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神武天皇は、「大人(ひじり)の制(のり)を立」てられ、「民に利(くぼさ)」あらしめることこそ「聖の造(わざ)」遂行の理想とせられ、「鉾刃(つわもの)の威を仮らず、坐(い)ながら天下(あめのした)を平(こと)むけむ」と仰せられました。
「つわものの威をからず」刃に血ぬらずして、ただ「乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え」ようとせられる歴代天皇の根本姿勢、つまり「仁慈・仁政」のご理想は、天皇の御威徳とも申すべきものです。
その御威徳は、兵馬の権を借らずして、むしろ逆に、藤原、平氏の専横政治も、源氏の武断も織田の天下統一も、天皇を奉ずること、京に上って天皇を戴くことが第一で、あの南朝の哀史の中ですら、足利はなお北朝を擁しなければなリませんでした。
神功皇后が三韓征伐をされた時は、仲哀天皇が崩御されたばかりの時であり、皇后は妊娠中でしたから、記紀には、こちらから出向いて征伐に向かったかに勇ましく書かれていますが、本当は新羅が攻めてきて、非常な国難だったと思われます。皇后は天皇の崩御を隠し、男装されて、船隊を組んで新羅を迎え撃たれます。その時に、皇后がくだされた軍令は、 「固く軍令を守って一糸乱れないようにせよ。財をむさぼり、私欲をほしいままにしてはならない。少数といえども侮らず強敵といえどもおそれてはならぬ。暴逆のものは赦さず、降伏する者を殺さないようにせよ」(日本書紀)
でした。『古事記』によっても、降服した新羅王は縛を解かれ、殺されてはいません。新羅王が感謝のしるしに献上した七枝刀(ななさやのたち)は、やまと天理市の石上神社に保存されています。
仁徳天皇が、三年間租税を免じ給い、
「それ天の君を立つるは、之百姓の為なり、・・・則ち君は、百姓をもって本となす。・・・・・・今百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり。未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり」
と仰せられたのは、君民一体の仁政の典型であります。
また光明皇后は施浴院を作られ、みずから千人の貧しい人の垢をを流す願を立てられ、その千人目にらい病患者があらわれ、その濃血を光明皇后みずから口をつけて吸ってくださったならば治るに違いないからとお願いしたところ、皇后はみずから口をつけて濃血を吸い取られた。するとたちまち、そのらい病患者は、東方阿閦如来に変身したという伝説もあるほどで、慈悲深い方だったのでしょう。 幕末の孝明天皇も、仁徳帝の故事を偲んで、
国安く 民のかまどの 賑わいを 見も聞きたきぞ わが思なる
と詠まれました。
こうした仁慈の伝統は、歴代天皇の伝統ですが、それはまた日本人の考え方、物の見方からくるものでもあります。
聖書のエホバ神は、復讐の神妬みの神として一面があり、また古代ギリシャ伝説には殲滅戦争のような惨酷さもありますが、日本の神々にはそうした面がなく、「和やかな心情」「しめやかな情愛」を特性とする神々であり、これは日本民族が、神々と人の関係を支配被支配の関係として見ず、同じように天皇と国民をやはり支配被支配として見なかった心の反映です。神々は自分達の遠い祖先であり、天皇は国民の親、日本人はみな一族であり、皇室は国民から見れば本家のような存在でした。 こうした日本人の心情は、西洋の対立のものの見方と違って、共感、一体感のものの見方です。それはまた自然と人間との共感、一体感ともなって、日本文化の特徴となっているのです。
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2012年01月19日
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かつて日本は美しかったからの転載です。
明治天皇は、 国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき事な忘れそ と詠まれました。至誠の心は敵味方をとわず及ぼされ、日本全体が武士道で貫かれていました。 日露戦争は日本の心を世界に知らしめた世界が称賛した武士道精神。
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/24/s_2.jpg 明治37年(1904年)〜明治38年(1905年)の日露戦争は小さな黄色人種が大きな白人をやっつけたことにより、有色人種に希望と勇気をもたらしました。それと同時に日本の心も世界に知らしめたといえます。 |
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ベトナム戦争時に「タイハンメンホ(大韓猛虎)」などの名でとても怖れられた部隊があります。
韓国陸軍の通称猛虎師団と追加派遣の通称白馬師団です。
なぜ怖れられたかが問題なのです。
行くところ行くところの村々でレイプ、虐殺、強奪の限りを尽くしました。
ベトコンには軍服などないので、村で誰がベトコンなのか見分けるのは至難の業で、米軍でも尋問に苦労したところです。
韓国軍はただ村の男達を適当に集めては殺し、「ベトコン○○名を射殺」と米軍に報告されてこれが世界に報道されていました。しかしこの処理作業を終えるや兵隊たちの本当の目的であるレイプが堂々と行われたのです。
家庭の蓄えは「敵の戦略物資」として強奪し、家に火を放ちました。
残虐行為の詳細も調べましたが、女性の方も含めいろんな方に読ませるにはあまりにむごいので控えます。
自分は大丈夫だという方は1例として「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」を検索してみてください。
その村ではたまたま虐殺の直後に米軍が入ったので、韓国軍のあなりに酷い、そして卑劣な態度が記録されています。 被害者の数はとても難しいですが、wikipediaによれば、30万人(少なくとも9000人)が虐殺され、レイプ被害の数は全く不明です。多くはレイプの後に殺されました。
ただ、混血児(ライタイハンと呼ばれる)の出生が朝日新聞で2千人、釜山日報で3万人あり、ベトナム人にとっても韓国人との混血は言い憚れるので、本当はさらに多いとの見方もあります。
ソンミ村事件のように、残虐行為は米軍にもありました。
ただ大きく異なる点は、アメリカには自浄能力があり、韓国にはないのです。
「武勲」をたてて韓国に凱旋して英雄として社会に、そして家庭に迎えらたことでしょう。
いまこの下手人たちのうち、士官だった者は陸軍の上層部にいる筈です。
韓国はベトナムに対して補償どころか、謝罪もしていません。
ベトナムがなぜもっと主張しないかは分りませんが、韓国人とは違うということだと思います。
このことをご存知の方も、そうでない方もおられるでしょう。
そうでない方のために、この記事を書きました。
幸いにも今はネットの社会ですので、
さらに伝え継いでいってほしいです。
後世にまでしっかりとです。
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