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昭和天皇の御製で、一番忘れてならないのは終戦直後の四首連作の御製でありましょう。これについての、夜久正雄氏の文章を引用したいと思います。
 
 
爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
外国(とつくに)と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただいのるなり
 
右(上)の四首の歌は、終戦当時の御製で、昭和四十九年の末に亡くなられた木下道雄先生の『宮中見聞録』にかかげられている。
木下道雄先生は今上天皇(昭和天皇)の侍従として側近にお仕えした方で、宮中の見聞を通して天皇様のお心をお伝えする素晴らしい文章を残しておられる。

その第一が「鹿児島湾上の聖なる夜景」と言う文章であり、第二が「荒天下の分列式」である。ともに陛下の「無私」のお人柄を伝える世間周知の名文である。第三に――価値の上の順位をいふのではなく、時間的の先後から言って、――第三に、私は前記四首の終戦当時の御製を書き残してくださったことを、木下先生の文章のおかげとしてたたえたい。

前記の四首の御製のうち最後のお歌は、ほとんど同じ歌が「折にふれて」と題する次のお歌として当時の新聞に発表された。
折にふれて
海の外の陸に小島にのこる民の上安かれとただいのるなり

しかし、「爆撃に」にはじまる三首の御歌は、木下先生の『宮中見聞録』以外に見ることができないのである。(中略)

木下先生がいつこの御製のあることを公表されたのか、正確には知らないが、私がこの御製をうかがったのは、『今上天皇御製集』の謹編者の青山新太郎氏からであった。昭和38,9年ではなかったかと思う。青山さんが木下先生からうかがったと言ってこの御製を伝えてくださった時の感動を私は忘れることができない。

青山さんが昭和四十年に刊行された『今上天皇御製集』は、当時までに発表された御製を網羅したものであるが、同時に、前記「爆撃に」「身はいかに」の二首の御製を「終戦後の御製」としてかかげている。その時は「国がらを」の御製は発表されなかった。青山さんが木下先生からうかがったのが、前記二首だけであったからであろう。
そして昭和四十三年一月一日の『宮中見聞録』の発行となったのである。
木下先生はこう書いておられる。
「昭和二十年八月十五日、終戦のときにも私は会計審査居にいたから、当時の陛下の御様子を語る資格はないが、当時お詠みになったお歌を後で拝見させていただいたので、四首ここに載せさせていただく」
そして、前記の御製をかかげられ、その後に、
「鳥にたとえては甚だ恐縮であるが、猛鳥の襲撃に対し雛をまもる親鳥の決死の姿を、涙して想うだけである」
と記しておられる。この木下先生のお言葉には千鈞の重みがある。そしてこれが、前記四首の御製の出典なのである。(中略)

木下先生がこの御製を公表されたのは、重大な決心をされてのことであったろう、と、私は今になって思う。終戦当時の天皇様のお心もちをこれほどよく伝えるものはないからである。この御製は、今上天皇のお歌の中でもっとも重要なお歌であるし、日本歴史の中に記念すべき重大なお歌であると私は信じている。

明治三十七、八年の日露戦争の当時、明治天皇様のお心もちを全国民に知らせようとして、当時の御歌所長 高崎正風が、明治天皇様のお許しを得ないで、お歌を発表し、ために国民の士気大いにあがったという話は有名な話であるが、その時、もしおとがめがあったら切腹してお詫び申し上げる覚悟であったと高崎正風は語ったという。

私は、木下道雄先生もこのようなお心からこの御製を発表なさったのではないかと思う。木下先生にお会いしてこの御製の出典について私がうかがった時、先生は『宮中見聞録』に書いたとおりです。と言う意味のことを述べられてそのほかには一言もつけ加えることをされなかった。先生の覚悟と確信とがその無言の中に感得された。

さて、御製の謹解であるが、最初の二首――「爆撃に」のお歌と「身はいかに」のお歌と――は、連作の形で内容は二首相応ずる繰り返しである。

第一首目のお歌は「爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり」まで、一気に、しかし「爆撃に」(五音)「たおれゆく民の」(八音)「上をおもひ」(六音)いくさとめけり(七音)という字余りを含んで、強くありのままに詠みくだして、最後の句に「身はいかならむとも」(九音)という、これも字余りで、しっかりと重くとめておられる。作者は五七五七七という音調をととのえることをせずに、心におもうことを、堰を切った水の奔流するように、率直に詠んでおられるのである。短歌の定形をはみ出したその音調が、かえって作者のまごころの叫びとなっているので、一読一誦、忘れ難い感銘を与えられるのである。

爆撃にたおれゆく民」に作者の心はとらえられていて、己れ自身をかえりみる余裕はない。国民の破滅を救おうとして終戦の決心をなさった時、その御決心はおのづから捨身のものであった。そういうお心の展開がうたわれたのである。
次のお歌は、これを逆に「身はいかになるともいくさとどめけり」と、己れを捨てて終戦の決断をくだされたお心を一気に述べられ、「ただたふれゆく民をおもひて」と深い同情のお心を後にのべられたのである。
第一首の最後の句の「身はいかにならむとも」という字余りの句の重い調子と、第二首の最初の句の「身はいかになるとも」という2・3・4音の調子とが、対照的で、作者の心の動きが、第一首の最後の句から転じて元へもどるというふうである。そしてその心は変わらない。くりかえしくりかえし思いを凝らしてなお変わらない、不動の御信念が音調となって詠まれているのである。

そして、そのお心を天皇様がつらぬかれたこと、それこそが三首目の歌に詠まれた「国がら」であると拝される。「国がらをただまもらむ」ということは天皇様が身はいかならむともと決心して国民をお守りくださるということにほかならない。天皇様はそう述べられたのである。天皇様は「国がら」を守りぬかれたのである。この天皇様のお心に感応して、天皇様のお心にしたがうことが、国民の側からの「国がら」である。天皇様が国民のうえを思いくださるお心を仰いで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらはあるのである。だから、この心が大切なのであって、この心をまもりそだて、たやさぬようにつとめるのが、御製の研究であり、拝誦である。


 



最近PCの調子が悪くフリーズすることが多いので、更新がかなり滞ることが多くなりますがご容赦ください。家族のPCが使える時に、なるべく更新したいと思っています。
女子バレーに竹下佳江というベテラン選手がいます。
JTマーヴェラスの所属で、チームの大黒柱であり、全日本チームでも大活躍です。
バレーはネット際でのアタックやブロックなどで身長が高いととても有利です。
全日本のメンバーを見ても180cm台がゾロゾロいる中で、ひときわ目立つ竹下選手は159cmでまるで子供が混じっているようにも見えます。
 
 
 
 
2000年度の全日本チームはシドニーオリンピック世界最終予選で敗退。日本女子バレー初となる五輪出場権を逃がしたことにより、責任追及の矛先として「セッターが159cmの身長では世界を相手に通用しない」と、批判の矢面に立たされた。
責任を感じバレーを離れてハローワークに通いましたが、
もう一度一緒にやってくれないかと熱い誘いを受けてカムバックしました。
 
身長が低いので、ボールが彼女に落ちてくるまでの時間が長身の人よりごく僅かに長いのです。その「有利」さを十二分に活かして、コートに着地寸前のボールを拾います。また落ちてくるボールの真下に素早く廻り込み、体を捻らせてその時その時にいい位置にいるアタッカーに、右へ左へと正確なトスを上げます。職人芸というより芸術の域だなと思いながら見ていました。
 
2011年にもワールドカップでベストセッターとして表彰されています。
強烈なスパイクを打つアタッカーはどうしても華やかな存在ですが、彼女はそれ以上の大きな存在です。
   
 
さて目を転じてJAXAですが、資金面でも人員数でもNASAのほぼ1/10なので、あとを追って同じことをやっていたら余り意味がないし、注目もされません。
ハヤブサの企画は(結果的に)大成功でしたし、日本の宇宙ステーション補給機HTVは平行して飛んでステーションのロボットアームを使ってドッキングするという従来の追突方式よりも安全で正確な方法を打ち立てました。
 
他にも例えばレアメタルがピンチになると、廃棄物から有用資源を再利用する「都市鉱山」の構想や海水からのウラン、リチウムなどを採取する技術が出てきます。
原油の充分な確保が難しくなると、海藻からアルコールを取ったり「オーランチオキトリウム」という藻から油を獲る研究がスタートするなど、日本人の研究にはこういうガッツがあるのです
                         オーランチオキトリウム
 
日本の周囲を見渡せば、うんざりするような、閉塞するような気持になります。
しかし、本当に一生懸命考えたら、必ず何か妙案が出るはずです。
考え付いた人に「そんなのは駄目、問題外」と言ってしまえば、そこまでです。
昔から三人寄れば文殊の知恵というくらいで、大勢で考えれば尚更です。
現に日露戦争の勝利は陸海軍だけでなく、国民こぞって英知を出し合った賜物なのですから。

転載元転載元: くにしおもほゆ

自覚なき重病

 
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いつも頭が下がるほど皇室を尊び、愛国心が強く、大和心を持つカマちゃんのブログには多くの示唆と
日本人としてのあるべき姿が書かれており、学び、そして考えさせられております。
その中に、以前書かれた秀逸なる「靖国の魂」という記事があります。この心の叫びは日本人ならば理解できるはずです。
 
平成13年8月13日、小泉首相が就任以来はじめて行った靖国神社に対して、日本人・韓国人639名の原告が損害賠償を求めたもので、これに対して新婚1年半で出征された夫をルソン島で亡くされた岩井益子さん(当時84歳)が裁判補助参加制度により法廷で陳述書が読まれたことが書いてありました。
法廷全体が息を呑んだように静まり返ったという。以下黒字部分を掲載させて頂きます。・・・
 
さて、今回、首相が靖国神社に昨年8月13日に参拝された事を不服とする方々が、全国で裁判を起こされているようです。とりわけ、ここ大阪におきましては、あろう事か、靖国神社までもが被告とされています。
私ども遺族といたしましてはこのような原告の方々の主張はとても放っておけるものではありません。
私のような靖国の妻をはじめ、ほとんど全ての遺族の怒りと、血涙を絞らしめるものです。 
もし、首相が靖国神社に参拝されたことで心が傷つけられると言う方がおられるのならば、靖国の妻といたしましては、靖国神社が国家護持されず、外国の意向に気兼ねして首相の参拝すら思うにまかせず、天皇陛下の御親拝も得られない現状はその何万倍、何億倍の心が傷つくことでございます。
私にとって夫が生前、戦死すれば必ずそこに祀られると信じて死地に赴いたその靖国神社を汚されることは、私自身を汚されることの何億倍の屈辱です。愛する夫のためにも絶対に許すことの出来ない出来事です。靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。
たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだし、それが見渡す限り、戦士達の血の海となって広がって行くのが見えるようです」
・・・・
 
 
イメージ 2我々の先達たちは、アジアに長年のさばって我がもの顔で居座っていた盗人を追い出そうと死に物狂いで戦い、そして幾多の尊い命と血潮をかけて戦った。
“天に代りて不義を討つ”、とはまさにこのことである。
素直で純真な若者は死を恐れず祖国日本の為に戦い、その強さはまさしく世界中で最も恐れられた。
それを日本軍はろくでもない侵略の野望を持っていたなどとこじつけたのが東京裁判であった。
イメージ 3戦後の日本の社会、教育、メディアも政治家も源流はこの馬鹿らしいほどの大嘘に発している。
今も日本政府はこの嘘を覆すことも出来ずに、占領軍の教えを忠実に守っているのだ。
日本の症状はもはやかなり重い、重傷といえよう。
しかも自覚症状がないに等しく、報道も重症を偽った情報しか流さない。この重病患者は自分をどんどん蝕んでいる病状には関心がないようで、目の前の美味しいものや今が楽しければそれでいいと思っている。自分を蝕んでいる病巣を知らずに、自分は大丈夫だと思っている。どこまでいかれているのか。こんな国は日本だけである。
 
日本人よ、
自分さえよければと快楽に身を置きながら、自分が今あるのは誰のお陰であるかも考えもせず、祖国日本と子孫のために精魂を込め、死力を尽くして戦った将兵や命を捧げた人たちを悪く言うことに何の後ろめたさも、いかがわしさも感じずにいるとしたら、人間としてはよほどの腑抜けか堕落しているのだ。
そして、何も感じない社会もおかしいのだ。
 
高潔な人ほど弁解はしない。
物言わぬ祖先の言いたかったことを理解することもしない重病国家日本。
 
“勝たずば生きて還らじと誓った心の勇ましさ” 
この「日本陸軍」の歌にあった、死に至るまで忠実で、規律正しく、誇り高き日本人。
英霊のためにも、遺族のためにも、身を捨てて国を護る軍人に対する尊敬と感謝の心を取り戻さなければならない。
 
・・・・・・
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 細川隆元氏は昭和天皇と対談をしたことを本にしていますが、対談の後で入江侍従長といろいろ陛下についてお話しされていて、そのお話に陛下のお人柄がうかがえるエピソードがいろいろあり、その中から印象に残ったものをご紹介します。

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 ヨルダンの日本駐日大使はシャモート氏という人だった。この人が本国にかえることになった。
入江侍従長  それが離任帰国というので夫人同伴で拝謁したわけですね。シャモートは一応お話ししておったんですよ。そのうち陛下がお話しかけになったら、婦人は泣いて泣いて大変なんです。もう天皇陛下にお目にかかれないって泣いて泣いて、宮殿の竹の間を出るときに・・・・・・。それまで夫人は午餐、園遊会、新年と陛下のお誕生日にもお目にかかっているんですよ。だけどお話をしみじみするのは、午餐の時とお別れのとき。
 陛下が、長い間勤めてくださって、日本のこともよくわかって下さっていたのに、とうとうお別れしなければいけないことになって。とおっしゃったら、ワァーッと泣いて大変なんですよ。そして、いよいよ竹の間を出るときに、こうやって、もうこれで見納めだという・・・・・・。そして千草の間という次の間に下がったらば声を上げて泣いてね。
シャモート大使もつり込まれて一緒に泣いて泣いて帰っていったんですよね。
そういうのが非常に多うございまして、ある時、ハンガリーの大使がお別れに来たら、その奥さんが泣いたんです。今度はまたフィンランドが泣いたんです。それで陛下に、一生懸命おやりになったので、ああやってみんながお別れを惜しんでよろしゅうございましたね、と申し上げたら、陛下が、
「いや、あれは東洋の血が入っているからだ」
とおっしゃるんですね。ハンガリーのハンはフン(匈)でしょう。フィンランドのフィンも同じですね。フン族、匈奴の血が入っているとおっしゃるから、東洋の血が幾らかは入っているかもしれないけど、だいぶそれは古いことで、もう効き目はないでございましょうが、と申し上げたんですがね。
細川  なるほど()
入江  私はこの役をやっていて一番幸せだと思うのは、そこに立ち会えることですね。泣いて泣いて、お別れを惜しむというのは、本当に嬉しいです。
 それがさっきからおっしゃっているファーとした、二千年ですよ、やっぱり。
細川  そうそう。
入江  前の式部官長の人に聞くと、クーデターでその地位についたというような人がくるでしょう。もうすごいんですって、威張って。ところが、陛下に30分ほどお目にかかって、帰るときには、もうすごく穏やかな雰囲気になっている。
細川  なるほど・・・・・・。
入江  ああいう境地があったかということに気がつくんじゃないでしょうか。
細川  そのとおりですね。
           中略
細川  しかし入江さん、くどいが「陛下、侍従長の着ておられますあのワイシャツ」という話・・・・・・。
入江  いや、あれがまた陛下なんですよ。
細川  「それは知らんから知らん」って。そういう方なんですね。見てないから知らんと。普通なら「何だ、それは」というでしょう。
「あ、見とらんから、知らん」
普通なら、「何だ。あ、そうか。あ、なるほど、少し変わっとるな」というでしょう。「見とらんから知らん」でおしまい。
入江  いや、いいですねえ。ワイシャツを気にするようになっちゃあ、ダメですよ。
細川  それを凡人は下着まで気にするからね。
入江  ダメですねえ。
細川  やっぱり偉いですね。
入江  それだからぼくは、陛下のおそばへ出て四七、八年になるんですが、言葉は悪いけど、全然退屈しないの。
細川  ああ、そうかもわからんね。
入江  毎日、面白いのね。むっちゃくちゃな楽しさがあるの。
細川  普通だったら、ベタッとしていつまでも、それはどこから買って、幾らだったとか。              中略
あれが別の国の国王だったらすぐ「俺にも2着ばかりつくってくれ、タダでな」と、こういうところだ。
入江  そうすると国はおかしくなる。
細川  そうそう。そのとおり。けだし名言です。
わしは初めて空気の味がわかった。吉田さんの 、「臣茂」という気持ちだって自然に出てくるんですね。相手が元首であろうが、なんであろうが、臣茂。あそこに吉田の良さがある。誰がなんと言おうとね。
入江  あれは、あのとき、ついそういう気持ちになって出ちゃったんでしょうね。
細川  そうです。それを新聞が悪口書いてね。何だ、何が臣だ。臣という言葉はもうなくなっとるはずだなんて言う新聞はバカですよ。
 

転載元転載元: 日本の感性をよみがえらせよう

美しい国からの転載です。

天皇陛下が元旦に行われる四方拝のことが詳しく書いてあります。以前たけしの番組で四方拝だったか大嘗祭だったのか覚えていませんが、やはりこのときに天皇が唱えられる秘密の呪文というものについて、たけしが、すごいと言っていたのを覚えています。伝え聞くところによると、すべての災厄などの悪いものは、皆ことごとく我が身を通って、というような呪文だと言っていて、たしかにすごいと思ったものです。


それがこの記事に書いてあるのです。天皇が国民、国家、その災厄のすべてを一身に引き受けられ、浄化したいという決意を表した呪文でした。この祈り、この覚悟が代々の天皇の御位を二千年に渡って常に国の中心にあらせたものだと思います。そしてそれが日本を日本として二千年にわたって支えてきたのだと思います。この祈りのもとに蒙古襲来の時や幕末の欧米列強の植民地支配の危機から、国民を立ち上がらせ国を護るちからとなったのではないかと思います。


古来より天皇の政(まつりごと)は、すなわち祭事でした。常に神意に叶うということが第一でした。天照大御神の民を慈しむ心をわが心として、政治を行われ、十六方向の民の声を聞くという象徴に十六花弁の菊を紋章とされ、民の心を知ることを統治するという意味だとなされて、天皇の統治を、「知ろしめす」と申し上げるのです。



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四方拝(宮内庁書陵部蔵)
 
 
本ブログにご来訪の皆様は、元旦の早朝より、畏くも今上陛下が出御あそばされ、四方拝を行われたことはご存知だと思います。
数ある宮中祭祀の中でも、 最も重要な祭祀の一つ、畏くも天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)が認められません。
御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(畏くも天皇陛下の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となります。
ほかに、畏くも天皇陛下が元服(げんぷく)を迎える前は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(畏くも天皇陛下が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。
四方拝の起源は明確には分かっていませんが、文献に見える初例は、『日本書紀』に記された、皇極天皇(こうぎょく・てんのう)が雨乞いのために四方拝を行ったのが最初とされています。千四百年前のことです。
元旦四方拝は、平安初期の嵯峨天皇の御代に始まったとみられ、中世、近世にも京都御所の清涼殿東庭で続けられてきた。
上記の画像はその当時を描いたものです。
左上の柱の陰に顔が隠れているのが天皇陛下で、 「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という天皇陛下だけの束帯装束が見えます。そのすぐ前にいるのが蔵人頭(くろうどのとう)で、「御草鞋(そうが い)」という履き物を差し出しており、その次には近衛中将(このえのちゅうじょう)が御剣を捧げ持っています。寅の刻といえば図とは違って実際にはまだ暗 いので、四方拝の座まで敷かれた「筵道(えんどう)」を殿上人(てんじょうびと)が紙燭(しそく)という灯りで照らしています。庭には、漢竹(かわたけ図 の・左側)と呉竹(くれたけ)の間に唐人打毬(とうじんだきゅう)の図を描いた大宋(たいそう)屏風がめぐらされ、中に両面の短畳で三つの座が設けられて います。図の上の方に見える青い畳は実際には北西側に置かれていることになりますが、まずここで北斗七星を拝します。次に図の右側、実際には北東側の紫の 褥(にく=しとね)の座で天地四方を拝します。さらに図の下側、実際には南東側の青畳の座で山陵を拝するのです。このほか、張りめぐらされた屏風の中に は、北向きに燈台と机を置き、机にはお香と花が供されてあるのが見えます。
『公事根源(くじこんげん)』という書物には「昔は殿上の侍臣なども四方拝はしけるにや、近頃は内裏・仙洞・摂政・大臣等の外は、さることもなきなり」とありますので、はじめは臣下の人々もそれぞれ自宅で行っていたようです。
四方拝は、明治四十一年に制定された皇室祭祀令(こうしつ・さいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われていました。
現在も明治時代の作法に準拠して行われています。
現在、四方拝で畏くも天皇陛下が拝される諸神は次の通りです。

神宮(じんぐう)(伊勢神宮)
天神地祇(てんじんちぎ)
神武天皇陵(じんむ・てんのうりょう)
先帝三代の陵(みささぎ)(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)
武蔵国一宮(むさしのくに・いちのみや)・氷川神社(ひかわ・じんじゃ)
山城国一宮(やましろのくに・いちのみや)・賀茂神社(かも・じんじゃ)
石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)
熱田神宮(あつた・じんぐう)
鹿島神宮(かしま・じんぐう)
香取神宮(かとり・じんぐう)

四方拝は、畏くも天皇陛下お一人がされる特別の祭祀で、その詳細は一般人はおよそ知る必要もないものですが、『内裏儀式(だいり・ぎしき)』や『江家次第(ごうけ・しだい』など、平安時代の儀式書には、四方拝の様子が記されています。
江家次第は、平安時代後期の有職故実(ゆうそくこ じつ)書。著者は大江匡房で全21巻(現存19巻)からなっています。有職故実とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・ 習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究することをいいます。当時は、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ名残から、現在も深 い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのです。
 
畏くも天皇陛下は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(畏くも天皇 陛下の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御され、御座に着座された天皇陛下は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりにな り、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます。
 
①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年)
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)
④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年)
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)  (今年)
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)
⑦破軍星(はぐんせい)(午年)
 
再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。
 
賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ
毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ
毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ
毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ
五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ
五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ
厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。
 
ここで注意したいのは、原文中の「過度」という言葉です。
学術研究においては、一般に道教の常套句的文言として「守りたまえ」の意味として解釈されてきました。中国語の古代辞書『説文解字』や『経籍餐詁』によると、
「過」とは
・すぎる、わたる、よぎる、あまねく
「度」には
・ここでは、悟らせるを意味します。
 
すなわち、罪障は我が身を通して悟りへ至らしめん、「罪障から私を守ってください」ということではないのです。
この世に起こる罪障をすべて引受けられることを意味します。
陛下の民(臣民)を陛下が身を挺して護ってくださっておられるのです。
臣民は、難事が起こると、安易に限りを尽くして「魔除け」を望みます。しかし、陛下は引受け遊ばされておられるのです。
臣民は安易なほうへ流されます。しかし、陛下は困難をすべて受入れられるのです。
 
罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば
 
大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であると庇う心をお持ちなのが、天皇陛下という存在なのです。
先帝陛下もマッカーサーに対して「我が身はどうなってもかまわぬ。国民を救ってほしい。」と覚悟を示しあそばされました。
臣民が始めた戦争でしたが、最後は臣民を護るため、ご聖断あそばされ、食糧難にあえぐ臣民を救われた。
 
我国には現在、内閣総理大臣はじめ大臣が存在します。かっては国政を預けられた氏族を大臣(おおおみ)と呼びました。
政(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と同じ読み方をします。語源は同じ意味になります。すなわち、政と祭事は一体なのです。政は祭事なのですから、政治は祭事、神事であり、ご神示に則って執り行われるのが、本来の姿であり、『祭政一致は』は日本の伝統でした。
しかしながら、現在の政(まつりごと)は神意に則ったものとは程遠い状況です。
また、政(まつりごと)の混迷を現した世相も乱れています。
 
しかし、陛下は一億三千万人の「罪障」を引受けておられるのです。
まつろわぬ民も同じ「赤子」として・・・
 
 
žºܸµ 転載元: 美しい国

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