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浄めの文化と古事記

古い雑誌に、日本の文化的風習である、浄めの話が載っていました。

日本人は早くから海は神聖なものと信じてきました。禊(みそぎ)や祓(はらい)をすれば身のけがれが取り除かれるものだと疑いませんでした。藻塩や塩を浄めのために使うのは、すでに我々の中で日常化しています。

われわれ日本人は海から生まれ育ち、海と共に生きてきました。周りを海に囲まれた環境からいって自然のことです。その海にみなぎる水は水平に平等に横たわり極まるところがありません。そして清らかに澄む水に穢(けがれ)を除く神秘さがあると昔から信じられてきました。水に身体を浸し、身体についた穢れを洗い流す禊(みそぎ)はその精神を端的に物語ったものです。


海水から生まれる塩にも神聖さがあるとするのは水の浄化力を具象化したものです。塩が神供として使われ、あるいは海藻や潮水を神前にささげるのは、塩が穢れをはらうと信ずるからです。所によっては潮水のかわりに海砂や川砂を使います。それが「お潮井」の行事です。

われわれの日常を見回してみましょう。相撲の仕切りの時に力士がまく塩。弔いのあとに五体を清める浄め塩などの習俗が思い出されます。また瀬戸内海や九州の漁村では一家の主人が早朝、浜辺に行き潮水桶に海水を汲んできて神棚に供えたり、門前にまいて辺りを浄める風習があります。農村の中には早稲の刈り入れの時、最初に刈る稲に塩井をかけ「神の穂」にする儀礼が残っています。先にふれたみそぎの例ですが、祭礼の前に潮掻き(しおかき)といって、潮垢離(しおごり)つまり潔斎をする習わしが、ほうぼうの漁村で見られます。


この「浄」のイメージは、われわれの古典「古事記」や「日本書紀」の中のイザナギ、イザナミの神の物語に見ることができます。イザナミの神は火の神を生んだので黄泉国(よもつくに)に帰りました。イザナギの神はその后を恋しく思い黄泉の国に行ってみると、そこは暗黒と汚濁の世界です。イザナギの神は奥へ行き、頭にさしていた櫛の歯の一本を折って火を灯し、中をご覧になるとイザナミの神の体にウジがいっぱい湧き、頭、胸、腹などに八種の雷神がいる、といったものすごさです。イザナギの神は一生懸命になって、そこを逃げ出されました。


生と死の戦いからやっと解放されたイザナギの神は命の根源である心身を浄めなければなりません。明るく健やかな生命こそ、限りない幸せを生み金剛不壊(こんごうふえ)の境涯をささえるものだからです。イザナギの神は禊(みそぎ)の場所を求めて筑紫(つくし)の日向(ひむか)橘の小戸の阿波岐(あはぎ)が原に行かれました。


筑紫は日本文化の発生の地であり、日向はやがて差し昇る太陽を迎えることのできる陽明の方角であり、橘は良き今の続く常世(とこよ)のめでたさを象徴する霊木であり、その青々として緑なす地帯が阿波岐(檍)原だったのです。

イザナギの神は、その神聖な海辺の中つ瀬を選んで身を沈め、体についたけがれを振り落として浄められました。すると最初はマガツヒノカミなど汚い神々が生まれました。禊祓というのは洗濯ですから汚い汁が出るというわけです。最後に生れたのがウワツツノオ、ナカツツノオ、ソコツツノオの三柱の神でした。「古事記」では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」と書いています。これが住吉の大神で禊ぎという浄めによって天照大御神が誕生されました。



さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。女性宮家創設の議論が政府から出ています。宮内庁の羽毛田長官が提案したとされていますが、長官は提案したわけではないようなことも言っていますが、なんだか女系天皇への道を開くつもりの人々が暗躍しているような気もします。
我が国の歴史上、女性天皇は存在しますが、女系天皇はいません。女系天皇とは、女性という意味ではありません。天皇の父親を代々たどれば神武天皇に行き着くのが男系です。その天皇が男性であっても、その父親、更にその父親、とたどって、神武天皇に行き着かないときは女系天皇です。
つまり現在の皇室でいえば、愛子様が天皇におなりになれば、愛子様は女性天皇ではあっても、女系天皇ではありません。父親をたどれば神武天皇に行き着くからです。
しかし愛子様の次に、愛子様のお子様が天皇になられた場合は、そのお子様は男性であっても、女系天皇です。父親は、皇室の外から来られた民間の方でしょうから、神武天皇に行き着かないからです。
ただし、旧皇族と言われる方々の男子と愛子様が結婚なされば、そのお子様は男系です。旧皇族の方々は、男系を維持して神武天皇につながっておられるので、その場合のみは、愛子様によってではなく、旧皇族の方々によって男系の血統がつながり、お子様は男系の天皇となることができます。
日本は万世一系の天皇が維持されているのですが、もし女性宮家を創設して、その宮家が皇位継承権を持つようになれば、この万世一系はその宮家から天皇が出た途端に、失われます。一度でも女系天皇が出れば、今までの歴史はストップします。そして、覆水盆に返らずというように、二度と万世一系は戻ることはありません。
現在の国民がこれを選択することは、古来よりの多くの日本の国民が守ってきた伝統をひっくり返す革命であり、まだ見ぬ未来の国民がそれを恨みに思うか喜んで受け入れるかということまで考えると、今現在という時点のみの国民がこの大きな変革を決断することが許されるのかという気がします。
神話の時代から続いてきた伝統を変えるとは、日本の神話を変えることであり、日本の国の理念を変えることだと思います。国が神話を失えば、それはもはや別の国だと思います。日本民族は残っても、古い歴史の国日本はそこで終わり、別なものになるでしょう。
 
転載開始
 
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今朝の産経新聞に、興味深い記事がありました。
以下、掲載いたします。
 
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高崎経済大学教授・八木秀次 女性宮家創設は荊の道の始まり 
(産経新聞 2011.12.6 )
 
 
宮 内庁の羽毛田信吾長官は10月5日、野田佳彦首相に直接、「女性宮家」創設により皇族方の減少を食い止めることが喫緊の課題だと伝えたという。これを受け て11月25日、藤村修官房長官は「政府としても今後検討していく必要がある」と発言し、その後、政府内に勉強会が設置された。 
  
≪「有識者会議」の焼き直し≫ 
「女性宮家」の創設が提唱されるのは、現行の皇室典範12条で女性皇族は結婚すれば皇籍を離れなければならないが、結婚後も皇籍に留まるようにすることで、皇族の減少を防ぎ、これによって天皇陛下の公務のご負担を軽減するためだとされる。
しかし、皇族の減少を防いで、天皇陛下の公務のご負担を軽減するためという理由は直ちに、「女性宮家」創設という結論に結び付かないはずである。何よりも、天皇陛下の公務のご負担の軽減は公務自体のあり方を見直し、数を減らせばよいのであって、年々公務を肥大させ、陛下にご負担を強いているのは宮内庁の責任である。
また、皇族の減少を防ぐには、後述するように別の方法もあるのであり、「女性宮家」の創設は順序としてそれを検討した後でなければならない。
端的に言えば、この度の「女性宮家」創設の提案は、6年前の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の焼き直しである。
同 報告書は主として、(1)女性天皇・女系天皇の容認(2)皇位継承順位の長子優先(3)女性宮家の創設−の3点を提唱した。今回の提案は、6年前に議論が 集中した(1)と(2)を避けて、(3)だけを持ち出したものである。しかし、「女性宮家」の創設は、宮内庁や政府関係者が考えているほど簡単なものでは ない。
 
≪前途に立ちはだかる9の難問≫
第一に、女性宮には皇位継承権があるのかが検討されなければならない。継承権があるとすれば、これは「女性天皇」容認と同じことになる。皇位継承権とは皇位に就く法的権限だからである。逆に継承権がなければ、女性宮は単なる皇室の公務の分担者という位置づけになる。
第二に、皇位継承順位をどうするのかが問題となる。男子優先とするのか、長子優先なのかということである。
第 三に、いっそう本質的な問題であるが、「女性宮家」は一代限りなのか、それとも世襲とするかが検討されなければならない。世襲ということになれば、女性宮 のお子様は男子であれ女子であれ、「女系」の皇族ということになり、この方々が皇位継承権を持つならば、それはそのまま「女系天皇」容認を意味する。そし て、それは神武天皇以来125代にわたって一貫して「男系」で継承されてきた皇位継承原理に、一大変革をもたらすものとなる。
第四に、女性宮の配偶者は皇族とするのか、公務に携わるのか、敬称はどうするのかが検討されなければならない。また、「女性宮家」を一代限りとし、配偶者は皇族でないとした場合、配偶者はその氏を名乗り続けるのか、夫婦別姓とならないかも問題となる。
第五に、第三の点とも関連するが、世襲を避けて「女性宮家」を一代限りとした場合に、お子様は皇族とするのか否か、敬称はどうするのか、氏はどうするかも問題となる。
第六に、皇族に支給される皇族費はどなたを対象にするのか。一代限りの場合、配偶者やお子様にも支給されるのか。
 
≪女系天皇に道開く一大変革≫
第 七に、女性宮の候補者としてどなたを想定しているのか。例えば、遡及(そきゅう)して天皇陛下のご長女の黒田清子さんも想定しているのか。天皇陛下から見 れば、いとこのお子様という関係になる寛仁親王家や高円宮家の女王殿下も対象とするのか。政府内の勉強会では「天皇の子と孫」という案が出ている。
第八に、対象者全員に「女性宮家」創設を強制できるのか。ご自身はそのつもりで育っていない、ということにならないのか。
第九に、強制ではなく、ご本人の意思を尊重するとした場合、逆に恣意(しい)や政治的意思が働かないかといったことが問題となる。
かつて慶応大学教授の笠原英彦氏は女性天皇容認を「荊(いばら)の道の始まり」(『女帝誕生』)と述べたが、「女性宮家」創設にも同じ厄介な問題が続出する。それは「女性宮家」が皇室の歴史にはない全く新しい存在だからである。
 
羽毛田長官は野田首相に現在の皇族の範囲の図を示して説明したという。初めに結論あってのことと思われる。だが、皇族の数を増やすに際して歴史的に用いられたのは、神武天皇以来の男系の血を継承した方々に皇籍に戻っていただくという方法である今日で言えば、戦後まもなく皇籍離脱を余儀なくされた旧11宮家の方々に皇籍に戻っていただくことも検討されてよいが、有識者会議も真面目に検討した形跡はない。
政府は、「女性宮家」創設という「荊の道」ではなく、「男系継承」という歴史的に踏み固められた道を選ぶべきであろう。
 
・・・・・・
 
アメリカの外交官でOSS(戦略情報局)のエマーソンはかつてこう言いました。
(OSSは戦後GHQの日本破壊政策に大きな影響を与えたものです)
「コミンテルンのテーゼは共産主義者の綱領を大前提として天皇制廃止を要求したが、野坂(参三)はこの立場を修正して、もし日本人民が望むならば天皇の存在を認めることにした。
彼 は日本人の大部分が天皇に対して簡単に消えない愛情と尊敬を抱いていると考えていた。そこで彼は天皇制打倒という戦前の共産党のスローガンを慎重に避け て、平和回復後の皇室に関する決定については用心深く取り組む道を選んだ。しかし同時に天皇は戦争責任を負って退位すべきであると主張した」
一気に天皇を打倒するのではなく他の改革を以て廃絶させる社会主義革命の二段階論が込められている。(「OSS日本計画」より)
 
戦前、コミンテルンが、そしてその支部であった日本共産党が“天皇制廃止”を掲げていたのを、
日本共産党の野坂参三は、
「最終的には天皇廃止を企むが、日本人は天皇や皇室に対する信仰は相当深いので、これをスローガンとすると大衆から孤立してしまうので、天皇制は存続させ、戦後、一般人民投票によって天皇制の存続を決定すべき」と、戦時中に支那共産党の本拠地であった延安で演説しました。
 
「天皇制」という言葉は日本語の伝統には存在しないものです。
この言葉がモスクワから日本に持ち込まれたのは大正12315日、日本共産党の綱領討議のために開いた拡大執行委員会の席でありました。場所は東京府北豊島郡石神井(しゃくじい)村の料亭豊島館で、いわゆる石神井会議と呼ばれたものであります。
 
1932年、「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」、いわゆる三二年テーゼがコミンテルンで採択され、同年七月、日本共産党の機関紙赤旗特別号で「天皇制」という共産党用語がおおやけに使われ始めたのです。
この言い方は天皇陛下を否認し、天皇陛下を排斥するために使われ、天皇陛下を貶めるために使われていた言葉でありました。
 
また、「天皇家」という言葉はもともと日本の戦前はなく、戦後、左翼歴史家の禰津正志によって使われ始めた左翼言葉であります。
「制度」にしておけばいつでも廃止できる。「家」にしておけば断絶できる、ということです。
しかし、天皇陛下は神話から繋がる我が日本の「国体」そのものであります。
一般国民の「家」とは違うのです。
 
彼らの後を引き継いだ連中が今も天皇廃絶、皇室解体を企てているからこそ、上の記事のような突拍子もない議論をしたがるのでありましょう。
だからこそ、彼らの目的である天皇廃絶、皇室解体への布石がこの「女性宮家」の議論であると思うのであります。
 
  
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東大病院を退院あそばされ、手を振って宮城・御所に戻りあそばされる天皇陛下 御尊影=24日午後、宮城・乾門





君が代



謹んでお伝え致します。

畏きあたりにおかせられましては29日午前、東京都港区のニッショーホールにおでましあそばされ、「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」にご親覧あそばされました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご不例後に公務をあそばされるのは、退院後初めてです。
 畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては参列者と黙祷した後、祭壇に花を供えあそばされ、東日本大震災に伴う人命救助、消防活動などで死亡した殉職者を慰霊あそばされました。
 両陛下は会場を出る際、遺族らに声をかけられた。日本消防協会関係者には「みなさん心を痛めていらっしゃると思いますが、国民の安全のために、これからもがんばってください」という叡慮を賜わりました。
 今年は大震災などで亡くなった239柱が明治以来の消防殉職者に合祀された。


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東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭にご親覧あそばされ、関係者に声をかけられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=29日午前10時51分、東京都港区


畏くも天皇陛下におかせられましては震災発生後、7週連続で皇后陛下と7都県の避難所・被災地を行幸啓あそばされた。
被災地の負担を考慮あそばされ、すべて「日帰り訪問」を貫かれた。文字通り分刻みのスケジュールの中、各地で被災者一人一人と向き合われてきたことは国民の目に焼き付いています。
このほかにも、先帝陛下の玉音放送以来、今上陛下におかせられましては、初めて全国民にビデオで叡慮を伝えあそばされ、国民と苦難を分かち合いたいとして、御所で「自主停電」のお取り組みをなされた。

その後も各地に起こった災害、定まらぬ政情、すべてご一身に受止めあそばされた。
ご不例にて、入院中にも強く希望されていたという国賓のブータン国王夫妻を歓迎する宮中晩(ばん)餐(さん)会で、皇太子徳仁親王殿下に託されたお言葉は、2千字余りに及びました。
常に、国家の安寧と、世界平和、国民の幸せを祈り、願っておられる畏くも天皇陛下。
ご公務復帰は無理なさらずと願っていましたが、畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、強く慰霊祭へのご親覧を望まれました。
自らの命も顧みず、一人でも多くの人命を救うために命を賭した殉職者の御霊(みたま)、遺族の方々に叡慮を伝えられたかったのではと推察いたします。
ご不例後にも関わらず、我々臣民は「大御心」を頂戴しました。

畏くも天皇陛下と国民は常ににともにあります。これが我が国体の精華であり、伝統であり、無窮に続いていくものなのです。





畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。




尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
 

転載元転載元: 美しい国

皇室の一週間

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
 
 
 
 
 
君が代
 
 
 
謹んでお伝え致します。
 
本ブログでも紹介させていただいた記事に、各宮家のご動静などをお知らせします。
 
畏きあたりにおかせられましては、ご不例につき東京大学医学部付属病院に入院あそばされておられますが、平熱まで下がり19日には安定した症状で過ごしあそばされた。依然としてせきはあるものの、音楽をかけながら、病院内を歩く軽い運動もなされたということです。
 
 
皇后陛下におかせられましては14日午前、午後と畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては15日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、御所におかれまして、被災地域の児童図書館復旧支援につき、松岡享子・東京子ども図書館理事長から説明お受けあそばされた。午後にも畏くも天皇陛下を見舞いあそばされ、夜には東大病院におかれまして畏くも、天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、秋の勲章受章者および褒章受章者拝謁ご代行、南アフリカ国民議会議長夫妻引見ご代行を秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下より報告お受けあそばされた。
皇后陛下におかせられましては16日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、迎賓館赤坂離宮にブータン国王陛下、王妃陛下を訪ねられ、ごあいさつをなさりあそばされた。
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下と会見あそばされる皇后陛下 御尊影=16日午前、東京都港区元赤坂の迎賓館「彩鸞の間」
 
 
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下と握手あそばされる皇后陛下 御尊影=16日午前、東京都港区元赤坂の迎賓館「彩鸞の間」
 
 
皇后陛下におかせられましては16日午後、宮城・窓明館におかれまして、勤労奉仕団ごあいさつ、夜には畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては17日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、宮城・窓明館におかれまして、勤労奉仕団ごあいさつ、午後には、離任する駐日ベトナム大使夫妻をご引見あそばされ、再び畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては18日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、迎賓館赤坂離宮にブータン国王陛下、王妃陛下を訪ねられ、お別れのご挨拶をなされた。
 
 
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ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下、王妃陛下にあいさつあそばされる皇后陛下 御尊影=18日午前、東京・元赤坂の迎賓館
 
 
 
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皇后陛下を見送りあそばされるブータンのワンチュク国王陛下(中央)とジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=18日午前10時39分、東京都港区元赤坂の迎賓館
 
 
 
畏くも天皇陛下におかせられましては18日午後、東大病院におかれまして、皇太子徳仁親王殿下より国事行為臨時代行、山梨県開催の恩賜林御下賜100周年記念大会臨席の名代、ブータン国王夫妻にかかわる名代などにつき報告を受けあそばされた。
皇后陛下におかせられましては18日夜、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては19日午前、午後と畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
 
7日以降、畏くも天皇陛下ご不例により、国事行為の臨時代行や地方行幸の名代などで、皇太子徳仁親王殿下は忙しい日々を過ごしあそばされた。中でも、15日に国賓として来日したブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下、王妃陛下を歓迎する一連の国賓行事では、両陛下の名代を務めあそばされ、両国の友好親善に務められた。
16日午前には、宮城・宮殿東庭で、国王陛下、王妃陛下の歓迎行事が行われた。皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下が臨まれた。
 
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歓迎行事で国歌を聞く(左から)ブータンのジェツン・ペマ王妃陛下、ワンチュク国王陛下、皇太子徳仁親王殿下 御尊影=16日午前、宮城
 
 
 
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歓迎行事に臨まれた皇太子徳仁親王殿下とブータンのジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=16日午前、宮城
 
 
夜には宮殿で宮中晩餐会が催され、皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下と成年皇族として初の公務となった眞子内親王殿下、常陸宮正仁親王殿下、高円宮妃久子殿下と次女の典子女王殿下が陪席あそばされた。
 
 
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宮中晩さん会の招待者を迎えるために並んで立たれる皇太子徳仁親王殿下とブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「石橋の間」 
 
 
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下を招いた宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
 
 
 
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宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下とブータンのワンチュク国王陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
 
 
 
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宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下とブータンのジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」 
 
 
 
ブータンパロ王宮の庭で行われていた弓技大会で弓を弾かれる浩宮徳仁親王殿下(当時) 御尊影(昭和62年)
 
 
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては昭和62年にブータンを訪問されたことがあり、ブータンの民族衣装を着て当時撮影した写真を持参するなど、国王陛下と和やかに会話を楽しまれました
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては18日午前、国王夫妻の宿泊先の迎賓館を訪れ、この日、東日本大震災で被災した福島県相馬市を訪問するため東京を出発する国王陛下、王妃陛下にお別れのあいさつをされた。
 
 
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皇太子徳仁親王殿下を出迎えあそばされるブータンのワンチュク国王陛下(中央)。左端はジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=18日午前10時、東京都港区元赤坂の迎賓館
 
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代わりに務められた公務などについて報告あそばされるため、天皇陛下が入院される東大病院に入られる皇太子徳仁親王殿下 御尊影=18日午後
 
 
 
国賓行事を終えあそばされた皇太子徳仁親王殿下は18日夕、東大病院を訪れられ、国事行為の臨時代行を含め7日以降の務めについて、畏くも天皇陛下に報告あそばされた。
 
 
各宮家は今週もさまざまな公務をなされました。
 
秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下におかせられましては12日、国技館(東京都墨田区)で、「第20回全国ボランティアフェスティバルTOKYO」開会式にご台覧あそばされた。
 
 秋篠宮文仁親王殿下におかせられましては12、13の両日、東京農業大学世田谷キャンパス(東京都世田谷区)で生き物文化誌学会第9回学術大会におでましあそばされた。14日には山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で所員会議に出席された。
 
 
 
 秋篠宮文仁親王殿下におかせられましては15日、宮城・宮殿で、ご不例により入院中の畏くも天皇陛下に代わり秋の勲章受章者らと会い、陛下のお言葉を伝えられた。秋篠宮文仁親王殿下が陛下の代わりを務められるのは初めてです。
 
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秋の勲章受章者らと面会あそばされる秋篠宮文仁親王殿下 御尊影=15日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
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南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と握手される秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下 御尊影=15日午後、宮城・御所「小広間」
 
 
 
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南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と会見される秋篠宮ご夫妻=15日午後、皇居・御所「小広間」
 
 
続いて秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下におかせられましては、両陛下に代わり、宮城・御所におかれまして、南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と懇談あそばされた。その後、東大病院を訪ねあそばされ、畏くも天皇陛下に、代わりを務めた公務について報告あそばされた。
 
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少年の主張全国大会の会場に到着あそばされ、関係者の出迎えを受けられる秋篠宮文仁親王妃紀子殿下 御尊影=13日午後、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センター
 
 秋篠宮文仁親王妃紀子殿下におかせられましては13日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)で、平成23年度「少年の主張全国大会〜わたしの主張2011〜」におでましあそばされた。
 
 常陸宮正仁親王殿下におかせられましては17日、国立科学博物館(東京都台東区)で、企画展「化学者展−ニッポンの近代化学の夜明け−」と企画展「ノーベル賞110周年記念展」をご覧あそばされた。
 
 常陸宮正仁親王妃華子殿下におかせられましては16〜18日の日程で、大分県と福岡県におでまし。平成23年度九州八県赤十字大会と福岡県日赤紺綬会第52回総会にご台覧あそばされた。
 
 高円宮妃久子殿下におかせられましては15日、大阪府におでまし、平成23年度大阪府赤十字大会にご台覧あそばされた。
 
 
 
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご静養あそばされ、一日も早いご平癒をこころより祈念いたします。
 
 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
 
 
 
 
 
 
君が代
 
 
 
 
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旧開智学校の特別展示室を見学あそばされる皇太子徳仁親王殿下 御尊影=14日午後、長野県松本市
 
 
謹んでお伝え致します。
 
 
 
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては14日、全国農業担い手サミットの式典にご台覧あそばされるため、行啓先の甲府市から、列車で長野県松本市に移動あそばされた。15日に松本文化会館で開かれる式典にご台覧あそばされ、、若手農業者らと懇談あそばされる。
 14日は135年前に建てられた日本で最も古い旧制小学校の一つ、旧開智学校をご覧あそばされ、明治13年に明治天皇陛下が学校を行幸された際に使われた敷物や金びょうぶをご覧になられた。
 皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、13日に畏くも天皇陛下のご名代として、甲府市で「恩賜(おんし)林御下賜(かし)100周年記念大会」にご台覧あそばされていた。
 
 
(14日・月)
 
 (宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 皇后陛下 東京大学医学部付属病院(東京都文京区)お見舞い、のち宮城(皇
 
 居)・御所へお戻り
 
 【午後】
 
 皇后陛下 同上
 
 
 
昨日本ブログでもご紹介させていただきましたが、気管支炎などのため東大病院に入院中の畏くも天皇陛下のご病状について、11日朝から一時的に熱が高くなるなど、不安定な状況が続きしばらくご入院が続きます。
ご高齢でもあられるのでとても心配です。
 
畏くも天皇陛下がご平癒あそばされることをこころから願い、祈念いたします。
 
 
 

[食生活]「焦がすな」「捨てるな」「腐らすな」が御所の厨房の三大原則だった/工藤極

【工藤極氏は昭和49年から54年まで宮内庁管理部大膳課に勤めた。この特殊な職場に勤めたいと思ったのは、主厨長の秋山徳蔵氏が高齢を理由に勇退される、という新聞記事を読んだことがきっかけだった。工藤氏は第二係(洋食)に配属されていた】

聖上(おかみ)——われわれ大膳課の職員は天皇陛下のことをこうお呼びした——の朝食には毎日オートミールとコーンフレークが交互に出されていた。普通の家庭の食卓と大して変わらないのだ。これは昼食、夕食においても同様で、宮様との会食や、要人が招かれた饗宴ではそれ相応の料理が出されたが、普段の食事は非常に地味で慎ましいものだった。

大膳課で働くようになってまず驚いたのが、使っている調理器具が、いずれも年代物と言ってよい古い物だったことだ。<中略>調理にはミネラルウォーターではなく、水道水を使った。食器も金箔が押してあるようなものではなく、菊の御紋はあるものの、それ以外はどこの家庭にもある食器と違わなかった。

洋食の内容は、古典的なフレンチだ。フレンチというと、すごいご馳走だと想像する方もいるだろうが、過剰なデコレーションもなく、シンプルな家庭料理だ。肉か魚が1品あり、それにスープ、パン、温野菜、生野菜というのが通常のパターンだった。スープはつかないこともあった。<中略>担当ではなかったが、和食も焼き魚にごはん、味噌汁、付け合わせ、といったシンプルなものだった。

大膳課では料理人として多くを学んだが、その1つに、食材は常に余すことなく使い切る、ということがあった。例えば鶏肉は御料牧場から丸ごと1羽仕入れるのだが、これをさばいて胸肉2枚、もも肉2枚、手羽、ぼんじりと分ける。胸肉、もも肉はグリルするなどして主菜にし、残った手羽は後日、軽く湯がいてカットしスープの具にする。骨はスープの出汁を取るのに使う。ぼんじりは軽く揚げてから薄いコンソメで煮て、付け合わせにする。野菜の皮は後でスープの具にし、葉物だったら漬物にするといった具合だ。これは「一物全体食」といって、食材を全部使うことで栄養バランスが偏らないようにする考えで、大膳課が長年守ってきた伝統であり調理の基本となっている。

もう1つ、守るべき基本があった。それは秋山さんの後を継いで主厨長となった中島伝次郎さんがよくおっしゃっていたことで、「明治の料理の三大原則」だった。こういうと何やらものすごく難しいことのように思うが、実は非常にシンプルで、「焦がすな」「捨てるな」「腐らすな」である。つまり商品にならないものを作るな、余った食材を捨てる前に何かに使えないか考えろ、在庫を把握して常に鮮度を見ろ、というものだ。

いずれも日本の家庭で失われつつある文化、心構えを大膳課では誰もが持ち、天皇の食卓にはそれが受け継がれているのである。


【歴史を振り返れば現代が見える  昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々】より引用


 
皇室には、現代日本の我々が失いつつあるものが連綿と受継がれています。
日本人は皇室に学ぶべきです。
皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを願ってやみません。
 
 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国


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