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さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。福地惇先生の論文の続きです。
戦後の占領政策の日本弱体化政策は、ほんとに過酷なものでした。東京裁判ではほとんど無実といっていいような人が、いい加減な証言などで、処刑されています。中には立派な人もいて、ほんとに惜しい人も無くなったといいます。外地での死刑も、聞いた話では、中国人はあったこともないのに、適当に日本人を指さして証言して罪人に仕立てて処刑したとか、ほとんど裁判といえるものではないような状態で、多くの無実の人が処刑されました。 日本復興を支えるべき人が、このようにして殺され、更に、残った人も占領軍によって、公職追放され、多くの国を支えていた人々が職を失いました。これは公務員だけでなく、民間の会社や団体でも、公に関する業務をやっているところは全て行われたそうです。これは多くの優秀な人々から職を取り上げて、生活にも困窮する人も出る程でした。 この公職追放は、日本の国力を削ぎ、さらに、その空いた席に、反日的思想を持つ共産主義者や、占領軍に媚びて売国的に日本を貶めるようになった人々が埋めて行くというとんでもない政策でした。
これにより、教育界、出版会、マスコミ、公務員、国の重要な機関がほとんど、左翼勢力に牛耳られることになり、その支配が更に戦後教育で育った後輩の左翼にと受け継がれ、今に至っており、公職追放が解かれた後もなかなか、取り返せずにいます。
( 守るべきは憲法9条ではなく我が祖国日本です)
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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欺瞞の美辞麗句「平和と民主主義」と欺瞞の貶め言葉「邪悪な侵略戦争」
高知大学名誉教授 福地惇
あの戦争の大敗北で我が国は亡国の淵に立たされたのである。ところが、巧妙な敵国の占領支配は、狂暴な大陸侵略戦争をした日本軍国主義者が悪であり、軍国主義者を育てた日本の古い歴史が悪である。
日本国民は権力者らに騙されて無謀な戦争に駆り出された犠牲者である。それゆえに、新日本国民は「恒久の平和を念願し、・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、われわれの安全と生存を保持しよう」(占領憲法前文)と旧敵国に誓わされた。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」とは、欺瞞的で壮大な虚構のお笑い草だが、そう信じなければ国際社会に復帰できないかのように脅されたのである。つまり、占領憲法(軍事占領下に憲法制定はできない)によって、我が国は「亡国の淵」に立たされたまま、平和と民主主義にすがることで「新日本」として再生させて戴くが如き欺瞞的幻想に晦まされた形となった。
だが、「平和と民主主義」なる言葉は、連合国(戦勝国)が敗戦国日本を永久に下位国家に位置付ける手段としての「美辞麗句」の類なのだ。民族やその歴史と国民国家を軽視するこの「美辞麗句」を法源とした「占領憲法」を押し戴かされることで、真の独立回復への可能性は厳しく閉ざされたわけである。
欺瞞の上に成り立つ「憲法」を肯定するには、戦前の祖国の歴史を自己卑下し、軍国主義者が邪悪な戦争を推進したからこうなったのだと自虐する以外にない。
日本の歴史は古く長く、そして誇るべき美点も多く、あの戦争も敵国が言うような邪悪な侵略戦争ではなく、むしろ根っこから邪悪なのは敵国側だと信じ続けなければ話は別になるはずだった。しかし、占領時代は固より、所謂「独立回復」以後の長い期間、そのような主張をしようものなら、軍国主義者だとか戦争を美化する愚か者、「平和と民主主義」の新日本への道を妨害する者と非難され、異端者のレッテルを貼られ、社会の枢要な位置から排除されたのである。占領支配者は、そのような仕掛けを構築し、彼らに媚びへつらった日本人に事後を託したのだ。
ところで、英米の対日戦争の目的は、東アジアの勇者日本、古い歴史とまとまりある民族文化を保持する独立主権国家を壊滅し策略に嵌(は)めて戦争を誘発して、大打撃を与えた。而して、二度と再び彼らの「脅威」にならぬように巧妙な保護監察の条約で縛り、つまりは永久に彼らの支配の下に置く策略を展開した。それが占領支配で推進されたことであった。戦時国際法を完全に無視してまでも、徹底的に過酷・悪逆な軍事攻撃で日本に大打撃を与えたのは、恐怖で敵を畏怖させる、正にその為であったのであって、世界征服の野望を秘めた大陸侵略の軍国主義者を懲罰するというのは、表向きの事実を曲解した屁理屈に過ぎなかったことを我々の先達たちは悟るべきであった。
何時も綺麗事で自らの正体を幻惑する名人が米英連合国だったのである。本当は極度に邪悪な敵の正体を知る者はパージの運命に晒(さら)された。だから逆に敵を畏怖し本心で利敵行為をする日本人は、新しい平和と民主主義の時代を知る者として優遇された。つまり、占領権力が厳命した思想を肯定し、平和条約以降もその姿勢を取り続けた者たちが社会の枢要な位置を占拠し、そのような敵国に媚びへつらった戦後指導者に教育されて疑念を持たずに育った世代がそれに続いたのである。だから、対米英蘭支ソ戦争の大敗北から早くも60有余年が経過しても、社会的権力配置関係は基本的には米国に占領されていた時代の延長線上で、今日只今の平成時代の不本意な政治・外交・軍事・経済の状況へと立ち至っているのである。
敵の正体を知らず、己自身をも知らない戦後日本人、「戦う毎に必ず危うし」と、正に孫子の兵法に言うとおりである。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
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正しい歴史を知る福地先生は、東大卒業にあたり、名門大学は紹介して頂けなかったと言います。なぜなら、当時は安保闘争真っ盛りで、左翼が幅を利かせて、“左翼でなければ人にあらず”の如く、左翼的自虐史観しか名門大学への紹介はされなかったと言います。そのため、福地先生は「お前のような右翼は島流しだ」と言われながら高知大学に送られたそうです。
「平和と民主主義」という欺瞞。
日本は戦後、戦争もなく平和に過ごし、経済発展も、豊かさも経験してきました。それは日本人がまじめで勤勉ということもありましょうが、やはり奇跡に近い状況であったと思います。
それが出来たのは決して「平和憲法」のお陰ではなく、日米同盟の役割があったことはあったでしょうが、この状況が今後も続くという保証もなければ、その可能性もないのです。
であるのに、日本は米国の防衛を頼りにしながら、チャイナには経済や製造の役割を依存し、日本国内は近隣国の工作員やスパイを抱え込み、肝心の日本人はお国のことも領土のことも憲法も関心が薄く、今がよければ、自分さえ楽しければと、目先の安楽に身を置き、自分勝手で自己中心的な振る舞いが様々なトラブルや殺人をも招き、この国は一体この先どうなっていくのか、政治家すらその将来像を描くことが出来ずに、劣化日本に歯止めがかからないのであります。
日本の近隣国には人間の命を何とも思わない国があり、そういう国というのは年々軍事力を増強し、その力を背景に自分に都合のよい主張を他国に押し付けているのです。これらの国と日本はいつかは衝突することは無きにしも非ずで、ある可能性は年々高まりつつあるのは気のせいでありましょうや。
その万一のための態勢は全くの想定外で、「平和と民主主義」でスパイだらけの劣化した日本では、戦う前に勝負がついているのではないか、と危惧しております。
日本の周辺は敵だらけ、日本国内も敵だらけである、と気づくこともできない欺瞞の平和に、いつ日本人は気付くのか。世界の中で日本だけ例外はあり得ないのです。
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2012年01月12日
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歴 史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を、福地先生から送付して頂き読ませて頂きまし た。これはぜひ多くの日本人の方に読んで頂きたいと思い、福地惇先生にブログ掲載許可のご確認をさせて頂きましたら快諾して頂きましたので、数回に分けて ご紹介したいと思います。
今回は「日露戦争から学ぶもの」です。 明 治の先達が明治天皇のもとで、国運をかけて戦い抜いた日露戦争。しかし、その舞台裏にあることはあまり知られておりません。特にこのことはマスコミが一切 避けており、その部分に触れるとボツにされてしまうと言います。近代の戦争というものは目に見えない“モノ”で動かされていることを多くの日本人も知るべ きです。・・・・・・・
日露戦争から学ぶもの
高知大学名誉教授 福地惇 1. 帝国主義の時代における我が国の位置
世界史の中で「近代」と呼ばれる時代は、欧米白人キリスト教の諸強国(列強)が圧倒的な軍事的・政治的・経済的な力量と活動力を以て、有色人種世界の征服を目指した時代である。
列 強による無慈悲で思い上った覇権の下に非欧米世界のほとんどが置かれていた時代だった。「文明世界」と言えば白人キリスト教諸国のことであって、他のあら ゆる有色人種の宗教や文化や社会は「半文明」とか「未開・野蛮」と見下げられた。この異様な時代を「帝国主義時代」と言うが、現代も明らかにその延長線上 にある。この帝国主義の時代に我が日本は如何なる国際的位置にあったか。
明 治維新以降の国家・社会の体制大変革は、侵略意欲猛烈な白人帝国主義列強の脅威への対応策であった。先達は、白人列強の植民地支配の餌食にならずに独立主 権国家としての名誉ある地位を占めるためには如何したら良いか、それを重大課題とした。国策としての国家・社会・宗教・思潮の改造が、所謂「近代化=欧米 化」だが、長く一貫した歴史を持つ我が国なるが故に、それを「復古と維新」と言って、必死に推進したのである。
2. 開国から5大強国
開国から日清・日露両戦争の勝利を経て欧州大戦までの凡そ有余年で欧米列強と対等の位置(所謂5大強国の一員)に立つまで成長した。それは有色人種の国家としては初めての偉業であり日本民族の栄光であったが、後で思えば手放しで喜べる話ではなかった。
強国建設の努力と急速な成長を白人キリスト教列国側は大きな脅威と受け取った。日本が「文明化」したと喜んだのではなく、脅威と嫌悪を覚えたのである。その指導者層に「黄禍論(イエロー・ペリル)」が台頭したのは、正にその証左であった。
逆 の事態も現れた。白人列強の属国や植民地に貶められて呻吟(しんぎん)を余儀なくされていた多くの有色人種に深い感銘と大きな勇気を与えたという現象であ る。つまり、それなるが故に、白人列強は日本帝国が更に国力・国威を増進して、有色人種「解放」の指導者に成長する可能性を問題視した。そこで、独善性と 利己心に満ちた白人列強の指導部は日本帝国を自家薬籠中の弱小国家に引き戻そうとの大戦略を立てたのだ。国際連盟や国際会議を以て「国際化」や「軍縮」と いう形で、謂わば「日本封じ込め戦略」を推進した。貪欲で狡猾な彼らは、東アジアを「分割して統治」する戦術で、共産ロシアや混乱続きのシナの有力軍閥に 対して、「天皇制解体」や「反日・侮日・抗日」の日本攻撃作戦を展開させ、黒船の来襲時代に劣らぬ重大な脅威・外圧が我が国を襲ったのである。
3. 日露戦争とは
日露戦争とは、20世紀の初頭に満州方面を全面占領していたロシア軍を北満州まで押し戻して、日本と朝鮮半島との安全を確保した戦争であると(左翼以外の)一般には理解されている。だが、これでは表層的な理解の域を超えない。実は、日露戦争は日本とロシアの戦争という2国間の利害・対立問題を遥かに超えた、巨大にして不気味な背景があったのである。
米国大統領セオドア・ルーズベルトが日露講和を斡旋した動機には、満州・シナ大陸への利権拡大の思惑があった。これは、目につく一例で、今の日本の歴史常識は欧米勢力の日露戦争への関与という重大な背景を見落としているのだ。
20世 紀に突入した時点で列強を巧みに金融で操る「国際金融財閥」は、愈々(いよいよ)彼ら年来の目標である世界支配運動を本格化した。先ず、せん滅の対象とし て狙った餌食は安定した「王制国家」、帝政ロシア、帝政ドイツ、帝政オーストリアそして皇室制度の下で急速に国威を増進する日本帝国だった。この、謂わば 「闇の世界権力」は、ロシア帝国に対しては満州・朝鮮半島方面へ積極的進攻を誘導しながらも、他方ではロシア帝国解体への国内撹乱工作を展開した。つま り、共産革命勢力=帝政打倒勢力には膨大な運動資金を竊(ひそか)に提供してロシア帝国の破壊工作を進めさせた。一方で、ロシア帝国の南下に脅える小国日 本に対しては、日英同盟を成立させ、戦費を融資して、ロシアとの大戦争を誘ったのである。
当 時の日本政府は戦争資金の欠乏から財政家高橋是清(当時日銀副総裁、後の蔵相、首相)を欧米主要国に派遣して外債募集の任務に当たらせた。だが、巨大な陸 軍帝国ロシアに対して東洋の小新興国家が勝利できようと予想する欧米の軍事専門家は皆無だった。従って、高橋の外債募集は困難を極めたが、そこに偶然を 装って戦費融資の話に乗ってきたのが、クーン・レーブ商会のヤコブ・ヘンリー・シフなる国際金融財閥の有力者だった。シフの巨額な対日融資が誘い水にな り、外債募集は満額を超えたのである。ロシア帝国のユダヤ人虐待を見かねて対露戦争に立ち上がる日本を支援したと、シフは語ったと、高橋は自伝でシフの民 族愛と義侠心を称賛している(『高橋是清自伝』)。だが、国際金融財閥の思惑は、そんな情緒的問題を超えて遥かに壮大だった。クーン・レーブ商会は、欧州 の金融大財閥ロスチャイルド家の米国における代理人の位置にいた者で、当時、ドイツやロシア方面の共産過激革命勢力に密かに資金を提供して革命運動を支援 していた。帝政ロシア解体大作戦に東洋の新興国日本を一枚噛ませて、金融面で日本をより一層自在に操縦しようとの思惑である。つまり、世界支配を目指す、 彼らの一石二鳥を狙った戦略だったということだ。戦後、律儀な日本は融資者に巨額の元本と利息を支払い続けたのだ。要するに、我が国にとっての日露戦争は 独立と安全のための必死の自衛戦争だった訳だが、世界史大に視野を広げてみると、世界単一政府を目指す「国際金融財閥」による有力民族国家の操縦と支配、 そして最終的には民族国家の解体という壮大な謀略の一環に組み込まれていた戦争だったと言うべきだと、筆者は見ているのである。
4. 日露戦争勝利後の日本の苦難の予兆
ところで、対露戦争の勝利は日本が急速かつ確実に立派な国家建設を進めていることを実証したわけだ。そこで、日本を利用して支配しようとする勢力は、改めて新興国日本帝国の前進に危惧を抱き、本格的に日本国家の成長と自律的活動を抑圧する方向に舵を取り始めたのである。
金 融コントロールを筆頭に、米国政府による対日強硬政策の展開は、満州利権への介入、オレンジ計画の策定開始、ホワイト・フリートの日本寄港、そして太平洋 艦隊の編成として早速に実行に移された。他方、ロシア帝国は、敗戦の打撃で政治と社会は混乱し、共産革命への趨勢が増大して、敗戦から12年後のロシア・ボルシェビキ革命へと経過していく。また、シナ大陸では大清帝国が敢え無く解体して共和制国家を目指す民族革命が追求されるが、これが東アジア世界の複雑さと不安定さを増大するのである。
従っ て、この「戦争と革命」の時代に本質に着目せずして、現代日本史を云々することはできない。国際政治・軍事・経済・社会全体の構造変動の一環に東アジアが あり、日本があるのだから、「国際金融財閥」や米英列強の諸動向を注視しながら、祖国の歴史を考察せずしては、「近代日本の栄光と苦難」の真実は把握でき ないのである。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
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歴史を語る上で避けることが出来ないものを福地先生が触れられております。多くの出版社が拒否するために歴史の深層が知られにくいわけです。
さ て、小論文にあるヤコブ・ヘンリー・シフ。シフの個人代理人のジョージ・ケナンは日露戦争の陰の主役であったと私は見ています。ジョージ・ケナンは日本へ の融資の功労者として日本政府から従軍記章、そして皇室から瑞宝章を授与されました。ジョージ・ケナンは日本だけではなくシフの代理人としてロシアの共産 主義革命にも資金と武器を持ち込みました。
こうしてみると日露戦争とはロスチャイルドがロシアを経済支配下に置くために日本を誘導して起こしたのだと言えます。その日本は戦争に勝ちましたがロシアから賠償金を獲得できず、シフに金利を払い続けました。このため、「日露戦争で最も利益を得たのはシフ」と言われたのです。
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日露戦争から、ずっと世界の帝国を滅ぼし、世界を支配する「闇の世界金融財閥」について、その陰謀を語る人はけっこういて、私も何度か聞いたことがあります。けっこう説得力はあるのですが、決して表の歴史講義で話されることはないので、今ひとつ本当かどうか図りかねる、と言うよりも、誰かに話そうにも話しにくいところでした。この福地先生の論文は、一つ一つ具体的な事象を指摘しつつ話されているので、非常に理解しやすく、今まで聞いたものの中で一番説得力があります。 そして現在において、日本のメディア、政治家など、日本解体勢力を操り、裏でそれを知っているかどうかに関係なく支配し動かしているのは、この勢力なのではという気がします。多くの国の内部に入り込み、ネットワークを作り、国々を対立させ、或いは手を握らせ、目的に向かって陰謀をめぐらせている存在、これに近い存在はなんとなくある気もしていましたが、ここまで大きな力を持っているのだろうかと思っていましたが、この記事を読むと、確かに、可能性は否定できない気がします。 もしかしたら、そういう闇の勢力と、それに意識的無意識的にせよ対抗している人々のいよいよ最終戦のようなものが、現代の状況なのかも知れません。2012年という年が、そうしたものを暴露していく年、思わぬ逆転が起こる年、いろんなモノの正体が見えてくる年、本当の善悪が正しく判断される年となるような気もしてきます。壬辰と言うのはそういう年であるらしいですから。 |
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なっちゃんって一体誰のこと?
人ではなくて、船の名前です。正しくは「ナッチャンWorld」と言います。
双胴型の高速フェリーで、姉妹船に「ナッチャンRera」があります。
青森・函館間の運行が燃費高騰で行き詰まって(期間限定の運行以外は)係留されており、海自がこの2隻を輸送艦として購入する構想があります。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Natchan_World-008.jpg/300px-Natchan_World-008.jpg
尖閣などの離島に敵が上陸した際の作戦には高速輸送艦が不可欠です。
「ナッチャンWorld」はすでに昨年の大震災の発生に際し、自衛隊の要請を受け被災地への緊急災害援助部隊派遣のために臨時運航されています。
また昨年11月には陸上自衛隊の日出生台演習場での訓練のため、北海道の苫小牧港から大分県の大分港ま戦車・装甲車をを輸送しました。
問題点の有無などの検証が行われたと思われます。
2隻とも来年度の業務計画に入れられ、予算が組まれえることを切に望みます。
さて、この記事を書いた目的は3つあります。1.民間フェリーの活用のメリットを多くの人に知ってほしい
もちろん正規の輸送艦を建造するにこしたことはないが、この時節柄非常に困難です。それよりも早く安価に入手できるなら、躊躇するべきではありません。
英国はフォークランド紛争の際に何とあの豪華客船クイーンエリザベスⅡを徴用して兵を輸送し、不利と思われた戦局を転換しました。
ナッチャンは30ノットを越す速度があり、とても魅力的です。
PKOや災害時にも効果を発揮するでしょう。
2.愛国者の側から「商船構造では駄目だ」という声が起こるのは自重してほしい
軍事の知識をお持ちの方にはこの考えが必ず出てくると思います。
「中古を買ってどうする」 → いいえ、就航が短かったので、まだほとんど新品同様のような船です。
「防御能力がないではないか」 → 攻撃を受ければ正規の輸送艦であってもあまり大差無いです。当然海空から護衛しますし、自艦防御にCIWS(高速機関砲システム)など可能であれば後日装備するべきと思います。
尖閣周辺が急に緊迫してきた今の状況では、新たな輸送艦の建造計画ではとても間に合いません。
3.中国に売却される可能性も残っていて、その場合に起こること
旧ソ連の空母ワヤリーグの事例があります。ソ連の崩壊後、ウクライナはこの空母を獲得しましたが、この国は特に空母を要する事情はありませんでした。
中国系企業が海上カジノに使うという名目で、武装や機関などを撤去・破壊した船体を購入しました。
ところが、こっそり空母に復元工事されているという情報が何年も続き、そしてついに試験航海する空母が姿を現したのです。
中国はこのワヤリーグを徹底的に研究し、さらにこれを雛形にしてさらに5隻の空母を建造します。 ワヤリーグを買い取ったのは中国の国策企業であり、カジノの計画などはもともと無かったのです。
ことある毎に日本を軍国主義呼ばわりしてきた中国の詭弁であり、大嘘であり、世界への裏切りであり、この大きな脅威が現実になるまで日本は漫然と見過ごしてきました。
海運会社、中でもフェリーの会社はどこも経営が苦しいです。1円でも高く船を売りたいでしょう。
中国が購入に関心を示しているという情報もあり、仮にナッチャンが中国の企業に渡るとすると、一応は中国国内どこかのフェリーに使うという名目でしょう。
しかし、民間フェリーを軍事転用する世界の動きを中国海軍が知らない筈がありません。
いつか五星紅旗を掲げたナッチャン2隻が戦車と兵員を満載してわが南西諸島や台湾に押し寄せて来ないという保証はありません。(この段階では尖閣は既に占領されているでしょう。)
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拙稿、「日本人とは」でも述べていますが、武士は侍とも書きます。もののふともいいます。 またその語源は天孫降臨された皇祖ニニギノミコトより前に天孫降臨されたとされるニギハヤヒミコトを祖とし、大和朝廷では国の軍事氏族として活躍した、物部氏(もののべうじ)とされてます。
侍=その文字が示すとおり、もともと高貴な人に侍り、その身辺警護が仕事でした。役目柄、要人より華美な振る舞いは許されず、常に死を覚悟していなければなりませんでした。このことが質実剛健な精神構造を生み出し、支配階級となったあとも、「武士道」として武家社会の規範になっていきます。
武士という階級が為政者として台頭してきたのは、平安時代の後期、現在NHK大河ドラマの主人公「平清盛」が最初とされています。
12世紀末には、源頼朝が鎌倉に幕府を開きました。この時から約700年間、わが国では武士が政権を担う時代が続きました。戦士の階級が国を治めるという歴史は、シナや朝鮮には見られない、わが国独特のものです。それゆえに、この数世紀の間に武士が創りあげた生き方や価値観は、日本独自の思想といえます。それが、武士道です。
世界的にも類を見ない日本の武士の特徴を考えると、まず源氏が清和天皇を、平氏が桓武天皇を祖とするように、由緒ある武士は、皇室を祖先にもっています。皇室から分かれた貴族が、京の都を離れて地方の役職を任命され、そこで軍人として働くようになったのが、武士の由来です。それゆえ、源平の時代から徳川幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜公まで、武士は天皇陛下に権威を感じ、それを侵すことなく、逆に自分の権力の拠り所として仰いできました。本来、皇室から分かれた貴族の出身であるところに、武士の第一の特徴があります。
武家政権の祖とされる、平氏・源氏の2つの氏族は、前にも述べていますが、どちらも天皇の後裔(こうえい)でした。だが、一度皇籍を離れ、臣下となった以上は、国全体の支配者にはなっても、天皇になることはできなかった。この原則は殆どの場合どの政権にも遵守されました。平清盛は平安末期の日本の権力者であり、白河天皇の落胤と目されていました。しかし、平氏の一員に迎えられて臣下となったため、不適格者となっており、あえて皇位を手に入れようとはしなかった。
戦国大名も、天皇の王朝に取って代わるなどという発想を度外視しただけでなく、天皇の王朝に皹を入れることも避けようとした。天皇のお墨付きを欲してやまない戦国大名は、誰もがそれぞれの天皇志望者を押し立てて皇統に亀裂を生じさせても全く不思議でなかったが、そのようなことはしなかった。朝廷の官位官職を手に入れようと、互いに張り合うようになった。修理大夫や衛門佐といった大いなる威厳を意味するこれらの官職は、天皇だけが授けうるものだったのです。 室町幕府の第3代将軍・足利義満は、天皇に取って代わって自分の王朝を開こうとした唯一の人物です。
強引な権力者となり、支配を国中に及ぼし、南北朝時代に幕を閉じた。将軍職を退いても太政大臣となり、国政を続、生母を亡くした後小松天皇の母代わりとして、皇族出身でない自分の妻の日野康子を「准母(じゅんぼ)」に指名したり、こうして、義満は天皇の継父に相当することとなり、死後「太上法皇(出家した太上天皇の尊称)」と呼ばれることができる資格を手に入れました。
応永8年、明国と国交を樹立し、明の皇帝から「日本国王」の称号を受領しましたた。これにより、征夷大将軍の地位にある人物が皇位に最も近づきました。しかし、応永15年の義満の死に、義満の野望は潰えました。後継者の誰一人として義満の野望を繰り返そうとはしませんでした。
義満の野望を妨げたのは、天皇でも征夷大将軍でもなく「ありえないことだ」という強力な暗黙の合意があったことです。
天皇は神々に位(神階)を、神社に格(社格)を付与し、高位の僧職者に位階と称号(僧位)を授与していた。将軍や国土にも、その健勝と繁栄を祈る存在であったのです。天皇は死者を神格化でき、また神格を取り消すことができる存在であったのです。
徳川家康は後水尾天皇に、豊臣秀吉が死後与えられていた神格を取り消すよう要望し、翌年、家康自身が死ぬと、天皇は彼の生前の要望を受け容れて、家康を神格化しました。家康が東照宮に、秀吉が豊国神社に祀られているのも、天皇陛下の存在なしにはありえないことなのです。
これらは王朝の簒奪を繰り返してきた世界各国のどこの国にもありえないことであり、自分の権力・精神の拠り所として仰いできました。 昨今論じられている、皇統、女性宮家が臣下によって論じられることなどありえないことでした。 武士はまた、土地に密着した為政者であることです。平安時代後期、辺境の防衛に当たった武士たちは、年月を経るうちに、その土地に定着し、自ら土地を開墾して、私営の田畑を営むようになりました。こうして開墾領主となった武士は、「一所懸命」に領地を守り、広げ、受け継ぎ、競合しながら、巨大な集団へと成長していきました。やがて、武士は、土地と領民を所有する為政者となりました。そして、皇室の伝統と、儒教の政治道徳に学んで、領地・領国の経営に努めたのです。 皇室から分かれた貴族の出身、戦闘のプロフェッショナル、土地に密着した為政者―――は、それぞれ尊皇・尚武・仁政という徳目に対応します。
こうした特徴と徳目をもつ武士たちは、平安後期から鎌倉・室町・戦国の時代を通じて、独自の倫理と美意識を生み出しました。江戸時代に入って、それが一層、自覚的に表現されることになりました。これが、今日いうところの武士道です。
わが国は江戸時代に、徳川家康が朱子学を幕府の教学としました。武士達は、外来の儒教を単に摂取するだけでなく、これを孔孟に戻って掘り下げて研究し、同時にこれに日本独自の解釈を加えました。武士道は、この日本化した儒教を中心に、理論化・体系化がなされ、江戸時代には幕藩体制の下、平和な秩序が確立され、戦闘者としての武士の役割は、無用のものとなりました。それゆえ、武士たちは、自己の存在意義を問い、武士のあるべき姿を強く意識するようになりました。武士道が思想として錬成されたのは、そうした背景があったからです。
冒頭に書いたように、武士道は、日本固有の思想であり、日本人の精神的特徴がよく表れています。わが国は古来、敬神崇祖、忠孝一本の国柄です。そこに形成されたのが、親子一体、夫婦一体、国家と国民が一体の日本精神です。日本精神の特徴は、武士道において、皇室への尊崇、主君への忠誠、親や先祖への孝養、家族的団結などとして表れています。そして、勇気、仁愛、礼節、誠実、克己等の徳性は、武士という階級を通じて、見事に開花し、向上しました。日本精神は、約700年の武士の時代に、武士道の発展を通じて、豊かに成長・成熟したのです。
明治維新は、武士道の発揮によって成し遂げられました。近代国家の建設の中で、身分としての武士は武士自らが幕を降ろしました。しかし、国民国家の形成を通じて、武士道は国民全体の道徳となりました。大東亜戦争後、武士道は、失われつつありますが、今なお日本精神の精華として、日本人の精神的指針たるべきものであり続け、今日も武士道の精神の復活が望まれているのです。
次回は武士道とは何かを考察してみたいと思います。 続く・・・
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