過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

8  興味尽きないジプシー・ガンダ武勇伝

 昼食の後もしばらくはボール投げを続けたが、僕はかなり興奮していた。なにしろ先日来から気になっていた大男が、なんとプロレスラーだったと知ったからである。
―― 外国のあちこちを長いこと転戦していたと言っていたが、どんな相手と戦っていたんだろう。話を聞いてみたい。
 剛速球以来の新たな好奇心が湧き、ふと後ろを振り向くと大男の姿はベンチから消えていた。それから間もなく、公園を出た僕は真っ直ぐ家へ帰るのが嫌で、自転車を新横浜駅の方へ向けて横浜アリーナまで来た。
幸いなんのイベントも行われてはおらず、広いエントランス脇の石段に腰を下ろして時間をつぶすことにした。まだ陽は高く、ポカポカとした日差しが柔らかく降り注いでいた。僕は石段に映る自分の影をじっと見つめた。
 先ほど一緒にお昼を食べたあの大男の姿が思い浮かぶ見ず知らずの人と話をしたばかりか一緒にご飯を食べたなんてはじめての経験であり、もし母が知ったら卒倒してしまうかも知れない。
 かつてはプロレスをしており、ジプシー・ガンダというリングネームだったと言っていたがどことなくミステリアスな感じの人だった
 頭の中は学校の不安、ジプシー・ガンダという元プロレスラーへの興味が混ぜこぜなった思考が交差して少しずつ長くなってゆくぼんやりと見ていた
と、その時である。僕はイヤホンで音楽を聞いていたために気付かなかったが、いつの間にか近づいてきた人のにふと顔を上げた。アリーナを巡回している警備員さんだった。警備員さんは訝しげな目を向けてきたので仕方なく立ち上がった。
 いつものことだが暇をつぶす一日というのはやたらと長い。ゲームセンターには不良グループがたむろしているかも知れないと思うと怖くて近寄れずには行くところ限られている。僕は再び自転車にまたがるとゆっくりとペダルをこぎ、来た道を引き返して家へ戻った。
ちょうど母も買い物から帰ったところで、車のトランクから野菜などの荷物を取り出していた。
                    
龍太郎! ここへ座りなさい」
 怖い顔をした母に命じられた僕は、リビングのソファーへ小さくなった。
「毎日、どこへ行っているの
 僕は運動靴の中に入った土で汚れている靴下の先を見つめたまま黙っていた。
それに、お昼はどうしているの
「お小遣いがあるから、コンビニで買っている」
 母は涙目になってため息を漏らした。
「まったくもう。パパのいないこんなに限って…。しっかりしてよ」
くぐもった涙声でそう言った後にしばらく口を閉ざし、目頭を押さえてから僕のほうへにじり寄って肩を揺すった
気持を強く持って、明日から学校へ行きなさい。柔道だって練習をすると決めて入部したんでしょう。それなのに、どうして一日で辞めてしまうのよ。男の子なのに、情けないとは思わないの」
「肩を怪我したんだよ」
 僕は言い訳をしたが、たいしたことのないのはとっくに見破られている。
「嘘つきなさい。本当は怖くなって、練習に行かなくなったんでしょう」
 母の言うとおりなので、は返す言葉がなかった。
「今日のお昼休みわざわざ担任の先生が来てくださったのよ。クラスの子たちがはやし立てたりしたのは厳重に注意したと言ってたわ。だから心配しないで学校へ行きなさい。柔道だって本当に嫌なのなら、退部届けを出さなきゃだめでしょう。まったく無責任なんだから
 母の説教はまだまだ続きそうなので、僕は勝手に席を立った。
「龍太郎!」
 母はヒステリックな声を上げたが、僕は構わずに部屋へ戻った。
                   
 翌朝、妹を見送った母は、
「約束どおり学校へ行きなさい」
、部屋までいに来たが、僕は約束などしてはいない。
―― あんな奴らのいる学校へなんかくもんか。
心の中でそう叫んだ僕は、貯金箱から500円を取り出し、母がゴミ捨てに出るタイミングを見らっていた。そしていつものとおり、学校の授業がはじまっている時間に自転車へ乗った―― 
 公園今日も春の日差しが降り注いでいた。だが、爽やかな陽気とは逆に、僕の心停滞したままの暗雲立ち込めている。
 いつもの場所に自転車を停め、ベンチに目をやるとジプシー・ガンダという大男は昨日と同じ姿勢新聞を開いていた。しばらく見つめていた僕の気配を感じたのか、こっちへ顔を向けて軽く手を上げた。僕は一瞬焦ったが、小さくお辞儀をした。
 ちょうどおばさんたちが軽い息を弾ませて目の前をとおり過ぎた。先日の一件で不快な思いを抱いているのか、今日は僕の姿を一瞥しただけで無視を決め込んでいるようである。
 不登校中学生なんて実に嫌な言葉だが、僕がその仲間入りをするなどとは思いもしなかったことだ。ついひと月前には想像すらできなかったことだが、今では情けない公園通日課になってしまってる。でもすべてはあいつらが悪いからだ」と、いちいち自分に言い訳をして慰めている
僕はいつもの手順、いつものとおりのことをただ黙々と続けた。壁に当たるボールの音も、キャッチするグローブの音も耳に染み付いてしまったが、今の僕にはただしいだけどうしようもない。
壁と向き合い、ただただ単純な動作を黙々と繰り返しまた昼になった。これもまたいつものとおり手洗い場で汗ばんだ顔を洗い、自転車の荷台カゴからコンビニ袋を取り出した。すると昨日と同じようにベンチの方から声が聞こえた低音の良くとおる大きな声である。
龍太郎、こっちへ来いよ」
 まさかと思ったのだが、大男は僕の名前を覚えてくれていたようである。ちょっと嬉しかったが、昨日と同様すぐ近づいて行くにはまだ躊躇あった。大男は再び名前を呼んで手招きをした。
 いつまでもぐずぐずとしている僕を、じれったい奴だと思っているかもしれない。本心は走って行きたいのだが、思うとおりに行動できないのは小さい頃からの悪い性格だと自分でも分かっている。
それでも、やっとうなずいた僕は、手にしたコンビニ袋とペットボトルを持って近づいて行った。大男昨日と同じように腰をずらしてくれた。僕は小さく頭を下げ、腰を下ろそうとして上体をかがめただった。
―― あっ!
大男の顔を見て思わず叫びそうにほど驚いてしまったのだ
 昨日ほとんど顔を上げることもできず、ただおどおどしていて気がつかなかったのだが、大男の額には無数の傷痕が生々しく盛り上がっていた。それに、後ろで結わいてある長い髪からはっきりと出ている両耳も餃子のように異様な形をしていた。
 僕の驚く顔に気付いたのか、
「これ、気になるか?」
と言って、おでこを触ってから小さく笑った
この傷痕はな、何度も流血したからこんなになっちまったんだおかしいよな」
「流血!」
 僕は恐ろしくなって思わず声を上げてしまった。
それからこの耳はな、格闘技をやっていなら、たいがいがこうなってしまうんだ。最初はぶつかったり擦れたりしての内出血で膨れ上がるんだが、ちょっと触られただけでも飛び上がるほど痛い。でもな、そのうちコチコチに固まって感覚がなくなってしまうのさ日本では耳が沸くって言うが、アメリカではカリフラワーって呼ばれているよ
カリフラワー
 そう言われれば野菜のカリフラワーに似ていると思った。
「触ってみるかい」
 興味はあるが躊躇っていると、大男は僕の手を取って自分の耳にあてがった。
「うわーっ!」
 思わず突拍子もない声を上げてしまったのは、ぼくの手を取った男の手がすごく冷たかったことと、変形した耳がまるで石のように硬かったことによる。
「あのう…、柔道でも、こういう耳になるんですか?」
 僕はもう柔道部へ戻る気持はさらさらないのだが、何気なしに訊いた。
ああ、高校生のときになったよ
「えっ! おじさんは柔道もやっていたんですか?」
 僕は、かなり調子はずれの声をあげたらしく、大男は笑った
柔道をやってたからって、なにをそんなに驚いてるんだ。それより、のことを、おじさんじゃなくガンダと呼んでくれ」
「は、はい…
いつまでも突っ立ってねえで早く座れよ」
 僕は端の方にちょこんと腰を下ろし、コンビニ袋を開いた。
「今日も菓子パンか?」
 自分の包みを開きながら、袋の中をチラッと覗き込んだ
「いえ、今日はサンドイッチです」
「そうか、サンドイッチかパンが悪いってえわけじゃねえが、日本人はを食わねえと、力がねえぞ。なんたって、弥生時代から1,000年以上もメシ粒を食ってきた遺伝子を引きついているんだからな。西洋人の真似をしても日本人には合わねえよはアメリカにいたときで自分でメシを炊き、みそ汁を作っいたからな
 そう言って、おにぎりをガブリとほおばった
ガンダさん…は、アメリカでプロレスをしていたんですか?」
「ああ、アメリカだけじゃねえよ。いろんな国へ行って、いろんなレスラーと戦ったよ。多分2,000試合近くになるだろうな
「2,000試合!」
「自分で言うのも何だが、は結構人気があったからな。プロモーターからは引っ張りだこで、あちこちのテリトリーを荒らしまわったものさ
「テリトリーって?」
「うん。世界は広いからな、それぞれの国の中でも、地域ごとに興行権を持つプロモーターがいてな、その勢力圏をテリトリーっていうんだよ
ガンダさんより大きいレスラーもいるんですか?」
「ハッハッハ、なんか決して大きい方じゃねえまあ中くらいってところかな。外国には怪物みたいなレスラーがごろごろといるからな。そんな連中と年がら年中戦っていたから、ずいぶんと危険な目にもあったし、時には死ぬかと思ったことだって何回もあった
 この大男のガンダさんよりもっと大きい、怪物のようなレスラーごろごろいると聞き、小さい頃に父が聞かせてくれおとぎ話の世界が思い出された。そして、話の中に登場する数々の巨人を連想した。
小学生時代、子供が事件に巻き込まれるニュースが報じられるたび、「知らない人に声を掛けられたら用心するように」と学校からきつく言われていた。そのため、これまで他人の大人と話をした経験のないだがガンダさんには不思議な興味を感じはじめた。それでも僕は、まだおどおどとした口調でねた
ガンダさんが戦った、一番大きなレスラーは誰ですか?」
「ん…龍太郎はプロレスが好きなのか?」
 ガンダさんはすぐには答えてくれず、おにぎりを噛みながら僕の目を覗き込んだ
「小学3年生のとき、パパに横浜文化体育館へ連れて行ってもらったことがあります。悪役の外人が客席まで暴れ込んできて、怖くて逃げ出しました
「そうか、龍太郎はプロレスを観たことがあるのか。それじゃあ話もしやすいな。最近はテレビでもあまり放送をしなくなったし、プロレスそのものを知らない子供もいるようからな」
 ガンダさんは脇においたペットボトルへ手を伸ばした。
「日本のプロレス界は、もう10年以上も客がらねえようだが、つまりは業界の努力が足りねえんだよマッチメークをやっている連中はもっと世界に目を向けて、いい悪役を発掘してこなきゃだめだ。プロレス悪と善が対決するとう、もっとも分かりやすい最高のエンターテイメントなんだけどな」
「悪役って大切なんですか?」
「そうだよ。プロレス面白いか、つまらねえかは試合の大部分悪役の腕にかかっているんだ。つまり、悪役はレフェリーの目をかいくぐり、いかに巧妙な反則を繰り返すかで客の興奮度が違ってくる。外国人の悪役を上手く使ったストーリーを考えていけば、若い人たちだってもっとプロレスに興味をってくれるんだけどな
 僕にはガンダさんの言っている意味がよくは理解できなかったが、たしかにプロレスの話をしている友達は誰もいない。それもガンダさんの説でいえば、凄い悪役がいないのでつまらないからなのだろうか。
僕は臆病なわりにプロレスるのが嫌ではない。柔道ですら向かないのだから、プロレスラーになろうなどとはにも思ったことはないが、たぶん弱虫の自分を強いレスラーに置き換えて観ることができるからだと思う。
が外国で戦った話、聞きたいか?」
 僕はゴクンと唾を飲んで大きくうなずいた。まるで未知の扉を開けたような興奮を覚え、心臓がドキドキと鼓動を打つのが感じられた
                                           つづく


 7  えっ! おじさんはプロレスラーだったの 

 僕は意図的にボールを受け損ない、またあの人の所へ転がして見たいとも思ったがそんなわざとらしい演技のできるほど器用な性格ではない。でも、もう一度あの速球を受け止めて見たいし、座ったままの姿勢から投げられる腕力も羨ましくてならない
 尻のポケットに入れてあるスマホを覗くと、デジタル時計の数字が正午になろうとしていた。僕はボールを投げるのを止めた。近くの手洗い場汗ばんだ顔を洗い、荷台カゴのコンビニ袋を掴んで花壇の縁石座った。そして菓子パンを取り出そうとしたときだった。
「おい、坊主」
 突然あの大男がしたのだ顔を向けると僕を手招きしていた。僕は動悸が高鳴りかなり動揺した。先日の一件から想像しても悪い人ではなさそうである。でも、手招きをされたからといってすぐに走って行くほどの思い切りのよさなどあろうはずがないなにしろ小学生時代は、「知らない人に話しかけられたら十分に注意をするように」という教育を受けていた世代である教え云々より元来の性格がそうだ
だが、剛速球の好奇心は消えていない。どのような人なのか訊ねてみたい気持ちはあるのに、身体は拒否している
「こっちに来なよ」
 大男先ほどよりも大きな声を出した。僕は逃げようかとも思った。
「心配することはねえ」
 ちょっとだけ笑みを浮かべて、また声を上げた。それでもまだ躊躇っていたのだが、かなりの勇気を振り絞ってコンビニ袋とペットボトルを手にすると恐る恐るベンチへ近づいて行った
―― 何かされたら逃げ出せばいいし、この人より僕のほうが足は速いはずだ。
そんなことを考えていると、大男僕に笑顔を向け、腰をずらしてスペースを開けると顎をしゃくった。
「座れよ。メシ、一緒に食おうじぇねえか
 あらためてよく見ると本当に大きな身体をしている。小学生の時の遠足で行った、総持寺の山門にある金剛力士のようにゴツイ。
いつも一人じゃつまらねえだろう
―― やはりこの人は、いつも見ていたんだ… 
 僕が黙ったまま突っ立っていると、大男
「おい」
と言って座るよう促し、リュックのジッパーを開けて新聞紙の包みを取り出した。包みを開くと中から大きなおにぎりが3個出てきた。そのひとつを無雑作に掴むと、ガブッと口にほおばり、
「うめえ」
微笑んだ身体が大きいだけに、その仕草がどこかユーモラスに見えたため緊張は少しほぐれた。
―― 怖そうだが悪い人ではなさそうだ。
 僕は小さくお辞儀をし、隣へ硬くなって座った。大男はコンビニ袋の中味を覗き込み、
「食えよ」
と言った。萎縮したままの僕が菓子パンをひとかじりしたとき、ひとつのおにぎりはもう食べ終わっていた。そして脇に置いてあった2リットルのペットボトルの水をガブガブと飲み、ふたつ目に手を伸ばした。
「野球、好きか?」
 大男は僕の顔を覗き込んだ。僕は黙って首を横に振った。
「そうか」
 先ほどのおばさんたちのように、学校のことなどは何も訊かず、ただ無心に口を動かしていた
「あのう…
 僕は傍らへ寄ったとき以上の勇気を振り絞って言った声が震えているのが自分でも分かる。
「おお、坊主。はじめて口をきいたな。で、なんだい?」
「おじさんは、プロ野球の選手だったんですか?」
プロ野球なぜだい?」
「この前、投げ返してくれた球が凄く速かったもので」
「ハッハッハ、そうだったのかい。だけど野球の選手なんかじゃねえよ
「そうですかじゃあお相撲さん?」
「いや違う」
でも、スポーツはしていたんでしょう
 僕の声はおどおどと上ずっている。
「ああ、昔はプロレスラーだった」
「えっ! プロレスラー」
 この大きな人がプロレスラーだったと知りなるほどそうだったのかと思いながらも思わず驚きの声を上げてしまった。
「坊主、おの名前は?」
「武田…、武田龍太郎です」
「そうか、龍太郎強そうでいい名前だな
 小さい頃から同じことをよく言われるのだが僕は首を横に振った。名前は父が考えたとのことだが、慶應義塾大学の大先輩であり、「誠」を座右にする橋本龍太郎総理大臣の信念を尊敬していたからだという。だが、信念といわれると僕の性格にはあまりのもギャップがありすぎ、自分ではいい名前だとはまったく思っていない。それでつい首を横に振ってしまう癖がついているのだ。
の名前はな…
 そう言いかけた大男、大きく息を吐いて青く澄み渡った空を仰いだ。だが、その横顔が少しだけ淋そうに感じられたのはなぜだろうと思った
のリングネームはジプシー・ガンダってな、外国のあちこちを長いこと転戦していたんだ」
「ジプシー・ガンダ
「ああそうだ。本名は神田というんだが、アメリカのプロモーターから、カンダよりガンダの方が悪役の響きがあると言われてガンダに変えたんだよ
 僕は正直、カッコいいリングネームだと思った。
ところがな、日本へ帰る直前。カナダの北部にあるユーコン州のホワイトホースという町で猛吹雪に襲われ交通事故に巻き込まれちまったのよ」
 僕は片方の靴しかない足元に目を落とした。
「そうさ、おの想像するとおり、そのときに片脚をなくしちまったのよ。もう、遠いのことだがな
 僕がちょっと不思議に思えたのは、父と同年代に見えなる大男が「遠い昔」と言った
ことである
 大男は下肢のない膝を撫で回し、事故を思い出したのか再び天を仰いだ。僕は黙って
菓子パンをちぎって口に入れた。足元に、数羽の鳩が近寄ってきた。大男は食べかけの
おにぎりを指先でつまみ、ポンと投げ与えた。
                                          つづく

6  近寄ってきた松葉杖の大男

 今日からゴールデンウイークがはじまり、学校も飛び石的に休みが続いている。本来なら楽しでならないはずなのに、外へ出れば同級生にも会うだろうし、岸根公園も人出が多いと想像されるため、休日は家にこもって過ごすことにした
 昨年は父の実家である甲府へ3泊4日で出かけたのだが今年は特に計画はない。地元横浜生まれの母は、わざわざ実家へ行くこともなく、妹にせがまれてディズニーランドへ出かけた。もちろんも誘われたがまったく気が進まず、留守番をして家でゴロゴロとしていた。
 テレビを観たり音楽を聴いたりする以外は何もする気力が起こらずやたらと長く感じた連休の終わったその朝。
「パパも心配しているから、くよくよ考えていないで学校へ行きなさい」
いつもの母の言葉を無視して、公園に向うべく自転車にまたがった
龍太郎!」
 背中に、母のヒステリックな声を聞いたが構わずにペダルをこいだ。僕が近くの公園を避けてわざわざ遠くまで出向いているのは知っている人に出会うのを懸念してのことだが行き先を知らせてない
途中のコンビニでお昼用の菓子パンミネラルを買った。もうすっかり走りなれた道を20分ほど飛ばし、公園に着いたのはいつもの時間だった。
僕はあ日の一件以来ちょっぴり気になっているあの人を探した。さりげなく枝の張ったドングリの木下のベンチに目をやると新聞を広げている横向きの姿が見えた
―― いた!
 機械室のところからは10メートル以上離れている。僕がじっと見ている視線を感じたのか、男の人は新聞から目をはなしてこっちを向いた。だが僕は、そ知らぬふりをして背中を向けた 
僕のほうが気にしていたのにもらずうろたえてしまっのだが、気を取り戻していつものようにグローブをはめて肩をまわしていたときだったトラックを回っていた例のおばさんたち、僕の傍でウオーキングの足を止めたのだ。しかも、何を思ったのツカツカッ近づいてたのである
もうすっかり顔見知りにはなっていたが、これまでに言葉を交わしたことなどはもちろん一度もない僕は何事かと驚き、イヤホンを外した。
「あなた中学生でしょう。どこの学校?」
 一番太めで、あとの二人を仕切っている感じのおばさんがいきなり声を掛けてきた。軽くはずむ息せいか、声が途切れ途切れにやたらと大きい。僕が黙っていると、もう一人がいかにも心配しているような顔を作り、後に続けた。
「学校へ行かなきゃだめじゃない。おの方も、先生も心配してるわよ」
 おばさんたちは顔を見合わせうなずき合っていた。
中学時代にしっかり勉強しておかないと、あとで困ることになるのよ。どんな理由があるのか知らないけど、不登校なんて絶対によくないわ」
「ね、悪いことは言わないから、私たちの言うことをきいて、学校へ行きなさい」
「そうよ。私たちはあなたのためを思って、心配しているのよ」
 僕は腹の中で、何も知らないくせに余計なお世話だ、と思っていたが言い返すことなどとてもできずそのまま下を向いて黙っていた。
と、そのときである。件のベンチから突然に、低音でよくとお声がしたのだ。
「あんたたちは他人のお節介を焼くより、自分の健康だけを考え、頑張って歩いていなよ」
 あまりにも突然のことで僕も驚いたが声の方向に振り向いたおばさんたちはもっと驚いたようだ。口をあんぐりと開けて、声の主ポカン見ていた。男の人はのっそりと立ち上がった。そして外にも、こっちへ向ってゆっくりと歩いてのだ。男の人は両脇に松葉杖をついていた
「あっ!」
 僕は思わず声を上げてしまったのだが、左側のジャージーパンツは膝部分り詰めてある。つまり、片方の下肢がなかったのだ。アスファルトのトラックを突く、松葉杖のコツコツという音が近づいて来る
固唾を呑む僕らの前で男の人は足を止めた僕が再び声を上げそうになるほど驚いたのは、その人の身体があまりにも大きかったからだ。この前は座っていたので気がつかなかったが、見上げるほどの身長だ。
「何よあなた。お節介を焼くななんて、失礼な
「本当よ。私たちはこの子を心配して言っているのに
 おばさんたち精一杯の虚勢を張るように男の人を見上げて言った。だが、だんだんと顔色が青ざめ少しずつ後ずさりをした
173センチの僕が肩までもないほどだから、190センチ以上あるかもしれないそれに首も太く、肩幅も広くがっちりとしている。
「誰にでも悩みはあるものさ。なあ坊主」
「……」
 僕は不思議の国から突然現れたガリヴァーを目の前にしたようで返事もできずに固まっていたおばさんたちは小声でぶつぶつ言い合いながら、トラックった。そして、何度か振り向き、コーナーを回て行った。
 僕はこれまでに見たこともない大男を目の前にして、膝がガクガクと震えるのを感じた。
「なんの悩みか知らんが、時期がくればつまらねえことだったと思うさ。それまでは壁と向き合って、好きなだけボールを投げていればいいよ」
 大男は僕の肩に手を置き、向きを変えるとベンチへ戻ってった。その後姿を呆然と見ていたが、肩に触れられた大きな手の感触が、なぜか冷やりと残っていた
 それからも機械室の外壁めがけ、繰り返し投げつけては跳ね返ってくるボールをキャッチし続けた。だが、これまでのように没頭できないでいる原因は明らかである。
―― あの大男僕をずっと見ていたのかもしれない。
 そう思うと後ろのベンチが気になって仕方がなかった。かれこれ30ほど続けてから一休みするため、自転車の荷台カゴに乗せているペットボトルを持って花壇を囲む縁石座った。水を一口飲み気になるベンチへチラッと目を向けた。大男はまだ新聞を読んでいた。おばさんたちはもう僕のことに無視を決め込んだのか、飽きもせずに歩き続けている。
―― あんな大きな人は今まで見たことはない。柔道部顧問の大岩先生も大き比較にならない。いったいあの人は誰なんだろう
 時の剛速球といい、また新たな好奇心が頭に取り付いてしまった。もしかすると、僕が生まれる以前のプロ野球選手だったのか、あるいはお相撲さんだったのかれないなどとも思ったが好奇心とは裏腹に直接訊きに行くほどの勇気などあろうはずがない。そんな勇気があるくらいなら、柔道部の勧誘をはっきりと断っている。
―― それにしても、片脚をなくしてしまった原因はなんだろう?
気になりだしたら頭から離れなくなってしまうのも僕の性格で、あれこれと想像してみても所詮は何も分かるはずがない。僕は立ち上がって再び壁の前へ立った。
そよ風に乗ってヒヨドリの甲高い鳴き声がすると、追い立てられたスズメの群れが飛び去っていった。そのスズメに自分の今を重ね合わせ、ますます暗く落ち込んでいった。
先ほど話しかけてきたおばさんたちは、「もう勝手にしなさい」と言わんばかりの冷ややかな目線を投げかけいつものように歩数計を覘き、スポーツタオルで汗を押さえながら帰ってった。
                                          つづく

気になるミステリアスな大男に遭遇

 その晩も母の小言を散々かされ、早々と二階の自室へ戻ったのだが、当たる相手がなくて壁を蹴飛ばし、脱いだカーデガンを窓ガラスに投げつけオーディオのスイッチを入れると腹立ち紛れに音楽のボリュームを思い切り回した
 僕の家は横浜駅西口から15分ほど高台へ歩いた高島台という、横浜港側に面した見晴らしのよいところだ。僕が小学生の低学年で妹が幼稚園児だったころ、中古の戸建を買って越してきたのだが周りには緑が多く、庭も広いからの住宅地だ静かで環境は素晴らしいのだが、強いて難をつけるならば坂道がきついことと商店が近くにないことである。
 気持が塞いでむしゃくしゃしている僕は、勉強机の椅子を窓側にずらし夜空くっきりと映えるみなとみらい都市の高層ビル群の明かりを見つめた。
―― くそっ! 中学へ上がるのが楽しみだったのに、他の小学校から来た奴らはみんな意地悪だ。
このまま不登校を続けていていいわけはないことくらい分っているが、学校へ戻ればいつらのいじめが待っている。
 どう足掻いても癒すことのできない虚しさに胸が張り裂けそうになっていたとき、突然背中を揺すぶられて我に返った。小さな手の感触で妹の麻衣だとすぐに分かったが、いつ部屋に入ったのかも気付かずにいた。
「お兄ちゃん。ママがオーディオの音を下げなさいって」
 耳元に大声を上げた妹は勝手につまみを回して出て行った。
今日も担任の先生から連絡があったというし気にならないわけではなくむしろ負け犬の惨めさにも似た気持すら抱いている
―― どうしたらいいんだ。
頭を抱えて目を瞑ったとき、公園でボールを投げ返してくれた男の人をふと思い出した。
―― はじめて見たけどいつもあのベンチにいたんだろうか? 
―― 座ったままであんなスピードのある球を投げられるんだから、もしかして昔は野球選手だったのか
 あの時は突然の驚きもあって顔も覚えてはいないが、長い髪の毛を後ろで束ね、黒っぽいジャージーを着ていたような気がする
―― あの場所に、明日もいるのかな? 
 何事もそうだが、気になりだしたら頭から離れなくなってしまう性格の僕が、あれこれと想像していたときだった。いきなりスマホの着メロが鳴って我に返った。ディスプレーを覗くと、小学生から友達で蜂矢秀介だった。
 小学5生頃までの秀介とは比較的気が合いよく遊んでいたのだが、6年生へ進級してから間もなく、僕のほうから少し距離を置くようになった。というのは、勉強もできて社交性に富んでいる彼が誰とでも仲良く話しているのを見て、やたらと羨ましく思えるようになったからだ。
 着信音は鳴り続いている。でも、どうせ彼の用件は分かっている。僕は着メロを聞き流し、窓側からベッドへ移って横になった。
柔道部の勧誘に端を発したもろもろの経緯が蘇えってくる。保健室での一件を言いふらした女子生徒、廊下でわざとぶつかってきた体格のいい、黒板に落書きをした茶髪、ズボンを脱がそうとした変態らの顔を厭わしく思い出して、僕は唇を噛んだ。
そして、いつの間にか眠ってしまったようである。
                                                                                                                     つづく

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事