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4月の雪なんて曲が有ったような気がしますが、5月に雪とか、本当に洒落になりませんね。
北海道とか北海道とか。
風邪もまだ治らないし、
こんな時は鍋かシチューで暖まるに限ります。
脳内バトルの結果、シチューにしました。
あ、私の料理など写しはしませんよ!w
本題。
今月、まぐ様が、私の行ってみたかった新潟県は津川市の「狐の嫁入り祭り」
を拝見しておりまして、開催時期、どんな雰囲気かが分かり、大変ありがたい思いをしました。
お返しに
季節外れの寒くなる画像をプレゼントw!
昔々竹原に旅行に行った時、急行北国という寝台列車を使いました。
疲れていたので、即寝しました。
早朝、結構寝汗をかきながら「暑〜」と目覚め。
暖房利きすぎなのですよこの車両 ><
さて、目が覚めた駅は新潟県直江津。そして日の出直前。
よし、雪景色の日の出が見れるぞーと思い、カメラを構えて良い景色になるまで機会を伺っていました。
ちょっと満足。
その後、新津駅で磐越西線に乗り換え
るチャンス等すっかり分からずに新潟駅まで orz
結果的に、きたぐにさようなら撮影が出来たので良しとしましたw
そして、磐越西線に乗って会津若松まで・・・。
この辺りは日本屈指の豪雪地帯なので、
こんな状況はあたりまえww
ここが何駅なのか、最早わかりませんw
雪国の人はどうしてこんな所に住むのだか、本当に気が知れませんね__ ←
はい。例の津川駅です。
ここを見て、狐の嫁入り行列祭りに行ってみたいな〜とか思っていたのですが、
その3ヶ月後にはすっかり忘れていたのでした><
来年こそは、行ってみますぜ!。
それにしても今年は、近年稀に見る大雪だったので
磐越西線駅沿いは総じてこんな感じでした。
ここより、磐越西線沿いは私が怖くて苦手な阿賀野川の写真をば。
まあ、川の色が緑か茶色なので、写真的には「なんか良い、かも」という時はあります。 雪景色も、写真に収めてみるといいものですね。
最後に、会津盆地に入って天気が良くなったので、山の景色が綺麗なシーンを狙っていました。
喜多方・塩原・会津若松間にそびえる雄国岳。
そして、会津のシンボル、磐梯山。
会津来訪、お疲れ様でした。
次は快晴の会津になりますように!!!!!
冬にとか!! (ェ |
竹原・呉紀行
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※この記事は4月1日に書かれており、強い電波とジョークが含まれております。注意して閲覧下さい。
さて、呉という国名で皇帝を称し、かつ日本が本格的に現れるのは、中国の
三国時代まで下った辺りです。
三国鼎立への流れが決定的になったのは、呉が南下した曹操の大軍を破った、赤壁の戦いからです。
中原の曹操軍は、西暦208年、後の世のエイプリルフールの元となった大嘘、
「100万を号する軍船」を率いて南下しました。呉のイケメン提督である周瑜 さんは、長期化する
戦いの中、曹操軍内に蔓延する疫病と水戦への不慣れさ、厭戦気分を看破し、偽装降伏策を用いて
敵船に芝や油、火種を積んだ船を突っ込ませた後に火を放ち、曹操軍を一戦でもって撤退させました。
この時の戦いが、昨今映画になったレッドクリフの元ネタ、赤壁の戦いと呼ばれているのです。
実際、この戦いには様々な疑問点があります。
今に残る赤壁の戦いの描写は、三国志演義を書いたといわれる羅貫中が生きた明の時代、
当の漢人ですら
北宋の文人の蘇軾(蘇東坡)が名作「赤壁の賦」を書いたことで有名な偽の赤壁である。こちらは湖北省黄岡市黄州区西北の長江北岸の赤鼻山を指し、「東坡赤壁(別名、文赤壁)」と呼ばれる。この地は実際の戦場ではなかったのだが、晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に有名になってしまった[6]。なお、東坡赤壁は長江の流れが変遷したため、現在は長江に面していない。 赤壁の位置を間違える始末。
こんなだから「孔明が風を起こして」とか、なんとでも面白おかしく書けるわけですねw
赤壁の戦いののち、呉は江南地方の支配を確立し、蜀、魏とも幾度か戦い、
軍事・外交面でも拮抗し、各国共に皇帝を称し、江南では呉国が建国されました。
こうして三国鼎立の時代になったわけです。
国境は長江のラインにほぼ沿っており、呉が長江という水利と水軍の強さによって
保たれていたといっても過言ではないでしょう。ただし、地方豪族の寄り合い所帯だったため、
政治基盤は脆弱でした。
さて、ここでようやく日本列島にある呉の成り立ちを話せますw
当初呉国は秣陵に石頭城という要塞を築いて建業と命名し、そこを都としていました。
三国時代の地図
その後、西暦230年、孫権は2人の将軍に台湾、沖縄、日本の探索を行わせ、今の日本列島の
現在の呉市を見出したという説があります。
現在も残る呉市は、自然の良港で気候も温暖。
建業は隣に合肥という魏の防衛拠点があり、以下のおっかない人に散々な目に遭わされ
トラウマになったのでしょう。
都を江南に似た日本列島側のこの場所に移し、故郷の呉の名前をそのまま用い
今の呉市となった、というわけです。
いやはや強引ですねw
孫権のトラウマの元、張遼さん
呉市初代市長 孫権
そういう成り立ちからか、この地は日本の戦国時代には村上水軍が、明治時代は大日本帝国が
海軍の軍事拠点として利用して栄えました。
平成の現在も、呉には基地がありまして、今回はそれを見にこの地を訪れたのでした。
基地に入りまず思ったのは、呉は海の町というだけではなく、海と山(坂)の町※だなということでした。
※だから牡蠣が美味いんですねw
三国時代、江南は水・海の国で平地が多いのかと思っていたのですが、この頃南方には未開の
荒野や山が多く、孫権は山賊に手を焼いていたとも聞きます。日本列島も平地より山が多いので、
より一層郷愁を誘ったのでしょう。
さて、基地内を見ていて一番感動したのは、以下の艦船でした。
じゃなかった><
これです。
ヘリ空母「李世」(中国名)
唐の名君「李世民」から取っているのは明白ですが、中華人民共和国の「民」を忌み名とし、
李世になったとのことです。もう自分で書いていてワケワカメですが、そういうことにさせてください。
こちら、日本名は
護衛艦 「いせ」 と呼ばれていました。
「空母なのに護衛艦と呼ぶのは何故でしょうか?」というニュアンスで聞いた勇者が居たのですが、
この基地の関係者からは
「日本は空母が忌み名になってんだよバーロー」
という空気を頂きました。確かにそうですね><
その次に見て感動したのが、敷設艦「室戸」でした。
こういった特殊艦を見るのが初めてだったので、この船首部分にいたく感動していましたw
この室戸の横には
こんなものがありました。
これは、もしかして
諸葛亮役といえばこの人、唐国強 この方が開発したと言われる木牛流馬の進化系!?
あれー
みんな一輪だ・・・
アイヤー!!
「日本製」の文字が><
強引な三国志ネタを交えた捏造もこれまでw
以上、呉の海自基地を見て、アンサイクロペディア風な三国志ネタを考えてみました。
半分以上ジョークなので、本気にしないで下さいね>< |

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4月になりました。
色々な所で明日から新年度を向かえます。入学式、入社式、新学期、新年度、etc...
皆様、年末年始とは違うフレッシュな心持ちで明日を迎えられればと思います。
などと、アニスの香りが利いた、ちょっと高めの杏仁豆腐を食べながら記事を書いております。
う〜ん、いい日曜日。
さて、デスクトップを整理していたら、まだブログに上げていなかった、昨年2月の
旅行写真があったので、4月1日というこの日を選んでアップしようかと思います。
行き先は、前々から行きたかった
呉は、歴史書に残る日本列島の地名で最も古いもので、起源を言えば中国の周王朝は
古公亶父の息子太伯にまで遡ります。紀元前10、11世紀だというのだから、
日本列島最古のものと言っても言いすぎでしょう。
近しい所まで国力を増大させました。
ところが、越という非常に仲が悪い民族が隣に住んでいて、そこの勾践さんと、史記中でも最高クラスの
この范蠡なる男は、軍事で結果を出した後、前述の美女を連れて見事に身を引き、後に大金持ちになった
史記中でも最強のリア充野郎です。コンチクショウめ。
こんな故事があるので、呉と越は仲が悪く、なかば思考実験的な呉越同舟という故事成語が生まれた
わけです。
しかし今回、呉に行ったときに非常に興味深い道路標識を発見しました。
なんと、日本では呉と越が仲良く暮らしているのです。
・・・これを見て思い出したのは、やはり史記に出てくる斉の名宰相、晏嬰です。
この人は、詳しくはWikipediaや本などを読んで頂ければと思うのですが、故事成語の
や南橘北枳という故事成語を生んだ名宰相です。
その後者の故事成語、南橘北枳は以下のようにして生まれました。
つまり、中国大陸の土と水で育つと仲が悪くなり、日本の土と水で育てば仲が良くなるという
ことですね。和を尊ぶ国、倭(和)国とは、こうして名付けられたのです。
そんな知的な感動を、車窓から見た道路標識から得たのでした。
続く
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ほんわかアニメ「たまゆら」の聖地、竹原市 街並み保存地区を巡っている最中も、悪趣味を解放していましたw
織部灯篭については、以下のサイト
旧笠井邸は「たまゆら」でも何度か出ています。スタッフ本気の回第七話で
ぽってと横須賀話で盛り上がってたシーン。
ここに映っている灯篭は
春日灯篭 ですね。
無いなぁと思っていたところ、とある方が「あっちにも灯篭があるけん」と指をさし、
NPO法人の説明書きからすれば、消去法でこれが織部灯篭でしょうか。
しかし、肝心な部分が葉っぱで隠されていて見えませんでした orz
※しかも写真をよくよく見ると、奥にもう一基ある・・・
笠井邸の庭へは出れなそうだったので、ここは深追い断念。
どれが織部灯篭ですかとNPOのスタッフ?に聞いたのですが、詳しくは判らないとのこと。
まあ、変人しか問わない内容ではあるので、やむをえんです。
おのれーと思い、撮ってきた写真を見直してみると
あ。
一応近く寄ってみたのですが、ただの○にしか見えず(暗かったからか?)、また竿の形も
例の形をしていなかったので、外れかなーと思い、至近距離での撮影を躊躇ったのですが・・・。
こうして遠目で、写真としてみるとシルエットが見えるw
もう少し高精細で明るい本灯篭の写真が欲しかった・・・。残念ー。
ちなみにこの灯篭も
ちゃんと七話の作中に有りましたw 灯篭以外のものとしては墓がターゲット。
普明寺の横のお墓を見ようと入っていったのですが、さすがに悪趣味なので深入りをやめました。 てへぺろ←
後はこの辺でしょうか。
次の地蔵?はしっかり見ませんでした・・・。
中に入って前掛けを上げてみるような事は出来ないという気が弱いウリw
まあ気になる、気になった方は見てみてください。
あとは、双体神?仏?が合ったので、大体こんなものかなと思います。
これらは勉強しないとわからないし、その主張が真か疑か、もはや判らないというオチが付いていますが。
無論私も勉強不足。まだ触りだけ、なのでw
さて、何処にあったかといえば・・・七話の次回予告にあった以下のシーンを登っていって、
※これ本当に写真そのままですね。背景さん凄すぎる・・・。
謎のマンドラゴラ人形も通り過ぎてw
ここですw よくよく考えてみれば、おかかえ地蔵も前掛けしていますね。 なあるほど。
以上、毎度恒例の悪趣味でしたw
灯篭や西日本のソレについては、継続して調べるとしまっす。
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ペースがゆっくりでごめんなさい。
本格的に
巡礼の結果をピックアップ、なのでw
広島県竹原市を舞台にしたアニメ「たまゆら」の、いわゆる「聖地巡礼」に行ってきました。
本作の原案・監督・絵コンテ役の佐藤順一氏は、大学時代の知り合いにより、
とある作品で洗脳され、ファンになってしまいましたw
それ以来、気に入った作品を見続けています。
特に氏の本気絵コンテからは、常々綺麗な写真を見たかのような感動を受けておりまして、
「この人の目に映るもの、印象に残ったものを見てみたい」
と思ったのが今回の竹原紀行の一つの目的なのでした。
↓
おおー!
閣の名前のところにあるライトが存外興醒めなんですが、ちゃんと隠してますねw
それにしても
アニメの通りに撮影するのは難しい!w
地図を見るのが苦手な属性は、こういうときにも出ますね><
.
このシーンの神社
↓
最近のご当地アニメでは、本当に背景屋さんが頑張っておられます。
現地で気に入った、使えるシーンの写真を撮り溜めて、背景に用いているのでしょうね。
作品創りにおけるスタッフ来訪と、ファンの来訪、
二重の意味で経済効果がありますね、ご当地アニメという奴は。
※ただし、迷惑行為や大挙して来訪はご法度、ご容赦です。
ARIAでも・・・いやARIAは特に海外だっただけに、写真は大活躍だったようで。
サトジュンの「ベネツィアごめん」で話していたのを思い出しましたw
例えば以下のシーンの赤い○で囲った部分。
私も普明閣を降りてくる時に「なんだこれは」
と思ったそれは
※ 逆光で敗北 orz
鬼瓦とか、その他の細かいオブジェクトも、現地を参考に
良く書き込まれていました。
出来るだけ忠実に再現しつつ、アニメらしさは奪わない。
良い仕事してますねw
アニメのご当地、いわゆる聖地としては結構こじんまりとしている
「竹原 街並み保存地区」は、歩いていると「あのシーンで見覚えある!」という所ばかりです。
東日本の、しかも東北から、という酔狂な方はあまり居ないと思いますがw
西日本に住んでいる方で、特に本作が好きな方は、是非足を運んでみて下さい。
・・・最後に
かおたんばかり映っているのはmpの仕様です。
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