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12 鶏の丸焼きを三羽も食べたポリネシアン・ザウルスと再戦
ガンダさんは僕が濡らしてきてあげたタオルで手を拭くと、リュックの中から新聞紙に包んだおにぎりを取り出した。そして、僕がコンビニ袋を開けると顔を突き出して覗き込んだ。
「おっ、今日はおにぎりじゃねえか」
僕は照れ笑いをした。昨日ガンダさんが、「日本人は米を食わねえと力が出ねえ」と言っていたので、少しでも体力をつけたくて大好きだった菓子パンはやめることにしたのだ。
ガンダさんは僕の顔を見てニコッとしてから、早速おにぎりをほおばった。それにしても、学校を休んで毎日遊びに来ていることに関してまったく訊こうとしないのはなぜなのか。例のおばさんたちがお節介を焼いてきたことでも分かるとおり、たいがいの大人なら意見のひとつも言って普通だと思うのだが。
「あのー、ガンダさん…」
ふと僕は、不登校になった経緯をちょっとだけ聞いてもらおうかとの思いが胸をかすめた。
「なんだい?」
ガンダさんは僕の顔を覗き込んだ。
「いいえ、いいです」
言いかけたのにも拘らず、やはり躊躇いがあった。怪我したふりをして柔道の練習をさぼったことが原因で、クラスの奴らから意地悪されたとはどうしても格好が悪く、話すのは止めにした。
「おかしな奴だな。まあいいさ」
そう言ったきりそれ以上のことを訊こうとしなかったが、他人の悩みをやたらと詮索しないところも僕は好きだった。
「それよりも」
ザウルスとの決戦の続きを早く聞きたいたのも確かだが、僕は気持を切り替えたかった。
「おお、そうだった。あの怪物野郎との再戦だったな」
僕はおにぎりを手にしたまま、大きくうなずいた。
「最初の対戦から一週間後、場所も同じフロリダ州のオーランドだった。試合は前回と同じメインイベントで、今度こそ俺の病院送りになる姿を観に来た客はデカイ体育館に入りきれず、ソールドアウトになったチケット売り場は大騒動だったよ」
「凄げえ!」
「前回の試合で完全決着にならなかったからな。観客はどうしても俺の肋骨がへし折られる場面を観たいんだろうよ」
「アメリカ人は日本人が嫌いなの?」
「うーん…」
ガンダさんはちょっとだけ困ったような顔をして返事の間をおいた。
「1,890年にはじめて集団移民した頃からの長い間、日本人は肌の色だとか勤勉で働き者だったことが逆に嫌われ「ジャップ」とののしられて、ひどい人種差別をされていたんだ」
「ジャップ?」
「日本人を見下げて呼ぶ言葉だ。俺がアメリカへ行ったばかりの頃にはまだ若干の差別はあったが、今じゃそんなことはねえ。だから彼らが本気で日本人を嫌っているわけじゃねえんだ」
「ふーん」
「つまり、プロレスは善と悪が戦うという仕組みで、前座の第一試合からその基本は一緒さ。どこの国でも同じだが、悪役は憎まれてなんぼの商売だからな」
「悪役は損だね」
「ハッハッハ。そうかも知れねえが、プロレスというエンターテイメントは悪役がいるからこそ面白いんだ」
僕は父に連れていてもらった横浜文化体育館の試合を思い出した。観客は悪役の外国人レスラーに野次を飛ばし、日本人レスラーが反撃に出るたび手を叩いて大喜びしていた。
「ところでな。その日の対戦カードも順調に進んで、いよいよ俺たちの試合になったんだ。そして俺は前回と同じように、先にリングに上がって怪物を待っていたんだ。ところが、奴はなかなか出てこねえんだよ」
「えっ、どうして?」
「そうしたらな、「ザウルスは腹が減っているので試合前にメシを食うそうだ」と、係りの者が伝えに来たんだ」
「試合前に?」
「俺は、「好きにしろ」と言ってやったんだがな。そうしたら、リングの上に大きなテーブルを用意して食い物を運んできたんだ」
「お客さんの観ている前で?」
「そうだ。山ほどの食い物がテーブルに並べ終わると、怪物が太鼓のリズムに乗ってノッシノッシと姿を見せたんだ」
僕はジャングルの奥から現れるザウルスの巨体を想像した。
「怪物が何を食ったか分かるか?」
僕は首を横に振った。
「信じられえだろうが、なんとニワトリの丸焼きを3羽とホットドッグを50本」
「マジッ!」
あまりの凄さに、まだガンさんが話している途中に声をあげてしまった。
「その他に、バケツに入れた牛乳を3ガロンだ」
「3ガロンって?」
「つまり1,8リットルのパックだと10本分だ」
「えっ! それを全部平らげちゃったの?」
「ああ、残さずに食っちまった。しかもニワトリの骨までな」
「チョー凄げえ!」
僕も痩せているわりには食べる方だが、ザウルスが一度に食べた量はとても信じられないし、その場面を想像しただけで吐きそうになる。
「俺はリング内のコーナーポストの上に座ってじっと見ていたんだが、食いっぷりの凄まじさはまるでライオン並だったよ」
僕は前回と同じように、だんだんと現実離れした怪奇の世界へ吸い込まれていく興奮を隠し切れなかった。
「怪物野郎はな。食い終わったとたんにゆっくりと立ち上がって、満腹になった腹をポンポンと叩き、俺を睨みつけて親指を下に向けるとニヤッと笑ったんだ」
「あっ! この前と同じ、肋骨をへし折るぞという仕草だね」
「そうだ。ところが奴は天上を仰ぎ、猛獣のような声で「ガオーッ」って吠えると、いきなりテーブルを持ち上げて、俺を目掛けて投げつけてよこしたんだ」
「えっ! 今度はザウルスが奇襲攻撃?」
「そうだ。前回は俺が仕掛けたから、そのお返しのつもりだろう。俺は、咄嗟に身を交わしたんだが迂闊だった。なんとテーブルの角が顔面を直撃してしまって、早くも大流血をしてしまったんだ」
「ええっ!」
あたかもアメリカの試合場にいるような臨場感が浮かび、自然と息が荒くなっていくのを感じた。
「怪物野郎は倒れた俺に襲いかかって、流血している顔面を蹴りまくったんだ。俺の頭の中は灰色になってしまってな、気を失いかけてきたよ。それでも、夢中でロープにしがみ付いて立ち上がると、必死の反撃に出たんだが、パンチもキックも簡単にはつうじねえ」
「ザウルスが大きすぎるから?」
「ただ大きいだけじゃねえ。奴の身体自体が重戦車のような凶器そのものだからな」
僕の呼吸はいっそう荒くなったが、それでもどんどんと話の中に入り込んでいく。
「それでも俺は、やっと攻撃のチャンスを掴んだんだ。コーナーに投げつけられた時、奴が体当たりで突っ込んでくるところを、ぎりぎりの寸前に交わしたんだ。すると、なにしろ500キロの体重に加速がついているもんだからコーナーポストがぶっ壊れ、その先まで身体が乗り出して鉄柱へ頭をぶつけてしまったんだよ。ガツンという凄い音がしてな、怪物の額からも鮮血が流れ出したんだ」
「えっ! ザウルスも大流血?」
「そうだ。だが、流血したくらいでそう簡単にまいる奴じゃねえ。俺のチョークスリーパー攻撃を必死で外して再び反撃に出てきた怪物は、もの凄い形相からいよいよフィニッシュコースに出てきたんだ」
「今度こそ肋骨を折るつもり?」
「ああそうだ。前の時と同じように右の拳を天に突き上げると、観客は声の限りを張り上げて興奮の絶頂に達したよ」
「ヤバッ!」
「奴の怪力で頭の上まで差し上げられた俺は何度も投げ飛ばされて意識が朦朧としてきた。このままでは怪物の餌食になってしまうと思い、パンツの中から例の粉袋を取り出したんだ」
「目潰しの、唐辛子入りメリケン粉でしょう」
「ああ、そうだ。ところがとんでもねえ邪魔が入ったのよ」
「邪魔!」
「粉を投げつけようとした俺の手を、なんとレフェリーが押さえたんだ」
「レフェリーは反則を止めたの?」
「そのとおりなんだが、頭に来た俺はレフェリーを蹴っ飛ばして、場外へ投げ落としてしまったんだ」
「じゃあ、また反則負け?」
「ああ。試合終了のゴングが連打されると、観客は総立ちになって、あらん限りの暴言を絶叫していたよ」
僕にはエキサイトした観客の凄まじいブーイングが聞こえるようだった。
「俺は退場を命じられたよ。ところが怪物は、「又しても反則じゃ納得がいかねえ」とレフェリーに抗議し、コミッショナーが協議した結果、判定を取り消して時間無制限の試合続行ということになったんだ」
―― 凄いことになった。
そう思った僕の呼吸はますます荒くなり、胸が苦しくなるほどだった。
「それで、どうなったの?」
「荒れ狂った怪物は俺の手から強引にメリケン粉を取り上げて、なんと俺の顔になすりつけたんだ」
「えっ! それじゃガンダさんの目が…?」
「そうなんだ。思わぬ事態に陥った俺は焦ったよ。目がヒリヒリして手探り状態でロープにしがみ付いている俺を、奴はもう一度投げ飛ばすと、コーナーへ登ったらしい。目が見えなくなっていても客の反応で相手の動きは勘で分かるからな。そして怪物は勝利の前哨ともいえる奇怪な雄叫びを上げたよ。その雄叫びこそ、ザウルススプラッシュを繰り出す前触れだと知っている俺は、奴がコーナーをダイビングしたと感じた瞬間、肋骨がへし折られる紙一重のところで身体を回転させて、必殺技を交わしたんだ」
「それで!」
「リングの中に雷でも落ちたような、もの凄い轟音と爆風が起きたよ。俺はリング下まで転がり落ちてしまったんだが、必死で態勢を整えると、自分の汗と涙で見えない目を洗ったんだ」
「凄げえ!」
「すると、ぼんやりと見えてきてな。リング内に目をやると、なんと怪物が消えてしまったんだよ」
「えっ?」
「つまりな、寸前でザウルススプラッシュを交わされた怪物は、バランスを失って自爆し、リングの床が500キロの重さにぶち抜けてしまったんだ。怪物が消えてしまったのは、リングの下に落ち込んでしまったというわけよ」
「チョー凄げえ!」
「自爆した怪物は完全にのびてしまったんで、俺の勝ちということにはなったんだがな。俺はフロリダ州のテリトリーから永久追放されてしまったんだ」
「どうして?」
「ああ。度重なるレフェリーへの暴行で、コミッショナーが下した制裁措置さ」
「でも悪役なんだから仕方ないでしょう」
「まあな。仕事だよ、仕事。プロレスでギャラを稼ぐってことは命がけなのさ」
僕には、仕事だという意味が分かるようで分からなかったが、ガンダさんは豪快に笑ってからリュックを背負い、松葉杖を引き寄せて立ち上がった。
「じゃあ、またな」
笑顔を残したガンダさんは、背中を向けて歩きはじめた。
「ガンダさん待って!」
「ん…?」
ガンダさんは立ち止まって振り向いた。
「僕、ガンダさんの話を聞いていると、少しずつ勇気が湧いてくるような気がする。だからまた聞かせて」
「そうかい。それはよかった」
「ポリネシアン・ザウルスより、もっと凄い怪物レスラーもいるの?」
「ああ、この広い世界にはまだまだ凄い怪物人間がいる」
「じゃあ次の話は?」
「そうだな。この次はアンデスの大魔人と呼ばれていた、マルディシオン・コロンビアーナと戦った話をしようか」
「アンデスの大魔神!」
名前を聞いただけでも夢が膨らみ、今すぐにでも話をせがみたいほどの気持に駆られた。
「こいつはな、なんと身長が2メートル80センチもあるんだ」
「ええっ! 2メートル80」
「それじゃあな」
ガンダさんは軽く手を上げて再び大きな背中を向けると、杖の音をコツコツと鳴らして歩きだした。
「あのーっ」
僕は小声で呼びかけたが、ガンダさんの耳には届かなかったのか、もう振り返ることはなかった。明日は土曜日で学校が休みである。公園には多くの子供たちが遊びに来るはずだから、僕は知らない子でも顔を合わすのが嫌で家からは一歩も出ないことにしている。
それに単身赴任中の父が、不登校の僕を心配してわざわざ戻って来るという。父に叱られると思うと憂鬱ではあるが、それ以上にしばらくはガンダさんに会えないのが淋しくてならない。
つづく
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