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 4 ずる休みがばれていじめの標的
 
 翌日、痛みはまったく消えていたし打ち身の痕跡すらもない。1日くらいは学校を休んだほうが退部する理由づけも増すと考えたのだが、さすがにそこまでやる気にはなれず登校した。
それでも退部届けを出しに行く勇気はなく、「まだ痛むのだから仕方がない」と無理やり自分に言い聞かせて、そのままにしておいた。そして次の日も、また次の日も部活へは顔を出さなかった。そうしてぐずぐずしていたのは、そのうち自然に名札が外されるだろうと安易に考えていたからである。
 ところが、思いもしなかった事態が起きてしまったのである。保健室で診てもらっていたとき、カーテンの閉じていたベッドにいたのがクラスの女子だったのだ。そのとき先生が、「たいしたことはない」と言っていたのを聞いていて言いふらされてしまったのである。
いつまでも痛いふりをしている僕の嘘がすっかりばれてしまい、クラスのみんなからは「意気地なし」とか「弱虫」「泣き虫」の烙印が押され、何かにつけてはやし立てられるようになってしまったのである。
中には廊下ですれ違う際、わざとらしくぶつかって来て、
「大丈夫か! 保健室へ行こうか」
などと大声で笑い出す者まで出てきたのだ。
 教室の黒板には僕が柔道着を着て泣いている落書きをされたし、柔道の真似事をして襟と袖を握り合っている片方の奴が、
「ママ、怖いよ!」
と叫んだりして喜んでいた。それを見ている女子生徒は、
「それっていじめじゃない、止めなさいよ」
と言いながらも目は笑っている。
 それだけにはとどまらず、僕に対する冷やかしと悪戯は日に日にエスカレートしていったのだ。そして不登校にいたる決定的な原因となったのは、いじめの首謀者ともいえる体格のいい奴と、いつも寄り添っている茶髪の2人に押さえつけられ、
「おまえ、チンポコついてんのかよ」
とズボンを下げられそうになったことである。さすがにクラス中が騒ぎ出したために途中で止めたが、僕は屈辱のあまり体調までおかしくなり、先生には、「頭が痛い」と伝えて早引きをしたきり学校へは行かなくなった。
まだ他人の心理をよく理解し得ない年代には善悪の区別もないまま、悩める精神に追い討ちを掛けてしまうことは珍しくはない。悪戯をして喜ぶ生徒たちには大した悪気もないのだろうが、僕にとっては屈辱きわまりない、いじめ以外の何ものでもない苦痛なのだ。
 あれほど楽しみにしていた中学校進学だったのに、柔道部の勧誘をはっきり断れなかったことの後悔が胸を締め付けた。
 そのような経緯があって学校へは行きにくくなり、ついに入学10日目で不登校生の仲間入りをしてしまったのである――。
                   
「嫌な奴らだ!」
思い出したくもない屈辱だった。はやし立てて落書きをした奴や、廊下でぶつかってきた奴、ズボンを脱がそうとした奴、それを見て笑っていた奴らの顔が倉庫の壁に次々と浮かび、思わず悔しまぎれの声がもれた。
「くそっ!」
腹立ち紛れに強く投げつけたボールが高く跳ね返り、僕はジャンプしてキャッチしようとしたのだがグローブを外れてしまった。受け損なったボールは多目的トラックを弾んで一段高くなった内側の広場に入り、僕は追いかけて行った。ところが数メートル走ったところで、一瞬ギョッとして足を止めた。
思わず足がすくんでしまったのは、広場に生えているドングリの木の下のベンチに、一見、異様な感じのする人が座っていたからだ。その人は足元に転がってきたボールを拾い上げてこっちを見た。別に睨んでいるわけではないようだが鋭い眼光をしていた。
僕は声も出せず、じっと立ったままでいた。僕の父はこの4月から単身赴任をしていて中国の上海にいるが、その父とほぼ同年代かも知れないと思った。
 すっかり固まってしまい、ただじっとしている僕に、男の人は身体をはすに向けて無言で投げ返してよこした。ビューンという風を切るボールは僕のグローブにバシッと快音を上げて痛いほどの強さだった。
―― 凄げえ!
僕が目を見張るほどは驚いたのは、ベンチに座ったまま肘と手首のスナップを利かせただけで投げたのに見事な剛速球だったからである。僕は軽く頭を下げただけで元の場所へ戻った。
つづく
 3 練習の初日に早くも怪我
 
学校は家から徒歩15分くらいのところにある歴史の長い公立中学校だ。全校生徒は650名ほどだが昨今の少子化時代では多いほうであろう。これまでに大きな暴力行為や喫煙問題などは取りざたされたことのない学校だが、運動はそこそこである。それでもご多分に洩れず、サッカー部や野球部、女子だとヒップホップダンス、バレーボール部は人気だが、柔道部員は極めて少ないことを入部後に知った。
新学期の授業が本格的に始まったその日。僕の性格を知っている同級生らは、柔道部へ入部したと聞いて信じられない顔をしていた。もちろん僕自身もすべての授業がまったく頭に入らないほど動揺し、放課後の初練習が気になって仕方がなかった。
―― 家から急用の電話でも掛かってこないかな…。
そんなことまで考えてしまったが、ついに最後の授業の6限目を終えた。柔道にはまったく向いていない痩せた身体をわざとらしく眺めた同級生は、小枝のように細い手首を握って、
「大丈夫か、おまえ」
と、冷やかし顔でヘラヘラと笑いかけた。すっかり落ち着きをなくしてしまっている僕には言葉を返す余裕すらない。
「おまえ、顔が青いぞ」
 そう言ってからかった同級生は、サッカー場の方へ向って行った。
―― なぜ、はっきりと断れなかったんだ。
僕は繰り返し悔やんだがもう遅い。そして、激しい後悔の念を胸に、濃い霧の中へ向うが如き重い足取りで、校舎とは別棟の道場へ魂が抜けたようにふらふらと歩いた。
入り口付近で足を止め、オドオドとしている僕に、入部勧誘の声掛けをした一人が笑顔で近寄ってきた。
「よう龍太郎、今年の入部はおまえだけだからさ、頑張ってくれよな」
「えっ、一年生は僕だけですか?」
「そう、マジで一人だけ。だから期待してるぜ。それからさ、道場への出入りには、必ず礼をしてくれよな」
 さも武道精神を意識したような真顔で言ったが、僕の動揺はいっそう激しくなっていった。道場内は汗の臭いがする。50畳の畳を取り巻く板壁に何着かの柔道着がぶら下げてある。その中の一着をつかんだ先輩が無雑作に差し出してよこした。
「着替えろよ」
「ここで、ですか?」
「きまってんじゃ。女子の部員はいないからさ、気にしなくていいんだ」
 僕は同学年の中でも身長は高いほうなのだが、よく食べるわりにはガリガリに痩せている。だから身体検査以外は人前で裸になったことはほとんどない。
「早くしろよ」
 柔道着を受け取ったままうつむいている僕に、先輩はイライラしたように促した。仕方なく、震える足を引きずるようにして道場の隅へ向かい、周りの目線を気にしながら真新しい制服のボタンを外した。柔道着は汗の臭いがぷんぷんとして、じっとりと重い。
―― 不潔そうで気持が悪い。
そんなことを思い、もたもたと着替えている間に何人かの先輩が道場へ入ってきた。全員が大きな声の挨拶で迎えたところを見ると、3年生の部員なのであろう。
肌にひんやりとする柔道着にやっと着替え終わった僕は、長く余ってだらりと下がっている帯の先を心細く握っていた。すると、体格の大きな先輩が近寄ってきた。
「俺、主将の岸本。宜しくな」
 僕は短く返事をしたが完全に固まってしまい、情けない小さな声しか出せなかった。すると、主将だと名乗った岸本先輩は二重に巻いた僕の帯を、1本だけ握って引っ張った。僕が思わず、
「痛っ!」
と、声を上げてしまったのは、引っ張られたときに胴が締め付けられてしまったからである。
「帯はな、二重になった下側からとおして結べば、引っ張られても胴が締まらないよ」
 そう言った岸本主将は自分の帯を結び、
「こおいうふにな」
と、やって見せてくれた。
僕は見ていたとおりに結び直したが、目にも落ちつきがなく無意識に瞳を動かしていた。すると、部員の名札が掛けが目に入った。
顧問の大岩先生は三段と書かれており、一級の3年生が計3名、2年生は2級から3級までの3名、そして真新しい僕の名札も下げてあった。つまり全部員が7名だけということになる。数日前までは中学生になれた嬉しさに胸がはずんでいたはずなのに、まさかこんなことになるとは夢にも思わず、まるで孤独な別世界の迷路に迷い込んでしまったような心細い心境だった。
「みんな揃ったか」
 突然に野太い声がした。入り口に目を向けると、すでに柔道着を着込んでいる大岩先生だった。入学式のときにも、一段と体格の大きさが異彩をはなっていたのでよく覚えている。
「整列!」
 そう声を上げたのは先ほどの岸本主将だった。それまでは学年同士で話し込んでいたそれぞれが、先生を前にして一列横隊に並んだ。僕もみんなに倣って一番端に並んだ。
「おまえは向うだ」
 そう言われた僕は、立ち位置を間違え三年生の先端に立ってしまったようだった。慌てて反対端に回ると、太い首と揉み上げからつながっている顎ひげが特徴の先生が、部員の顔を確認するように見回し、話をはじめた。
「3年生と2年生は進級おめでとう。それから1年生は入学おめでとう。えー、毎年同じことを言うようだが、今年こそは、出ると負けと陰口を叩かれている我校の汚名を返上し、せめて県大会のベストフォー…、いやベストエイトまででいいから勝ち進めるよう、目標をしっかりと持って練習に精を出してもらいたい。いいな。みんなも、我校の伝説を聞いていると思うが、神奈川県の代表校として全国大会に出場したのは50年以上も前の一度きりだ。とにかく、勝つためには一に練習二に練習。たゆまぬ努力あるのみだ。いいな」 
 先生がここまで話をすると、僕を除く6名の部員は大きな返事をした。
「おまえら、返事だけはしっかりしているんだけどな。本当に気合を入れて頑張ってくれよ。いいな」
 部員たちは応えたが、先ほどよりは若干声が小さかった。
「それから…」
 そう言った先生は僕の方に顔を向けた。
「新入生のキミ、名前は?」
「は、はい。武田、龍太郎です」
 僕は消え入るような声でおどおどと答えた。
「そうか、龍太郎か。前へ出てみんなに挨拶をしなさい」
―― えっ!
 突然に、挨拶するようにと振られた僕がうろたえていると、隣に立つ2年生が背中を押した。よろよろと二、三歩前へ出ると先生が手招きをして隣へ立たされた。何度も言うように極めて気の弱い僕は、たとえ6人だけの前とはいえすっかり上がってしまって、たぶん顔は青ざめていたと思う。
「さあ」
 先生は促した。僕は目眩を起こしそうで何を言ったのかははっきりと覚えていないが、たぶんあらためて名前を名乗った後に、「よろしくお願いします」とだけ言って頭をぴょこんと下げた気がする。
「先輩であるみんなは、新入部員の分からないことは親切に教えてやるように。絶対に無理なことをさせるんじゃないぞ。いいな」
 先生は新入部員と大げさに言ったが、僕だけしかいない。
「よし、それじゃあ準備運動の後、打込み練習から乱取りに入ってくれ。気合入れろよ。いいな!」
 みんなは再び大きく応え、道場の中央に円陣を作った。それでも広さだけは50畳もあるためか、空きスペースの空間がやたらと寒々しく感じる。
「龍太郎。おまえはまったくの初心者だから、まずは受身の練習からはじめる。準備運動が終わったら俺のところへ来い」
 先生は、
「いいな」
と、念を押したが、先ほどからもそうだったように、言葉の最後にそう付け加えるのがどうやら癖のようである。
全員が掛け声を上げての準備運動をはじめると、僕も回りを見て真似をした。だが、先ほど先生が、「いいな」と、念を押した気合はまるで入いらない。
「もっと、関節を伸ばせ!」
 主将が僕のやり方に声を上げる場面も何度かあったが、どうにか見様見真似の準備運動を終えた。
「よし、打ち込み練習はじめ。投げの型をしっかりと覚えろよ。いいな」
先生の号令で6人が散らばった。そして、それぞれが2人組になって相手を投げるための動作を繰り返しはじめた。
僕ははじめに言われたとおり、先生の傍へ行って頭を下げた。
「いいか、柔道は受身が基本だ。しっかり覚えておかないと、投げられたときに怪我をする。気合を入れて頑張れよ。いいな」
 もともと希望して入ったわけではなく、災難としか言いようのない入部である。それなのに気合を入れろ、と言われても入れようがなく、ただ先生の言葉にうなずくより仕方がなかった。
「まずは、基本的な受身の前方回転だ。よく見ておけよ。いいな」
 そう言った先生は、膝を曲げて上体をこごめると、畳に手をつけた。そして前方へ回転してから片方の手で畳をバーンと叩き、くるっと立ち上がった。
「もう一度、よく見ておけ」
 先生は同じことを繰り返し、僕の傍らへ戻ってくると、
「さあ、やってみろ」
と促した。畳に手をつく最初の形を、先生は手を添えて教えてくれたが、前方へ回転したつもりが横へ転がってしまった。先生は、
「違う、違う」
と言い、何回も手本を見せてくれた。言われたとおりに繰り返し試みてはいるが、どうしても上手くはできない。それどころか畳を叩くたびに、手がしびれるように痛くて仕方がない。
―― 何でこんな馬鹿馬鹿しいことをしなければいけないんだ。もう止めたい。勧誘のとき先輩は、「向いていないと思ったらいつ退部してもいい」と言っていたし…。
 心の中では早くも弱音を吐き、練習は何時に終わるのだろうかと家へ帰ることばかりを考えていた。
先生は何度も同じ注意を繰り返していたが、どうせ退部するのだからと思うと、いつの間にか上の空で聞いていた。それから2、3回ほど繰り返したときであろうか。まったく気持が入っていないぞんざいから、畳へ肩を打ちつけて早くも怪我をしてしまったのだ。瞬間、左肩に疼きの走った僕は、その場にうずくまり顔を大げさにしかめた。
「大丈夫か」
 先生は肩に手を当てがい、顔を覗き込んだ。僕は応えず必死で痛みを堪えているかのように歯を食いしばった。
「痛いか?」
 僕は眉毛をしかめた表情を崩さず、うなずいて見せた。先生もどうしたものかと考えていたようだが打ち込み練習をしていた部員の一人を呼び、僕を保健室へ連れて行くように指示をだした。
僕は肩を押さえ、上体をこごめてそろそろと校庭の端を歩いた。サッカー部や野球部の部員たちの視線が刺すように感じられた。
 保健室に年配の女の先生が待っていたのは、もう携帯電話で連絡を受けていたのであろう。保健室内にはベッドが二つ置かれており、仕切りのカーテンが片方を塞いでいた。誰かが休んでいるのかもしれないのが少し気になる。
 折りたたみのパイプ椅子に座るよう指示されたが、付き添いの先輩は黙って見ていた。
「1年A組の武田龍太郎くんね」
 先生は顔を覗き込むようにして確認したが、僕は黙ってうなずいた。
「どっちの肩を打ったの?」
僕が痛む個所に手を当てて無言で示した。先生は肩に指を押し当て、
「痛むのはどの辺り?」
と指を移動させながら訊いた。正直に言うと、もう痛みはほとんど治まっていたのだが、僕は触られるたび、いちいち顔をしかめて見せた。強いて大げさにしていたのは、怪我が原因で退部した方が、柔道が向かないと言い訳をするよりも適当な理由だと考えていたからである。
「骨には異常ないし、たいしたことはないと思うけどね。心配なら念のため病院へ行こうか?」
 先生は、肘を持って上げたり下げたりしていた腕をゆっくりと戻して無表情に言った。僕はあわてて首を横に振った。自分でもたいしたことのないのは分かっているのだから、病院の先生には大げさなのがすぐにバレてしまうだろう。その挙句、痛い注射なんかされたらそれこそ嫌だ。
それで結局、肩に2枚の湿布薬を貼られて再び道場へ戻ったのだ。本当はこのまま家へ帰りたかったのだが、着替えや通学バッグが置いたままなので仕方がない。
みんなは、と言っても先生を含めた三組だけだが、乱取りという実戦さながらの練習をしており、僕をチラッと見た。声を上げて指導していた大岩先生が僕を振り返り、相手にしていた部員を投げ飛ばしてから傍へ来た。保健室へ付いて来てくれた先輩は先生と交代して、その相手と組み合った。
「保健室の先生から、軽い打ち身だと連絡があった。まあ、俺の見たところでもたいしたことはない。明日の朝には良くなっていると思うから、今日はここに座って見学していろ」
 本当は早く帰りたいのだが文句も言えず、仕方なく隅の方に小さくなって正座をした。でも明日からはもう顔を出さないことに決めている。
つづく
 2 断れなかった柔道部の勧誘
 
要するに僕は、昨今増え続けていることが問題視される不登校生の一人なのだが、学校へ行かなくなった経緯を辿れば、無理やり柔道部に勧誘されて入部してしまったことに端を発する。
もっとも、「無理やり」という表現は自分でも言い訳だと分かっているのだ。もともと僕は、引っ込み思案できわめて気弱な性格である。つまりはそのようなわけで、柔道部員募集を勧誘されるがまま、本来の意思を拒断することができずに不本意のままに入部してしまったのだ。
小学生のときにも、相撲ごっこをする友達をただ眺めているだけで、どんなに誘われても、とにかく相手と取っ組み合う遊びは何ひとつしたことはなかった。
今になって思えば、柔道部の勧誘は忌まわしい災難としか言いようがない――。
入学式の翌日でガイダンスウイークの初日だった。校門周辺にはプラカードを掲げた各運動部の先輩たちが新入生に呼び掛けていた。野球部やサッカー部、テニス部のところには何人もの生徒が立ち止まっていた。だが、柔道部と書かれたプラカードの前は誰もが急ぎ足でとおり過ぎて行く。
「キミは背が高いね。何組み? 名前は?」
 三人で呼び込みをしていた中の一人がつかつかと歩み寄って来た。僕もみんなに習ってとおり過ぎようとしたのだが、デモンストレーションのつもりなのか柔道着姿の一人が前に立ち塞がり、作り笑顔で組み手の構えを見せた。
「背の高い部員が欲しいんだ。どう、入部してくれない」
 一人がそう言うと、残りの二人も寄って来て取り囲まれる格好になってしまった。新しく通学用に買ったボストンバッグを手にしている僕は、心臓がドッキン、ドッキンと音を上げるのを感じ、黙ったまま下を向いていた。
―― 早く断らなければ。
 心の中ではそう思っているのに言葉を発することができず、足までが硬直してしまっている。同じ小学校からの同級生は僕の気弱な性格を知っていて、ニヤニヤした顔を向けて早足でとおり過ぎて行く。
「俺の直感だけどさ、キミは素質があると思うよ」
「柔道とか、やったことは?」
―― 柔道なんてとんでもない!
 内心でそう叫んだ僕は、首を横に振った。
「初めてでも大丈夫だよ。この学校はシゴキなんてないからさ」
「最初は見ているだけでいいんだ。それに、もし自分に向いていないと思ったら、いつ退部してもいいからさ。もちろん罰則なんてないし」
―― とにかく嫌なものは嫌だ!
 僕が拒否する態度を見せているのだから、いいかげんに諦めてくれればいいものを彼らは執拗だった。
「頼むよ。学校の名誉のためにも、キミのような新入部員が欲しいんだ」
 両手を合わせて拝むような格好をすると、首から画板を下げた一人が鉛筆を差し出した。
―― 嫌だ!
そう叫びたいのに声を出せなない。僕の手は小刻みに震えていた。半ば無理やり鉛筆を握らされたとはいえ、この場から早く開放されたい気持もあって、つい入部承諾書に記名してしまったのだった。心の中ではあれほど拒絶していたのに情けない。そう思ったがすでに遅い。かなり強引な勧誘ではあったが、何事にもはっきりとものを言えない内向的性格が災いしたのだ。
つづく
          ミステリー小説「僕が出会った悪役レスラーの怪奇」
                                 ミスター高橋
 
 1 不登校だからって、じろじろ見ないでくれ
 
 横浜市港北区に岸根公園という市民の憩いの場所がある。現在は緑に覆われた広い公園になっているが、第二次世界大戦の敗戦後は長いこと米軍に接収されており、1970年に返還されて開発整備された公園である。
 敷地は14万587平方メートルで東京ドームの約三倍もあり、起伏に富んだ地形をしている。樹木に囲まれた園内には柔道、剣道、弓道などの武道場や野球場、池、遊歩道、幼児・児童用遊具が設置された場所のほか、多目的に使えるトラックや広場もある。
早朝には愛犬を散歩させる人や、太極拳、ジョギングなどを行っているグループも数多く見られる。だが、それらの人たちが引き揚げて行った午前10時頃からのウイークデーは、一時的に人の姿はまばらとなる。 
 そんな時間帯に健康運動の仲間かと思えるほんの数組の中年女性が、楕円形の広場を取り巻く外周700メートルのトラックをウオーキングしていた。時おり樹木の間隙をぬう爽やかな風に乗って、沈丁花の香りが漂っている。
「あら、またあの子だわ」
 お揃いのスウェットスーツを着込んだメタボ体型の三人組みが足をゆるめた。そして、その中でもとくに太目の一人が、トラックの外側へ目配せをするようにささやいた。
「利口そうな顔をした子なのに、学校へ行かないのかしらね」
「もう三日目になるわよ」
「そうね。たぶんうちの子と同じくらいの歳だわ。でも、どことなく気弱そうな感じの子ね」
 ダイエット目的の有酸素運動を意識してか、そこそこの早足で並歩していた仲間は軽く弾む息を押さえてリーダーらしき太目の女性に応えた。たぶん夫や子供らを送り出し、家事をすませてきた近隣の主婦たちであろう。
彼女らが遠慮のない視線を向けるのも無理はない。と、いうのは学校の新学期が始まって間もない時期なのに、一人でぽつんといる少年の姿は否が応でも目立つ異様な光景と映っても仕方がないのだ。
イヤホンを付けた噂の少年はスポーツタイプの自転車で乗りつけ、鉄筋コンクリート造りの機会室建物の脇にスタンドを立てた。名前は武田龍太郎、この4月に中学生となったばかりである。
少年は脱いだカーデガンを自転車の荷台カゴに丸め込み、替わりに野球のグローブとボールを取り出した。
 ブルーのジーパンに白のスニーカーを履き、白いポロシャツ姿になった少年は野球帽を被り直して、袖口を肘までたくし上げた。
左手にはめたグローブへボールをバシッバシッと何回か打込み、肩のストレッチをするように腕を大きく伸ばして機械室のコンクリート外壁に向って立った。
そして、ボール痕が一面に付いている壁に投げつけると、跳ね返ってくるボールをキャッチした。最初の数回は肩慣らしをするように、至近距離でゆるやかに投げていたが、少しずつ間隔をあけて投球を強くしていった。
春の日差しは柔らかく少年の肩に降り注いでいる。
学校が休みの日だと同年代の子が大勢いるため、顔を合わせないよう避けているが、土日や祭日を除き、同じことを繰り返しやりに来ている。まだ幼顔の面影は残しているが、目鼻立ちが整って端正な顔つきの少年は口を真一文字に結び、壁の一点を見つめて投げ続けた。ボールが壁に当たる音と、キャッチするときのグローブの音が、静かな園内に律動的な音を上げている。
少年が来てからかれこれ一時間近くが経った。いつも10周のウオーキングを目標にしている主婦たちは腰につけた歩数計を手に取り、消費カロリーを確認すると満足そうに微笑み合っていた。毎回同じことを繰り返し行っているのだからたいした変わりはないと思うのだが、やはり目標の数字を確認する充実感なのであろう。
お互いにうなずき合った主婦たちは、ウエストポーチからペットボトルを取り出して口に運んだ。それから、少年にわざとらしい懐疑な視線を投げかけ、首に掛けたスポーツタオルで汗を押さえながら帰っていった。
―― あのおばさんたち、あんなにじろじろ見なくたっていいだろう!
僕のほうだって、主婦らがコースをまわって来て自分の傍を通過するたびに投げかける、あの感じの悪い視線に気付いていないわけではない。たしかに嫌な思いはしているのだが、それでも学校でのいじめよりはまだましだと我慢している。
                           つづく

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