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17 ケニアの大サバンナで野生ライオンと勝負
「さあ、メシを食ったら、また別の話をしようかな」
「やった!」
今日のキャッチボール中は何度も母の沈んだ顔を思い浮かべ、その他にもいろいろなことが頭をよぎって何回ものミスをしてしまった。だが、ガンダさんの話を聞けると思うと、嫌なことのすべてが消えさり思わず声を上げてしまった。
「ハッハッハ、俺の話。面白いか?」
「チョー面白い」
ガンダさんも嬉しそうに目を細めた。僕らは同時に包みを開き、お互いの海苔巻きおにぎりを見詰め合ってニコッと笑った。
「龍太郎、一個ずつ交換して食おうか?」
僕もガンダさんのおにぎりを食べてみたいといつも思っており、大きくうなずいて母の握った2個のうちの1個を差し出した。ガンダさんは受け取ったおにぎりを眺めまわしてから、がぶりと一口ほおばった。
「おっ、鮭だ。やっぱり自分で握ったものよりめえな」
「ガンダさんは自分で作るの?」
「ああ、そうだよ」
僕は思わず、「奥さんは?」と訊こうとして口をつぐんだ。先ほど家の場所を訊いたのと同じように、なぜか悪いような気がしたからだ。ガンダさんが僕のことを詮索しないのだから、僕もガンダさんの家庭のことを聞くのは止めにしたほうがいいと思うようにした。それに、この人はすべてが謎に包まれている方が似合うし、そのほうがカッコいいと考えたからでもある。
僕がガンダさんの大きな梅干おにぎりをやっとと食べ終えたとき、もうガンダさんは3個目に手を伸ばしていた。
「さて、今日は誰と戦ったときの話をしようかな」
ガンダさんは水を一口飲んでから、興味津々としている僕の顔を覗き込んだ。
「そうだ。今日はレスラーじゃなく、ライオンと戦ったときの話をしよう」
「ラ、ライオンって…。猛獣のライオン?」
「そう、百獣の王といわれる、あのライオンだ」
ガンダさんは、当たり前だと言わんばかりの涼しい顔をしていた。僕は今まで聞いたポリネシアン・ザウルスやマルディシオン・コロンビアーナの話以上に驚き、思わず、
「嘘っ、マジで!」
と叫んでしまった。
「あの体験は、野生動物保護法が制定された1,974年よりも前のことだったな。俺はある男と戦いたくて赤道直下の国ケニアへ行ったんだ。日本の琵琶湖の100倍もあり、世界で3番目に大きなビクトリア湖周辺の大サバンナに住むマサイ族の戦士に、アフリカで最も勇猛な男がいると聞き挑戦したくなったんだよ」
「えっ? それでライオンと戦ったというのはどうして?」
「ああ、マサイ族のその男というのはな。ヨーロッパやアメリカにも勇名を轟かせ、グレート・アフリカン・ムーマという名前で呼ばれている戦士なんだ」
「グレート・アフリカン」
僕にはマサイの戦士がどのような人間なのか想像もできず、ただ名前を口ずさんだ。
「褐色の肌は黒ダイヤのように輝き、身長は2メールくらいで手足のやたら長い筋肉隆々とした若者だった。世界中の格闘家の誰もが、ムーマを倒した者こそ最強だと噂していたんだよ」
「マサイ族の酋長なの?」
「いや、酋長の護衛を務める男だ。ムーマはな、これまでに4頭ものライオンと戦い、倒した証にその牙を首飾りにしている。奴は、「俺と戦って勝った者には、王者の象徴である首飾りをやる」と豪語しており、これまでにも何人かの格闘家が挑戦したんだが、まずはムーマと戦う前に、ある条件をクリアしなければならない」
「その条件って、先にライオンを倒すこと?」
「そう、そのとおりだ。龍太郎も勘がよくなってきたな。それに積極的に話をするようになったじゃねえか。ついこの間まではおどおどしていたのにな」
言われるとおり、僕自身もガンダさんに会ってから少しずつ気持が前向きに変わったように思える。
「でもガンダさん。人間がライオンと戦うなんて、僕には信じられない」
「そうだよな」
当時を回想するかの表情を見せたガンダさんは少しだけ話の間をおき、広場の中央を見つめた。その視線の先には、飼い主の投げるフリスビーを追いかけ、何度も飛びついていく犬の姿があった。
「マサイ族はな。狩猟をしながら牛や羊を飼い遊牧の民として暮らしているんだ。だが男たちは、他の部族や猛獣の襲撃から女や子供、それに財産である家畜を守らなければならない義務がある」
「強くないと生きてはいかれないんだね」
「そうだよ。だから、百獣の王ライオンと戦って勝った者が真の勇者だという古くからの伝統があるんだ。彼らは実に勇敢な民族で、勇者を目指す者の儀式としてライオンと勝負するときには1対1の差しで戦うんだ。実際に戦いを挑んだ者は何人もいたが、アフリカが暗黒大陸といわれていた昔から勝てた者は極めて少ない」
「暗黒大陸?」
「そうだ。ヨーロッパの探検隊がはじめて足を踏み入れた100数10年年前までのアフリカ内陸部はほとんど知られておらず、文明から取り残された世界だったんで謎の暗黒大陸と呼ばれていたんだ」
「ふーん」
「つまり血に飢えた猛獣たちの野生世界で、ライオンは食物連鎖の頂点に立つ百獣の王というわけだ」
「だから百獣の王を倒した者が、真の勇者なんだね」
「そのとおりだ。誇り高きマサイ族の中でも、ムーマはもっとも多くのライオンを倒している伝説の男だった。マサイ族の誰からも崇拝され、代々続く勇者の称号であるグレート・アフリカンの名前と、歴代の勇者が倒したライオンの牙を受け継いでいる。首飾りについている牙は、ムーマが倒した四頭を加えて九頭分だそうだが、俺がライオンに勝てばその分をくわえた10頭分の首飾りになる」
「ライオンを倒した後、ムーマと戦うことになるんでしょう?」
「ああ。俺がライオンを倒し、ムーマと戦って勝ったなら歴代の勇者に伝わる首飾りとグレート・アフリカンの称号を継承できるんだ。言わばチャンピオンベルトのようなものだな」
「チャンピオンベルトか、凄げーっ」
「だが、俺が首飾りを手にしてグレート・アフリカンの称号を得た時には、必ず次の強敵が戦いを挑んでくる」
「でも、何のためにライオンと戦ったりムーマに挑戦したり、そんな恐ろしいことをするの? 僕にはとても理解できないけど」
これまで以上に興奮している僕の言葉はかなり上ずっていた。小学生のとき、家族で行った動物園の檻の中のライオンも、大きくて見るからに強そうだった。檻の手前まで寄って来た一頭が鋭い牙をむき出し、「オーッ」と吠えたときには腰が抜けそうになったのを覚えている。あの恐ろしいライオンと戦うなんて、正気の沙汰ではないと寒気すら感じた。
「何のために…。そうだな。一つは男の誇りで、二つ目は金のためだ。もし俺が、グレート・アフリカン・ムーマを倒したとなるとアメリカのプロレス界でも大評判になる。そうなれば俺の試合を観に来る客も増え、試合のギャラは何倍にも跳ね上がるってわけだ。プロレスラーの評価は金をいかに多く稼ぐかで決まるからな。プロレスラーを志したかぎりは大金持ちになって、日本へ錦を飾りたかったからよ」
「でも、ライオンと戦うなんて」
「そう、龍太郎の考えているとおり、俺だって逃げ出したくなるほど怖かったさ。なにしろ何人もの格闘家がライオンに噛み殺されたり大怪我をしたりして、誰一人としてムーマと戦う条件を乗り越えた者はいないんだからな。だけどな龍太郎。一度挑戦した俺が、もし怖くなって逃げ出したとしたらどうなると思う」
僕は答えに困り、黙ったままガンダさんの真剣な眼差しを見ていた。
「もし逃げたら、「臆病者」とマサイ族の笑い者にされていたよ。だが、そんなものは一時的なものですぐに忘れられてしまう。つまり、人の噂も75日というやつだ。だがな、マサイ族の連中は忘れても、俺自身は一生忘れられない心の重荷を背負ってしまうことになるんだ。だから男は、命を掛けてでもプライドを守らなきゃならねえ時もあるのさ」
僕はガンダさんと父の言った言葉をふと重ね合わせた。
「俺もプロレスラーとして各国を転戦してきたんだから、グレート・アフリカン・ムーマを倒して世界最強の証である首飾りが欲しくなったんだ。そうすれば大威張りでアメリカのプロレス界へ凱旋できる。だから俺は、決死の覚悟でライオンと戦うことにしたのさ」
「ライオンと、どうやって戦うの?」
「まさか素手で戦うというわけにはいかねえ。なにしろライオンは鋭い爪と強力な牙という武器を持っているんだからな。だから人間もそれに対応する槍と小太刀、それに盾を持って戦うんだ」
「檻の中で?」
「いや。サバンナにいる野生のライオンだ」
ガンダさんはペットボトルの水を口に含み、大きく天を仰いだ。
つづく
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