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25 いよいよ三つ目の壁 柔道部に復帰
僕は教室を後にして職員室へ向った。何よりも気になっていた柔道部顧問の大岩先生に会うためである。
戸を開けると、先生たちはパソコンに向っていた。
「失礼します」
僕の声に気付いた先生たちは顔を上げ、奥の机にいた大岩先生と目が合った。僕は先生の所まで進み、深々と頭を下げた。
「よう、龍太郎。学校へ来ているって聞いていたが、もう大丈夫か?」
ずる休みをしていたことは当然知っているであろうが、先生は身体のことを気遣うように言ってくれた。
「今日から練習頑張ります。宜しくお願いします」
「そうか、それはよかった。そのことをわざわざ言いに来てくれたのか?」
「はい」
先生はニコッと笑って僕の手を握った。
6限目の授業が終わり、柔道場へ向かった。正直かなりの緊張はあったが、ガンダさんがついていると思うとあの時のようなひどい恐怖心はなかった。それよりも、むしろ道場に染み付いている汗臭さが懐かしくさえ思えてきた。
一礼して道場に入ったが先輩たちはまだ来ていない。畳敷きの中ほどに立って四方を見回すと、気になっていた僕の名札もちゃんと掛けてあった。壁には県大会のポスターが貼られ、「必勝」の文字や「打倒 県下全中学校」と書かれた張り紙もしてある。
僕は隅へ向かい、スポーツバッグから柔道着を取り出した。真新しい生地の匂いを嗅ぎ、上着とズボン、それから白い帯に入れた「武田龍太郎」の文字を見てから手早く着替えを終えた。
先輩部員が一人、二人と顔を出して一瞬驚いた表情も見せたが、僕は意識的に運動部らしい挨拶をしてから休んでいたことを詫びた。
「おっ! 柔道着買ったのかよ」
先輩は襟を握って軽く引っ張った。
「気合入ってんじゃ」
「ところでさ、お前、背伸びたんじゃねえか。俺よりも大分デカイよ」
太っている3年生が秀介と同じことを言うと、僕と比べるようにしてから、
「俺、止まっちゃったのかな」
と独り言を漏らした。
「お前は横に栄養が取られちゃって、身長まで回らなかったんじゃねえのか」
別の3年生が言うと着替えをしているみんなが笑った。
僕は多少の覚悟をしていたのだが、黙って休んでいたことを詰責する言葉は誰からも聞かれず内心ほっとしていた。この場所へはもう二度と来たくないとまで嫌っていた道場の畳みは一応踏んだ。だが逃げ出した練習の再開はこれからである。
―― やるしかねえ!
全部員が柔道着に着替え、それぞれが手足を伸ばしたり肩をまわしたりしていると大岩先生が現れ、あの時と同じように岸本主将の号令で整列した。
先生は腰の黒帯を握ってドンと立った。あの時のような威圧や恐怖心をさほど感じなくなっていたのも不思議だが、多分もっと大きなガンダさんを見ていたからか、あるいは僕の心が多少なりとも強くなったからなのか。先生は全員を見渡してから話をはじめた。
「県大会まであと一ヶ月だ。このところ、みんなのやる気は十分に感じられるが、まだまだ根性を振り絞って練習に打ち込んでもらいたい。いいな」
みんなは大きな返事をした。
「それから」
そう言った先生は僕に顔を向けた。
「龍太郎が復帰してくれた。昼休みには職員室まで挨拶に来てくれて、俺は嬉しかった。今年度は1人しかいない、大事な1年生だからな。みんなも先輩として面倒見てやってくれよ。我校の伝統を守る、重要な役目を担ってもらうことになるんだからな。分かったな。それじゃあ始めてくれ」
列は散って円陣を作った。準備運動の後、僕は先生に呼ばれて受身の練習を繰り返しやらされた。あのときと同じように、なかなか上手くはできなかったが、ふとガンダさんの言葉が耳元に聞こえた。
「力みすぎちゃだめだ。一度大きく深呼吸して肩の力を抜け」
出ると負け、という汚名を晴らしたい一心の部員の練習には力がこもっており、技をかけあうときの息遣いが道場に響いている。
「いいか、他の中学も必至だからな。負けるんじゃねえぞ!」
先生は声を上げた。僕はまだ上手くはできない受身練習の後、初歩的な基礎体力トレーニングに入り、そして練習を終えた。
―― よし! これで三つ目の壁も乗り越えた。
体力に劣る僕にはくたくたになるほどの練習だったが、とりあえずの達成感は掴んだ。
もう、日はどっぷりと暮れている。学校から15分かかる高台の家まで、スポーツバッグを肩に掛けて重い足を引きずって歩いた。汗が顔から首筋に流れ落ちて行く。
やっと玄関へたどり着いた時にはしばらく座り込んだままで、靴を脱ぐのも億劫なほど疲れ果てていた。母と妹がダイニングから走って出てきた。
「お兄ちゃん、大丈夫」
僕は返事をするのももどかしく、よたよたと立ち上がった。母は玄関の上がり口に置いたスポーツバッグを持ち、
「柔道の練習、頑張ったようね」
と言って微笑んだ。
早くも筋肉痛が出はじめたようで全身が気だるい。僕は風呂に入り、食卓についた。
「パパにメールを打ったら、わざわざ電話をくれてね。龍太郎が学校へ復帰したこと、すごく喜んでいたわよ」
「そう。今度はいつ帰ってくるの?」
「そうね、パパの言うとおり夏休みにはこっちから行ってみようかしら」
このところ暗く沈んでいた母の表情は、以前の明るさを取り戻していた。
「本当ママ! 上海へ行くの」
妹は箸を置くと、わざわざ席を立って母の背中に飛びついて歓声を上げた。
それからも相変わらずおしゃべりな妹は、分かりもしないのに練習のことをいろいろと訊いてきたが、僕はいちいち答えるのも面倒なほど疲れていて、ただ、「うん」「うん」と適当な返事をした。そして早々に食事を終えると、階段の手摺りにしがみ付いて自室へ戻った。
スポーツバッグに入れてあるNWAのタオルを取り出し、ベッドへ転がってガンダさんのことを思った。
―― 今日は公園へ行かなかったから、ガンダさんは淋しかっただろうか。でも、僕が学校へ戻ったことは分かっているはずだ。
―― 学校や部活に戻れたのも、ガンダさんにパワーを貰ったお蔭だ。今度の土曜日にはまた会いにいこう。
ガンダさんの思いに浸っているうち、いつのまにか眠ってしまった――。
身体が痛くて何度も寝返りを打ったようだが久々に熟睡した翌朝、母に揺り起こされてやっと目を開けた。筋肉痛はいちだんとひどくなっており、全身が鉛のように重い。
「さあ、早くしないと遅れちゃうわよ」
母は掛け布団を剥がした。
「あら、何これ?」
昨夜、握ったままで寝てしまったNWAのタオルを見つけて手に取った。
「NWAって何? あら、これレスリングの絵かしら?」
僕は母の手からタオルを取り戻した。
「どうしたの、そのタオル?」
僕はきちんと畳み、スポーツバッグへしまいながら仕方なしに言った。
「貰ったんだ。僕のお守りさ」
「お守りって、誰に戴いたの?」
「世界で一番強い人だよ」
母は首をかしげながらシーツを取り替えていたが、僕はさっさと仕度をして一歩一歩手摺りに掴まりながら階段を下りた。
つづく
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