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名もなき英雄たち
東日本大震災。
日が経つにつれ、のど元過ぎれば忘れっぽい日本人に、もう一度記憶に残してほしい話があります。
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宮城県石巻市で、氷のように冷たい水に胸までつかりながら、
6、7人のお年寄りを救った15歳の少年がいました。菊池透也君、中学三年生です。
東日本大震災当日、透也君は母の由理さんと自宅近くを車で移動中でした。
透也君は当時の様子を、
「振り向いたら車がおもちゃのように流されていて、信じられなかった」と語った。
高台に避難した後、そこから見えた車の中に人影を見つけた。
車の上にさらに車が積み重なり、危険な状態だった。
由理さんに「大人に任せなさい」と制止されたが、覚悟は決まっていた。
「自分がやらなかったら、死んでしまう」
透也君は母の反対を押し切って助けに行くことを決めた。
ジャンパーにスエットという軽装のままだった。
3月のとても冷たい水に胸までつかりながら車のドアを押し開け、ふるえている高齢の女性を助けた。
その後も車の中で助けを呼ぶ人々を次々助け続けた。
中にはかなり重たいドアもあったという。
透也君は「なかなか開かないドアもあったが、その時は強い力が出ました」と言う。
日が暮れてからは、誰かの持っていた懐中電灯の明かりだけが頼りだった。 高齢者を6〜7人助け終えたとき、寒さでふるえている自分に気付いた。
透也君の家族は幸いにも皆無事でしたが、自宅は土台を残して全て流され跡形もなくなっていた。
2軒隣に住んでいて「何でも話し合えた」という幼なじみの同級生の女の子は、
自宅から1キロ以上離れた場所で遺体で見つかった。
「あいさつをすれば言葉が返ってくる温かい町が、震災を境に寂しくて悲惨な場所になってしまった」
透也君の誕生日は1月17日。あの阪神淡路大震災があった同じ日の翌年に生まれたのです。
「阪神大震災も復興したんですよね。この街も僕ら若者が立て直します」
透也君は避難所で炊き出しなどに走り回るボランティアを見て、
将来は困っている人を助けられる人間になりたいという。
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台湾の高雄市の義守大学では、日本語学科の学生が毎年発行している短歌・俳句の雑誌で被災者を励ます特集が組まれました。
『台湾人と日本精神』という著書で有名な蔡焜燦(サイコンサン)さん。
この著書では、「日本人よ目覚めよ、そして自分の国を愛しなさい」と、元日本人として今の日本人に激励のメッセージを書いてくれました。
「かつて半世紀もの間、歴史を共有してきた台湾で、今だ『日本精神』が勤勉で正直、そして約束を守るというもろもろのよいことを表現する言葉として使われている。
それは、日本の先人たちがその叡智をふりしぼって前近代的社会であった台湾を近代化させ、愛をもって民衆の教育に努めた成果なのである。これは歴史の“真実”であり、戦後日本の進歩的文化人が振りかざすような希望的推測やフィクションとはわけが違う。台湾では我々日本語族の世代が、こうした日本統治時代の輝かしい歴史の側面を孫・子の代にしっかりと語り継いでいる。
・・・台湾人が最も尊ぶ日本統治時代の遺産はダムや鉄道などの物質的なものではなく、『公』を顧みる道徳教育など精神的遺産なのである。こうした遺産は、台湾の発展の基盤となり、またこれからも語り継がれていくことだろう。・・・ただ、日本が立派な国としてあり続けてほしいからこそ、時に苦言を呈することもある。
また、国際社会における日本のおどおどした姿勢に苛立ちを覚え、息子を叱りつける思いで『なにやってるんだ!』と思わず怒りを口にすることもある。そして、現代に日本人の精神的荒廃を嘆くあまり、頭に血がのぼってしまうこともしばしばである。・・・・かつての日本人は立派だった」
と、心からのお叱りを読み、私は日本人として恥ずかしい気持ちでありました。
しかし、その蔡焜燦さんまでもが今回の大震災で短歌を寄稿してくれたのです。
「国難の地震と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます 」
「被災者の気高き姿に人ら言う『日本精神』健在なりと」
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