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昭和天皇の御製で、一番忘れてならないのは終戦直後の四首連作の御製でありましょう。これについての、夜久正雄氏の文章を引用したいと思います。
 
 
爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
外国(とつくに)と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただいのるなり
 
右(上)の四首の歌は、終戦当時の御製で、昭和四十九年の末に亡くなられた木下道雄先生の『宮中見聞録』にかかげられている。
木下道雄先生は今上天皇(昭和天皇)の侍従として側近にお仕えした方で、宮中の見聞を通して天皇様のお心をお伝えする素晴らしい文章を残しておられる。

その第一が「鹿児島湾上の聖なる夜景」と言う文章であり、第二が「荒天下の分列式」である。ともに陛下の「無私」のお人柄を伝える世間周知の名文である。第三に――価値の上の順位をいふのではなく、時間的の先後から言って、――第三に、私は前記四首の終戦当時の御製を書き残してくださったことを、木下先生の文章のおかげとしてたたえたい。

前記の四首の御製のうち最後のお歌は、ほとんど同じ歌が「折にふれて」と題する次のお歌として当時の新聞に発表された。
折にふれて
海の外の陸に小島にのこる民の上安かれとただいのるなり

しかし、「爆撃に」にはじまる三首の御歌は、木下先生の『宮中見聞録』以外に見ることができないのである。(中略)

木下先生がいつこの御製のあることを公表されたのか、正確には知らないが、私がこの御製をうかがったのは、『今上天皇御製集』の謹編者の青山新太郎氏からであった。昭和38,9年ではなかったかと思う。青山さんが木下先生からうかがったと言ってこの御製を伝えてくださった時の感動を私は忘れることができない。

青山さんが昭和四十年に刊行された『今上天皇御製集』は、当時までに発表された御製を網羅したものであるが、同時に、前記「爆撃に」「身はいかに」の二首の御製を「終戦後の御製」としてかかげている。その時は「国がらを」の御製は発表されなかった。青山さんが木下先生からうかがったのが、前記二首だけであったからであろう。
そして昭和四十三年一月一日の『宮中見聞録』の発行となったのである。
木下先生はこう書いておられる。
「昭和二十年八月十五日、終戦のときにも私は会計審査居にいたから、当時の陛下の御様子を語る資格はないが、当時お詠みになったお歌を後で拝見させていただいたので、四首ここに載せさせていただく」
そして、前記の御製をかかげられ、その後に、
「鳥にたとえては甚だ恐縮であるが、猛鳥の襲撃に対し雛をまもる親鳥の決死の姿を、涙して想うだけである」
と記しておられる。この木下先生のお言葉には千鈞の重みがある。そしてこれが、前記四首の御製の出典なのである。(中略)

木下先生がこの御製を公表されたのは、重大な決心をされてのことであったろう、と、私は今になって思う。終戦当時の天皇様のお心もちをこれほどよく伝えるものはないからである。この御製は、今上天皇のお歌の中でもっとも重要なお歌であるし、日本歴史の中に記念すべき重大なお歌であると私は信じている。

明治三十七、八年の日露戦争の当時、明治天皇様のお心もちを全国民に知らせようとして、当時の御歌所長 高崎正風が、明治天皇様のお許しを得ないで、お歌を発表し、ために国民の士気大いにあがったという話は有名な話であるが、その時、もしおとがめがあったら切腹してお詫び申し上げる覚悟であったと高崎正風は語ったという。

私は、木下道雄先生もこのようなお心からこの御製を発表なさったのではないかと思う。木下先生にお会いしてこの御製の出典について私がうかがった時、先生は『宮中見聞録』に書いたとおりです。と言う意味のことを述べられてそのほかには一言もつけ加えることをされなかった。先生の覚悟と確信とがその無言の中に感得された。

さて、御製の謹解であるが、最初の二首――「爆撃に」のお歌と「身はいかに」のお歌と――は、連作の形で内容は二首相応ずる繰り返しである。

第一首目のお歌は「爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり」まで、一気に、しかし「爆撃に」(五音)「たおれゆく民の」(八音)「上をおもひ」(六音)いくさとめけり(七音)という字余りを含んで、強くありのままに詠みくだして、最後の句に「身はいかならむとも」(九音)という、これも字余りで、しっかりと重くとめておられる。作者は五七五七七という音調をととのえることをせずに、心におもうことを、堰を切った水の奔流するように、率直に詠んでおられるのである。短歌の定形をはみ出したその音調が、かえって作者のまごころの叫びとなっているので、一読一誦、忘れ難い感銘を与えられるのである。

爆撃にたおれゆく民」に作者の心はとらえられていて、己れ自身をかえりみる余裕はない。国民の破滅を救おうとして終戦の決心をなさった時、その御決心はおのづから捨身のものであった。そういうお心の展開がうたわれたのである。
次のお歌は、これを逆に「身はいかになるともいくさとどめけり」と、己れを捨てて終戦の決断をくだされたお心を一気に述べられ、「ただたふれゆく民をおもひて」と深い同情のお心を後にのべられたのである。
第一首の最後の句の「身はいかにならむとも」という字余りの句の重い調子と、第二首の最初の句の「身はいかになるとも」という2・3・4音の調子とが、対照的で、作者の心の動きが、第一首の最後の句から転じて元へもどるというふうである。そしてその心は変わらない。くりかえしくりかえし思いを凝らしてなお変わらない、不動の御信念が音調となって詠まれているのである。

そして、そのお心を天皇様がつらぬかれたこと、それこそが三首目の歌に詠まれた「国がら」であると拝される。「国がらをただまもらむ」ということは天皇様が身はいかならむともと決心して国民をお守りくださるということにほかならない。天皇様はそう述べられたのである。天皇様は「国がら」を守りぬかれたのである。この天皇様のお心に感応して、天皇様のお心にしたがうことが、国民の側からの「国がら」である。天皇様が国民のうえを思いくださるお心を仰いで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらはあるのである。だから、この心が大切なのであって、この心をまもりそだて、たやさぬようにつとめるのが、御製の研究であり、拝誦である。


 



最近PCの調子が悪くフリーズすることが多いので、更新がかなり滞ることが多くなりますがご容赦ください。家族のPCが使える時に、なるべく更新したいと思っています。

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