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花や飲み物の供え物が絶えない港町交番=岩手県宮古市
多くの同胞の生命と財産を奪った東日本大震災の発生から、もうすぐ7ヶ月になろうとしています。
震災発生直後、多くの警官、役場職員、消防署員、消防団員、民間人が一人でも多くの方々に助かっていただきたいと、自らの命も顧みず、避難誘導、救助等に命を賭されました。
それらすべての方々を民間人であっても、私は殉職と呼びたい。 人としての天命を全うされたのだと・・・・
殉職された方々にも家族はあっただろう。
最後まで、役場の放送で避難を呼びかけた女性職員もあったし、 命を懸けて、職務を全うした人が多いのに、今の国会を見ていると悔しさがあふれてきます・・・・・ 今の政治家など瓦礫(がれき)以下だと・・・
昨日の産経新聞に、「警神」たちへ 無残な交番に感謝の合掌という素晴らしいコラムが記載されていたので引用したい。
「大きな津波が来ます。高台に避難してください」「津波が来ます。急いで避難してください」 冒頭にも述べているように、震災発生直後の我身を顧みぬ尊い行動。
震災後も、自衛隊、海上保安庁、警察、消防、役場職員の決死の救助、捜索活動。
彼らの獅子奮迅の活躍は、世界からも賞讃されました。
それを支えたのは、「天命」であったとしか言葉が見つかりません。
戦後復興の歩みを半世紀以上にわたって見続けた政治評論家、三宅久之氏は、「日本人はつらい時にこそ耐え抜いて力を発揮する。東北は必ず立ち直る」と述べています、しかしこうも述べられています。
「だからといって政府が怠慢でいい訳がないじゃないか。敗戦から高度成長期、国民は政治を信頼し、政治家も一心不乱に邁進(まいしん)した」と、現在の政治状況に対し深い危惧を感じておられます。
「政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう」
9月13日、野田佳彦首相は臨時国会での所信表明演説の最初にこう述べた。
確かに言葉だけは頼もしい・・
しかし、三宅久之氏は、「今や政治家の言葉は鴻毛(こうもう)より軽い」と揶揄されておられます。
何度もぶれる震災の復興増税や脱原発などの政府方針、失言で就任まもない閣僚が辞任する茶番劇の繰り返しに、「政治家は自らの発言に責任を持たねばならない。これはいつの時代も変わらない」。
上述した、震災発生直後の我身を顧みぬ尊い行動をされた多くの方々、震災後復旧、捜索に天命を全うされた方々に、恥じぬ政治が行われる日が果たしてくるのでしょうか?
そして、政治家だけではなく、日本国民すべてが、殉職された方々に恥じぬ行いをしなければなりません。
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2011年09月30日
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北条ロータリークラブが創立50周年を迎えました。
その記念事業として、加西市出身の青山繁晴氏の講演会が下記の通り開催されます。 参加無料でどなたでもお聞き頂けます。 お繰り合わせの上、是非お越しください。 記 北条ロータリークラブ 創立50周年記念講演会 「祖国とふるさとは甦る」 ・講師 ㈱独立総合研究所 青山繁晴氏 ・とき 平成23年10月10日(祝) 午前9時30分開場 午前10時開演 参加無料、収容人員1000名
・ところ 加西市民会館 文化ホール お気軽にお問い合わせ下さい 青山繁晴氏
筆者の生まれ故郷、兵庫県加西市に憂国の士、青山繁晴氏が講演の為帰ってこられます。近隣の方々、ご希望の方々はご参加ください。
青山繁晴氏の生家のことは、青山氏自身のHPで述べられています。
青山繁晴氏のご尊父は、地元加西でも屈指の企業経営者でもあられました。
筆者の父も、青山繁晴氏のご尊父の会社に勤務していました。
筆者もご存命の時にはお世話になりましたが、実に先見の明のある方でした。
青山繁晴氏は、混迷を極める今日の日本を憂い、警鐘を鳴らされておられます。
筆者の故郷、兵庫県加西市はかっては、三洋電機㈱の創業の地として、企業城下町として栄えましたが、三洋電機の回転事業部の撤退、売却、関連企業の廃業に加え、それに伴う人口流出など、灯りが見えない状態です。
小篠綾子さん(左から2人目)とコシノ3姉妹
10月3日より始まる、NHK朝ドラ「カーネーション」は、ヒロコ、ジュンコ、ミチコのファッションデザイナー「コシノ3姉妹」を育て上げ、自らも晩年同じ職で活躍し、2006年に死去した故・小篠綾子氏の生涯を実話に基づくフィクションストーリーにして描くドラマです。
故・小篠綾子氏のご尊父の生家が、筆者の実家から200mぐらいの近隣の出身であり、生前、筆者の母校の小学校の緞帳(どんちょう)をデザインしていただいたこともあります。今は故・小篠綾子氏に連なる縁故者は誰も住んでいらっしゃいませんが、コシノ(当地方では「おざさ」と読みます)ブランドのルーツが我町であることは町民の誇りでもあります。
青山繁晴氏の活躍、故・小篠綾子氏のドラマ化と、地盤沈下の著しい故郷「加西市」の活性に連なることを願ってやみません。
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御来訪感謝申し上げます。 以前はどうしようもないノー天気な発言で眉をしかめることが多かった経済評論家の森永卓郎氏ですが、最近の言動を見聞きしていると、不肖敬天愛人にとっては、彼に神が降臨したのではないかとつい思ってしまうほど説得力のある「神発言」が見られるようになりました。 今日、紹介させていただく森永氏の論説文も、原発事故の後遺症に悩む福島の人間として心底共鳴できるものであり、また、同時に福島に限らず東北・北関東の被災地の人々にとっても心に沁みる意見であろうと感じます。 彼は敬天と同い年ですが、こちらが恥ずかしくなるほど人間的に非常にバランスのとれた考えを示しております。 最初から最後まで正論そのものであり、敬天如きがコメントをすることは何もないのですが、引用記事のあとに若干の感想コメを入れさせていただきます。 色文字、太字は敬天が勝手に編集したものです。 ----------------------------------------------------- 原発とどう向き合うのか - 森永卓郎 2011年09月27日00時00分 東日本大震災以降、私はともに貧困や抑圧と戦ってきた大切な友人たちと対立することになってしまった。それは、私が電力不足を回避するためには、しっかりと安全を確保することを前提としながらも、電力不足を解消するために原発を再稼働させるべきだと発言したことからだった。 もちろん私は、安価で安定した電源に代替しながら、徐々に原子力発電所を廃止していったほうがよいと思う。しかし、急激に脱原発を進めると、国民にさらなる貧困と抑圧を与えることになる。そのことをしっかり考えなければならないと思うのだ。 国民生活の抑圧は、今年の夏にすでに現れた。計画停電の実施に引き続いて、東京電力、東北電力管内では、電力節減令が発動された。電力節減令の本質は、電気の配給制度だ。罰則が適用される大企業はもちろん、そうではない中小企業や一般家庭でも徹底的な節電が求められた。問題は、それがどれだけ国民生活を圧迫したかということだ。 例えば、我が家では今年の夏、日中は一度もエアコンを使わなかった。熱中症になるからエアコンをつけようと何度も妻に言ったのだが、「エアコンをつけたら室外機のファンが回って、近所にばれる」と言って、妻は私の言うことを聞かなかった。毎日繰り返される節電キャンペーンは、まさに「節約耐乏。ぜいたくは敵だ。欲しがりません勝つまでは」という戦時中のスローガンであり、節電をしない者は非国民だという密告社会を作ってしまった。 自由主義経済は、稼いだお金の範囲内で、好きなことに自由にお金を使えるということが、大原則だ。それをさせなかったのは、統制経済に戻したのと一緒だった。あらゆる面で、国民生活は圧迫されたが、例えば、日中の電車の運行が間引きされたため、5分おきには必ず来るはずの東京の地下鉄が、10分おきにしか来ない時間帯ができた。駅舎や車内はおろか、一部ではホームまで照明が落とされ、暗くなった。知人の視覚障害を持つ男性は、ホームからの転落を恐れて、電車に乗るのが怖くなったという。駅のエスカレーターの下りが停止され、お年寄りや妊婦は怖い思いをするようになった。結局、しわ寄せは弱い人に行ったのだ。 企業活動でも、例えば自動車メーカーは電力節減令のかかる平日の電力消費を抑制するために稼働日を土日にシフトした。そのために子育て中の従業員は、土日に子どもを保育してくれるところを探すために、走り回った。それだけではない。自動車メーカーは土日シフトをしたが、重機メーカーはしなかった。その結果、自動車メーカーと重機メーカーの双方に部品を納めている中小メーカーは、納入のために、休みなく働かなければならなくなったのだ。 他にも被害は枚挙に暇がないが、15%の節電というのが、国民の多大な犠牲の上に達成されたことは、紛れもない事実だ。しかし、そこまでして、節電をする必要があったのか。つまり、そこまでして、原発を停止する必要があったのだろうか。 事故が深刻な影響を与えたのだから、停止は当然という意見はある。しかし、原発を停止させたからといって、新たな事故のリスクは減るのか。いま日本の大部分の原発が定期点検からの再稼働ができずに停止中だ。その原発のなかには、使用中の核燃料が納められている。冷温停止しているからと言って、安全だということは絶対に言えない。電源供給が絶たれれば冷温停止中であっても、水素爆発を起こすのだ。福島第一原子力発電所でも、爆発した4号機は冷温停止中だった。 私は、核燃料を建屋のなかに抱えている限り、運転中でも、冷温停止中でも、リスクは大して違わないと思う。だったら、安全を確保したうえで動かしたほうがよい。それは電力供給の確保という理由からだけではない。原子力発電所には建設のために1000億円単位の莫大なコストがかかっている。もし、停止したままにしておくと、ムダな減価償却費が発生し、それが利用者の電気料金に跳ね返ってくるのだ。エネルギー経済研究所の推計では、原子力発電所の再稼働がままならず全停止になった場合は、家庭の電気料金が2割もアップするという。減価償却費がかかってくるうえに、燃料を割高な化石燃料に切り替えなければならなくなるからだ。 振り返ってみると、今回の原子力発電所の事故は、あきれかえるほどの、ずさんなミスの積み重ねから発生したものだった。現場に電源車が到着したのに電源ケーブルが接続できなかったとか、1号機では電源供給が絶たれても、余熱で冷却を続けられるシステムがついていたのに、バルブを開け忘れたためにそれが稼働しなかったり、そもそもディーゼル発電機が地下に置かれていたり、その燃料タンクが地面に置かれていたりと、津波対策がまったくなされていなかったことなどだ。 こうしたミスをきちんと改め、何重もの安全対策を加えれば、当面のリスクは大幅に減るはずだ。もちろん、それをやっても原発のリスクはなくならないということも事実だ。 だから、いま我々が取り組むべきことは、事故原因をしっかり究明して、原発のしっかりした安全対策を講じることと、安価で安定した原発以外の電源を開発していくという二つなのではないか。 脱原発を唱える人たちは、いままで大変な苦労を重ねてきた。いくら原発のリスクを訴えても、なかなか国民が耳を貸してくれなかったからだ。しかし、敵失によって生まれた原発事故をチャンスと捉え、一気に自分たちの目指す脱原発に、世の中を持っていこうとしているのではないだろうか。私は、そのやり方は、アンフェアだと思う。これまで原発推進派がやってきたことと、やり方が変わらないからだ。 いま必要なことは、原発のリスクを正しく評価し、そのリスクと脱原発がもたらすコストを比較して、どのようなスケジュールで、原発をどの程度他の電源で代替していくのかという現実解を求めることだ。やたらと放射能の被害を叫んで、恐怖を煽ることは、判断を狂わせるし、何より被災地に大きな風評被害を与えることになる。 風評被害という意味で、もう一つどうしても触れておきたいのは、放射能汚染された食品についてだ。私は、政府の規制値を下回っていたとしても、放射能の影響が皆無だとは思っていない。しかし、私は自分自身の食生活から、被災地の食品を排除していない。選択肢がある時には積極的に被災地のものを食べるようにしているし、被災地の食品も通販で取り寄せた。なぜそうしているのかというと、そうしないと被災地の産業が救えないからだ。いつまでも義援金や財政の力で被災地での生活をすべて支えることなどできない。被災地の復興に一番重要なことは、被災地に働く場が戻ることだ。そのためにはまず、被災地の農林水産業が元気を取り戻さなければならない。しかし、政府が安全基準を設定して、それを上回る放射能が検出された食品は出荷を止めているのにもかかわらず、産地を公表したとたんに、被災地の野菜や肉や魚は、大幅な安値になってしまう。だから、誰かが現地の食品を食べないと、被災地は本来の姿を取り戻せないのだ。 もちろん放射能の感受性の高い子どもたちの食べるものには気を配らなけれならないし、被災地のものを食べたくない人に強要することもできないと思う。 ただ、一つだけ確実に言えるのは、被災地の食品を毛嫌いする人を、私は信用しない。いままで、さんざん被災地にリスクをばらまくことで、安い電力を使ってきたのに、事故が起こったら、さっさと被災地を見捨てるような人を信用しろというのはとても無理な話だからだ。 -------------------------------------------------------- 名古屋の大学の武田某のように、自分だけがいい子になろうと正義感ぶって必要以上に不安を煽っていた方が同じようにいい子ぶりたいマスコミ受けがするし、商売にもなるのです。不安を煽れば煽るほど不安に駆られた大衆は不安を少しでも解消しようと、不安を煽る人間の著書などに群がりたがります。これを恐怖ビジネスあるいは脅迫ビジネスと言います。家相占いや人相占いで根拠なき凶相を吹き込み、運が上向くと称して高価な印鑑を売りつける商法と何ら変わりません。 だからこそ、全国的に知名度の高い森永氏のようなタレント評論家といっても良い人気者がこういう発言をしたことは、生意気な言い方をすれば、高く評価したいのです。 なぜなら、こういう発言をしても彼は一銭にもならないのです。それどころか、マスコミ界や学会にも多く巣食う左翼脳の反原発派たちから攻撃を受けることになりかねないのです。被災地以外の人口が圧倒的に多い現実を鑑みれば不必要に恐怖を煽った方がビジネスになり、比較して少数派である被災地の人間の立場に立った良識的な意見を述べても、目に見える得は何もないのです。但し、人として目に見えない徳を積むことにはなります。 特に最後の4行は、こういう人としてバランスのとれた人間が多く居れば、被災地の人間にとっては何よりのエールになり、援護射撃になり、「頑張ろう」がスローガンだけでなくなって、本気で頑張ろうという気にさせてくれるし、希望を見出すことにもなるのです。 心より、森永卓郎氏に敬意を表したいと思います。 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。 https://blog.with2.net/in.php?687099
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