人飛び込んできて強盗を取り押さえた。東洋系の幼い顔立ちだった。・・・ソ連兵の蛮行の噂は聞いていたが、この時ばかりは地獄に仏だった。》 

ソ連軍政の下、そういう事はあって当然だが、私は邦人がソ連兵に助けられたという話を聞くのは全く初めてである。ソ連兵の悪事の埋め合わせをする為に載せた記事の様な感じもする。
現在、ソウルでは日本大使館前に「従軍慰安婦」の記念碑を建てるとか建てないとかで紛糾しているというが、この架空の物語に比べると「中絶」の事実は余りにも重い。
だが、事実は事実として教科書にも載せるべき話である。
少なくとも「従軍慰安婦」という記述を掲載している教科書には「人工中絶」の事実も掲載しなければ片手落ちの誹りは免れないだろう。
(記事のはさくらの花びら記入)
・・・・・・・
 
イメージ 1
                          歴史上なかった”従軍慰安婦”の記念碑を建てろと言っているが、
            我々が知るべきは真実の歴史なのです。
 
 
・・・・
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

ひるがえる菊水の旗
 
前に両手をついた弟の姿に、正成は胸が熱くなりました。いつも兄である自分を
心から信頼してくれる弟……今また一族が滅びるかもしれない戦をしょうとする
正成に、喜んで従うと言うのです。
 
思わず涙を浮かべた正成に正季が言いました。
「兄者がそんなに気の弱いことでどうなさる!」
すると正成がニッコリ笑い、正季、わしは地獄におちるつもりはないぞ!
二人は笑い心を通わせた!
 
正成は時を移さず、笠置山へむかいました。すぐに馳せ参じた正成に
後醍醐天皇は大変喜ばれ、「速やかに幕府を倒し、天下を統一するにはどうした
ら良いか。そちの考えを申し述べよ。」
 
正成は誠心誠意心をこめて申し上げました。
「幕府を倒すには、武力と謀(はかりごと)の二つが必要でございます。幕府は
強い武力を持っておりますが、謀をもって対すれば恐れることはござりませぬ。
その時々の戦の勝敗を見て、お心に不安を持たれませぬよう…。
帝…この正成が、いまだどこかに生きてあると聞かれましたならば、
帝の天下統一の道は、必ず開かれるものと思(おぼ)し召(め)し下さりませ!」
 
この正成の言葉を、後醍醐天皇はどれ程心強く思われたかわかりません。
この後、天皇はどのように苦しい時にも、正成のこの言葉を心の支えとされた
のです。
 
笠置山から帰った正成は、意を決し、すぐに挙兵の準備にとりかかったのでした
。元弘元年(一三三一年)九月、笠置山の 後醍醐天皇のもとから河内に帰った
正成は、挙兵の準備のため、すぐに城造りに取りかかりました。正成は楠木家の
重臣、恩地左近を呼んで言いました。
 
「左近、幕府軍が 帝(後醍醐天皇)のおられる笠置山にむかっておる。城造りを
急がせてくれ。それから、城の塀を二重(にじゅう)にして、外側の塀は綱を
切れば落とせるように作らせよ。」二重塀と聞いて左近は驚きました。
 
…外塀を切り落として敵兵を防ぐおつもりか…?。
「お館様…外塀が落ちるのを見た敵兵は、本当に塀が崩れたと思い、かえって
勢いにのってしまうのではないでしょうか。」
 
「左近、それは違う。外塀が切り落とされた時の状況を、今少し深く考えてみよ。
長い塀は一気には倒れぬゆえ、本物の塀が残っているのが見てとれる。それに
落ちた塀の下になった兵は、何とか起き上がろうと必死になるであろう。後ろの
兵は、塀の下になった者を踏む訳にもいかず、前に出ることすらできぬ。この
混乱に乗じて櫓(やぐら)の上から矢を射かければ…かなり有効な策じゃと
思うが……?」
 
正成の正確なよみに左近は舌をまきました。
このお館様は尋常(じんじょう)な御仁(ごじん)ではない…、
すると正成がニッコリ笑って言いました。
 
「尋常な戦い方では、何万という幕府軍を相手に戦うことなどできぬのだ。
にわか作りのこの城では、幕府軍には勝つことはできぬ。じゃがこの度の戦は、
幕府軍を相手にどこまで持ちこたえられるかが、勝負なのじゃ!」
 
九月十一日、抜けるような青空のもと、小高い山の上に作られた城には、
いくつもの菊水の旗がひるがえりました。赤坂城と名づけられた城には、
正成を総大将に約五百名の兵がたてこもり、ついに、幕府軍を相手に挙兵した。
 
 
続く
 
                                   楠木正成
                                   後藤久子著より抜粋
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

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