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伊勢神宮について

新田均皇學館大學教授の論文(平成一八年)から、転載します。伊勢神宮の由来について、非常にわかりやすい説明です。

伊勢神宮とパルテノン神殿の違い

しばらく前までは、伊勢神宮といえば、どんな神様が祀られているか、どこにあるかは言わずもがなで日本人なら誰でも知っていたことです。

伊勢神宮の一番大きなお祭りは、二十年に一度の式年遷宮ですが、かつては式年遷宮が行われるたびに全国のニュースになっていました。しかし、前回の平成五年の時は、ほとんど扱われることもなく、伊勢地方のお祭りのような扱いになってしまいました。

そういう中で、最近伊勢の神宮について多くの日本人が知る機会を得たのは、一昨年に行われたアテネオリンピックで、伊勢市出身の野口みずきさんが伊勢神宮のお守りをつけて走り、女子マラソンで優勝した時です。抜け出すときにお守りに触ってスパートをかけたというのは有名な話です。

アテネオリンピックが始まるときに、パルテノン神殿が映し出されました。パルテノン神殿に祭られていた神様は、ギリシャの神々の中でゼウスという最高神の娘アテナという女神様です。つまり、アテネも女神様の神殿があったところで、日本の女神のお守りを持った女性がそこで勝ったということです。伊勢の神宮も女神を祭る神殿ですし、アテネのパルテノン神殿も女神を祭る神殿ですが、二つの神殿には大きな違いがあります。

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伊勢の神宮が祀られるようになったのが西暦でいうと三世紀末、三百年前後のことで、以後こんにちまで絶えずお祭りされています。一方パルテノン神殿も紀元前よりはるか前の古代からありますが、西暦五世紀頃にギリシャではキリスト教徒の侵入がありまして、アテナの神像は取り除かれて、キリスト教の教会に変わってしまいました。
それから十世紀間はキリスト教会でした。十五世紀中頃から、今度はトルコが攻めてきて負けて占領され、十五世紀中頃からイスラム教の寺院にかわってしまいました。
更に十七世紀後半になりますと、ベネチア人が攻め込んできて、トルコ人がパルテノン神殿に立てこもったので砲撃を受けて、今あるああいう状態になってしまったのです。つまり石造りのあの神殿は今や廃墟にすぎません。

一方伊勢の神宮の建物は、大きな御正殿よりも周りの別宮をご覧になると分かるかと思いますが、この伊勢の神宮の原形は何かといいますと、稲作の始まった弥生時代に稲を貯蔵しておいた高床式倉庫です。もともとその大切な稲を収めていた高床式倉庫が神殿に変わっていったのです。石に比べると木で作られた実にもろい建物ですが、依然として神様が祭られていますし、それをお祭りする神主がいるし、それを信仰する人もいます。

こう考えると、ギリシャの神殿とは、似ていても信仰が生きているという点で、決定的に違うのです。伊勢の神宮というと誰でも思い浮かべるものは、天照大御神様をお祭りしている皇大神宮と、豊受大神を祭っている豊受大神宮の二つだと思いますが、実際は、伊勢の神宮とは伊勢志摩地方に百二十五社ある神社群をさしています。その百二十五社の上にこの両方の御正殿が存在する形になっています。たまたまですが、この百二十五という数字は、現在の天皇陛下の代数と同じです。


天孫降臨と三大神勅

この伊勢の神宮がどういうふうにしてここにお祭りされることになったのかといいますと、その起源は日本の神話に遡ります。古代の日本人の世界観というものは、渡部昇一さんも言っておられますが、古代のヨーロッパのゲルマン人と同じように、世界を縦に見ていました。天にある高天の原、地上にあります葦原の中つ国、地下の根の国の三つがある、という世界観を持っていました。

この高天の原の中心になっておられましたのが天照大御神ということになります。最初葦原の中つ国を支配していた神様は大国主命で、根の国は天照大御神の弟である須佐之男命です。少し複雑ですが、根の国を支配している須佐之男命の息子、または子孫が葦原の中つ国を支配していた大国主命となります。

天上の高天の原から見ますと、葦原の中つ国には神々はたくさんいますが、非常に乱れていました。そこで、『日本書紀』によれば高御産巣日神、『古事記』によれば天照大御神が、御子孫を葦原の中つ国に遣わせて、その方を中心に葦原の中つ国に秩序をもたらせて、高天原と同じような状況の国をこの地上に作ろうということで、天孫降臨ということになります。

つまり天照大御神の御子孫が日本の国に天降ってこられたということです。ですからこの「天」は天照大御神の「天」です。「孫」は天降ってこられた瓊瓊杵尊という方が、天照大御神から見て孫にあたるので天照大御神の御子孫がこの日本の国に天降ってこられたということで、”天孫降臨”というのです。

ただし、天降ってこられたのは日本の中心になる大和ではなく、九州です。この天孫降臨の時に、天照大御神が地上に天下っていく御子孫に授けた言葉、神勅が三つありました。三大神勅といいますが、それが伊勢神宮の出発点になります。これは『日本書紀』に記録されていますが、一つは、「天壌無窮の神勅」。この神勅には、「日本国は天照大御神の子孫がずっと中心になって治めていく国で、そのことは天地が変わらないのと同じように永久に変わらない」ということが述べられています。天皇陛下の位の始まりを意味する言葉です。

二つ目は、「宝鏡奉祭の神勅」です。天照大御神は天降っていく瓊瓊杵尊に三種の神器を授けられました。八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。いずれも天皇陛下の位を象徴するものとなっています。

天照大御神が天の岩戸に隠れられたという話は有名ですが、神々が困って何をしたかといいますと、岩戸の前でお祭りをしました。これが神道のお祭りの原型です。その時に榊を立てて鏡と勾玉を作ってかけました。この時作られたのが八咫鏡と八尺瓊勾玉です。その天照大御神が再び御出現するきっかけをつくった宝物を瓊瓊杵尊にお渡しになりました。

そして草薙の剣は須佐之男命が八岐大蛇を退治した時に尻尾から出てきたものですが、これも加えて三つを持って天降りなさい、といわれたわけです。天照大御神は鏡をわたされたとき、「これを私だと思って祭りなさい」といわれました。これが「宝鏡奉祭の神勅」です。これは「あなたが降っていってこれから秩序をもたらそうとする地上の国は、私が天上で神々を治めているのと同じ秩序をもたらそうとするわけですから、あなたも私と同じような気持ちで神々の子孫を治めなさい。常にその気持ちを忘れないようにしなさい」ということです。

もう一つは、「斎庭稲穂の神勅」です。「斎」は「神聖な」という意味で、神聖な田んぼの稲の神勅という意味です。簡単に言うと、天照大御神は、天上界で田んぼを作って稲を育てているのです。そしてその稲で別の神を祭っているのですが、その神聖な田んぼで獲れた稲を瓊瓊杵尊に授けました。これは、これであなたの国民を養いなさい、という意味であるといわれています。

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この「宝鏡奉祭の神勅」と「斎庭稲穂の神勅」が伊勢神宮の起源になります。三種の神器と稲を持った瓊瓊杵尊は九州の高千穂に天降ってこられて、そこから三代にわたって九州におられます。日向三代といわれます。瓊瓊杵尊、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、別名山幸彦、そして鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の三代です。

瓊瓊杵尊からすると曾孫にあたる方に神倭伊波礼毘古命という方が出現なさいます。この方が、これまで先祖は九州を一生懸命開発なさいましたが、もともと御祖先である天照大御神に命じられたことは、日本国をしっかり治めよということだったので、九州の端にいたのでは、日本国を治めるに相応しくない、中心に移動しよう、と考えられました。そこで大和まで進出されます。これが第一代の神武天皇です。
つづく 



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