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さてと、超久々の連日更新デス(笑
こんなんは数ケ月ぶりだ…明日は大地震が来るカモな。
まあ、そりゃ置いといて…
テレビをあまり見ない。
見るチャンネルは決まっていて、NHK総合・教育、NHK・BS-1・2。ほとんどこれだけ。あとのチャンネルは、ダラダラとくだらん茶番ばっかやってるんで見ない。民放見るのは日本シリーズとか、そういうエマージェンシーの時だけだ(ったく4連敗しやがってよう -_-;;)。例外はタモリ倶楽部と笑点とサザエさんくらいか。
今は新聞を取っていないが、新聞を取っている時も、テレビ欄は見たことがなかった。
そんなわけで、テレビを見るときは、いつも「偶然番組と出会う」って感じになる。
BS-2では、夜中に「ミッドナイト映画劇場」とか称して、マニアックでもなく、かといって名作でもない、微妙な映画をよくやるのだが(「海辺の家」とか「息子の部屋」とか「マルコヴィッチの穴」みたいなメジャーもんもやってるが)、前述のとおり、僕はテレビ欄を把握していないので、いつも途中から見ることになる。
途中から見ると、ストーリーがよく把握できないから、なにか特別に「引き込む」要素を持った映画でないと、続けて見る気がしない。テレビつけた途端に濡れ場とか(笑)、ものすごく絵的にカッコイイ場面とか、いきなり主人公みたいなヒトが死ぬとか、そういうのがあると、思わず見ちゃうんだな。その視点でいえば、ここ2〜3年では、「シベールの日曜日」という、古いフランス映画(モノクロ)がよかった。主人公の女の子のかわいらしさに思わず引き込まれてしまって途中から見た(残念ながら、日本語字幕盤ではビデオもDVDもナシ…しかし、トリュフォー監督もご推薦の映画でござんす…確か)。
途中から見て、思わず引き込まれる…そういう感じがイイんだな。ビデオ屋で自分で借りてくる、あるいはテレビ欄をチェックしてから見るってのは、なにがしかを期待して見るわけじゃない。けど、たまたまテレビつけてやってた映画がすごくよかったってのは、テレビつける際に何も期待していないぶん、トクした感じになる。ついでに言えば、序盤のストーリーがわからないというハンデを背負うから、自動的に集中して見ることになる。なので、逆に記憶に残りやすい。この見方をするようになってから、映画の画像と内容を鮮明に憶え続けることができるようになった。映画館もわざわざ遅れて見に行ったりな。
番組も、ニンゲン関係も、オンナも(汗)、僕は何事も、サプライズというか偶然が好きであり、予定調和ってのを何より嫌うから、こういう見方が性に合ってるんだな。そういや、音楽もそうだな。インプロヴァイゼーションが少ないのはあまり聴く気がしない。なので、結局ブルースやジャズばっかり聴くハメになるんだけど。
最近見たテレビの中でよかったモノは…全部BS-2だが、ブライアン・ウィルソンの幻のアルバム「Smile」の特集と、イタリアのピニンファリーナ(よくフェラーリやマセラッティなどのデザインを請け負う会社です…念のため)のデザイン統括部長みたいのを、今は日本人のヒトがやっているらしいんだけど(全然知らんかったが、すごいことである)、そのドキュメントとか…両方とも相変わらず途中から見たんで全貌は知らんが、よかったな。先日記事でも書いた「安里屋ユンタ」も途中から見た番組だが。
ブライアン・ウィルソンというかビーチボーイズっての、僕はCDで所有したことがあるのは「Pet Sounds」だけだったりして、今はもうそのCDは手元にないし…あとは数枚、友達に借りるかなんかして、聴いたといえば一応聴いた。Pet Soundsは、ポップ・ミュージックをさかのぼって聴けば必ず聴かざるを得ないアルバムなんで、おそらく当ブログにお越しの皆さんの中でも半分くらいの人は聴いたことがあるんじゃないかと思う。好き嫌いは別にしてな。ああ、僕は、好き嫌いで言えば、嫌いではないが好きでもないです。ただ、そういう個人的な好き嫌いを排除して、エンジニアリング的な視点やアレンジの視点で聴いてみると、やはり後の音楽シーンに多大な影響を与えていると思う。ビートルズの「Sgt. Pepper〜」で、ポール・マッカートニーが「Pet Sounds」からアレンジの知恵をいくつか拝借したことは有名だしな(Being for the Benefit of Mr. Kite! の、マル・エヴァンスが吹くバスハーモニカが出てくるとこのアレンジその他)。
知らないヒトのために一応言っておくと、ビーチボーイズってのはほとんどブライアン・ウィルソンが作った曲で成り立ってます。たしかプロデュースも自分でやってた…ってか、この時代にセルフプロデュースってのは、珍しいと思う。
ブライアンは、当時としては斬新なアルバムである「Pet Sounds」リリースの後、さらなる革新的なアルバム作りを目指していたが、それがメンバーやレコード会社の猛烈な反発にあって…「あまりにも革新的すぎてリスナーがついてこられない」という危惧があったようだ…結局レコーディングが頓挫してしまい、皆に責められたブライアンは鬱病にかかってしまう。その幻のアルバムのタイトルは「Smile」といった…というところまでは、僕も知識としては知っていた。
ブライアン・ウィルソンが、表舞台に再び出てくるのには、実に20年以上の月日を要した。1987年頃だったと思う。僕はその頃高校生だったから、さすがに記憶は確かだ(笑
…そういえば…ポール・マッカートニーが、ビートルズ時代に使っていたホフナーのヴァイオリン・ベースを再び手にするのにも、20年くらいかかったんだよな…過去の自分を受け入れるということは、ああいうドロ沼的なカタチで解散してしまったバンドにいた人にとっては、大きな苦痛を伴うのだろう。
月並みだが、ポールがリッケンバッカー#4001ではなく、あのヴァイオリン・ベースを持って「I saw her standing there(ビートルズの曲ね)」かなんかを歌っている姿をテレビで見たとき、当時僕は16歳くらいだったと思うが、何か不覚にも熱くなってしまった。勝手に心中を察しちゃってさ。知らない人が見れば、たかが昔のベースを再び持っただけだが、あれはある種の、象徴的なたくさんのメッセージを含んでいる。
ブライアンは、マッカートニーより、状況は難しかったと思われる。
ブライアンの辛いトコは…彼には身近によき理解者がいなかったことだろうな…Lennon=Mccartneyとか、Geffin & Kingとか、Jagger & Richardsみたいな、強力な理解者が身近にいれば、彼のやろうとしていることも理解されたかもしれない。
しかし、彼は孤独というか孤高だったんだな。それが状況をより難しくしてしまったようだ。
当時のビルボードだとかキャッシュボックスだとかの音楽メディアの記事で、ブライアンはよく「Genius(天才)」と書かれているが、天才も、周囲のバックアップがあって初めて活動できるわけで…周囲から見捨てられた彼は、鬱病になってしまった。
結局、周囲の薦めで幻の名盤「Smile」をライヴでやろうとしたのは、つい最近のこと…いつだっ
たっけ?…とにかく21世紀に入ってから。
そのドキュメンタリーを、BS-2でやっていたわけだが…結構、見ていてショックだったのは、鬱病というものの深さをまざまざと見せ付けられたところだ。
最初、バンドのメンバーで集まって、アレンジをこうしようとかコーラスはああしようとか、皆で半分セッション、半分アイディアラッシュみたいなライヴリハをやってんだけど…その様子を見ていたブライアンの表情から、どんどん精気がなくなっていった。たぶん、30年数年前の、頭ごなしに「Smile」を否定された記憶が蘇ってきてしまったんだろう。10分くらい経つと、まるでマネキンのように表情がなくなってしまった。トラウマとか鬱とかいうものの根深さと現実を目の当たりにした感じで、それを見た僕は本当にショックだった。傷は、30数年経っても、まだ癒えないということだ。ブライアンにとっては、苦痛を飲み込むようなことだったのかもしれない。
でも、30数年前と違うのは、周囲がブライアンを「普通に」気づかい、一緒に何かやろうぜ、と言ってくれてるところだったんだろうと思う。
リハが進むにつれ、みるみる精気を取り戻すブライアンの表情が、印象的だった。
最後…ライヴはロイヤル・アルバート・ホール(=イギリス。日本でいう武道館みたいなモン)でやるのだが…ライヴ前の楽屋では、さすがに緊張したらしく、また鬱病の、精気のない表情のブライアンになってしまっていた。
そこへ現れたのが、ポール・マッカートニーだった。
Hugして、ひと言ふた言、言葉を交わしたら、ブライアンの表情がパッと変わって、活き活きとしたんだ。
「Smile」したんだよな。絵に描いたみたいに。
あれは、偽物の、儀礼的な笑みではなかった。間違いない。
ブライアンは、本当に「Smile」できるようになるまでに、30数年を要したんだ。
ポールが言った言葉は、たしか「君の音楽は素晴らしいよ」みたいなことだったと思う。
コレって、すごくありきたりな言葉かもしれないが…それを欲している人にとっては、救いの言葉なんだろう。鬱ってのは、とかく自己否定に走りがちのようだから…「嘘でもいいから、認めてほしい」みたいな思いは強いみたいだし…。
でも、「今日のライヴ、楽しみにしてるよ」ってのは、この場合言わないほうがいいんだろうな、たぶん。ブライアンにとって、プレッシャーになってしまう可能性がある。それは逆に鬱を助長させるかもしれない。
ポールがそれを意識して言葉を発したのかどうかは知らないが(あの人は長嶋さん的な天然なトコがあるからw)、結果的に、ライヴはうまくいったようだ…「ようだ」ってのは、ライヴの映像がとても短くて、僕自身が判定できる材料が少なかったというのがあるんだけども。
まあ…あれほどの才能の塊みたいな人の、心の闇みたいなものを見せつけられたわけだが、それを支える奥さんだとか、友達だとか、家族だとか、周囲の理解がなければ、いかに「Genius」であろうとも、ニンゲン、弱いもんなんだという、当たり前のことを、改めて確認した。
たいした能力もない自分を受け入れてくれてる人たちに、ちょっと感謝してみたりした秋の夜長。
…そいから…相変わらず、思いが上手く伝えられない駄文しか書けない自分にチョット鬱気味でもある秋の夜長 -_-;;
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ポールが言葉をかけてくれたらウツは治りそうだ!でも誰でも昨今はウツになりやすいんでしょうね。確かに期待を表したり、頑張れ的なこと言うのは適当じゃないですね。Kenさんも無理しない方がいいですよ。そのままで素晴らしいんだから。
2005/11/10(木) 午後 0:33 [ jya*r*n ]
そうねぇ…人間の関係性というか距離感が昨今はアヤしくなってきているから…危なさそうなサインを出している人がいても「関わってはいけない」とほっといてしまったり、逆に余計なこと言い過ぎて失敗したり…難しいね。おっしゃる通り、無意味あるいは無責任な「頑張れ」ほどある意味残酷なものはないと思う。ヘッ…無理しない方がいいデスカ? いや〜、「ちったぁヘコんでみろよオメーはよぅ」とよく言われるくらい無神経な野郎ですからワタシ(汗)でもありがとうね^^
2005/11/11(金) 午前 0:42
「シベールの日曜日」は、
私も、きょう図書館のビデオではじめて見ました。
モノクロの映像が素晴らしく、しかし、せつない映画でした。
2010/11/14(日) 午後 7:38 [ kemukemu ]
図書館にあるんですか、あれ。
失礼ですがどちらの図書館でしょう。私ももう一度見たいのですが、何せ絶版のようだし、原盤(日本語スーパーなし)はあるようですが、フランス語が全然わからないので、ちょっと困ってました。
あの頃のフランス映画って、なんかいいですよね。物悲しさというかなんというか。
2010/11/15(月) 午前 1:39