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15 激憤する観客の大暴動に命からがらメキシコを脱出
「まず俺が先にコールされ、大観衆のブーイングを一身に浴びてリングへ上がったんだ。その後に奴がコールされると耳をつんざく大歓声が巻き起こったよ。そして、いよいよ大魔神が姿を現すと、場内に異様などよめきが渦を巻いたんだ。俺もかなり驚いたんだが、なんと奴は丸太を担いでいたんだよ」
「丸太?」
僕はおにぎりを口へ運ぶのも忘れ、知らぬ間にきつく握っていた。
「奴が花道をノッシノッシと進んでくると、総立ちになった観客の頭は大魔神の腰までしかないんだ。俺はその光景をリングの上からじっと睨みつけていたんだが、まるで電信柱が近寄ってくるようだった」
「電信柱!」
「ああ電信柱だ。リングサイドで一旦立ち止まった大魔神は、担いでいた丸太をリングの中に投げ込み、トップロープを一跨ぎで上がってきたよ。本当に大きかったな。
190センチの俺が奴の腹までしかないんだ」
「ガンダさんが腹までしかないの」
僕は食べかけのおにぎりを手に、ペットボトルのお茶をゴクンと飲んだ。
「奴はな。やはり目がよく見えていないのか、投げ入れた丸太を手探りで起こして、リングのニュートラルコーナーへ立てかけ四方の観衆に、「アミーゴ」と叫んで腕を上げたんだ。そして、Vサインを示すと観客は大魔神コールの大合唱になった」
「アミーゴって?」
「スペイン語で友人とか仲間という親しみを込めた意味さ」
「それじゃ、ガンダさん以外はみんな仲間なんだね」
「外国で戦っていれば、何処でもそうだから気にならねえよ」
「ふーん。それで、大魔神は丸太をどうするつもり?」
「つまり、自分の必殺技を見せ付けるデモンストレーションなんだ。大魔神はゆっくり身構えてから俺をチラッと見て、般若のようにつり上がった目と、大きく裂けた口元から真っ白い歯をのぞかせ不気味な笑いを見せたんだ。思わずぞっとして、身の毛がよだつほどだったよ」
「それで」
「それまで大歓声を上げていた観客は水を打ったように静まりかえったんだ。すると、奴は大きく呼吸をしてから息を止め、「オリャー」という奇声を発してトラスキックをぶち込んだんだ。すると、直径が30センチもある丸太が、バキッというもの凄い音とともに真っ二つに折れてしまったのよ。観客はもちろん、これから戦う俺でさえ、思わず息を呑む恐怖だった」
「チョー凄すぎる」
「赤コーナーの大魔神と、青コーナーの俺とでにらみ合っていると、レフェリーから手招きされてリングの中央でボディチェックを受けたんだ。これまでいろんな奴と戦ってきた俺だがさすがに驚いたな。黒い空手着からはみ出している手足をつくづくと見たんだが、ただデカイだけではなく分厚く盛り上がったタコが不気味だった。俺はまともに戦ったんではヤバイと思ったんでな、どうしようかいろいろと考えたよ。まあ、その前から、ある作戦は練っていたんだけどな」
ガンダさんはペットボトルの水を口に含ませ、ブクブクっと頬っぺたを膨らませてから飲み下した。
「見上げる俺の目と、見下ろす奴の目が火花を散らしているとコーナーに戻された。そして、レフェリーの合図で試合開始のゴングが鳴り響くと、同時に7万の大観衆から、「ハポネスを蹴り倒せ!」という、大合唱が巻き起こったんだ」
「ハポネスって?」
「スペイン語で日本人という意味だよ。まあとにかく、雷のように鳴り響く大合唱に対抗してやろうと考えた俺はな。4隅のコーナーロープに代わる代わる登ってから右手を高く突き上げ、親指を中にして残りの指で軽く包み込むようにして、観客に振って見せたのさ」
ガンダさんはその仕草を示し、
「アメリカの中指を立てるのと同じで、メキシコでは人を侮辱する意味なんだが、面と向ってやたりはしねえ禁断のポーズだ。それをやると命取りにもなりかねねえケンカになってしまうからな」
と言った。
「それをガンダさんは…」
「ああ、やってやったさ。何たって観客が怒れば怒るほど俺の闘志は燃えてくるからな。俺の思惑どおり挑発に乗ってきた観客は、口々に「ビンチェ・ハポネス」という最悪の侮辱用語を叫び、一斉に同じポーズを返してきたよ」
「プロレスの悪役は命がけだね」
「そう、いつだって命がけさ。ところが客とやり合っていた俺の背後へ、大魔神が忍び寄っていたことに気がつかなかったんだ。「やっちまえ、大魔神!」とういう観客の声にハッとして振り向いたとき、俺の首はグローブのような両手で鷲づかみにされ、そのまま吊り上げられてしまったんだ」
「えっ! それじゃ首吊り状態?」
「そのとおり、絞首刑と同じさ。なにしろ、大魔神が両腕を伸ばすと家の軒先よりも高くなる。もし、そのまま続けられたらヤバかったよ。俺は息が止まりそうになって、夢中で足をバタバタさせたら、そのうちの一発が奴の急所に当たったんだ。すると、さすがの大魔神も苦悶の声を上げて俺の首を離したんだ。俺はマット上へ落下し、頭を打ちつけてしまい朦朧となったが、奴も腰を曲げ、急所を押さえて苦しがっていた。俺はチャンスと思い、必死で起き上がって、奴の脚に何発もの蹴りをぶち込んだよ。必殺技のトラスキックを封じ込めるためにな」
ガンダさんは一息つくとまた水を口に含くみ、当時を回想するかの目つきをしてからゴクンと咽を鳴らして話を続けた。
「偶然とはいえ、俺のつま先が急所に当たったのはラッキーだったな。さすがの大魔神もたまりかねたのか、リングの外へ逃げたんだ。そして、「急所を蹴ったのは反則だ」とレフェリーに抗議していたが、悪役の俺にとっちゃそんなことは関係ねえ。俺は拳を固め、あいつの醜い顔面にパンチをぶち込もうとリングから飛び降りたんだが、なにしろ腕も長く、空中でがっちりと抱きかかえられてしまったのよ。奴は観客に向って「見てろよ!」とアピールし、俺を抱きかかえたまま鉄柱へ走って背中を激突させたんだ。背骨からベキベキっと歪む音が聞こえ、息が詰まってしまってな。それを見たあいつは、俺の額に何発もの手刀を打込んできたんだ。あっという間に額が割れて、またしても大流血となってしまったんだ」
僕はポリネシアン・ザウルスとの流血戦のときと同じように、デコボコと盛り上がっているガンダさんの額にチラッと目を向けた。
「奴はリングに戻ると、俺に向って、「上がって来い!」と怒鳴りたてたよ。俺はリングに這い上がる振りをして、奴の足首を掴んで引き倒すとその脚を何度もリングの角にぶつけてやったんだ。どうしても必殺技のトラスキックを使わせないようにするためにな。だが、うかつだった。夢中になっていた俺は、もう片方の足で顔面を蹴飛ばされてしまったんだ」
「ヤバ!」
48センチの足が目に浮び、思わず叫んでしまった。
「そう、ヤバかった。瞬間俺の目の前は真っ暗になったよ。ノックアウトされてしまうかと思うほど強烈な衝撃を受けたんだが、必死で堪えてリングの中へ這い上がったんだ。ところが今度は、長い脚を胴体へ絡み付けられボディシザースという胴締めの技を食らっちまったんだ。この技は、とどめのトラスキックに入る前にスタミナを消耗させてしまう前哨なんだが、息ができないほど苦しかったな。まるで大蛇のアナコンダに締め付けられているようだった」
「逃げられないの?」
「ああ、普通のレスラーなら何とかして外すんだが、奴のボディシザースはドラム缶を絞めつぶすほどのもの凄い力だ」
「ドラム缶って、あのドラム缶!」
僕は横浜港の岸壁に積んであった頑丈そうで大きなドラム缶を知っている。だからあれを絞めつぶす力はどんなに凄いのか想像すらできない。
「ずいぶんと長く締め付けられて気を失いそうだったが、俺はジワジワと身体をずらして行き、やっとのことでロープを掴んだんだ。レフェリーの「ブレイク」という声に救われた思いがしたんだが、流血が続いていることもあってスタミナは切れかかってしまったんだ。それを見透かしたあいつは四方の観客に般若のような顔を向け、右手の人差し指を高々と上げて「バムノス」とアピールしたんだ」
「バムノスって?」
「うん、直訳すれば「行くぞ!」というような意味なんだが、スペイン系のレスラーが試合中よく口のする言葉で、止めを刺すというアピールに使っている」
「ヤバッ」
「大魔神は俺の首っ玉を掴んで引きずりお越して、コーナーへ叩きつけたんだ。俺は背中からぶち当たって身動きができなくなってしまったよ」
「いよいよトラスキックをやるつもり?」
「そうなんだが、朦朧としていても俺の目は奴の動きをしっかりと見ていた。すると、電信柱のような上半身をこごめて、低く構えたのが見えたんだ」
丸太をへし折ったという必殺技がいよいよ炸裂するのかと思うと、僕はハラハラして息が詰まりそうだ。
「そして次の瞬間、「オリャー」という奇声とともに右の足刀をぶち込んでくるトラスキックが、俺の顔面を目掛けて稲妻の如く迫ってきたんだ」
「いよいよヤバイ!」
「だが心配することはねえ。俺には作戦があるのさ」
「作戦?」
「そう、最初から考えていた作戦だ。もの凄いスピードのトラスキックが俺の顔面を捉える瞬間。紙一重の素早さでレフェリーの手首を掴んで引きずり込むと、身体を入れ替えたのさ」
「えっ!」
「目の悪い大魔神は、俺とレフェリーが入れ替わったのが分からず、そのままトラスキックをぶち込んできたんだ」
「じゃあ、レフェリーに蹴りが入ってしまったの?」
「そのとおりだ。かわいそうだが、レフェリーは口から泡を吹いたまま完全にのびてしまったよ」
「それで!」
「会場内は蜂の巣を突付いたような大混乱に陥った中、コミッションドクターがリングに駈け上がったんだ。聴診器で心臓の音を聞いていたようだが、大慌てで救急車を手配するように叫んでいたよ」
ガンダさんなら何とかして大魔神のトラスキックを防ぐだろうとは思っていたが、まさかの展開だった。
「それからどうなったの?」
「結果的には奴のレフェリー暴行で反則負けということになったが、思わぬ判定に大魔神も観客も怒り狂ってな。またしても7万人の客を敵にまわしてしまった俺は必死で控え室へ走り込んだよ。それでも治まりのつかない観衆は、ついに暴動を起こして大変な騒ぎになってしまったんだ」
「えっ、暴動!」
「ああ。興奮した観客は椅子を投げ合い、ついにはリングに火をつけてしまったんだよ。このような事態になったのにも拘らず、騒ぎを鎮めるべきガードマンたちまでが興奮してしまってな。どうにも事態の収拾をつけられないと判断したプロモーターとコミッショナーが、たまりかねて軍隊の出動を要請したんだ」
「軍隊!」
「そう、軍隊だ。日本でいえば自衛隊が出動したということになるが、とても考えられることじゃねえ。軍隊はトラックを連ねて会場へ乗り込んで来たんだが、それでも暴動はなかなか治まらず。ついには100人もの兵隊たちが銃を空に向けて、何発もの威嚇発砲をしたんだ」
「凄げーっ」
「控え室へ戻った俺は、他のレスラーとともに銃声を聞いていたんだが、そうだな。30分もしてから、やっと暴動は鎮まったんだ。兵隊の威嚇に渋々と従った観客は口々に俺の名前を絶叫し、悪態のかぎりを吐きながら引き上げて行ったんだ」
試合に興奮した暴動とはいえまるで戦争のような状態だったのかもしれない。7万人もの観客が暴れまわっている光景を想像するととても恐ろしいことだが、もし僕がそのような場面に巻き込まれてしまったらどうなるだろうと考えてみたが、たぶん右往左往した挙句に気が狂ってしまうかもしれないと思った。
「メキシコ人は陽気な半面、気の荒いところあるからな。ラテン系民族のカリスマである大魔人対俺の試合はテレビの生放送もされていた。だから俺は、この結末はもう多くの人たちに伝わっているだろうと思い、この国を早く出なきゃ危険だと考え、プロモーターからギャラを受け取ると急いで車に飛び乗ったんだ。そして、そのまま国境を越えて、アメリカ・テキサス州南部のサン・アントニオという町まで一気に突っ走ったのさ」
「アメリカまで!」
「ああ。その頃の俺は、グリーンカードというアメリカ政府が外国人に発行する、労働と永住のできる許可証を取得していたからな」
「それで、その町は遠いの?」
「350マイルだから、距離的には東京から大阪くらいかな。アメリカへ入ってから、途中のドライブスルーで買い込んだハンバーガーとポテトフライをコーラで流し込み、夢中でアクセルを踏み続けたよ」
「ガンダさんはハンバーガーも食べるの?」
「ハッハッハ、力をつけるには握りメシが一番いいに決まってるが、アメリカじゃ売ってねえからな。場合によっちゃ仕方ねえさ。まあ、ハンバーガーをかじりながら逃げて来たのも、悪役のイメージを高める計算づくのアングルだけどな」
「アングルって?」
「うん、アングルというのはな。プロレスのストーリーを面白く展開させるための仕掛けよ」
「ふーん…」
太古から蘇えった恐竜ポリネシアン・ザウルスに続き、アンデスの大魔神マルディシオン・コロンビアーナとの死闘がまるで別世界の出来事のように思える。僕にはとても真似のできない事だと思いつつも、話の中に吸い込まれてしまった。
「何の仕事も楽じゃねえよ」
ガンダさんはそう言って笑ったが、プロレスとは本当に命がけの仕事だということが分かる。
「ガンダさんはプロレス以外の仕事もしたことあるの?」
「ん、まあな」
どことなく含みのある言葉をもらして時計に目を落とすと、ペットボトルに残った水をガブガブっと飲み干し、
「それじゃあ又な」
と言って杖を支えに立ち上がった。
つづく
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