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 12 鶏の丸焼きを三羽も食べたポリネシアン・ザウルスと再戦
 
 ガンダさんは僕が濡らしてきてあげたタオルでを拭くと、リュックの中から新聞紙に包んだおにぎりを取り出した。そして、僕がコンビニ袋を開けると顔を突き出して覗き込んだ。
「おっ、今日はおにぎりじゃねえか
 僕は照れ笑いをした。昨日ガンダさんが、「日本人は米を食わねえと力がねえ」と言っていたので、少しでも体力をつけたくて大好きだった菓子パンはやめることにしたのだ。
 ガンダさん僕の顔をニコッとしてから、早速おにぎりをほおばった。それにしても、学校を休んで毎日遊びに来ていることに関してまったく訊こうとしないのはなぜなのか例のおばさんたちがお節介を焼いてきたことでも分かるとおり、たいがいの大人なら意見のひとつも言って普通だと思うのだが
「あのー、ガンダさん…
 ふと僕は、不登校になった経緯をちょっとだけ聞いてもらおうかとの思いが胸をかすめた
「なんだい?」
 ガンダさんは僕の顔を覗き込んだ
「いいえ、いいです」
 言いかけたのにも拘らず、やはり躊躇いがあった。怪我したふりをして柔道の練習をさぼったことが原因で、クラスの奴らから意地悪されたとはどうしても格好が悪く話すのは止めにした。
「おかしな奴だな。まあいいさ」
そう言ったきりそれ以上のことをこうとしなかったが他人の悩みをやたらと詮索しないところも僕は好きだった
「それよりも
 ザウルスとの決戦の続きを早く聞きたいたのも確かだ僕は気持を切り替えかった
「おお、そうだった。あの怪物野郎との再戦だったな」
 僕はおにぎりを手にしたまま大きくうなずいた。
最初の対戦から一週間後、場所も同じフロリダ州のオーランドだった試合は前回と同じメインイベントで、今度こその病院送りになる姿を観に来た客はデカイ体育館に入りきれず、ソールドアウトになったチケット売り場は大騒動だったよ」
「凄げえ!
「前回の試合で完全決着にならなかったからな。観客はどうしてもの肋骨がへし折られる場面を観たいんだろうよ」
「アメリカ人は日本人が嫌いなの?」
「うーん…
 ガンダさんはちょっとだけ困ったような顔をして返事の間をおいた。
「1,890年にはじめて集団移民した頃からの長い間、日本人は肌の色だとか勤勉で働き者だったことが逆に嫌われ「ジャップ」とののしられて、ひどい人種差別されていたんだ」
「ジャップ?」
日本人を見下げて呼ぶ言葉だ。がアメリカへ行ったばかりの頃はまだ若干の差別はあったが、今じゃそんなことはねえ。だから彼らが本気で日本人を嫌っているわけじゃねえんだ」
「ふーん
つまり、プロレスは善と悪が戦うという仕組みで、前座の第一試合からその基本は一緒さ。どこの国でも同じだが、悪役は憎まれてなんぼの商売だからな
「悪役は損だね」
「ハッハッハ。そうかも知れねえが、プロレスというエンターテイメントは悪役がいるからこそ面白いんだ」
 僕は父に連れていてもらった横浜文化体育館の試合を思い出した。観客は悪役の外人レスラーに野次を飛ばし、日本人レスラーが反撃に出るたび手を叩いて大喜びしていた。
ところでな。その日の対戦カードも順調に進んで、いよいよたちの試合になったんだそしては前回と同じように、先にリングに上がって怪物を待っていたんだ。ところが奴はなかなか出てこねえんだよ
「えっ、どうして?」
そうしたらな、ザウルス腹が減っているので試合前にメシを食うそうだ、係りの者が伝えに来たんだ」
「試合前に?」
「好きにしろ」と言ってやったんだがな。そうしたら、リングの上に大きなテーブルを用意して食い物を運んできたんだ
「お客さんの観ている前で?」
「そうだ。山ほどの食い物がテーブルに並べ終わると、怪物が太鼓のリズムに乗ってノッシノッシと姿を見せたんだ」
 僕はジャングルの奥から現れるザウルスの巨体を想像した。
怪物が何を食ったか分かるか?」
 僕は首を横に振った。
「信じられえだろうが、なんとニワトリの丸焼きを3羽とホットドッグを50本
「マジッ!」
 あまりの凄さに、まだガンさんが話している途中に声をあげてしまった。
「その他に、バケツに入れた牛乳を3ガロンだ」
「3ガロンって?」
つまり1,8リットルのパックだと10本分だ」
「えっ! それを全部平らげちゃったの?」
「ああ、残さずに食っちまった。しかもニワトリの骨までな」
チョー凄げえ!
 も痩せているわりには食べる方だが、ザウルスが一度に食べたはとても信じられないし、その場面を想像しただけで吐きそうになる
はリング内のコーナーポストの上に座ってじっと見ていたんだが、食いっぷりの凄まじさはまるでライオン並だったよ」
 僕は前回と同じように、だんだんと現実離れした怪奇の世界へ吸い込まれていく興奮隠し切れなかった
「怪物野郎はな。食い終わったとたんにゆっくりと立ち上がって、満腹になった腹をポンポンと叩き、を睨みつけて親指を下に向けるとニヤッと笑ったんだ
「あっ! この前と同じ、肋骨をへし折るぞという仕草だ
「そうだ。ところが奴は天上を仰ぎ猛獣のような声で「ガオーッ」って吠えると、いきなりテーブルを持ち上げてを目掛けて投げつけてよこしたんだ
えっ! 今度はザウルスが奇襲攻撃?」
「そうだ。前回が仕掛けたから、そのお返しのつもりだろう。は、咄嗟に身を交わしたんだが迂闊だった。なんとテーブルの角が顔面を直撃してしまって、早くも大流血をしてしまったんだ」
「ええっ!」
 あたかもアメリカの試合場にいるような臨場感が浮かび、自然と息が荒くなっていくのを感じた
「怪物野郎は倒れたに襲いかかって、流血している顔面を蹴りまくったんだ。の中は灰色なってしまってな、気を失いかけてきたよ。それでも、夢中でロープにしがみ付いて立ち上がると、必死の反撃に出たんだが、パンチもキックも簡単にはつうじねえ
「ザウルスが大きすぎるから?」
「ただ大きいだけじゃねえ。奴の身体自体が重戦車のような凶器そのものだからな」
 僕の呼吸はいっそう荒くなったが、それでもどんどんと話の中に入り込んでいく
「それでもは、やっと攻撃のチャンスを掴んだんだ。コーナーに投げつけられた奴が体当たりで突っ込んでくるところを、ぎりぎりの寸前に交わしたんだ。するとなにしろ500キロの体重に加速がついているもんだからーナーポストがぶっ壊れ、その先まで身体が乗り出して鉄柱へ頭をぶつけてしまったんだよ。ガツンという凄い音がしてな、怪物の額からも鮮血が流れ出したんだ」
「えっ! ザウルスも大流血
「そうだ。だが、流血したくらいでそう簡単にまいる奴じゃねえ。チョークスリーパー攻撃を必死で外して再び反撃に出てきた怪物は、もの凄い形相からいよいよフィニッシュコースに出てきたんだ」
「今度こそ肋骨を折るつもり?」
ああそうだ。前のと同じように右の拳を天に突き上げると、観客は声の限りを張り上げて興奮の絶頂に達したよ
「ヤバッ!」
「奴怪力で頭の上まで差し上げられたは何度も投げ飛ばされて意識が朦朧としてきた。このままでは怪物の餌食になってしまうと思い、パンツの中から例の粉を取り出したんだ」
「目潰しの、唐辛子入りメリケンでしょう
「ああ、そうだ。ところがとんでもねえ邪魔が入ったのよ」
「邪魔!」
「粉を投げつけようとしたの手を、なんとレフェリーが押さえたんだ」
「レフェリーは反則を止めたの?」
「そのとおりなんだが、頭に来たはレフェリーを蹴っ飛ばして、場外へ投げ落としてしまったんだ」
「じゃあ、また反則負け?」
「ああ。試合終了のゴングが連打されると、観客は総立ちになって、あらん限りの暴言を絶叫していたよ」
 僕にはエキサイトした観客の凄まじいブーイングが聞こえるようだった。
は退場を命じられたよ。ところが怪物は「又しても反則じゃ納得がいかねえ」とレフェリーに抗議し、コミッショナーが協議した結果、判定を取り消して時間無制限の試合続行ということになったんだ」
―― 凄いことになった。
 そう思った僕の呼吸はますます荒くなり胸が苦しくなるほどだった。
「それで、どうなったの?」
「荒れ狂った怪物はの手から強引にメリケン粉を取り上げて、なんとの顔になすりつけたんだ
「えっ! それじゃガンダさんの目が…?」
「そうなんだ。思わぬ事態に陥ったは焦ったよ。目がヒリヒリして手探り状態でロープにしがみ付いているを、奴はもう一度投げ飛ばすと、コーナーへ登ったらしい。目が見えなくなっていても客の反応相手の動きは勘で分かるからな。そして怪物は勝利の前哨ともいえる奇怪な雄叫びを上げた。その雄叫びこそ、ザウルススプラッシュを繰り出す前触れだと知っているは、奴がコーナーをダイビングしたと感じた瞬間、肋骨がへし折られる紙一重のところで身体回転させて必殺技を交わしたんだ」
「それで!」
「リングの中に雷でも落ちたような、もの凄い轟音と爆風起きたはリング下まで転がり落ちてしまったんだが必死で態勢を整えると、自分の汗と涙見えない目を洗ったんだ」
凄げえ!」
するとぼんやりと見えてきてな。リング内に目をやると、なんと怪物が消えてしまったんだよ」
「えっ?」
「つまりな、寸前でザウルススプラッシュ交わされた怪物はバランスを失って自爆し、リングの床が500キロの重さにぶち抜けてしまったんだ。怪物が消えてしまったのは、リングの下落ち込んでしまったというわけよ」
チョー凄げえ
自爆した怪物は完全にのびてしまったんでの勝ちということにはなったんだがな。はフロリダ州のテリトリーから永久追放されてしまったんだ」
「どうして?」
「ああ。度重なるレフェリーへの暴行で、コミッショナーが下した制裁措置さ」
「でも悪役なんだから仕方ないでしょう」
「まあな。仕事だよ、仕事。プロレスでギャラを稼ぐってことは命がけなのさ
 僕には、仕事だという意味が分かるようで分からなかったが、ガンダさんは豪快に笑ってからリュックを背負い、松葉杖を引き寄せて立ち上がった。
「じゃあ、またな」
 笑顔を残したガンダさんは背中を向けて歩きはじめた。
ガンダさん待って!」
「ん…?」
 ガンダさんは立ち止まって振り向いた。
僕、ガンダさんの話を聞いていると、少しずつ勇気が湧いてくるような気がするだからまた聞かせて
「そうかい。それはよかった
「ポリネシアン・ザウルスより、もっと凄い怪物レスラーもいるの?」
「ああ、この広い世界にはまだまだ凄い怪物人間がいる」
「じゃあ次の話は?」
そうだな。この次はアンデスの大魔人と呼ばれていた、マルディシオンコロンビアーナと戦った話をしようか」
「アンデスの大魔神!」
 名前を聞いただけでも夢が膨らみ、今すぐにでも話をせがみたいほどの気持に駆られた。
こいつはな、なんと身長が2メートル80センチもあるんだ」
「ええっ! 2メートル80
「それじゃあな」
 ガンダさんは軽く手を上げて再び大きな背中を向けると、杖の音をコツコツと鳴らして歩きだした。
「あのーっ
 僕は小声で呼びかけたが、ガンダさんの耳には届かなかったのか、もう振り返ることはなかった。明日は土曜日で学校が休みである。公園には多くの子供たちが遊びに来るはずだから、僕は知らない子でも顔を合わすのが嫌で家からは一歩も出ないことにしている。
それに単身赴任中の父が、不登校の僕を心配してわざわざ戻って来るという。父に叱られると思うと憂鬱ではあるが、それ以上にしばらくはガンダさんに会えないのが淋しくてならない。
                                        つづく

 11 ガンダさんとキャッチボール
 
 公園まではかなりの時間かかり、いつもより遅く到着した。気になっていたベンチに目をやるとガンダさんはいつものとおり新聞を広げていた。僕はベンチまで走り寄って、今日は自分の方から頭を下げた
「よう、龍太郎。今日は遅かったじゃねえか」
自転車が、自転車がパンクしちゃったんで」
 僕は本当のことを言えず、咄嗟に思いつきのデタラメを言った。
「ふーん、そうか」
 そう言ったガンダさんは一瞬だけ表情を曇らせた。僕の不登校を知っているだから、親に小言を言われたのを想像したのであろう。それでもそのことには一言も触れようとしなかった。
龍太郎よ。今日はとキャッチボールしねえか」
 しばらく間をおいたガンダさんは思いがけないことを言った。
「でも、グローブが
 いつもの如く機械室の壁へ投げつける孤独な繰り返しよりは、ガンダさんを相手にキャッチボールをしたほうがにとってもその方がいい。だが、グローブはひとつしかなく、僕は困った顔を見せた。
「ああ、大丈夫。は素手で平気だよ」
「えっ」
 軟球とはいえボールはかなり硬い。
「大丈夫だよ」
 本当に素手で受けられるのかと思っているとガンダさんは両手をバシンバシンと叩いて見せた。よくよくると、ただ大きいだけではなく指も太くて手の平の厚みも半端ではない
「すまんが、はここに座ったままでやるぞ。龍太郎はあそこから投げてくれ」
 ガンダさんは僕の投げる位置に指を差した。
がピッチャーでがキャッチャーだ」
でも、手、痛いよ」
「心配することはねえ」
 僕絶対に真似のできないことだと思いながら、コンビニ袋をベンチの端に置き、ガンダさんの顔をしげしげと見た
「それから…
「なんだよ。大丈夫だって言ってんだろう」
「いいえ昨日の話の続き、ポリネシアン・ザウルスとの再戦の話
 昨日ガンダさんは、「話の続きは又にしよう」と帰ってしまったが、ザウルスの怒りがどうなったのか気になって仕方がない
「ああ、いいよ。の続きは昼メシにしよう。それよりも龍太郎、早くポジションにつけよ」
 僕は小走りにベンチを離れ、く刈り取られた草の上に立った。
「もう少し離れろ」
 ガンダさんが素手なのを気遣って5、6メートルの近いところに立ったのだが距離などまったく気にしていない様子だ。軟球とはいえ素手でキャッチするのは相当に痛いはずなのに、とても信じられない。
言われたとおりもう数メートル後ろに下がって、恐る恐る第一球を投げた。
 ゆるやかな弧を描く軽い投球だったが、ガンダさんは左手で受け止めると軽く右手を添え、投げ返してよこした。その送球は3日前と同じ直球で、ビシッとグローブに食い込んだ。
ガンダさんは心配するなと言ったがそれでも気遣ってゆるやかな投球を何度が繰り返した。
龍太郎、おまえは優しいんだな。は大丈夫だから、もっと強い球を投げろよ」
 仕方なく先ほどより力を込めてげた。それでもガンダさんはまったく表情を変えることはなく、本当に凄い人だつくづく感心させられる
「こんなボールより、怪物に投げ飛ばされて受身を取るほうがよっぽどしんどいよ」
「受身!」
 ぼそぼそっと言ったガンダさんの独り言に、忘れようとしていた柔道の練習が突然に思いされた。僕は不登校という現実に引き戻された。
 ウオーキングをしているお節介焼きのおばさんたちが、コースを回ってガンダさんの後ろを通過するたびに怪訝な視線を向けていた。不登校を続けている僕には哀れむような冷ややかな目を何度も向けていたが、いつものとおり昼前に歩数計を覘いて汗を押さえながら帰ってった。
 僕の投球が悪くて何回か受けきれなかったことはある、手を伸ばせる範囲はたいがいキャッチする運動能力はやはり並ではない。
龍太郎。昼メシにしようか」
 ボールを受け止めたガンダさんは返球をせずに言った。
「やった!」
が、思わず大きな声を上げてしまったのはガンダさんの話を聞いている時だけが現実の苦しみから解放される至福の時だからである
ベンチへ戻ってグローブを外した。僕の顔からは汗が流れていたが、ガンダさんはほとんど汗をかいてはいない
                                    つづく


 10 不登校を責める母に反抗

 ガンダさんが立ち去った後も話の余韻が覚めやらず、しばらくはベンチに座ったままでぼやっとしていた。
日差しが弱くなりそよ風が吹きはじめる頃になると、ウオーキングやジョギングをする人たちが少しずつ増えはじめてきた。
 公園のすぐ近くにも公立の中学校があり、ぼつぼつ下校時間になる。僕にとって知らない生徒たちだとはいえ、なんとなく顔を合わすのが嫌で自転車にまたがった。昨日は家へ帰ったとたん、母に散々小言を言われているのでこのまま戻りたくはない。
 あれこれと時間つぶしを考えた挙句、ここから自転車で5分ほど走った東急白楽駅の先に白幡池のあるのを思い出して僕は向かった。白幡池は篠原緑地の中にあるさほど大きくはないだが、10人ほどのおじさんたちがのんびりと釣り糸を垂れていた。
 僕は池を見渡すように設置されているベンチのひとつを選んで腰を下ろした。スマホ音楽をイヤホンで聴き、睡蓮の葉が広がっている水面をじっと見つめた。6羽ほどの子鴨が親の後について泳いでいたいずれは親離れをしていくであろう子鴨のように、自分はひとり立ちできるのだろうかとつい考えてしまった
―― このままでは負け犬になってしまう。母に小言を言われるまでもなく何とかして学校へ戻らなければならないのだが、あの連中にはやしたてられ、馬鹿にされる屈辱だけは二度と味わいたくない。
―― 僕に、ガンダさんのような勇気が少しでもあったら…
 あれこれと暗い思いだけが次々と駆け巡る。意気地のない自分につくづく嫌気が差していると近くにある女子校の生徒たちが池の端を通りおしゃべりをしながら下校していった。
 大分日は長くなって来ているとはいえ、太陽は傾き始めてきた。僕は再び自転車にまたがり、重い気持を抱いたまま家へ向った。 
                    
 リビングの机で、小学4年生の妹がパソコンゲームに熱中していた。それでも僕の気配に気がつき、振り向いた。
「あっ、お兄ちゃん。今日も学校を休んだんでしょう。さっき蜂矢くんに会ったら電話くれ」って言ってたよ」
 蜂矢秀介は小学生のときから友達で、心配してよく電話やメールをくれるだがは、最近の彼が疎ましくて電話にも出ないし、メールの返信もしてはいない。妹の言葉を無視してソファーに座ると、母がダイニングキッチンから現れた。
龍太郎。毎日毎日、いったいどこへ行っているの? 不登校を続けていると勉強がどんどん遅れてしまって、みんなについて行かれなくなってしまうのよそれどころか高校へも行かれなくなってしまうし、そんなことぐらい分からないわけじゃないでしょう
 僕は母の問いかけに応えず、妹がキャーキャーと声を上げている、パソコンゲームに目を向けていた。だが、ゲームは単に視界に入っているだけで頭の中はガンダさんのこと思い出していた
龍太郎! 返事をしなさい」
 母は声を荒げた。
中国へ赴任しているパパがどんなに心配しているか、あなたには分からないの!  
 父は東京に本社のある食品商社に勤務しているが、この4月から上海支社の営業部長として単身赴任している。当初は家族で行くことも考えていたようだが、僕や妹の教育を考慮して、父は3年間の中国生活を単身で頑張ると言った。
「近いうちに一度帰国すると言っていたから、叱られても知らないわよ」
「えっ、パパが帰ってくるの?」
「パパはね、とても重要なお仕事をしているんだから余計な心配かけないでよ」
 僕にだって両親の心配が分からないわけではないし、好き好んで不登校をしているわけではない。あの連中に嫌がらせをされる屈辱をどうしても跳ね返せないのだ
 母に言われるまでもなく、何とかして学校へ行かなければと焦ってはいる。だが、ここまで長く休んでしまうとますます気持が後ずさりして、まるで泥沼に足をとられた哀れな動物のようにどんどん深みにはまって這い上がるき方法が見つけられないでいるのだ
「明日は、ママも付いていてあげるから、一緒に学校へ行って先生にろうね。分かった。いいわね!
「……」
龍太郎、返事をしなさい!
 僕は腹の中で、「冗談じゃない」と思った。母親が付いてたりしたら、それこそ、弱虫のあだ名がますます広がって新たな笑いのネタにされてしまう。それからも母は、いろいろと言っていたようであるがほとんど耳には入らず、僕は勝手に立ち上がった。そして、ダイニングキッチンの冷蔵庫から缶ジュースを取り出して二階の自室へ向った
「まったく、何を考えているのかしらね…
 母の嘆く声を階段で聞き、部屋に入った。
 みなとみらい都市の高層ビル群とコスモックワールドの大観覧車が夕日に映えていた。この家へ越してきたばかりの頃には横浜港も見えていたのだが、今はもう林立するビルに遮られてしまっている。
僕はオレンジジュースを半分ほど一気に飲み、残りを勉強机の上へ置いた。オーディオのスイッチを入れてからベッドへ横になった。
 ガンダさんの驚異の体験談が蘇えってくる。
―― あんな凄い人をこれまで見たこともない。たった一人で外国のあちこちを回っていろんなレスラーと戦ったというが、本当にすごい度胸だ。
―― 500キロの怪物、ポリネシアン・ザウルスは、ガンダさんの反則攻撃に怒りまくったと言っていたが、再戦はどうなったのだろうか。
 あれこれと想像していた僕だが、最後はどうしても自分の弱さと比較して落ち込んでしまう。どうしようもない劣等感にさいなまれならも、いつの間にかうとうとと眠ってしまったようだ。
 僕は特に意地悪のひどい三人組の夢にうなされていたようだが、夕食を知らせに来た妹に肩を揺すぶられて目を覚ました。
「お兄ちゃん、蜂矢くんに電話した?」
「うるせえな、バカ」
僕は妹に八つ当たりをして、足音を荒げて階段を下りるとテーブルに着いた。妹は、バカと言われたことを悔しがって、母に何度も訴えていた。
 母は不登校問題で頭が一杯なのか、終始塞ぎこんだで食事をしていた。この暗い雰囲気を作っている原因は自分にあるとよく分かっている。それを考えるととても辛い気持だったが、それでも妹のおしゃべり救いだった。母の傍から早く逃げ出したい僕は、急いで食べ終え席を立った。
「歯を磨いて、お風呂へ入りなさい」
 母は暗い表情を崩さずに言った。
                    
 翌朝、母が起こしに来た。
「昨日ママが言ったこと覚えているわね。早く朝ごはんを食べて、一緒に学校へ行きましょう」
 僕は掛け布団を引き寄せて頭から被った。
龍太郎 いい加減にしなさい
 母は涙声を張り上げた。
「先生にはよく謝ってあげるから、だから早く起きて」
 布団を剥ぎ取られた僕は、仕方なくベッドの上へ上半身を起こした。
「さあ、早くしなさい」
 母は僕の手を引いた。
「ママ、一緒に行くのだけは止めてくれない」
それじゃあ、自分で行くのね?」
 そう言われても、まだ学校へ行く気持ちには到底なれないでいる。返事をせずにパジャマのままで洗面所へ向った。
 朝食後、いつもと同じように授業のはじまる時間まで部屋に閉じこもっていた僕は、急いで階下へ下りると、父の車が停めてあるガレージ脇の自転車置き場へ走った。ところが思いがけないことが起きていた。なんと、前輪のスポークの間にチェーンロックが通され、フェンスへ結わきつけられていたのだ。
 思いも寄らない事態焦っていると、顔をしかめた母が玄関を出てきた。
「ママ、チェーンロックを外してよ」
「だめです! 何度訊いても黙っているけど、毎日毎日、いったい何処へ行っているの。正直に言いなさい」
 僕はしばらくの間、黙ったまま下を向いていた。
何処へ、何をしに行くのか言いなさい
 いつもよりかなり強行であり、やむなく僕はうつむいたまま答えた。
「公園でボール投げをしている
何処の公園なの
 僕のにガンダさんが思い浮かんだ
―― 岸根公園だと教えたら母が来てしまい、ガンダさんに会うことも禁じられてしまう。
母は僕の腕をゆすぶり、何度もしつこく訊いた。
何処なのよ!」
「……」
「ちゃんと答えなさい!」
「うるせえな! 何処だっていいだろう
龍太郎あなた誰に向かって言っているの
 これまでにはなかった言葉遣いに、母は目を見開き驚愕の表情を見せたが、僕自身ですら驚いている思わず出てしまったとはいえ、親に対してこれほど強く言い返したのははじめてであった。
意気地なし!」
 母は僕の頬を平手でぶった。こんなこともこれまでになかったことだ。僕は腕を押さえている母の手を振り切り、グローブとボールを握って走り出した。
待ちなさい!」 
制止する母の絶叫を背中に聞いたが、隣家の窓が細く開いたのに気付いた。母にまで「意気地なし」と言われてしまったショックは大きかった。僕はますますの深みに落ち込んでゆく虚しさに胸が締め付けられ、無我夢中で走った。
                                            つづく
 
 
 9 蘇った太古の恐竜「ポリネシアン・ザウルス」と対戦
 
 お昼のサンドイッチは食べ終わったが、もともと他にやることがないからやっているだけのボール投げはもうどうでもよくなりベンチを立たずに耳を傾けた
「龍太郎、驚くんじゃねえぞ。がこれまで戦った、最も体重の重かった怪物レスラーは、ポリネシアン・ザウルスと呼ばれていた奴だ。そいつの体重1,100ポンド、なんと500キロもある超巨大漢なんだ
「ええ〜っ…、マジですか! 
「だから驚くなよって言っただろう」
「500キロだと僕の10倍だ」
「そう、の4倍もあるし、胸の大きさはゴリラ以上だ
 そう言ったガンダさんは両手を胸の前で広げて、その巨大を示した。
メッチャ、デケエ!」
 ガンダさんの手振りにその大きさを想像して思わず声を上げてしまった僕の緊張はかなりほぐれていた
戦った場所はアメリカのフロリダ州にあるオーランドという町で、龍太郎も知っているウオルト・ディズニーワールドのあるところだ。大きな会場は超満員だったが、観客のほとんどは、悪役のがザウルスに押しつぶされて病院送りになるのを楽しみに観に来ていたのさ」
ガンダさんは本当に悪役だったの?」
 昨日、本名のカンダよりガンダの方が悪役らしくて名前を変えたとは聞いていた。だが、今の穏やかな顔からは反則ばかりを繰り返す悪のイメージが浮ばない
「ああ、は悪役だったのさアメリカやカナダをはじめ、世界中で最も憎まれた悪役だった」
「なぜですか?」
日本人が外国で戦うとき、悪役じゃないと客受けしない。つまり日本で戦う外国人が悪役なのと同じで、よそ者は悪人という昔からのストーリーなのさ」
 小学3年の時の父と観に行った試合でも、外国人選手が悪いことばかりしていたのはよそ者だったからなのかとうすうす納得した。
「それで試合はどうなったの?」
「そう急かすなよ。順を追って話してやるからさ」
 ガンダさんはゴツイ身体と不釣合いな笑顔を見せたので硬直していたの力も少しずつ抜けていった
「そうだな…
 ガンダさんは昔を思い出すような仕草で腕組みをした。
あの怪物と戦ったのは、もうかなり昔だ龍太郎だって、500キロも体重のある奴だから、歩くのもやっとの、のろまだと思うだろう」
 僕は正直にうなずいた。
「普通はそうだよな。ところがあの怪物は、ポリネシア諸島とつで、ロスト・タイム・アイランド。つまり「時間を失った島」と呼ばれているジャングルで育ったというだけあって、ジュニアヘビー・クラスのレスラーと同じようにすばしこく動きまわる運動神経を持っているんだ。その挙句、自動車を持ち上げてしまうほどのものすごい怪力を持っている。だからな、別名を「蘇えった太古の恐竜」とも言われている
「怖ええ!」
「奴の得意技はな。怪力にものをいわせて、対戦相手を頭の上まで差し上げてから何度もマットへ叩きつけて動けなくしてしまうだよ。そしてその後、コーナーの上へ素早くって、ザウルススプラッシュという技で相手の上へダイビングして肋骨をへし折ってしまうんだ」
「えっ! 肋骨を折っちゃうの?」
 思わず僕は薄っぺら自分の胸に手をあてがった。
「ああそうだ。病院送りになったレスラーは何人もいる。だから、奴のザウルススプラッシュはレスラーの誰にとっても恐怖の技だったんだ
「それで…ガンダさんは大丈夫だったの?」
「うん。はあいつと戦う前からザウルススプラッシュを喰わない対策として、ある作戦を練っていたんだ
「作戦?」
ああ。はな、試合用パンツの中にギミックを忍ばせておいたんだ
「ギミックって?」
「うん。相手をだまし討ちにする小道具のことだが、つまり、目潰し用の唐辛子入りメリケン袋を隠し持っていったんだ」
「えっ! 目潰しなんて反則でしょう?
もちろん反則だよ。だけどな、プロレスには反則もファイブカウント以内なら許されるという、他のスポーツにはない特別ルールがある。さっきも言ったとおり最も憎まれていた悪役だ。つまりプロレス用語ではヒールといわれているんだが、悪辣な反則が売り物なのさ」
「ふーん、プロレスって凄い
ああプロレスは地獄の特訓に耐え抜き、鍛え上げた男だけができる命がけのエンターテイメントだ」
 父に連れられて横浜文化体育館へ行って以来、何年も忘れかけていたプロレスに新たな興味が湧いてきた。と同時に、プロレスラーになる人はみんな命知らず、僕のような臆病者はいないだろうと思った。
「それで、どんな戦いになったの?」
その日の試合はジプシー・ガンダポリネシアン・ザウルスがメインイベントでな。が先にコールされんだが入場するときのテーマ曲は、昔の歌謡曲をアレンジした「東京流れ者」なんだ
「東京流れ者?」
龍太郎が知らなくても無理はねえ。ちょうどがアメリカへ行った頃上映された映画で、主演の渡哲也が歌ったんだが当時はかなり流行っていたよは渡哲也のファンだったんでな
 ガンダさんはちょっと照れたように笑った。
「渡哲也という俳優さんは僕も知ってる。それに、僕のパパが、眼元と鼻の形が似ているだろうって自慢していたから
「おお、そうか。そういえば龍太郎も大人になったら似てくるかもしれねえな」
 僕の顔をじっと見たガンダさんはちょっとニヒルな表情に変えて、当時流行ったという歌謡曲を低い声で口ずさんだ。
    流れ流れて 東京を
    そぞろ歩きは 軟派でも
    心にゃ硬派の 血が通う
    花の一匹 人生だ
    ああ 東京流れ者
 僕にははじめて聞く歌だったが、ガンダさんの声は低音の凄みがあり、思わず手を叩くと、
「やめろよ。照れるじゃねえか」
と言って笑った。
うっかり歌なんか歌っちまったが、怪物との戦いに話を戻そう」
 ガンダさんは真顔になった
試合のテーマ曲に歌詞はついちゃいねえがな。その曲をバックにスポットライトを浴び、観客を挑発しながらリングへ向ったんだ。もちろんヒールは憎まれ役だから、観客から凄い罵声を浴びせられたよ」
て?」
「ああ、「おまえなんかザウルスに押しつぶされてしまえ」とか「棺に入れて日本へ送り返してやる」だとか、もっとひどいことも言われたな。でも、ヒールのにはその罵声がエネルギー源になってやる気を奮い立たせるんだ」
「怖くないの?」
そりゃあ少しは怖いさ。でもな、相手だってのことを内心では怖いと思っているんだ」
「相手も?」
「でもな、その恐怖心を相手に悟られずに戦わなければならない。それがプロレスラーの意地なのさ。だからは、アメリカ人が日本人の格好でもっと嫌う、日の丸を染め抜いた鉢巻をして、パールハーバーと背中に大きく染め抜いた半纏をはおって、7分タイツに地下足袋の田吾作スタイルをコスチュームにしていたんだ。龍太郎はパールハーバーって分かるか?」
 僕は首を傾げ、
「聞いたことはある」
と、答えた。
「パールハーバーってえのはな、第二次世界大戦発端になったハワイの港で、1,941年の12月に日本軍が奇襲攻撃を仕掛けた所よ。つまりアメリカ人にとっては忘れられねえ日本人の卑劣な行為なんだ」
「それでお客さんが罵声を浴びせるの?
そのとおり、にとってはそれが狙いなのさ。観客の罵声を一身に浴び、リングの上であいつの来るのを、薄笑いを浮かべて待っていたんだ。アメリカの連中には日本人の意味不明な笑いが不気味に感じるらしい
「不気味な薄笑い?」
「そうだ。そうすると観客は、の態度ますますの憎しみを抱き、一段と声を荒げたののしりの言葉を浴びせ、一斉に中指を立てて突き上げるんだ
「中指?」
「ああ、アメリカでのその仕草は、相手を馬鹿にした侮辱の意味だ。龍太郎は真似なんかしっちゃあだめだぞ」
 ガンダさんの頬がちょっとゆがみ、たぶんそのときと同じだったのかもしれない不気味な笑みを浮べた
すると会場内のライトが消されて、真暗闇のジャングルを連想させる演出がなされたんだ。獣たちの遠吠えに怯える動物らの鳴き声が館内に響き渡り、観客水を打ったように静まり返ったよ」
 遠くを見つめる眼差しのガンダさんの目は鋭く輝き、僕はだんだんと話の中に吸い込まれていった。
ジャングルの奥から聞こえてくるような太鼓の音が静かに流れ少しずつ大きな音に変わってくるとスポットライトに浮んだザウルスの巨体が姿を現したんだ花道に地響きを立てて近づいてくる怪物は、ポリネシアン模様の民族衣装をまとい、裸足でのしのしと向ってきたんだが、とにかく息を飲むほどデカイ。まるで山が動いてきたような迫力だったな
 ジャングルの奥から現れる蘇った太古の恐竜。はその場面が目に浮ぶようで、全身に鳥肌がたった
「500キロも体重があって、運動ができるというのは世界でもあいつだけだろう。日本の相撲取りでも250キロくらいが最重量だから、まだ倍もデカイ
「へーっ、凄いな。ザウルスってどんな顔をしてるの?」
ああ、はじめて見たは震え上がるほど怖い顔だ。髪の毛はぼさぼさに伸びていて、顔中に髭がている。それに目はらんらんと輝き、まるで獲物を襲う猛獣のようだったな。だけど怖いのは顔だけじゃねえぞ。全身が剛毛に被われていてな、まるで巨大なタワシのようだった
 世界には想像すらできない人間がいるものだと寒気すら覚える。もし、気の弱い僕が、そんな怪物的人間に突然出会ったらどうなるだろう――。おそらくは恐怖のあまり失神してしまうかもしれない
奴はリングサイドまで近づくと、「ガオーッ」という、館内を揺るがす雄叫びをあげてから民族衣装を脱ぎ捨てて、ジャングルを駆けまわっていたときと同じ腰みの姿になったんだ。そしての心臓を射抜くような鋭い視線を投げかけ、親指を下に向けるゼスチャーを見せたんだ。つまり、「おまえの肋骨をバラバラにして、病院へ送り込んでやる」という意味だ」
メッチャええ」
 ただ聞いている僕でさえ震え上がるほどろしい体験のに、ガンダさんは淡々と話を続けた。
奴がの目をジッと見据えたまま、リングに上がるステップに足を掛けたとき、も負けずに言ってやったさ。「この怪物野郎、おまえを檻にぶち込んでポリネシアの海へ沈めてやる覚悟してかかって来い」ってな」
「ザウルスは怒った?」
「もちろんさ、奴はものいうなり声を上げ、「生意気な流れ者が、覚悟するのはお前の方だ」と吐き捨て、一気にロープをまたいで来たよ。そこで作戦どおりのパールハーバー攻撃を掛けたんだ」
「奇襲!」
「ああそうだ。レフェリーの制止も聞かず、いきなり体当たりしていって、リングの外に落としてしまおうとしたんだ。ところが奴にはまったく効かず、逆にの方が跳ね飛ばされてしまったのさ。いきなりの反則攻撃に怒り狂った怪物は、倒れているの首根っこ押さえつけ、場外に放り投げたんだ。は客席の中まで飛ばされたんだが、奴リングを飛び降りて追いかけてきたは椅子でめった打ちにされた挙句、鉄柱に頭を打ちつけられて大流血してしまったんだ」
「えっ!
 僕は思わず、無数の傷痕小さな山河のように盛り上がっているガンダさんの額を見てしまった
「血を見た怪物はますます興奮したのか野獣のような唸り声を上げての額に噛みついてきたんだ」
 僕はその場面を想像しなって目を覆った
「観客は大興奮してザウルスコールを巻き起こす中。レフェリーはロープから身を乗り出して場外カウンを数えると、リング内へ戻るように叫んでいたよ」
「場外は20カウントでしょう」
「そうだ。よく知ってるな」
「そのくらいは」
「そうか。とにかくそのままだと両者リングアウトになってしまうからな。はリングの中へ投げ込まれて、それからも殴る蹴るの散々な目に合ったよ」
「ザウルスだって椅子を使ったり反則をしているのに、お客さんはみんなザウルスの味方だなんてずるい
それがプロレスファン独特の判官贔屓ってやつよ。奴の故郷ポリネシアはフランス領だが、もともとアメリカの国民はヨーロッパから移民して来た人種の集まりだからな。つまり、純粋なよそ者のがやられて苦しめば苦しむほど、1万人もの観客は床を踏み鳴らして大喜びするってわけさ」
「ガンダさん、やられっぱなし?」
「そんなことはないよ。だって相手の隙をついては反撃に出るんだが、とにかくタフな奴だった」
「技が効かないの?」
「そうなんだ。全身が分厚い筋肉の固まりだからな、パンチもキックも投げ技もまるで効かねえ。試合が始まってから15分くらい過ぎたときかな。怪物はゴリラのドラミングのように胸を叩き、雄叫びとともに右の拳天に突き上げると、観客がお目当てザウルススプラッシュを予告したんだ。奴は怪力にものをいわせ軽々と頭の上まで差し上げ必殺フルコースの前哨に入ったんだ」
本当に肋骨を折るつもり?」
「ああそうだ。は何度も投げ飛ばされて、意識が朦朧としてきたよ。ついにはリングの中央で大の字に伸び、動けなくなってしまったをニタッと見下ろしてコーナーへ登っていったんだ」
やばっ!
「でもはな。あちこち痛む体を必死に奮い立たせて、ダイビングする寸前の怪物の目をめがけて、例の粉を投げつけてやったのさ」
「唐辛子の?」
そう、唐辛子のたっぷりと入った特製のメリケン粉だ。赤と白の混じった粉がライトに浮かんで奴の目に炸裂したとたん、さすがの怪物も悲鳴を上げて顔を掻きむしっていたよ。作戦どおりに目のえなくなった怪物は、そのままリングへ転落したんだ。苦しそうなうめき声を上げていたが、それでもの上に飛び降りて徹底的に蹴飛ばし、先ほどまで痛めつけられたお返しをたっぷりとしてやったよ」
「早くリングへ戻らなきゃリングアウトだ……」
「ところがな。止めに入ったレフェリーを殴り飛ばしてしまったんだ」
「えっ! レフェリーを殴ったの?」
「ああ、おかげで反則負けにされちまったところがだ。観客の暴挙猛り狂って襲いかかって来たんだ
「お客さんが?」
「ああ、興奮した客が次々と向ってくる。そいつらを突き飛ばしてほうほうの体で控え室へ逃げ込んだんだアメリカじゃ対戦相手よりも興奮した客の方が場合もある。なにしろ味方なんて誰ひとりとしていやしねえし、客の中にはナイフを持っている奴もいるから
「1万人もの観客を敵にまわなんて僕には考えられない
「ハッハッハッ」
 ガンダさんは豪快に笑った。
その後、ポリネシアン・ザウルスとの対戦はしていないんでしょう」
 僕ははじめて聞く未知の世界に胸が躍り、すっかりガンダさんの虜になってしまったようだ。
いや、ところがだな。烈火のごとく怒り狂ったザウルスはコミッショナーとプロモーターに抗議し、「このまま引き下がったんじゃあのプライドが許さねえ」と再戦を迫ってきたんだ」
「えっ!」
「プロレスの反則負けってえのは、実際には試合内容で勝っていたようないたようなもんだからな」
 ガンダさんは僕の驚きをよそに、リュックに結び付けてある時計に目を向けた
龍太郎、この続きは又にしよう」
 そう言うとリュックを背負い、松葉杖を手繰り寄せて立ち上がった。そして、僕の肩をそっと叩いてから大きな背中を向けると、コツコツという杖の音とともに遠ざかって行った
                                           つづく


8  興味尽きないジプシー・ガンダ武勇伝

 昼食の後もしばらくはボール投げを続けたが、僕はかなり興奮していた。なにしろ先日来から気になっていた大男が、なんとプロレスラーだったと知ったからである。
―― 外国のあちこちを長いこと転戦していたと言っていたが、どんな相手と戦っていたんだろう。話を聞いてみたい。
 剛速球以来の新たな好奇心が湧き、ふと後ろを振り向くと大男の姿はベンチから消えていた。それから間もなく、公園を出た僕は真っ直ぐ家へ帰るのが嫌で、自転車を新横浜駅の方へ向けて横浜アリーナまで来た。
幸いなんのイベントも行われてはおらず、広いエントランス脇の石段に腰を下ろして時間をつぶすことにした。まだ陽は高く、ポカポカとした日差しが柔らかく降り注いでいた。僕は石段に映る自分の影をじっと見つめた。
 先ほど一緒にお昼を食べたあの大男の姿が思い浮かぶ見ず知らずの人と話をしたばかりか一緒にご飯を食べたなんてはじめての経験であり、もし母が知ったら卒倒してしまうかも知れない。
 かつてはプロレスをしており、ジプシー・ガンダというリングネームだったと言っていたがどことなくミステリアスな感じの人だった
 頭の中は学校の不安、ジプシー・ガンダという元プロレスラーへの興味が混ぜこぜなった思考が交差して少しずつ長くなってゆくぼんやりと見ていた
と、その時である。僕はイヤホンで音楽を聞いていたために気付かなかったが、いつの間にか近づいてきた人のにふと顔を上げた。アリーナを巡回している警備員さんだった。警備員さんは訝しげな目を向けてきたので仕方なく立ち上がった。
 いつものことだが暇をつぶす一日というのはやたらと長い。ゲームセンターには不良グループがたむろしているかも知れないと思うと怖くて近寄れずには行くところ限られている。僕は再び自転車にまたがるとゆっくりとペダルをこぎ、来た道を引き返して家へ戻った。
ちょうど母も買い物から帰ったところで、車のトランクから野菜などの荷物を取り出していた。
                    
龍太郎! ここへ座りなさい」
 怖い顔をした母に命じられた僕は、リビングのソファーへ小さくなった。
「毎日、どこへ行っているの
 僕は運動靴の中に入った土で汚れている靴下の先を見つめたまま黙っていた。
それに、お昼はどうしているの
「お小遣いがあるから、コンビニで買っている」
 母は涙目になってため息を漏らした。
「まったくもう。パパのいないこんなに限って…。しっかりしてよ」
くぐもった涙声でそう言った後にしばらく口を閉ざし、目頭を押さえてから僕のほうへにじり寄って肩を揺すった
気持を強く持って、明日から学校へ行きなさい。柔道だって練習をすると決めて入部したんでしょう。それなのに、どうして一日で辞めてしまうのよ。男の子なのに、情けないとは思わないの」
「肩を怪我したんだよ」
 僕は言い訳をしたが、たいしたことのないのはとっくに見破られている。
「嘘つきなさい。本当は怖くなって、練習に行かなくなったんでしょう」
 母の言うとおりなので、は返す言葉がなかった。
「今日のお昼休みわざわざ担任の先生が来てくださったのよ。クラスの子たちがはやし立てたりしたのは厳重に注意したと言ってたわ。だから心配しないで学校へ行きなさい。柔道だって本当に嫌なのなら、退部届けを出さなきゃだめでしょう。まったく無責任なんだから
 母の説教はまだまだ続きそうなので、僕は勝手に席を立った。
「龍太郎!」
 母はヒステリックな声を上げたが、僕は構わずに部屋へ戻った。
                   
 翌朝、妹を見送った母は、
「約束どおり学校へ行きなさい」
、部屋までいに来たが、僕は約束などしてはいない。
―― あんな奴らのいる学校へなんかくもんか。
心の中でそう叫んだ僕は、貯金箱から500円を取り出し、母がゴミ捨てに出るタイミングを見らっていた。そしていつものとおり、学校の授業がはじまっている時間に自転車へ乗った―― 
 公園今日も春の日差しが降り注いでいた。だが、爽やかな陽気とは逆に、僕の心停滞したままの暗雲立ち込めている。
 いつもの場所に自転車を停め、ベンチに目をやるとジプシー・ガンダという大男は昨日と同じ姿勢新聞を開いていた。しばらく見つめていた僕の気配を感じたのか、こっちへ顔を向けて軽く手を上げた。僕は一瞬焦ったが、小さくお辞儀をした。
 ちょうどおばさんたちが軽い息を弾ませて目の前をとおり過ぎた。先日の一件で不快な思いを抱いているのか、今日は僕の姿を一瞥しただけで無視を決め込んでいるようである。
 不登校中学生なんて実に嫌な言葉だが、僕がその仲間入りをするなどとは思いもしなかったことだ。ついひと月前には想像すらできなかったことだが、今では情けない公園通日課になってしまってる。でもすべてはあいつらが悪いからだ」と、いちいち自分に言い訳をして慰めている
僕はいつもの手順、いつものとおりのことをただ黙々と続けた。壁に当たるボールの音も、キャッチするグローブの音も耳に染み付いてしまったが、今の僕にはただしいだけどうしようもない。
壁と向き合い、ただただ単純な動作を黙々と繰り返しまた昼になった。これもまたいつものとおり手洗い場で汗ばんだ顔を洗い、自転車の荷台カゴからコンビニ袋を取り出した。すると昨日と同じようにベンチの方から声が聞こえた低音の良くとおる大きな声である。
龍太郎、こっちへ来いよ」
 まさかと思ったのだが、大男は僕の名前を覚えてくれていたようである。ちょっと嬉しかったが、昨日と同様すぐ近づいて行くにはまだ躊躇あった。大男は再び名前を呼んで手招きをした。
 いつまでもぐずぐずとしている僕を、じれったい奴だと思っているかもしれない。本心は走って行きたいのだが、思うとおりに行動できないのは小さい頃からの悪い性格だと自分でも分かっている。
それでも、やっとうなずいた僕は、手にしたコンビニ袋とペットボトルを持って近づいて行った。大男昨日と同じように腰をずらしてくれた。僕は小さく頭を下げ、腰を下ろそうとして上体をかがめただった。
―― あっ!
大男の顔を見て思わず叫びそうにほど驚いてしまったのだ
 昨日ほとんど顔を上げることもできず、ただおどおどしていて気がつかなかったのだが、大男の額には無数の傷痕が生々しく盛り上がっていた。それに、後ろで結わいてある長い髪からはっきりと出ている両耳も餃子のように異様な形をしていた。
 僕の驚く顔に気付いたのか、
「これ、気になるか?」
と言って、おでこを触ってから小さく笑った
この傷痕はな、何度も流血したからこんなになっちまったんだおかしいよな」
「流血!」
 僕は恐ろしくなって思わず声を上げてしまった。
それからこの耳はな、格闘技をやっていなら、たいがいがこうなってしまうんだ。最初はぶつかったり擦れたりしての内出血で膨れ上がるんだが、ちょっと触られただけでも飛び上がるほど痛い。でもな、そのうちコチコチに固まって感覚がなくなってしまうのさ日本では耳が沸くって言うが、アメリカではカリフラワーって呼ばれているよ
カリフラワー
 そう言われれば野菜のカリフラワーに似ていると思った。
「触ってみるかい」
 興味はあるが躊躇っていると、大男は僕の手を取って自分の耳にあてがった。
「うわーっ!」
 思わず突拍子もない声を上げてしまったのは、ぼくの手を取った男の手がすごく冷たかったことと、変形した耳がまるで石のように硬かったことによる。
「あのう…、柔道でも、こういう耳になるんですか?」
 僕はもう柔道部へ戻る気持はさらさらないのだが、何気なしに訊いた。
ああ、高校生のときになったよ
「えっ! おじさんは柔道もやっていたんですか?」
 僕は、かなり調子はずれの声をあげたらしく、大男は笑った
柔道をやってたからって、なにをそんなに驚いてるんだ。それより、のことを、おじさんじゃなくガンダと呼んでくれ」
「は、はい…
いつまでも突っ立ってねえで早く座れよ」
 僕は端の方にちょこんと腰を下ろし、コンビニ袋を開いた。
「今日も菓子パンか?」
 自分の包みを開きながら、袋の中をチラッと覗き込んだ
「いえ、今日はサンドイッチです」
「そうか、サンドイッチかパンが悪いってえわけじゃねえが、日本人はを食わねえと、力がねえぞ。なんたって、弥生時代から1,000年以上もメシ粒を食ってきた遺伝子を引きついているんだからな。西洋人の真似をしても日本人には合わねえよはアメリカにいたときで自分でメシを炊き、みそ汁を作っいたからな
 そう言って、おにぎりをガブリとほおばった
ガンダさん…は、アメリカでプロレスをしていたんですか?」
「ああ、アメリカだけじゃねえよ。いろんな国へ行って、いろんなレスラーと戦ったよ。多分2,000試合近くになるだろうな
「2,000試合!」
「自分で言うのも何だが、は結構人気があったからな。プロモーターからは引っ張りだこで、あちこちのテリトリーを荒らしまわったものさ
「テリトリーって?」
「うん。世界は広いからな、それぞれの国の中でも、地域ごとに興行権を持つプロモーターがいてな、その勢力圏をテリトリーっていうんだよ
ガンダさんより大きいレスラーもいるんですか?」
「ハッハッハ、なんか決して大きい方じゃねえまあ中くらいってところかな。外国には怪物みたいなレスラーがごろごろといるからな。そんな連中と年がら年中戦っていたから、ずいぶんと危険な目にもあったし、時には死ぬかと思ったことだって何回もあった
 この大男のガンダさんよりもっと大きい、怪物のようなレスラーごろごろいると聞き、小さい頃に父が聞かせてくれおとぎ話の世界が思い出された。そして、話の中に登場する数々の巨人を連想した。
小学生時代、子供が事件に巻き込まれるニュースが報じられるたび、「知らない人に声を掛けられたら用心するように」と学校からきつく言われていた。そのため、これまで他人の大人と話をした経験のないだがガンダさんには不思議な興味を感じはじめた。それでも僕は、まだおどおどとした口調でねた
ガンダさんが戦った、一番大きなレスラーは誰ですか?」
「ん…龍太郎はプロレスが好きなのか?」
 ガンダさんはすぐには答えてくれず、おにぎりを噛みながら僕の目を覗き込んだ
「小学3年生のとき、パパに横浜文化体育館へ連れて行ってもらったことがあります。悪役の外人が客席まで暴れ込んできて、怖くて逃げ出しました
「そうか、龍太郎はプロレスを観たことがあるのか。それじゃあ話もしやすいな。最近はテレビでもあまり放送をしなくなったし、プロレスそのものを知らない子供もいるようからな」
 ガンダさんは脇においたペットボトルへ手を伸ばした。
「日本のプロレス界は、もう10年以上も客がらねえようだが、つまりは業界の努力が足りねえんだよマッチメークをやっている連中はもっと世界に目を向けて、いい悪役を発掘してこなきゃだめだ。プロレス悪と善が対決するとう、もっとも分かりやすい最高のエンターテイメントなんだけどな」
「悪役って大切なんですか?」
「そうだよ。プロレス面白いか、つまらねえかは試合の大部分悪役の腕にかかっているんだ。つまり、悪役はレフェリーの目をかいくぐり、いかに巧妙な反則を繰り返すかで客の興奮度が違ってくる。外国人の悪役を上手く使ったストーリーを考えていけば、若い人たちだってもっとプロレスに興味をってくれるんだけどな
 僕にはガンダさんの言っている意味がよくは理解できなかったが、たしかにプロレスの話をしている友達は誰もいない。それもガンダさんの説でいえば、凄い悪役がいないのでつまらないからなのだろうか。
僕は臆病なわりにプロレスるのが嫌ではない。柔道ですら向かないのだから、プロレスラーになろうなどとはにも思ったことはないが、たぶん弱虫の自分を強いレスラーに置き換えて観ることができるからだと思う。
が外国で戦った話、聞きたいか?」
 僕はゴクンと唾を飲んで大きくうなずいた。まるで未知の扉を開けたような興奮を覚え、心臓がドキドキと鼓動を打つのが感じられた
                                           つづく


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