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名鉄三河線の廃線巡りで行った西一色駅跡近くの八王子神社です。
入り口のすぐ前を廃線跡が横切っています。


神社入り口。
イメージ 1

ここのポイントは社標。
当然「八王子神社」となっていますが、裏に回ると…
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埋められてはいますが八幡社となっています。リバーシブル!
理由は後述。

鳥居の手前で早くも狛犬がお出迎え。大正15年、作者不明。
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鳥居はなかなか古いもので天明3年(1783)建立。

文政4年(1821)の灯篭。下の方は後に追加したと思われます。
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台座に「征露紀念」と草書で刻まれています(たぶん)。

境内。
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灯篭や狛犬が入り口近くに配置されているので拝殿前はよく言えばスッキリ、悪く言うと物足りない感じ。

社殿向かって右隣りの大宝社。
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天保九年(1838)の水盤。
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大宝社の狛犬。昭和8年、作者不明。
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ちょっと面白かったのが奉納者の横にわざわざ「イロハ順」と並び順を書いてくれていること。

社殿は立派なRC造です。
イメージ 9


入り口に由緒書きの板碑があります。
それと『一色町誌』によると、創建年は不明ながら、味浜部落の鬼門鎮護として建てられたと伝えられる。
年代が分かる由緒としては、後醍醐天皇の八人目の皇子である恒良親王逝去のため、味浜の養林寺住職藤原光房と郷士高須氏が八本の剣を御神体とし八王子神社を創建したという。
これによると、光房が住職を務めた1354〜1405年の間に創建されたことになる。

その後、八柱神社として八幡社合殿であったものが明治43年に合祀され八幡社となったが、昭和9年に八王子神社への改称が許可された。

社標がリバーシブルになってたのはこれが理由と思われます。
建立年をちゃんと見てませんが、裏返して再利用したのか。

しかしこういっちゃなんですが、八幡社でも八王子神社でも名称はどっちでも良さそうなものを、地元の方には何か改称したい強い理由があったんでしょうか。
戦前の南朝贔屓の影響か?

また境内社の大宝社は、由緒書きや『一色町誌』では、もともと神明社合殿だった御鍬社、知立社と共に明治43年に神明社へ合祀されたことになっています。
ということで境内社が大宝社なのか神明社なのかはナゾ。

古い石造物が残っていて、なかなか由緒を感じる神社でした。

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実は向かい合ってもう一社・・・なんて、オチはないか。
参道は地下の穴から出てですね・・・

2018/1/10(水) 午前 10:58 [ つー ] 返信する

> つーさん
その発想はなかった!
あ、真夜中に来ると社標がひっくり返ってて境内が違う世界に…とかもいいですね。

2018/1/10(水) 午後 9:12 [ ポンヌフ ] 返信する

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まさかの社標リバーシブル‥‥Σ(-∀-ノ)ノ!!
これだけでも見がいがありますね(笑)

2018/1/10(水) 午後 11:25 [ ] 返信する

> 京さん
こんなの初めて見ました。
理由というか経緯もわかったので良かったです。

2018/1/11(木) 午後 7:58 [ ポンヌフ ] 返信する

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