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 23 雨垂れとともに流れ去った弱気の虫

 しだいに雨脚が増して行く中でしばらくはぼんやりと佇んでいたが、公園を出たときには本降りとになっていた。夢中でペダルをこぎ、家にたどり着いたときには全身がずぶ濡れで、野球帽を滲みとおった雨は髪の毛からは水滴となって流れ落ちていた。自転車を停める音に気がついたのか、母がバスタオルを持って飛び出してきた。
「まあ、びしょ濡れになって! だから今日は止めなさいっていったでしょう」
 僕はNWAのタオルをシャツの下に忍ばせて玄関へ入った。
早く着替えなさい
 シャワーを浴びるように言われ、用意されていた衣服に取り替えた。そしてそのまま、誰にも見せたくないNWAタオルを隠し持って階段を上った。部屋のカーテンを開けると、みなとみらい都市にそびえる高層ビル群の中でも飛びぬけて高いランドマークタワーの上階は雲の中に隠れていた。昼間だというのに、どのビルの窓にも明かりが灯っている
 窓ガラスに雨が吹き付けていた。しばらくの間を引いて流れる落ちる無数雨粒を眺めていたら、このひと月あまり鬱積した心のしこりも次第に流れ落ちて行くのを感じた。僕はタオルをそっと広げて、ガンダさんと父の話を重ね合わせた
「男の人生は闘い「壁を目の前にして弱音を吐いたら負け犬になる 僕は窓際に引き寄せた椅子に座り、雨に煙るランドマークタワーをじっと見つめた。
辛さにくじけそうになった時、そして恐怖に立ち向かう、ガンダさんは自分に言い聞かせたという、「やるしかねえ!」と。
「そうだ! 僕だってやるしかねえ」
 窓ガラスに映る自分の顔に、ガンダさんの口調を真似て声を上げた。
―― 今の僕には三つの壁がある。一つは、まず学校の正門を堂々とくぐること。二つ目、いじめの三人組に真っ向から立ち向かうこと。そして三つ目は柔道部顧問の大岩先生に挨拶をして練習に参加することだ。
僕は大きな呼吸をして、母のいるリビングへ一気に駈け下りた。もう迷いはない。
「ママ」
「どうしたの?」
 背後から声を掛けられた母は読みかけの雑誌を手にしたまま振り向いた。
柔道着を買いに行きたいのでお金ちょうだい」
「えっ! 柔道着
 母はかなり驚いた表情を見せ、手にしていた雑誌をテーブルに置いた。
「それじゃ…。あなた、学校へ行くの?」
「うん。明日から行く
そう、よかったわ。パパへも早速電話をしなくちゃね
 感激のあまりか、母の目がうるん
「そうね。自分の柔道着を持ったほうが気持の入れ方も違ってくるわね」
柔道を本気で練習して、僕も日本一になるんだ」
「僕もって…誰のように?
 母は小首を傾げながら立ち上がった。
「柔道着って、幾らくらいなの?」
 そう訊かれたが値段がまったく分からずに、妹と兼用のパソコンでインターネットを開いた。
「中学生の練習用だと1万円くらいからだね
「そう」
母は嬉しそうに財布を取り出すと、ちょっと考えてから2万円を差し出した。
柔道着には名前を入れてもらうんでしょう。足りないといけないからこれだけ持って行きなさい。余ったらちゃんと返してよ」
 リビングの大きな窓ガラスにも雨の雫が流れている。僕は身支度を整えると、以前、父に連れられて野球のグローブをってもらった横浜駅ビルのスポーツ店へ向った。
                                         つづく

 22 目の前にはばむから逃げたら一生つきまとう敗北の二文字

「トレーナーは日系二世の元レスラーで「反逆者」と呼ばれていたヤスタカギという人だった」
「反逆者?」
「ああ。タカギさん、太平洋戦争中アメリカ従軍兵士だったんだ
「アメリカ軍?」
日系の二世だから国籍はアメリカさ」
「へーえ、そうなんだ」
反逆者と呼ばれるよになった理由なんだがな。第二次世界大戦の末期だった昭和20年の沖縄戦線に徴用された時、司令官の命令に背く事件を起こしたことがあるんだ
「……」
「つまり、沖縄上陸戦になった時、日系であるタカギさんは日本人に銃を向けることはできないと言って戦線に加わることを拒否したんだ。その後、軍法会議にかけられて反逆罪で投獄されたんだが、それ以来アメリカでは反逆者罵られるようになり、プロレスラーになってからでも、逆にそのキャラクターを利用して悪役に徹底していたんだ。身体は小さかったが、度胸と信念の据わった人だったよ
「信念…
 僕は父の命名した名前の由来が頭をよぎった
ガンダさんは空を仰ぎ、リュックのポケットから腕時計を取り出した。
「龍太郎、天気予報が当たりそうだから早目の昼メシにしよう
 僕はうなずき、受け取ったタオルを持って手洗い場に走った。ガンダさんは顔手を拭き、いつものおにぎりを取り出してから話を続けた。
早速タカギさんからプロレスの手ほどきを受けたんだが、トレーニングが辛くてな。何度日本へ帰りたいと思ったか分からねえよ」
「えっ!」
 ガンダさんほどの人から、「トレーニングが辛くて」という言葉を聞こうとはまったくの意外だった。
早朝からのトレーニングは延々と続くんだ。その日によってプログラムは変わるが、ランニングや階段登りのダッシュから始まり、その後はトランプをめくって出た数の3倍のスクワットとプッシュアップの組み合わせとか。天井から下がったマニラロープをよじ登るロープクライミング、首を鍛えるブリッジ、バーベルやダンベルを使っての筋力強化。それに、柔道とはまったく違う受身の練習とスパーリングなど、まだまだたくさんの種目がある。とにかく、毎日毎日くたくたになるまで絞られどうしだった。その挙句、のスタミナ源である米のメシは喰えず、パンばっかりなのもまいったよ」
「柔道が役に立たないの?」
「いや。まったく役に立たないと言うわけじゃねえが、プロレスはただ強いだけじゃ客は喜ばねえ。プロレスはな、戦うもの同士が阿吽の呼吸で試合を盛り上げてゆく命懸けのエンターテイメント・スポーツなんだ。それがなかなか理解できなくてな、デビュー前のトレーニングは本当に厳しく、正に地獄の特訓だったよ。正直に言うと、ホームシックにかかって何度涙を流したかわからねえ」
「マジで!」
 僕にはガンダさんの涙など想像もできず、まったくの驚きであった。
はさっき、何度日本へ帰りたいと思ったがしれねえと言ったが、そんな弱音ばかりを吐いたある時だった。は鏡に映った自分に「もうプロレスなんか諦めて日本へ帰りたい」って独り言を言ったんだ。そうしたらな、鏡の中から「嫌なら帰ればいいじゃん」って聞こえた気がしてびっくりしたんだ
「えっ?」 
あの時には、精神的にも肉体的にもかなり追い込まれてパニックだったんだな。すると鏡、「投げ出してしまえば楽になる。だけど柔道場を建てる夢も消えて一生後悔するぞ」って言うんだ
 心の中で自分の心境を重ね合わせていると、ガンダさんは当時の話を続けた。
それからの弱音を吐きそうになる度、目標の夢を思い浮かべて鏡に映る自分と対話をながら乗り越えてきたんだよ。そうやって辛抱しているうちに、最初は辛くてたまらなかったトレーニングにも体力が順応してきて、3ヵ月後に「東京流れ者という無法者のキャラクターで悪役デビューさせてもらったんだ。場所はオリンピック・オーデトリアムというデカイ会場でな。リングへ上がるまではドキドキしっぱなしで生きた心地がしなかったよ。正直に言うと、あのデビュー戦は怖くてたまらなかったな
 僕が無言のままでガンダさんの顔を見つめ続けたのは、まったく意外な一面を知ったからだ。後にはライオンと戦ったほどの人でも怖くてたまらなかった時代があったとは、本当に意外だった。
「でも、やるしかねえと覚悟を決めてリングへ向ったんだ。セコンドについてくれたタカギさんは、「落ち着け。深呼吸しろ。肩の力みを抜け」と何度も声をかけてくれたんだが、どうやって試合をしたのか覚えていないほど無我夢中だった。でも、今んなって振り返ればいい思い出さ。それからも何度となく壁に突き当たって悩んだが、ひとつひとつ乗り越えていけば、自然と成長してゆくもんだ。男の人生はいだ。壁を目の前にして弱音を吐いてしまったら、待っているのは敗北という惨めな二文字
「壁!」
「ああ、プロレスラーってものはな、自分の試合を目当てに来る客をどれだけ多く掴んでいるかが商品価値なんだよ。大金を稼ぐためにはどうしたらライバルを越えられるか、毎日が壁とのいなの。ポリネシアン・ザウルスやアンデスの大魔神の他にも多くの強豪い、何度も怖い思いをしたが相手だって内心はを怖がっている。だから弱音を曝すと舐められっぱなしになってしまうのさ
「相手も?」
「そうだよ。でもプロレスラーはそんなそぶりを絶対にせないけどな」
 ガンダさんは再び空を仰いだ。辺りの景色はどんよりとした空気に包まれ、僅かに見えていた人の姿も、先ほどまで足元を歩き回っていた鳩たち消えていた。
「いけねえ、ポツポツ降って来やがった。龍太郎、本降りにならねえうちに帰ろうぜ」
 ガンダさんは立ち上がって身支度をはじめた。そして、手にしていたタオルを無雑作に差し出した
「龍太郎にやるよ」
 僕は驚いた。NWA nationawrestling  allianceの文字とレスラーが組み合っているイラストスポーツタオルだ
「えっ! 貰っていいの?」
「ああ、これを見たらのことを思い出してくれ
 ガンダさんはベンチから立ち上がると、ニコッと笑ってから背中を向けた先ほどまでおばさんたちの歩いていたトラックに、ポツン、ポツンと付いたの染みが広がりはじめた僕はタオルを握りしめたまま、ガンダさんの大きな背中と松葉杖の遠のく音を見送っていたときだった不意に胸のつかえが天に上る煙のごとく消え去り学校へ戻る決意が湧いたのだ。僕はどうしてもガンダさんに伝えたいと後を追って走った。ところが角を曲がった先は一直線道路で見通しもいいのに、ガンダさんの姿はもう見えなくなっていた――
                                        つづく

 21 新天地を求めてアメリカへ渡ったガンダさん

「自動車修理工場に4年ばかりいたに新たな転機が訪れたんだ。その当時、この場所にあったアメリカ進駐軍が修理工を募集したんだ」
「えっ、この公園に、昔はアメリカ軍がいたの?」
「そうだよ。だいぶ昔のことだから、龍太郎が知らないのも無理はないが、蒲鉾兵舎と呼ばれた米軍の建物がたくさん建っていたのよ。まあ、とにかく給料もいいし。メシただで食わせてくれるってえんで駄目もとで応募してみたんだ。そうしたら、運良く採用されたんだが、あるの人生を大きく変える思いがけないことが起きたんだ
「人生を変えるようなこと?」
「ああ、軍の中に柔道場のあることを知ったは、仕事を終えた後にそっと窓の外から覗いてみたんだよ。すると一人の軍人と目が合ったんだ。その彼はの大きな身体に驚いたらしく、「ユーは柔道をやるか?」って訊くから、「イエス」と言ってうなずいたんだ。すると、「来い」というように手招きをされ、恐る恐る道場へ入ったよ。20人ほどの兵隊が練習していたんだが、久しぶりに嗅ぐ畳と汗の匂いが懐かしかったな」
 僕は学校の道場の嫌な臭いを思い出したが、柔道が好きな人には懐かしいのかと思った。
「すると、その軍人が柔道着を持ってきて、「着ろ」って言うんだ」
「やったの?」
「ああ、それまで外国人と練習もしたことのないはちょっと躊躇ったんだが、急に闘志が湧いてきたのよなにしろ日本人としてはかなり大きな身体をしているを、全員が一斉に見つめてなにやら騒ぎ出したんだからな
 僕は、これまでに聞いたプロレスの試合と混同して、思わず身を乗り出した。
に声を掛けた軍人は、黒帯を締めた身体の大きな一人を手招きしたんだ。その男はの前まで近づいてきて握手の手を差し出したんだ。よりも身長が高く、体重もかなりありそうだった」
「それで?」
その巨漢は在日アメリカ軍のチャンピオンだとのこで、他の連中は練習をやめてたちを見ていたよ。こうなったらやるしかねえ腹をくくり、柔道着に着替えて、その大男に一礼したんだ。向うも一礼してから組み手争いになって、大男は足払いを何度も仕掛けてきたんだが、一瞬、襟と袖を掴んだは右の体落しを掛けたら見事にまってな。見物していたみんなから大きなため息の洩れるのが聞こえたよ高校を中退して以来の柔道だったのに、身体がちゃんと覚えていたんだな
凄げえ!」
みんなからジャパニーズ・チャンピオンなんて声を掛けられ、すっかり照れていたんだが、コーチ頼まれてしまったんださすがにそれは断ったが自身も練習したかったし、それからは毎日顔を出させてもらったんだ」
 ガンダさんは、一息ついて水を口に含んだ。
 今日はキャッチボールをしない僕らをおばさんたちは何と思ったのか。回って来るたびにちょろちょろと目を向けていたのだが、
「雲行きが怪しくなってきたわね」
と囁き合いながら、いつもより早めに引きあげて行った。ガンダさんはおばさんたちをチラッと見てから話を続けた。
「それから半年ばかり経って、ほんの片言ながら英語も話せるようになった。最初に声を掛けてくれた軍人はリック・モリアという名前の曹長だったんだが、そのリックさんが退役してアメリカへ帰ることになったんだ。そのとき彼は、アメリカへ行ってプロレスラーにならないかと誘ってくれたんだ
「それで人生が変わっちゃったんだね
「そうだ」
「そのリックさん、元はプロレスラーだったの?」
「いや違う。プロレスのプロモーターをしている友人がいるそうなんだよリックさんの話だと、アメリカで人気が出れば相当に金も稼げるというし、そうすれば夢も実現できると思ったんだ」
「ガンダさんの夢?」
「ああ、俺はな、柔道場を建てて大勢の子供たちを指導したい夢を持っていたんだ」
「柔道場…」
リックさんは、「大丈夫だ。心配するな」と言ってくれたんだが、やはりアメリカへ行くというのは不安でな。随分と悩んだよ
「ガンダさんが不安になるなんて考えられない
「おいおい、失礼なことを言うなよ。だって悩むことも心配なこともあるさ。まあ、そのは弟も社会人になっていたし、お袋や妹のことは任せられるようになっていたんでな、思い切ってアメリカへ行きを決心したんだ。その当時はアメリカのビザをとるのもそう簡単じゃなかったんだが、リックが全ての手続きをやってくれたんだよ
すぐに試合をしたの
「いや、そんな簡単にはいかねえ。最初はロサンゼルスというところへ行ったんだが、そこでプロモーターからトレーナーを紹介されたんだ」
                                        つづく



 20 ガンダさんの生い立ちと一寸先は闇    
            
 翌朝。僕は思い切って学校へ行こうかとかなりの時間悩んだが、どうしても決断ができずにまた公園へ向かってしまった
 父が一時帰国し、「龍太郎を信じているよ」といろいろな話をしてくれて以来、母が口やかましく言うことはなくなっている。それでも、僕には母の焦りがよく分かっている。
 昨夜もトイレへ起きた時に偶然聞いてしまったのだが、父へ電話をしていた母は啜り泣きを漏らしていた。
 家の中では務めて明るく振舞おうとしているが、やはり表情には陰りがあるし、ついさっき家を出てくる時もそうだった。すでに不登校は知られているであろう隣近所の目を極端に気にしている様子がありありと分かる眼差しで周りを見ていた
 僕は、どうしようもなく重くのしかかる灰色の霧を胸に抱えて坂道を下った。昨日までは好天気続きだったが今朝はどんよりとした曇り空で、午後からは雨になるかもしれないとの予報だった。
 母は、「雨になるから今日は家にいなさい」と言ったのだが、このストレスから寸時でも解放されるのはガンダさんと話をしている時外にない。僕は公園を目指して夢中でペダルをこいだ。
 ガンダさんはいつものベンチで新聞を読み、おばさんたちは今日もトラックを回っていた。自転車を停め、グローブとボール、それに母が不安を隠した表情で渡してくれたおにぎりを荷台カゴから取り出した。
 ところが自分の意思と関係なく、突然に涙の筋が頬を流れた。まったく意図しない涙だった。零れ落ちる涙の雫はガンダさんの大きな背中を見たとたんに、自分の弱さが情けなくなったからなだろうか
 僕の足はいつものようにガンダさんのところへ進まず、しばらくはその場に立ちつくしたままうつむいていた。頬を伝わった涙が運動靴の上にポツンとこぼれ落ちた。背後に僕の気配を感じ取っていたガンダさんは振り向きもせずに、
「どうした?」
と声を掛けくれた。その声を聞いた途端、僕の感情が一気に高まり、声を上げて泣いてしまった
 ガンダさんは新聞を綴じ、
「龍太郎、ここへ来て座れよ」
と言った。もう中学生になっているの嗚咽を上げている自分が情けなく、必死で抑えようとしているのだがどうしても止められないガンダさんは再び、
「おいで」
促して顔を向けた
 地に貼りついたかと思うほど硬直してしまった足をやっと持ち上げ、ガンダさんの前に立つと情動が益々高ぶり、大きくて頑丈な身体にしがみ付いてしまった
「おいおい、どうしたんだよ今日は。泣いたりしておかしいぞ」
 ガンダさんは優しく笑いながら言ったが僕の嗚咽は止まらず、しばらくは胸の中に顔をうずめていた。そしてジャージーの下に隠れているライオンの痕を思ったふとガンダさんの体がひんやりとしているのを感じた。ガンダさんは僕の細い背中に手を置いた
「龍太郎、身体を起こして深呼吸してみな。っている時やパニックになった時は、静かに深呼吸してから、肩の力を抜くと落ちつくものさ」
 ガンダさんは僕の両肩に手を掛けて起き上がらせた。
「そうだな…今日はがどうしてプロレスの道に入ったか話してあげようか」
 どうにかしゃくり泣きの治まった僕は、涙でくしゃくしゃになった顔を上げてガンダさんを見つめた。
な、子供のには龍太郎のように痩せていたんだ。背は高い方だったんだがケンカが弱くて、あだ名は日陰のモヤシだったよ。同級生には、モヤシ、モヤシとはやし立てられ意地悪ばかりされていたな、あの
 深呼吸のお蔭で僕は少しずつ落ち着きを取り戻した。でも、ガンダさんほどの人が、ケンカが弱くて意地悪ばかりされていたとは以外だった。
は悔しくてな。いつも殴ったり蹴ったりする奴にどうしても勝ちたかったよ。とにかく、何が何でもケンカが強くなりたい一心で柔道の町道場へ通うことにしたんだ小学5年のだったが、最初のうちは受身の練習ばかりさせられたよ」
受身の練習!
 僕の声は泣きしゃっくりと混じって途切れ途切れだったが、あの時のことが蘇えった
 以前にもガンダさんから柔道もやっていたと聞いてはいた。だが、「最初は受身の練習ばかりだった」とあらためて聞き、それが嫌で止めてしまった自分の情けなさが頭をよぎった
「すぐに出来るようになった?」
「いや、なかなかできなかったよ。でも何日かしたらコツを掴んだんだ。たとえば前方回転でも、上手くやろうとする焦りから力みすぎてできなかったんだ。だから神経は集中させていても、身体はリラックスさせていた方がいいことを知ったのさ。つまり、焦りを鎮めるには深呼吸と肩の力みを抜くことが大切なんだ
 僕は柔道部へ入部したあの練習を思い出した。確かに嫌々やっていたこともあるが、力みすぎて肩を打ちつけたような気がする。
何とかかんとか受身ができるようになるまで一週間くらいかかったかな。それから、少しずつ技の掛け方を教わり、乱取りもさせてもらえるようになったんだが、今度は投げ飛ばされるのが嫌でな。途中で止めてしまおうと思ったこともあるよ。だけど、ここで止めてしまったら一生ケンカには勝てないと自分に言い聞かせて、1日1日を頑張っていたらいつの間にか柔道が楽しくなってきたんだ」
「投げ飛ばされるのが楽しくなったの?」
 僕のしゃっくりは大分治まってきた。
「いやいや、いつまでもやられてばかりはなくなってきたさ。ある日のことだったよ。最初はまったくかなわなかった相手に足払いを掛けたら見事にまってな。先生は手を叩いて褒めてくれたが、あの時は本当に嬉しかった。そのうち、その相手とは五分五分の対戦ができるようになってきたんだ」
「ふうん
最初はケンカが強くなりたいと思っていたんだが、いつの間にかそんなことは忘れてしまったよ。辛いこともあったけど、なにくそ、と思って頑張っていたらだんだんと体重も増えてきて小学6年生のときには、県大会で個人優勝し、全国大会にも出られるまでになったんだ」
「優勝したの!」
 やはりガンダさんは特別な才能があったんだ。と思っていたら僕の思っていることを察したかのように話を続けた。
龍太郎。男が一度やると決めたら何が何でもやりとおさなきゃ。誰だって辛いのは一緒なんだから、つまり、辛さから逃げる言い訳をしないことだ」
 ガンダさんは自らの体験を言っているのだが、気の弱い自分のことを見透かされた気がした。だが、振りかえって考えれ、いつも言い訳ばかりして嫌なことや辛いことから逃げていたような気がする
中学へ上がってから迷わず柔道部へ入った。3年生のときには主将になり全国大会で優勝をしたこともある
「凄げえ、全国優勝!」
「ところが…
 ガンダさんは話の間をおいて、足元へ寄ってくるいつもの鳩に手を差し出した。
高校へ入って間もなくだった。の家にとんでもない不幸が訪れたのよ。まさに一寸先は闇ってえやつだな
 ガンダさんはペットボトルの水で口を潤してから空を見上げ、
「天気予報、当たりそうだな」
と言ってから、話を戻した。
の家は小さな不動産屋をしていて生活には困らなかったんだがな。親父が突然脳溢血で倒れ、あっさりと死んでしまったのよ。ヘビースモーカーだったことに加えて大酒飲みだったからな」
 このとき僕は、ガンダさんが煙草を吸わないことにはじめて気付いた。
「ガンダさんが煙草を吸わないのはそのせい?」
「そうだ。煙草なんてえものは百害あって一利なしって言うからな。大きくなっても龍太郎は吸うんじゃねえぞ」
僕んちのパパも吸わないから」
そうか、それはいい」
 ガンダさんはそう言ってから話の続きをした。
「ところで、たちに降りかかった不幸だが、不動産取引の資格を持っていないお袋じゃ店をやっていくことはできず、残された家族その日の生活にも困ることになったんだ。それで仕方なは高校を中退して、自動車修理工場の見習いとして働くことになったんだ」
「柔道は止めちゃったの?」
「ああ、そのには柔道どころじゃなくなった。なにしろの親父はよく仕事もしたが遊びも達者でな。家には余分な貯えもなかったためにが働かなきゃ弟や妹が学校へも行かれなくなっちまう状態だった」
貧乏になっちゃたの?
 ガンダさんは笑って見せたが、僕は自分の家のことをふと思った。父は健康だし、食品商社の上海支店で営業部長をしているから生活には困っていないはずだ。だが、ガンダさんの言った一寸先は闇という言葉いつ降りかかってくるかも分からない。考えても見なかったことだが、もしそんなことになったら。そう思うと弱気の虫がまた頭をもたげた
                                       つづく


 19 少しだけ勇気湧いたのに、まだ弱気の虫に勝てない

 その夜ベッドへ横になってからもこれまで以上の興奮が冷めやらず、なかなか寝付くことができなかった。
ガンダさんの凄すぎる話が次々と蘇えってくる。ライオンに爪を立てられたという傷痕を思い出すと、あの時の衝撃で今も鳥肌が立つ
―― 蘇えった恐竜ポリネシアン・ザウルスやアンデスの大魔神マルディシオン・コロンビアーナとの戦いだって、僕には考えられない緊張の連続だったのに、今日の話はそれ以上の恐怖だった。でも、ガンダさんは言っていた。「もし、あの場の恐怖から逃げてしまったら、マサイ族から臆病者の烙印を押されて笑い者になっただろう。その後に彼らは忘れてしまっても、自身は一生忘れられない心の重荷を背負ってきることになる。だから、男というものは命を掛けてでもプライドを守らなければならない」と。
 僕はベッドから身を起こし、机の脇に長いこと放置されたままになっている通学用ボストンバッグに目を向けた
―― このまま不登校を続けていたら、僕だって一生忘れられない心の重荷を背負って生きることになるかもしれない。それどこころか永久に友達とは顔を合わせられない、負け犬のまま終わってしまう
―― あのガンダさんだって、恐怖と戦いながらプライドを守ってきたのだから、僕も勇気を振り絞って学校へ戻らなければ
 そう考えた時、僕の手は無意識に携帯電話へびていた。そして、何度もメールや電話をくれた蜂矢秀介の番号を震える指で押した。だが、呼び出し音が3回ほど鳴ったところで切ってしまったのだ。ふと僕は、彼の口からクラスの噂話を聞かされるのが怖くなってしまったからだ
―― おそらく、みんなは僕のことを散々笑い者にした挙句、もう存在すら忘れているのかもしれない。
「くそっ!」 
 僕は拳骨で壁を殴りつけた。するとその時、秀介から折り返しの着メロが鳴った。思わずドキッとして、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。最初は自分から掛けたにも拘らず話すのが不安でただ着信音を聞いていた。4回、5回、6回――。僕の電話は8回の着信音で留守電に変わるよう設定してある。
―― もうすぐ切れてしまう
 そう思ったとき、ガンダさんの声が聞こえたような気がした。
何をがっているんだ。勇気をだせよ」
 気がつくと自分の意思とは違う力が通話ボタンを押していた。
「もしもし、龍太郎」
 懐かしい秀介の声が飛び込んできた。
「うん…
 僕はそう言ったきり、あとの言葉に詰まった。もともとおしゃべりは苦手な方だが、優しい性格の彼とだけは比較的多くの話をしてきた間柄だ
「体調はどう?」
―― えっ? 秀介は僕が病気だと思っているのか、あるいは、弱虫の僕に気を使ってくれているのか?
「うん、大丈夫」
「そう、よかったじゃん。心配してたんだ。だからさ、早く戻ってきてよ」
「うん」
「いつ頃から学校へられる?」
まだ分からないけど」
 そう答えた僕に、秀介各運動部の県大会ポスターが張り出されていることや、自分が入部したサッカー部のなどをしたあと、
それじゃあ、待っているからね」
と言って電話を切った。
 短い会話だったが久ぶりに聞いた友達の声で、心の陰りに少しだけ陽が差した気がしてきた。秀介の言葉だと、クラスのみんなも僕を忘れてはいないらしい。だが、あれだけからかわれた屈辱を、一気に跳ね返すだけの勇気はまだ湧いてはこない。
                                                                                                つづく

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