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かつて日本は美しかったからの転載です。

明治天皇は、

国のため あだなす仇は くだくとも  いつくしむべき事な忘れそ

と詠まれました。至誠の心は敵味方をとわず及ぼされ、日本全体が武士道で貫かれていました。



日露戦争は日本の心を世界に知らしめた

世界が称賛した武士道精神。

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 明治37年(1904年)〜明治38年(1905年)の日露戦争は小さな黄色人種が大きな白人をやっつけたことにより、有色人種に希望と勇気をもたらしました。それと同時に日本の心も世界に知らしめたといえます。

旅順攻防戦終結後の明治38年1月5日、水師営で行われた乃木希典とステッセルの会見は、日本の武士道精神の精髄を世界に知らしめ、日本の精神文化に世界が驚倒した事件でした。勝者と敗者の会見でしたが、
「武人の名誉を保たしむべし」という明治天皇の希望によって敗軍の将・ステッセルに帯剣が許されたのです。また、外国の記者から写真撮影の申し出がありましたが、「後世まで恥を残すような写真を撮らせることは、日本の武士道精神が許さない」として断り、「会見が終わり、友人として同列に並んだところならよい」として両軍の幕僚が並ぶ写真だけが撮影されました。
旅順戦には観戦武官といって外国の武官も数多く参加していましたが、乃木将軍と接するとことごとくその魅力の虜になったといいます。イギリスのハミルトン将軍などは退役後、エジンバラ大学の総長になってからも
「自分がもしも日本人だったならば、乃木将軍を神として仰ぐだろう」と学生たちに語り続けたといいます。
ダグラス・マッカーサーも父のとともに観戦武官として乃木将軍とともに過ごしており、大東亜戦争の日本空襲で乃木神社は爆撃対象からはずさせたといいます。

米海軍のニミッツ提督は東郷平八郎を敬愛し、大東亜戦争後、戦艦三笠の復元を訴えました。沖縄戦のときに慶良間諸島の日本軍に医薬品を届けたというエピソードもあります。

日露戦争後のロシア革命においてシベリアにポーランド人の孤児が取り残される事態がおきます。ポーランド系移民協会は欧米諸国に保護を求めますが反応は冷淡でした。このとき委員のひとりがこう述べます。


「私の叔父は10年前の日露戦争に召集されて日本軍の捕虜になり、日本に連れて行かれた。でも叔父は数ヶ月の捕虜生活の間、周囲の見知らぬ日本人にとても親切にされたことをよく私に話して聞かせてくれた。」


日露戦争時、ポーランドはロシアの属領となっており、ポーランド人は満州の前線に出されていました。日本は捕虜をとても大事に扱いましたから、そのことが伝わっていたのです。そして白人の国ではない見知らぬ日本に援助を求めることになりました。これが日本とポーランドを結ぶ友好の第一歩となりました。

イスラエル建国の志士とあがめられているトランペルドールはユダヤ人地位向上のためロシア軍に志願し、日露戦争を戦います。旅順守備軍にいました。しかし、明治38年(1905年)1月1日に日本軍に降伏したため、大連から日本の大阪浜寺へ移送され捕虜生活を送ります。ここで彼は日本を学び、日本人の規律の正しさ、勤勉さ、私欲をすてて公のために協力し合うとか、愛国心などを知り、日本人の精神に心酔します。
トランペルドールは後にイスラエルに戻り、ユダヤ人自衛組織をつくり、ユダヤ人集落をアラブ人の襲撃から守ります。しかし、大正9年(1920年)10月29日にアラブ人の武装集団の弾にあたり致命傷になります。彼はこう述べて息をひきとりました。


「アイン・ダバル!トフ・ラムット・ビアード・アルゼヌ」(俺にかまうな。国のために死ぬほど名誉はない)

これは捕虜時代に大阪の浜寺で日本兵士に教えられた言葉でした。彼の遺品は記念館に展示されており「新生ユダヤ国家は、日本的な国家となるべきである」と手記が残されています。



参考文献
オークラ出版「世界に愛された日本」
『世界に愛された乃木将軍』福井雄三
『ニミッツ提督と東郷元帥』皆本義博
竹書房「世界が愛した日本」四条たか子(著)
徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
徳間書店「東郷平八郎と乃木希典」

添付画像
水師営での会見に際し、乃木、ステッセル両将軍が幕僚たちと撮った写真 〜 国立公文書図書館より

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ベトナム戦争時に「タイハンメンホ(大韓猛虎)」などの名でとても怖れられた部隊があります。
韓国陸軍の通称猛虎師団と追加派遣の通称白馬師団です。
なぜ怖れられたかが問題なのです。
 
行くところ行くところの村々でレイプ、虐殺、強奪の限りを尽くしました。
ベトコンには軍服などないので、村で誰がベトコンなのか見分けるのは至難の業で、米軍でも尋問に苦労したところです。
韓国軍はただ村の男達を適当に集めては殺し、「ベトコン○○名を射殺」と米軍に報告されてこれが世界に報道されていました。しかしこの処理作業を終えるや兵隊たちの本当の目的であるレイプが堂々と行われたのです。
家庭の蓄えは「敵の戦略物資」として強奪し、家に火を放ちました。
残虐行為の詳細も調べましたが、女性の方も含めいろんな方に読ませるにはあまりにむごいので控えます。
自分は大丈夫だという方は1例として「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」を検索してみてください。
その村ではたまたま虐殺の直後に米軍が入ったので、韓国軍のあなりに酷い、そして卑劣な態度が記録されています。
 
被害者の数はとても難しいですが、wikipediaによれば、30万人(少なくとも9000人)が虐殺され、レイプ被害の数は全く不明です。多くはレイプの後に殺されました。
ただ、混血児(ライタイハンと呼ばれる)の出生が朝日新聞で2千人、釜山日報で3万人あり、ベトナム人にとっても韓国人との混血は言い憚れるので、本当はさらに多いとの見方もあります。
 
ソンミ村事件のように、残虐行為は米軍にもありました。
ただ大きく異なる点は、アメリカには自浄能力があり、韓国にはないのです。
「武勲」をたてて韓国に凱旋して英雄として社会に、そして家庭に迎えらたことでしょう。
いまこの下手人たちのうち、士官だった者は陸軍の上層部にいる筈です。
韓国はベトナムに対して補償どころか、謝罪もしていません。
ベトナムがなぜもっと主張しないかは分りませんが、韓国人とは違うということだと思います。
 
このことをご存知の方も、そうでない方もおられるでしょう。
そうでない方のために、この記事を書きました。
幸いにも今はネットの社会ですので、
さらに伝え継いでいってほしいです。
後世にまでしっかりとです。

転載元転載元: くにしおもほゆ


 
\¤\᡼\¸ 1

 
 
  
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。 
  
「自虐的政府見解」の成立過程 
 
\¤\᡼\¸ 2
高知大学名誉教授 福地惇 
 
政府が侵略戦争を認めた代表例は、戦後50周年の日、1995(平成7)年515日の「村山談話」だと思われているが、実はその根は深い。 
\¤\᡼\¸ 3中共は日本の左翼と共謀して「対日解放謀略」を積み重ねていて、1972年の「日中共同声明」(田中角栄首相担当)で「政府見解」への芽は公式に噴き出し、10年後の教科書誤報事件で事態は深刻化して国家の教育権にまで手をいれられた。 
その後も「戦後政治の総決算」を謳い文句にして登場した中曽根康弘首相は社共両党から執拗に攻められて、昭和の戦争は「侵略戦争」だったと衆議院予算委員会の場で答弁させられた。198510月のことだ。「村山談話」はその10年後なのだ。
中曽根内閣から「自社さ連立内閣」までの10年間は、反日左翼主導による「自虐的政府見解」の強化課程であり、「民主連合政府」への前進過程だったのである。
 
\¤\᡼\¸ 4「日中共同声明」の次に続く日中間の重要な政治合意は、福田赳夫内閣の時の「日中平和友好条約」(197810月発効)である。
「(第2条)いずれもアジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権は求めるべきではなく、またこのような覇権を確立しようとする他のいかなる国または国の集団による試みにも反対する」、
「(第3条) 善隣友好の精神に基づき、かつ平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流促 進」を銘記した。だが、その後のシナ共産党政権は着々と「覇権」を追求し、軍事力を増強し、日本に対する「内政不干渉」や領海・領土の侵犯行為を常態化し てきたのである。
 
\¤\᡼\¸ 519958月には「村山談話」が出たが、それを受ける形で1998(平成10)年11月、来日した江沢民国家主席と小渕恵三首相が、「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」を公表した。
「双方は過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は1972年に日中共同声明及び1995815日 の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国 側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。双方はこの基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる」とは注視すべき文章で ある。
「歴史カード」を切って、シナ共産党政権は「日本解体」の内堀、外堀をほぼ埋めることに成功したということである。その後の歴代首相の日本国家の尊厳と独立主権を軽視して恥じない発言の集積は、目も当てられない体たらくだ。
 
簡単に列挙しておこう。
199810月、小渕首相は、来日した韓国大統領金大中に植民地支配の痛切な反省とお詫びを表明して、ご丁寧にも「日韓共同声明」に書き込んだ。先に示した「日中共同宣言」はその1ヶ月後のものだ。
\¤\᡼\¸ 62001(平成13)年6月、組閣後初の訪米でブッシュ大統領と会談した小泉純一郎首相は、「アメリカは日本の解放軍」だったと謝意を表したという。20022月、APEC会議出席の途次、東京に寄ったブッシュが靖国神社参拝を申し出たのに対して小泉首相・外務省は拒否した。
20054月、アジア・アフリカ会議50周 年のバンドン会議で、小泉首相は世界に向けて村山謝罪談話を継承すると宣言した。郵政民営化で小泉の人気は高かったが、これもマスコミの工作が功を奏して いたのだ。郵政民営化は日本国民のためのものというよりも、旧敵国の金融勢力を肥やすためのものであることは、知る人ぞ知る事実であろう。
 
\¤\᡼\¸ 72009(平成21)年4月、民主党幹事長の鳩山由紀夫(後の首相)は「日本列島は日本人だけの所有物ではない」とテレビ討論会で発言して、さすがに物議を醸した。
しかし、国政政治家としては絶対失格の発言をした幹事長を頂く民主党が衆議院議員総選挙で自民党に圧勝し圧倒的第一党になって政権を掌握した。当時のマスコミは政権交代、政権交代の大合唱で、新しくなれば日本はよくなるとの改革・革新・進歩教そのものだった。政治家や彼らを支える日本人民衆の頭の程度はまさにここまで劣化した証拠というべきだろう
\¤\᡼\¸ 8そして極めつけは、20104月、大訪中使節団を率いて北京入りした民主党幹事長小沢一郎は、胡錦濤主席に「こちらのお国に例えれば、解散の戦いはまだ済んでいない。来年7月に最終の決戦がある。人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っている」と媚びへつらった。
私は日本解放運動の前線指揮者を務めていると言ったようなもので、シナの大官は腹の底で大笑いしたことだろう。
このような最高指導者たちが、日本国家運営の衝に立ち続ける。 北方四島、竹島、尖閣諸島など我が国固有の領土が侵略、占領の危機に瀕しているにも拘らず、日本人民衆は催眠術にかかったように何の反応も見せなかった。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
  
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央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47(1972)年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書と言われる、中国共産党 「日本解放第二期工作要綱」なる文書が、一部で話題になったことがあります。これには、かなり細かく色々な計画がぎっしりと説明してあり、これについて中国は一切コメントしていません。もしこれが嘘ならば、日本に対して何らかの批判を行うはずであるのに沈黙していることは、これがほんものであろうと言われています。

その中の解放工作の任務という所では、

日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
  イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
ロ.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
ハ.日本人民民主共和国の樹立・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)

 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第ロ項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。 

とあります。工作主点の行動要領という所では、

第1.群衆掌握の心理戦
第2.マスコミ工作
第3.政党工作
第4.極右極左団体工作
第5.在日華僑工作
第1.群衆掌握の心理戦
 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。

これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。


この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ

 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。

第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」 というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れな くても構わない。


などと書いてあります。まあ、この他にもいろいろ工作の方法が詳しく書かれているのですが、当時の中国関係のイベントや様々な事象が、この文書に出てくる工作に非常に当て嵌まっていることに驚きます。
また次のような部分もあります。

第2.マスコミ工作

 大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作っ た。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。

偉大なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」と教えている。

田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への 道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。


こうした中国による工作は、ずっと日本へ仕掛けられてきたと考えられます。戦後あまりにも日本はこういう外国からの間接侵略というものに無防備だったのではないでしょうか。もちろん直接侵略にも、無防備だったのですが、これはまだしも日米安保がありました。そして今や、この間接侵略は、日本解放の三段階と言われるうちのロ.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)まで達しているという段階ではないかと考えられるのではないでしょうか。








誇りを取り戻す


ハワイ王朝の悲劇は聞いたことがあり、アメリカという国が陰謀の国であるという一面をはっきり見せている気がしました。アメリカによってハワイ王朝は滅亡し、本来は王位継承者であったカイウラニ王女はその後、白人に弄ばれるような悲劇の生涯をおくられ、当時の白人の人を人と思わない、有色人種を侮蔑したやり方には憤りを感じました。

日本はまだ国力がなく、ハワイ王朝を助けることはできませんでしたが、なんとか出来る限りのことをしようという正義の気持ちは強く、アメリカの武力によるハワイ併合に、東郷大将の艦隊を差し向けました。

さくらの花びらさんの記事では、このときの感激をハワイの人は忘れず、人々の間で、日本の軍艦が味方してくれたという話が語り継がれ、子供に「トーゴー」と名づけたり、ある地域では「ナニワ(浪速)」が「ありがとう」の意味で使われたりしたそうです。

強くて正義感ある国、日本、これは昔の話です。

マレーシア元上院議員 ラジャー・ダト・ノンチック氏も言っています。

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切で心豊かだった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように
一生懸命つくしてくれた

中略

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を 知っている 私達には
今はいつも 歯がゆくて 悔しい思いがする





誇りを取り戻す


\¤\᡼\¸ 5
18813月のことです。 
ハワイ王国のカラカワ王は世界一周旅行の途上で日本の横浜港に到着しました。
日本の海軍軍楽隊はハワイの国歌「ハワイの国民」を演奏して出迎えたのです。王は思いがけない日本側のもてなしと、異国の地で自身が作詞した国歌を聴かされた事に感じ入って、涙を流した。

カラカワ王は日本人通訳を連れて密かに明治天皇との会見を願い出たのです。特別列車で皇居に向かう途中、港も鉄道も白人ではなく日本人が運用されているのを見て感激しました。これはハワイでは白人がいたるところで独占していたからでした。

カラカワ王はこのような心づくしと独立した誇りある日本を見て、日本と同盟を結んで白人支配から独立しようと思ったのでした。

明治天皇と会見したカラカワ王は、日本の伝統文化と近年の国家的隆盛を賞賛した後、ハワイ王国の内憂外患の窮状を述べ、日本に対してハワイの人口減少を日本人移民の実現したいこと、王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との婚約を申し入れました。 
明治天皇もこの申し出には驚かれ、即答せずに後日返答する旨を伝えました。

我が国としては明治維新後まもなく、米国と対抗する力のないため、明治天皇はカラカワ王に特使を派遣して婚姻の議は「日本の皇室にはそのような前例がないこと」「米国の勢力圏に立ち入るのを好ましくないと判断」したことを理由に辞退されたのでした。

しかし、移民については1885年に実現しました。ホノルルに到着した日本移民のために歓迎会が催され、カラカワ王自身も参加し、日本酒を振る舞い、ハワイ音楽やフラダンス、相撲大会でもてなしたのです。 

しかし、ハワイの米国人たちはカラカワ王の動きを 封じるために新憲法を起草し、白人武装集団の圧力のもと承認の署名を行うようカラカワ王に突き付けました。この中には王の政治的行為は全て議会の承認を必 要とし、多くのハワイやアジア人を選挙から排除するものでした。銃剣でカラカワ王に署名させたこの憲法は「銃剣憲法」と呼ばれました。 

1891
年、カラカワ王が病死すると、実妹のリリウオカラニ女王が即位しました。 
女王は選挙権を貧しい島民にも与える憲法改正を発表し、イオラニ宮殿前では数千人のハワイ人が集まって女王支持のデモを行いました。

しかし、白人側はこれを機に一気に王制打倒に動き出しました。 
米国公使スティーブンスは「血に飢えた、そして淫乱な女王が恐怖の専制王権を復活させようとしている」というデマで訴え、「米国人市民の生命と財産を守るために」と言ってホノルル港に停泊中の米軍艦「ボストン」の海兵隊を上陸させて女王を退位させたのです。

ここにハワイ王国は消滅し、ハワイ共和国が樹立され、頃あいを見て米国は併合しようとしました。 
しかし、ここで思わぬことが起きました。 
  
\¤\᡼\¸ 1アジアの小国と思っていた日本が軍艦を差し向けてきたのです。巡洋艦「浪速」、コルベット級「金剛」がホノルル港に入り、ハワイ王国乗っ取りの戦艦「ボストン」をはさむように投錨しました。

「浪 速」の艦長は東郷平八郎です。後に日本海海戦を指揮して世界に勇名を馳せた名提督であります。東郷平八郎は、「武力でハワイ王制を倒す暴挙が進行してい る。我々は危険にさらされた無辜の市民の安全と保護に当たる」と宣言しました。この市民の中には米国市民も入っていました。

「浪速」は3ヶ月ハワイに留まった後、いったん帰国、一年後に再び姿を現しました。ハワイ共和国大統領から「建国一周年」を祝う礼砲を要請してきましたが、東郷艦長は「その理由を認めず」と拒絶しました。するとホノルル軍港の各国軍艦も東郷にならいました。世界の新聞は「ハワイ王朝の喪に服するような静寂の一日に終わった」と伝えました。

ハワイ人の間では日本の軍艦が味方してくれたという話が語り継がれ、子供に「トーゴー」と名づけたり、ある地域では「ナニワ(浪速)」が「ありがとう」の意味で使われたりしたという。・・・
   
   
\¤\᡼\¸ 2
                                                              浪速
 
 
\¤\᡼\¸ 3
                   金剛                            
  
  
かつて日本という国は強くて正義感ある国でした。 
しかし、現在の日本はどうだろう。

114日、我が領土である北方領土に視察した玄葉外務大臣は自国領土であるのに遠くから眺めるだけで島に近づくこともできず、以前の前原外相の北方領土視察も遠くから見ているだけでした。同じく14日、尖閣諸島付近ではチャイナ漁船監視船が接続水域に入ってきました。尖閣付近では頻繁に起きていますが、我が国は注意をして様子をうかがっているだけであります。

竹島は韓国が我がもの顔で構造物を作り続け、日本政府は韓国や在日に気づかって「不法占拠」とも言えず、それが更なる挑発行為となり、ついには韓国日本大使館前に従軍慰安婦像を置く行為にもつながっているのです。

戦前が全ていいというわけではありません。戦前にも幣原喜重郎のような軟弱外交もありましたが、やはりその時も多くの日本人の犠牲を伴ってきた歴史的事実があります。

国の護りというのは自分たちの「手」と「命」で護らねばなりません。自国の護りを他国に依存する愚行は戦前にはありません。

きっと自衛隊の中にも東郷提督に劣らぬ立派な方はいるであろう。ただ、今の日本はそういう人物が表に出てこられない土壌があることが残念であります。

かつて日本には東郷平八郎のような堂々とした立派な提督がいたことを誇りに思い、今のダメな日本を変えて行こうじゃありませんか。 
 
\¤\᡼\¸ 4 
小野田寛郎元少尉の著書のこの一文をこの記事の最後としたい。 
「私は戦場で三十年、『生きる』意味を真剣に考えた。戦前、人々は『命を惜しむな』と教えられ、死を覚悟して生きた。戦後、日本人は『命を惜しまなければいけない』時代になった。何かを“命懸け”でやることを否定してしまった。覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。だが、死を意識しないことで日本人は『生きる』ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか。・・」
  
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天皇を中心に戴く日本の国柄は、自然発生的なものであり、民族の文化というべきものです。制度などではありません。古来より日本民族と共に続いてきたものであり、時代の変化の中で、政治制度はいろいろ変わりましたが、天皇を中心にした国柄という点では、全く変わることなく続いて来ました。

日本人にとって、天皇は制度ではなく、日本という国が持つ個性としての形であり、国柄であったのです。人間ならば、その人の個性を人柄というふうに言いますが、国の個性は国柄です。国柄は、その国と切っても切れない国の本質というべきものであり、これを失ったら、その国ではないというものなのです。天皇とは、日本にとって、そういうものなのです。だから制度ではなく、天皇の国柄、天皇の国体というべきなのです。

¥¤¥᡼¥¸ 1
  
  
「天皇制」という言葉を使っている人がいます。また、ある意図をもって使っている人もいます。 
しかし、日本人として、この「天皇制」という言葉は使うべきでないでしょう。 
『天皇制という呼称を使うべきではない理由』という谷沢永一氏の著書があります。 
ここから一部抜粋して記事とさせて頂きます。・・・・・ 
 
世には、皇室に反感を抱いている方もある程度は見かけます。 
その方々の信念を尊ぶこと決してやぶさかではありません。
 単に見解の相違として袂を分かつのみに終わります。 
しかし、皇室を敬愛することひとかたならぬ人なのに、事情をご存知ないものだから、胸中に崇信の念を持ちながら、「天皇制」という呼称を無意識で、何の気なしに使っておられる方々が少なくありません。 
 
「天皇制」という言葉はもともと日本にはない言葉であります。 
この言葉をはじめて使ったのは1922年(大正11年)1122日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のような挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆の益々高まりゆく憤激の結果であった」
このソ連のコミンテルンというのは、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織であり、日本に対しては天皇を否定し”制度”にして解体することを目論んでいました。
 
そして、大正12315日の日本共産党の秘密会議で討議された革命運動の行動綱領にはじめて「天皇制」と書き込まれたのであります。
この呼称を共産党は決して外部に漏らしませんでしたが、昭和8年前後の一時期だけ非合法のプロパガンダに用いましたが、さっぱり効果はなかったのです。
共産党員でない日本の一般国民は、昭和201020日の『赤旗』第一号に「我々の目標は天皇制を打倒して」と記されるのを見るまで「天皇制」という言葉があることも知らなかったのです。
我が国は日本神話の天地開闢(てんちかいびゃく)以 来、「天皇制」という不敬な呼び方を使ったことはありませんでした。日本人が言い出したのは昭和の戦後以降であります。使わせようとしたのは共産主義者や 左翼の我が国体破壊を目論んだ連中でありました。それを何も知らない国民は自然と使うようになってしまったのであります。
 
こ れを見てもわかる通り、この「天皇制」という言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標 である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言いきる時に使われた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によっているものでもなく、機構に属しているものでもありません。我が日本の国体そのものであります。ゆえに「天皇制」という呼称は事実に即していない間違いであります。
 しかし、保守の振りをした転向者は、この「天皇制」は使うことは間違いではないと言います。決して惑わされることないように注意したい。
 
我が国の皇統が確立して以来、天皇という尊称は揺るぎなく一貫して続いているのです。
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『続日本紀』、いずれも等しく、天皇(すめらみこと)、または天皇(てんのう)と読み慣わしていました。
北 畠親房は『神皇正統記』の冒頭に、「大日本者神国也。天祖(あまつみおや)・・・・」と記し、皇統一系、皇胤一種である伝統は唐天竺(からてんじく)より も優れた文化を保持している事実を強調しており、天皇を崇敬することは日本人として途絶えぬ本性であったわけであります。
天皇陛下を、そして皇室を「天皇制」などと天皇抹殺を意図した共産党、コミンテルンの悪意に基づく呼び方は二千年を通じてどこにも見当たらないのであります。
 
我が国は天皇陛下と申し上げる以外、他に呼称はあり得ません。
真っ当な日本国民はこの言葉の意味することを理解し、断じて「天皇制」という言葉を用いるべきではありません。
 
 
¥¤¥᡼¥¸ 2
 
 
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