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南京虐殺の絵
これを聞いた正しい歴史を知る日本国民は「よく言った!」と思ったことでしょう。
しかし、それもつかの間、藤村官房長官は記者会見で「南京での日本軍の非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない」と言ったのです。しかもその根拠として村山談話の政府認識を踏襲したのですからいつもの通りであります。
と言い切る政治家はいない。そういう意味でも日本の政治家というのは情けない限りであります。心ある国民はこういうところをみているのだ。
そういう意味でも河村市長の南京市の共産党幹部に面と向かって言ったことは評価できるものであります。
たとえ政府見解がそうであっても、もはや南京虐殺などあったという日本人の方が少ないはずです。
いまだに信じているとしたら左翼団体、日教組のような偏った人たちくらいでありましょう。
いや、彼らも“ない”ことはわかっていて嫌がらせや日本をおとしめるためにやっているのでありましょう。
南京虐殺など冷静になってみてみればあり得ない話ばかりであります。
南京虐殺があったという証言の多くが東京裁判にあります。
マイナー・ベイツ南京大学教授は強姦している日本兵の現場を見たと言い、その中には大学教授の夫人もいたという。その日本兵は5回にわたって強姦したそうで、それを見ていた教授は5回目でやっとその兵を女から引き離したというのであります。しかしいくら男女の相思相愛であっても、立て続けに5回は並ではない。しかも5回までしっかり観察していたこの教授も並ではない。
この教授は一人の婦人が代わる代わる17人の日本兵に強姦されたとも証言し、9歳の子供や76歳の老婆まで犯されたそうであります。20歳そこそこの日本兵が支那の枯れ果てた婆さんを襲うとはこれまた並ではない。誰が聞いても嘘が過ぎるのであります。
ジョン・マギーというアメリカ人の宣教師は東京裁判の検察訊問で、女を脅迫していた日本兵がマギーの姿を見て銃剣を捨てて逃げたと証言しました。
これなどは帝国軍人からすると一笑に付すような話であります。
支那兵であれば逃げるのに邪魔になれば銃を平気で捨てて行くのですが、日本兵にとって銃は天皇陛下からの貴重な預かり物であるので捨てて逃げることは絶対にあり得ないことであります。
東京裁判には南京での膨大な証言が記録されていますが立証は何一つされていないのです。
写真を撮ったと証言してもその写真一枚すら提出されないのです。
揚子江に流れ着いた遺体は明らかに軍服でありました。これは支那の公刊戦誌に多数の溺死者が出たと報告されており、溺死では虐殺の根拠にならないのです。
南京の街路には軍服が一面に脱ぎ捨てられて、支那逃亡兵が武器を持って庶民の中に紛れ込んだのは明白でありました(便衣兵)。そういう状況で日本兵が女を追いかけてズボンを脱いだというが、そんな日本兵がいるわけがない。万一いたとしたら便衣兵にすぐに射殺されていたでありましょう。
日本軍は南京占領後におこなったのは日本と支那の戦没者の慰霊祭でありました。
「敵にはあれどわが武士道」と言って支那の無名戦士の墓を作って慰霊したのです。
その後、南京市の復興工事を進めたので支那の避難民たちは安心して南京市内に帰ってきました。
日本兵は感謝されても悪く言われる筋合いはないのです。
村山よ、河野よ、藤村よ、日本政府よ、謝罪するなら我が英霊たちに謝罪せよ。
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