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15:00頃川越を後にしました。
是非とも、川越市から会津若松まで会津鉄道を使う旅程をGoogleマップで算出して
呆れてもらいたい所ですw
さて、帰りの会津鉄道のパンフレットに「かわら版 日光・会津沿線案内」
という記事がありました。そこに興味深い記事がかかれていました。
会津鉄道 「かわら版 日光・会津沿線案内」より抜粋 と記述されていました。
以下の画像は五十里湖からのルートマップ。
見にくいが、画像の中央部を流れる、さくら市付近を通る青いものが
鬼怒川です。この流域が危険なわけですね。
以前会津の図書館で見てきた福島県史の一部。南会津の山崩れが上記の日光地震の故事。
日光地震の6年前の大津波地震(以下レポートによると揺れは大きくなかったようだ)
これだけの地震大国な日本なわけです。(なんで山脈があるのか考えればww)
地震によるダム決壊というリスクは、低いながらゼロではないのが実情でしょう。
今回の地震でも1箇所ありました。あまりこちらがピックアップされる事が無いので
うーんと唸っております。比較して良い規模と作りかは議論になるでしょうけど。
■藤沼ダム
福島県須賀川市江花にある、江花川(阿武隈川水系)の支流に建設された灌漑用ダムである[1]。ダム湖の正式名称は藤沼貯水池(ふじぬま ちょすいち)[1]だが、報道では藤沼湖と記される場合もある。 安全な施設なんて無いという事ですね。
これから様々な発電設備の見直しが出てきますが、
xxxはyy年zzzが起きていないから安全
とかいう主張は、もしかすると鳥獣にも劣る論なのかもしれません。
鬼怒川流域の自治体の防災計画に五十里湖の災害をシミュレートとした
「陸上の津波、ダム決壊」に対するものはあるかな?
等という事を、電車に乗りながらスマートフォンで情報を調べつつ
考えておりました。
■おまけ
これの大決壊が起きてから、各地で見直されるんじゃないかなと考えていますw |
川越紀行
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さて、うなぎ。
川越市の食べ物といったら?と事前に調べていたら、検索2個目あたりに
うなぎとサツマイモだろ、というのが出ていて、安直にじゃあそれでと決めるのでありましたw
大正浪漫通り近くにある小川菊。
上鰻丼2500円也
美味しゅうございました。11時30分と早めに行ったのに並んでました><
近くの鰻屋に行列が見られず。調べると、食べログあたりでネガティブコメントが
合った所でした。そんなもんなのかしら。いや、私も調べて行きましたがw
行われるらしく、吹奏楽部の女子高生が案内していました。 つい入りそうになったのは内緒じゃないニダw
開演が13:30〜15:00だったのでパスしました。
この辺りから湿度が上がってきたのか、空の色のためカメラのホワイトバランス調整が
入ったのか写真の写りがダメダメになってきました orz
今度はデジカメを絶対に持っていこう。
川越市の市の歴史をどの位置に置いているか、どういうラインナップを配置しているかで
姿勢が判るのです。その中で見ていて、お と思ったのは埼玉県史、川越市史の
近くにあった「秩父事件」についての本でした。
秩父事件 概要 [編集] 困民党とその母体。デフレと世界不況。選択と集中の行き着く先。くれくれ君モード。
日本も世界も、何度も繰り返しておりますね。これからどんなイベントが起きるか、
この事象から読んでみても面白いなと思いました。ただし、以下の〆も確かにと思うので、ワロスワロスで。
なお本事件に関しては、従来は専ら自由民権思想及び松方デフレの強い影響下に発生したと考えられてきたが、近年はそれらに加えて、他の養蚕地域との比較や、上述の国際的環境の影響、秩父地方特有の民俗学的状況等に関しても考慮した研究の必要性が高まっている。 ■追記
司馬遼太郎氏は、選択と集中の行き着く先には飢饉があると述懐している。
重労働であった稲作に農民が集中してしまうのはやむを得ない事情はあったのだが。
飢饉で失われた命と生活で、やっとスタイルを見直すんですよね。サツマイモ、栃餅、胡桃等
を栽培、食すようになったのは飢饉のためではないか?
何処かでショック・ドクトリンについて述べていますが、そんなもんですよ。多くの目先人は。 会津の図書館にも「会津世直し一揆」の本が市の歴史書の近くに配置されています。
負の歴史、ネガティブを見るのも勉強になります。希望を語るだけではNGだと思いますよ_
さて気を取り直して時の鐘通りへ。
奥に見えるは川越市のシンボル、時の鐘です。
そして、大正浪漫通りに戻って、「シマノコーヒー 大正館」へ。
本記事最初に記した、安直にサツマイモ→サツマイモのデザートがある店を探して
たまたまこの店でした。あんまりサツマイモって感じではなかったので、その点がアレでしたが。
この店、店員の女の子がみんなメイドさんだ!!
ね、狙って行ったわけじゃないので!
か、勘違いしないで頂きたい!wwww |
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天海僧正の拠点、喜多院に向かいます。
どうも私は地図と距離感を測るのが苦手で、
仙波東照宮と喜多院の間は結構歩くのかなーと
地図を持ちながら歩くと、目と鼻の先。そして「あれ?」とか思うというw
私がカーナビを持ちながら迷うのが何故かお判りいただけたでしょうかww
朝早かったので人が少なかったのですが、私が喜多院に入って出てきた頃には多くの人で
賑わい始めていました。天気が良いと本当にry
喜多院内部と五百羅漢を見たかったので、参拝料を支払い中へ。
・・・の前に、やっぱり綺麗な庭に、つい写真撮影。
■喜多院入り口前
■上記撮影箇所から左手 喜多院本殿
中は当然撮影禁止です。また、中を楽しめるかどうかは心がけ次第であります。
本殿の天井と、天幕の家紋・紋章を見ながら、天海xxxx説に思いを馳せていました。
半分はこれが目的だったのですがww
あと、内部の立派な庭園の説明書きについて。
書かれている通りに庭園の造りを読解できる人は凄いと思います ><
自分には無理でしたww |
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川越続き。
仙波東照宮。薀蓄はWikipediaあたりでw
この紋所がry
本殿は柵の向こうからしか拝めませんでした。携帯のズーム撮影なので写りは御容赦。
東照宮を清掃していたおばあちゃんと、そこを観光に来ていたおばちゃんと会話。
・3月11日の地震で、石灯籠の頭が落っこちたのが何個かあって大変だった。
・東照宮の建物にヒビ入ってる。※あの時の地震のものか判らないけど
無事でなによりでした。
本場の東照宮程ではないので、人はまばらでした。
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川越紀行 2
知り合いに無類の旅好き・・・いや名人で、歴史好きの人がいまして、
その方の紀行を何度か講習会や個人的に話を聞いて参考にしているものです。
その方の「旅の仕方」のうち、街中にある「地蔵・観音像等の石仏」等を
徹底的に見て回るパターンがあるという事を以前聞かされた事があります。
紀行1に書いた綺麗な中院と<仙波東照宮=神社>立派な喜多院の間を歩いていると、
突然、取り残されたような石像群が現れます。
この石像の残り方。写真1枚目の石像の首全てが一度折れた後がある。
写真2枚目の右下にある首が取れた石像がある。
大体このパターンの時は
明治維新という革命時に起きた神仏分離令、いわゆる廃仏毀釈の名残を見ることが出来る、というわけです。
廃仏毀釈
起きたことと意義については、詳しくは上記記事を見て頂くとして。
革命というのは破壊と血の上に再生があるものでして。
ここから国家神道が始まってしまったんですよね・・・。
まあ、破戒僧が多かったのも事実だし、俗世から逃げる場所としての寺社
というのもあった。特権と腐敗に対する衆怒の向かい先となり、激しく壊されてしまった。
という事もあるので、そういう+−を思い返す良い遺産かなと思っています。
その土地の寺社の腐敗ぶりと、民衆の暴れぶりを見る良いバロメーターともw
以上受け売りですがw |

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