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自己実現と助け

自己実現という言葉はいつごろからよく使われるようになったのだろう。

わかっているようで、うまく説明しにくい。

また、聞いていて、わかっているのかなあと思うときもあったりする。

創造的存在としての人間、大きな可能性を秘めた存在としての人間であるがゆえに言えることではあるだろうが、あらゆる生命体に対しても用いられたりもする。

自己実現も、自力救済の考え方で強調して用いられることもある。

確かに誰しもに自己実現力なるものがあるとすれば、自己実現も自己救済もその者の力によると言えばそうなのだが、その者のおかれている環境というものも無視できない。

人への究極の助けがその人の自己実現だというなら、そして、もし自己実現がこころのありようだと考えるなら、その人の環境は考えなくてもよさそうだが、助けのかかわりそのものがすでに環境であるのだから、疑問が残る。

その人の自己実現力の大小だって考えねばならぬ。


さて、自己実現とは。

どうも、なかなか正しく概念規定できるものではなさそうだ。そして、それでよい。


伊藤隆二さんは次のように説明している。

自己実現とは、単なる成長発達とも違うし、なんらかの業績をあげることとも違う。成長・発達や業績は、ある外在する尺度、ないし基準に照合して測定される場合が多いが、自己実現とは、むしろ反対に、いっさいの基準をはずし、その人その人のあるがままがそのままをそのままに、創造的にまっとうすることである。これは現実の社会や集団基準への到達を目指す適応主義の立場とは、はっきり異なるものである。(伊藤隆二「精神薄弱児・者の自己実現への援助度からみた判定基準(私案)」)

情報ということ

情という字は、「こころ」とも読むようです。

そこから、五木寛之さんは、情報はこころを報じることではないかと言います。そして、今や、情報は数字や統計などの情報のなかで最も次元の低いものを意味していると書いています。また、情とは湿り気を帯びた人間のこころだとも書いています。(五木寛之『情の力』)

なるほどと思います。
現在、情報というものは、むしろ情をできるだけ取り除いたものへと進んでいるようです。そして、ともすると、ひそかに意図的に特定の情を忍び込ませるような情報が流されたりいたします。

情の伝え合いは、人のこころに潤いを与えるのですが、ある特定の方向性を意図した情は人のこころの操作にもなります。

ややこしい時代になってきていますね。

以前、Sixth Senseという映画を見たことがあります。

主役は子どもで、見えないはずの人が見えるという内容であったと思います。

見えない人が見えるという話は、いろいろあります。たとえば、自分が自分を見る、ということもあります。

デイビッド.A.ヒルという人が書いたドッペルゲンガーの話(How I Met Myself)などもその種の話です。

これらはお話の世界ですが、しかし、そういうことが現実にあるのかどうか。

前者は心霊現象という話でよくありますね。後者は、心理学領域で出てくることがありますね。


私のよく知る人に、そういう感覚をもつ人がいます。

この人は、自分自身を見るという経験もしていますし、普通、多くの人には見えない人を見るという経験もする人です。

新興宗教をする人でもなければ、各地に今もいるであろう「拝み屋さん」でもなく、しごく普通の生活をしている人ですけどね。
しかも、私となんら利害関係のない人ですから、私は、まさにその人の経験として、ときにあったときに、たまに出てくる話を聞くだけのことなのですが。

だから、その人自身の話から、そうした経験をすることは以前から知っていたのですが、最近しばらくぶりにそういう話をまた聞いていて、改めて気がついたことがあるのです。

私たちは、「見る」という言葉を使いますし、その人もやはり「見る」という言葉を使って「見たもの」を説明するのですが、詳しく聞いてみると、実は、見ていないのですね。

しかし、見ているように知るのです。たとえば、表情や着ているものの布地まで見るのです。

でも、やはり、視覚で見ているのではないのですね。

とすると、この種の知覚には、一般的な感覚ではない感覚が働いて、それを視覚的に知るという説明の方が正しいようなのです。

この特殊な感覚は強くもつ人もいれば、ほとんどもたない人もいるようです。あるいは、どの人ももっているのに、日ごろその感覚がよく働く人と日ごろはほとんどそういう感覚が働かない人というのがいるのかもしれません。

また、興味深いのは、この種の感覚をもつ人は、普通はその種の間隔で「見えるもの(人)」を怖がらないということです。そういう感覚をもたない人にとっては、気味悪く、怖いという感情を起こすのですけどね。
でも、この種の感覚をもつ人も、時に、その種の感覚によって、これは「見えるもの」に対してではないようなのですが、恐怖を抱く場合があるようなのです。

あまりだらだらと書いてもつまらないので、このあたりにしておきますが、
ここで私が書いておきたかったことは、彼らも私たちも「見る」という表現を使ってそうした経験を語りますが、彼らは視覚的に見えているわけではないということなのですね。

忠について考える

忠という字は、中にこころ(心)と書きます。

これを、心のなかを満たすと説明をする人がいます。

心のなかを満たす。つまり充実させる。それは、誠実な姿だといいます。

私たちは、ともすると封建時代における忠、すなわち主君への、現在で言えば上の者への義務と考えがちですが、
主従関係を越えて、人間のあり様を考えれば、
忠とは内省して自らを欺かず、良心の命じるままに従うこと、真心、誠実を意味すると謂えます。

自らを自らとして生きるために、大切な言葉(文字)だと思います。

分割して知る

知るというのは、自分も含め、物事を分割していくことなんですよ。

あんまり分割しすぎちゃあ、いけません!

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