|
7 えっ! おじさんはプロレスラーだったの?
僕は意図的にボールを受け損ない、またあの人の所へ転がして見たいとも思ったがそんなわざとらしい演技のできるほど器用な性格ではない。でも、もう一度あの速球を受け止めて見たいし、座ったままの姿勢から投げられる腕力も羨ましくてならない。
尻のポケットに入れてあるスマホを覗くと、デジタル時計の数字が正午になろうとしていた。僕はボールを投げるのを止めた。近くの手洗い場で汗ばんだ顔を洗い、荷台カゴのコンビニ袋を掴んで花壇の縁石に座った。そして菓子パンを取り出そうとしたときだった。
「おい、坊主」
突然あの大男の声がしたのだ。顔を向けると僕を手招きしていた。僕は動悸が高鳴りかなり動揺した。先日の一件から想像しても悪い人ではなさそうではある。でも、手招きをされたからといってすぐに走って行くほどの思い切りのよさなどあろうはずがない。なにしろ小学生時代は、「知らない人に話しかけられたら十分に注意をするように」という教育を受けていた世代であるし、教え云々より元来の性格がそうだ。
だが、剛速球の好奇心は消えていない。どのような人なのか訊ねてみたい気持ちはあるのに、身体は拒否している。
「こっちに来なよ」
大男は先ほどよりも大きな声を出した。僕は逃げようかとも思った。
「心配することはねえ」
ちょっとだけ笑みを浮かべて、また声を上げた。それでもまだ躊躇っていたのだが、かなりの勇気を振り絞ってコンビニ袋とペットボトルを手にすると恐る恐るベンチへ近づいて行った。
―― 何かされたら逃げ出せばいいし、この人より僕のほうが足は速いはずだ。
そんなことを考えていると、大男は僕に笑顔を向け、腰をずらしてスペースを開けると顎をしゃくった。
「座れよ。昼メシ、一緒に食おうじぇねえか」
あらためてよく見ると本当に大きな身体をしている。小学生の時の遠足で行った、総持寺の山門にある金剛力士のようにゴツイ。
「いつも一人じゃつまらねえだろう」
―― やはりこの人は、いつも見ていたんだ…。
僕が黙ったまま突っ立っていると、大男は、
「おい」
と言って座るよう促し、リュックのジッパーを開けて新聞紙の包みを取り出した。包みを開くと中から大きなおにぎりが3個出てきた。そのひとつを無雑作に掴むと、ガブッと口にほおばり、
「うめえ」
と微笑んだ。身体が大きいだけに、その仕草がどこかユーモラスに見えたため緊張は少しほぐれた。
―― 怖そうだが悪い人ではなさそうだ。
僕は小さくお辞儀をし、隣へ硬くなって座った。大男はコンビニ袋の中味を覗き込み、
「食えよ」
と言った。萎縮したままの僕が菓子パンをひとかじりしたとき、ひとつ目のおにぎりはもう食べ終わっていた。そして脇に置いてあった2リットルのペットボトルの水をガブガブと飲み、ふたつ目に手を伸ばした。
「野球、好きか?」
大男は僕の顔を覗き込んだ。僕は黙って首を横に振った。
「そうか」
先ほどのおばさんたちのように、学校のことなどは何も訊かず、ただ無心に口を動かしていた。
「あのう…」
僕は傍らへ寄ったとき以上の勇気を振り絞って言った。声が震えているのが自分でも分かる。
「おお、坊主。はじめて口をきいたな。で、なんだい?」
「おじさんは、プロ野球の選手だったんですか?」
「プロ野球、なぜだい?」
「この前、投げ返してくれた球が凄く速かったもので」
「ハッハッハ、そうだったのかい。だけど俺は、野球の選手なんかじゃねえよ」
「そうですか。じゃあお相撲さん?」
「いや違う」
「でも、スポーツはしていたんでしょう?」
僕の声は、おどおどと上ずっている。
「ああ、昔はプロレスラーだった」
「えっ! プロレスラー」
この大きな人がプロレスラーだったと知り、なるほどそうだったのかと思いながらも思わず驚きの声を上げてしまった。
「坊主、お前の名前は?」
「武田…、武田龍太郎です」
「そうか、龍太郎か。強そうでいい名前だな」
小さい頃から同じことをよく言われるのだが僕は首を横に振った。名前は父が考えたとのことだが、慶應義塾大学の大先輩であり、「誠」を座右にする橋本龍太郎元総理大臣の信念を尊敬していたからだという。だが、信念といわれると僕の性格にはあまりのもギャップがありすぎ、自分ではいい名前だとはまったく思っていない。それでつい首を横に振ってしまう癖がついているのだ。
「俺の名前はな…」
そう言いかけた大男は、大きく息を吐いて青く澄み渡った空を仰いだ。だが、その横顔が少しだけ淋そうに感じられたのはなぜだろうと思った。
「俺のリングネームはジプシー・ガンダといってな、外国のあちこちを長いこと転戦していたんだ」
「ジプシー・ガンダ」
「ああそうだ。本名は神田というんだが、アメリカのプロモーターから、カンダよりガンダの方が悪役の響きがあると言われて、ガンダに変えたんだよ」
僕は正直、カッコいいリングネームだと思った。
「ところがな、日本へ帰る直前。カナダの北部にあるユーコン州のホワイトホースという町で猛吹雪に襲われ、交通事故に巻き込まれちまったのよ」
僕は片方の靴しかない足元に目を落とした。
「そうさ、お前の想像するとおり、そのときに片脚をなくしちまったのよ。もう、遠い昔のことだがな」
僕がちょっと不思議に思えたのは、父と同年代に見えなる大男が「遠い昔」と言った
ことである。
大男は下肢のない膝を撫で回し、事故を思い出したのか再び天を仰いだ。僕は黙って
菓子パンをちぎって口に入れた。足元に、数羽の鳩が近寄ってきた。大男は食べかけの
おにぎりを指先でつまみ、ポンと投げ与えた。
つづく
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用







