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14 アンデスの巨人と真昼の決戦
翌日、父の運転で鎌倉から湘南の海添えをドライブした。車中でも、ホテルのレストランへ寄って食事をしたときも、妹は終始はしゃいでいたし母も楽しそうだった。だが、僕の脳裏には学校へのわだかまりと、誰にも話してはいないガンダさんの面影が交差して離れず、キラキラと眩しい紺碧の海をただぼんやりと見ていた――。そして父が一時帰国した3日目の朝。
「夏休みには、みんなで上海へおいで」
と僕の肩を叩き、本社へ寄ってからそのまま赴任地へ戻ることになった。
その朝、会社から迎えの車へ乗り込む父に、
「ありがとう」
とだけ声を掛けた。父は笑みを浮かべただけで、もう学校のことは何も言わなかったが、僕には父のエールが強く感じられた。
3日ぶりにグローブとボールを手にした僕は、そっと玄関を開けた。この前と同じように走って行くつもりだった。それでも一応自転車置き場を覗くと、意外にもチェーンロックが外されていた。理由は分からないが思わずほっとして、グローブを荷台カゴに入れるといつの間にか母が後ろへ寄って来ていた。
「龍太郎。ママも、あなたがきっと壁を乗り越え、強い子になると信じているわ。だからパパが言っていたように、自分の力で解決策を見つけ出しなさい」
そう言ってビニール袋を差し出した。
「おにぎりと、お茶よ」
ついこの間までとはかなり物腰の違う母に驚きながらも、
「ありがとう」
と小さく言って自転車にまたがった。相変わらず曇り空の心とは裏腹な晴天が続いている。
公園に着き、気になって仕方のなかったガンダさんを見つけて僕は走って行った。ドングリの木の下のいつものベンチで、新聞を広げていたがすぐに気がつき、
「よう」
と声を掛けてくれた。最初に声を掛けられた時の不安感や躊躇いは、もうすっかりと消えている。
「おはようございます」
僕はぴょこんとお辞儀をしたが、少しの間会わなかっただけなのに随分と久しぶりな気がして、涙がこぼれそうになった。
「あのーっ」
父に言われたことも頭にあるし、今度こそ思い切って学校のことを聞いてもらおうと切り出したのだが、ガンダさんは、
「分かってる」
と言って新聞をたたんで脇に置いた。
「今日もキャッチボールをしようや」
ガンダさんはそう応えたが、僕の言いたいことを意図的にはぐらかしたのか、あるいは本当に勘違いしたのかは分からない。だが、父に言われた「壁」を必死で越えようともがいている僕を、すでに感づいているような気がしてならない。
おばさんたちに、「学校へ行きなさい」と言われていた時にも、「気が済むまで壁と向き合って、好きなだけボールを投げていろ」笑っていたのは、おそらくそのことなのだろと思えるようになってきた。
ガンダさんは新聞を畳み、手をバンバンと叩き合わせてから肩を回した。
「それじゃあピッチャー、頼むぞ」
ガンダさんの顔を見ていると、むしゃくしゃしている嫌なことがどんどんと頭から離れて行く。自然と口元がほころんでくる僕は薄手のジャンパーを脱ぎ、ビニール袋とともにベンチの端へ置いた。下ろし立ての大熊猫のTシャツ姿になると、ガンダさんが、
「おっ、カッコいいな」
と言ってシャツの裾をつまんだ。父の土産だと話そうとしたが、やはり黙っていることにした。
「よし、今日もしっかり投げろよ」
大きくうなずいた僕はいつもの位置へ走った。マウンドに立って腕をぐるぐると回していると、例のおばさんたちが横目にジロッと見て通り過ぎるところだった。相変わらず僕の不登校をさげすむかの嫌な視線ではあるが、以前ほどは気にならなくなってきているのは、「元悪役レスラー」という強い後ろ盾がいるからだろうか。
肩慣らしを終えて第一球を投げるとガンバさんはビッシと受け止め、
「おお、いい球だ」
と微笑み、相変わらずの直球を投げ返してよこした。いつもながら素手でキャッチしているというのにまったく表情を変えず、つくづく頑丈にできている人間がいるものだと感心させられる。
僕はボールを投げ続けながらも、昼になるのが待ちどうしくてならなかった。と言うのは、父の話を聴きながらでさえ時おり頭をかすめた、アンデスの大魔神との戦いが気になって仕方がないからである。
抜けるような青空に太陽が眩しく、気温も少しずつ上昇している。僕は額から頬に流れた汗を手の甲で何度も拭った。
例のおばさんたちが10周目のウオーキングを終え、汗を拭き拭き引き上げて行ってから、もう結構時間が経っている。
ぼつぼつ昼だろうと思っているのだが腕時計をしていない僕は、時間が気になって仕方がない。やむなく、投げようとしたボールをグローブに持ち替え、ズボンのポケットからスマホを取り出してディスプレーを覗いた。
「電話か?」
ガンダさんは構えていた手を下ろした。
「時間を見ただけ」
「そうか」
ガンダさんは自分でもリュックのベルトに結び付けてある時計を手に取った。
「おお、もうすぐ昼だな。今日は早メシにするか」
そう言ってから両腕を大きく上に伸ばし、背伸びをしながら大きく息を吐いた。僕はベンチに戻り、グローブを外すとガンダさんから受け取ったタオルを濡らしに手洗い場に走った。
僕と違いほとんど汗をかいていない顔や手を濡れタオルで拭き、リュックから新聞の包みを取り出したガンダさんは僕の手元を見つめた。
「あれっ、今日はコンビニのおにぎりじゃねえな。母ちゃんにこしらえてもらったのか?」
「はい。ママが持たせてくれた」
「おおそうかい。よかったな」
それ以上のことを詮索しようとしないのはいつものことだが、ガンダさんは僕の不登校をめぐる家の事情まで見とおしているような気がしてならない。でも、僕の家どころか学校も知らないのだから、そんなことまでは分かるはずがない。
そう思ったとき、僕自身もガンダさんの家がどこなのか聞いたことがないし、誰と生活しているのかも知らないことに気付いた。
そんなことを考えてぼんやりとしていたのか、ガンダさんは突然におかしなことを訊いてきた。
「ところで龍太郎の足は何センチだ?」
「えっ? 僕、27センチだけど」
「そうか。年齢のわりには大きい方だな」
僕にはガンダさんが何を言おうとしているのかすぐには分からず、おにぎりを手にしたまま首をかしげた。
「足がどうかしたの?」
「ハッハッハ」
ガンダさんは声高に笑ってから僕の顔を覗き込んだ。
「それじゃあ、アンデスの大魔神、マルディシオン・コロンビアーナの足は何センチあるか、分かるか」
ガンダさんは約束の話をしようとしていたのだ。
「いえ、ぜんぜん分からないけど。身長が2メートル80センチもあるんだから、足だって相当に大きいんでしょ?」
「ああ大きい。龍太郎、驚くんじゃねえぞ」
ガンダさんは勿体ぶったように僕の目をじっと見たので、その様子から半端なサイズでないことは想像できる。
「奴の足はな。何と48センチだ」
「ええーっ! 48センチ」
内心で想像したよりははるかに大きく、僕は驚愕のあまり両手でその大きさを示し、ガンダさんの片方しかない運動靴に目を落とした。
「俺も32センチだから結構デカイ方だが、あいつと比べたらまるで子供だよ」
「そんな大きな靴って、あるの?」
「いくら外国でも、あんなデカイのを売っている店なんてありゃしねえよ。だから、靴に限らずすべてが特注さ」
「そんな足で蹴られたら大変だね」
「大変なんてものじゃねえよ。だから大魔神の得意技は、そのデカイ足を使ったトラスキックという蹴り技なんだよ」
「トラスキック?」
「トラスキックというのは空手の足刀蹴りという技でな。相手をコーナーポストへぶつけて動けなくしてから、上体を横向きにこごめて、左を軸足にして右足をストレートに顔面目掛けて叩き込んでくるんだ」
片脚のないガンダさんはその格好を腕でやって見せてくれた。僕はその技が炸裂する場面を想像したが、考えるだけでも震え上がってしまう。なにしろ48センチもある足だと、馬に蹴られるよりも凄いはずだ。
ガンダさんは、目を丸くしている僕を見ながら話を続けた。
「この技をまともに食らったら、間違いなく顎の骨を砕かれるか、下手すればあの世行きだ」
「えっ! あの世行きって…」
「そう、鍛えているレスラーでも、当たり所が悪ければ死んでしまうこともある」
「凄げえな。アンデスの大魔神は空手家なの?」
「うん。よくは分からんが謎に満ちた男だ。パンフレットに紹介されている経歴によると、アンデス山脈の山奥に籠もって、10年間も秘密の修行をしたと書いてある」
「たった1人で?」
「そうだ。たった1人でだ。アンデス山脈ってえのはな、南米のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンまでの高峰が7,500キロも連なり、標高が6,000メートル級の山々が天にそびえ立っている。もちろん自然も厳しく、コヨーテやピューマ、アンデスベアーなどの肉食獣も数多く棲んでいるんだ」
「肉食獣!」
「ところが大魔神は、その獰猛な猛獣を特訓の相手にして、蹴り倒したやつを食っていたというんだ」
「チョー凄げーっ!」
「それだけじゃねえぞ。奴はな、トラスキックの破壊力を強化させるために、樹木を一撃でへし折ってしまう恐怖の荒技も身につけたんだ」
猛獣を蹴り倒し、樹木をへし折ると聞いた僕は、ポリネシアン・ザウルスのとき以上の戦慄を覚えて身震いした。ガンダさんは3個目のおにぎりを食べ終え、濡れタオルで口の周りを拭いた。そして、ペットボトルの水を口に含み、ゴクゴクと音を鳴らして飲み込んだ。
「大魔神は何処の国の人?」
「マルディシオン・コロンビアーナ、つまり、スペイン語で「呪われたコロンビア人」という意味なんだが、その名前が示すとおり南米大陸の北端で赤道直下のコロンビアだ。だが、生い立ちは謎をはらんでいる。大魔神伝説によると、奴は15歳の時に高熱の出る原因不明の病気にかかったそうなんだ。その後、身長がどんどん伸びてしまったのはその高熱のせいだといわれている」
「原因不明の病気?」
「ああ。これも高熱のせいだと言われているが、それまでイケメンだった顔が一夜にしてのように醜く変形し、視力もかなり弱くなった。そのために奴は、好奇の目で見つめる人間嫌いに陥ってしまったんだ。それからは神を呪い、悪魔に心を売り渡して山奥に籠もったといわれている」
「えっ! 悪魔に心を売った…。それに、目もよく見えないの?」
「そう、かなり目は悪くて数メートル先しか見えないようだから、俺のギミックである唐辛子入りのメリケン粉を使う必要はねえんだ。だけどな、視力が弱い分だけ勘が鋭く油断のならねえ相手だ」
「呪われたコロンビア人といわれているんなら、大魔神もガンダさんと同じ悪役なんでしょう?」
「ところが奴は、プロレス用語でいうベビーフェイス、つまり善玉なんだ。中南米の人たちにとっての大魔神は、究極の苦難を乗り越えたカリスマ的ヒーローでな、試合を観に来るすべての客は、俺が蹴り倒されて地獄送りになるのを楽しみにしているのよ」
大魔神の怪異に満ちた容貌と、大興奮の坩堝と化した会場を想像した僕は、戦いの様相を早く知りたくて、知らぬ間に身を乗り出していた。
「その試合は何処でやったの?」
「情熱の国といわれるメキシコのモントレイというところだ。会場は大きな闘牛場で真昼の戦いだったよ。東京流れ者のジプシー・ガンダ対アンデスの大魔神・呪われたコロンビア人の、世紀の一大決戦という前宣伝が効いて、キャパシティ7万人の闘牛場に入りきれねえ客が押し寄せたよ」
「7万人! 東京ドームよりも大きいね」
「ああ、デカイ入れ物だった」
「それに、真昼の戦いだと暑かったんでしょう?」
「そう。真夏の太陽がギラギラと照りつける真っ昼間だから気温は相当に高かく、観客の多くはソンブレロというつばの広い帽子を被っている。俺たちの試合が始まったのは3時、とにかく暑かったよ。だけどな、わざわざ太陽が真上にある時間を選んだのには訳がある」
「えっ?」
「つまりな。14世紀から15世紀、メキシコに栄えたアステカ文明の名残で、太陽神の元で行うのが決戦の慣わしなんだ。だがな。熱帯地に育った大魔神には暑さなんてなんともないが、俺には相当なハンディだった」
「そうだね。ガンダさんは日本人だもんね」
ガンダさんにとってはかなり不利な条件での戦いだと知り、決戦の結果がますます気になりだした。
つづく
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