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全国にゴマンとあるという城館を、徒然なるままに紹介する探訪記。ときどき浮気して古墳も紹介。在住地の福島県の城館と古墳が中心。

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前方後円墳

岩波書店の新たなシリーズの一冊。考古学と文献史学の方法で、前方後円墳にアプローチする。本書の特徴の1つは、外国人研究者の論考が含まれることだが、その内容は、日本で一般的に受け入れられている認識とは、やや噛み合わないように感じた。下垣仁志氏と松木武彦氏の論考は、現在の両氏の見解が簡潔にまとめられており、有益だった。

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雷神山古墳

この日の最後は名取市の雷神山古墳。全長168メートルの前方後円墳で、東北地方では最大規模。前期末頃の築造と考えられている。

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西から墳丘を見たところ。大きすぎて写真に入りきらない。左側奥が後円部、右側手前が前方部。後円部・前方部とも三段築成。メリハリのある段築が印象的。

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後円部を上にしたときの右側の括れ部。

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解説板。

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周堤と周溝。写真の右側は後円部。

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北側に隣接する小塚古墳から後円部を見たところ。手前の溝は小塚古墳の周溝。小塚古墳は直径54メートルの円墳で、雷神山古墳の陪塚とされる。

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南から小塚古墳を見たところ。こちらも三段築成。

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小塚古墳の脇から飯野坂古墳群の方向を見る。谷を挟んだ対岸の丘陵上に前方後方墳が並ぶ。

雷神山古墳は、さすが東北地方最大の古墳である。これまで見たどの古墳よりも壮大である。被葬者は、どんな人物だったのだろうか。

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飯野坂古墳群

続いては、前期の飯野坂古墳群。比較的規模の大きな前方後方墳が継続して築造された特異な古墳群である。

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薬師堂古墳。全長65メートルの前方後方墳。写真は前方部から後方部を見たところ。

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宮山古墳。全長60メートルの前方後方墳。写真は前方部から後方部を見たところ。

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観音塚古墳。全長65メートルの前方後方墳。写真は南東から墳丘を見たところ。左側手前が前方部、右側奥が後方部。

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山居古墳。全長60メートルの前方後方墳。写真は南東から墳丘を見たところ。左側手前が前方部、右側奥が後方部。

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山居北古墳。全長40メートルの前方後方墳。写真は前方部から後方部を見たところ。

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解説板。

前方後方墳がこれだけまとまっていると壮観である。丘陵の北東縁に、側面を見せるようにして並んでいる。近くの雷神山古墳との関係は如何。

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名取大塚山古墳

次に訪ねたのは、名取市の名取大塚山古墳。中期後半に築造されたとされる全長90メートルの前方後円墳である。

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後円部を西から見たところ。とても大きく高さもあって、圧倒的な存在感がある。三段築成とのこと。

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道の敷設で後円部が少し削られた部分に、石材が露出していた。葺石があるとのことなので、葺石だろうか。

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後円部から前方部の方を見る。前方部は非常に低く、写真だとわかり難い。

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解説板。名取大塚山古墳は、賽ノ窪古墳群の盟主墳のようだ。

名取大塚山古墳は、宮城県内で4番目の規模を持つ。前期の飯野坂古墳群や雷神山古墳と同じ名取市内にあるが、やや離れている。前期から中期に移行するなかで、地域の政治的な在り方に変動があったものか。

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遠見塚古墳

昨日は、職場のボランティア研修の下見で仙台平野の古墳を巡った。コースは、遠見塚古墳→名取大塚山古墳→飯野坂古墳群→雷神山古墳。最初に訪ねた仙台市の遠見塚古墳は、全長110メートルの前方後円墳で、東北地方で5番目、宮城県では2番目の規模である。

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南西から墳丘を見たところ。手前が前方部、奥が後円部。ちびっこがたくさん遊びに来ていた。

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後円部から前方部を見たところ。

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解説板。

遠見塚古墳は、前期末頃の築造と考えられている。ほぼ同じ時期に築造された名取市の雷神山古墳との関係が気になるところ。

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