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these songs of freedom

先週か先々週だったか、ザッピングしてたら、教育テレビでやってる爆笑問題の番組に教授(坂本龍一)が出てたので、思わず見てしまった。
内容らしい内容は特にない。
爆笑問題の二人が持ち寄った最近気になるCDや、教授が気になる音源を聴きながらダラダラと喋ってるだけ。
こういう、ある程度アカデミックな、しかしまとまりのない、居酒屋的なトーク番組は好きだ。
番組に内容をまとめてほしいとは思わない。
内容をまとめ、整理をするのは視聴者である、と思う。

で、件の番組。
爆笑の田中が持ってきたCDは、ああやっぱミーハーなんねこの人、という音で、番組中で話が盛り上がるでもなく。
教授も困っちまってたよな、どう反応すればいいか(笑
太田が持ってきたCDは3枚くらい。
一番上に置いてあったのがradioheadだった。
ジャケットがちょっとしか見えなかったが、去年出たベスト盤だね、あれは。
太田らしいチョイスだな、とは思ったものの(太田っつう人の趣味とかを知っているわけではないが)、radioheadってベスト盤で聴いて面白いもんなのか、という疑問もあったりなかったり。oasisとかならまだしも。
あ、そっか、番組の都合上、ベスト盤を持ってきた方が都合がいいってことだな、たぶん。

結局、現場でradioheadはかけなかったのか、それとも編集でカットされたのかはわからないが、オンエアではまったく触れなかった。
ま、radioheadで喋り出すと、それだけで番組終わっちまいそうだもんな。教授なんか好きそうな音だし。

太田が他に持ってきてた音源の中に、桑田だかサザンだかのCDがあった。
そのCDを聴きながら、教授は「僕はこういうの、どうもピンとこないな。何がいいわけ?」とノタマわれたところ、太田が「もてない男の心理みたいなのが切切と伝わってきません?」みたいなフォローを入れた。
そん時、教授が「僕だったら、失恋なんかしたときにはこういうの聴くけどな」といってかけたのが、bob marleyの「redemption song」だった。

おお。これは…
…世間的には、隠れた名曲ってヤツなのかな。
個人的には、とても好きな歌。

歌詞の内容は失恋なんかとは全然違う。
「救いの歌」と訳すと直訳すぎかもしれんが、まあそういう感じ。
bob marleyの楽曲によく見られる、典型的な内容と言って差し支えなかろう。
過去の奴隷民族の悲哀と、未来の自立を歌った、美しく、やさしく、力強く、しかしどこか物哀しい歌。

自分の経験では、女と別離したときにこの曲を聴きたいと思ったことはない。
が、独りでいるとき、そっと聴きたくなる。
弾き語りでも好んで歌った。
bobみたいに、あんなやさしくは歌えないけど。
奴隷の人々のレジスタンス的感情なんか知る由もない極東の島国の住人である自分であるが、この歌は、なぜかとても胸に響く。
いや、奴隷がどうのこうのはあまり関係ないな、きっと。
誰にでも伝わるように普遍化されているから、極東の島国の住人にも響くんだ。
音楽ってのはそういうもの。
国境なんか簡単に超えてしまう。

emancipate yourselves from mental slavery
no but ourselves can free our minds

誰もが何かに囚われている。
解き放てるのは己のみ。
(もちろん意訳である)

そういうことだ。

1969

先日、久しぶりにrockin' onを買った(7月号)。
表紙で、非常に大胆な誤植(スペルミス)をやらかしていますな、しかも2箇所(笑
本屋で笑っちまったぞ。
歴史的なバンドの名や神と言われるギタリストの名なんだから、編集部の誰か気付けよ、ほんと。
昔、zeppelinのCDかなんかで、音楽好き小僧なら誰しも知っているキメのセリフ「to be a rock and not to roll」が、歌詞カード上で「to be a rock, natural」と誤表記されていたことがあって、脱力したことを思い出した。

で、久々のrockin' on。
中高生の頃はよく買ってたけど、最近は年に2回くらいしか買わなくなったな。
いつの間にか定価650円。広告少ないんだからしょうがないよな。
俺らが買ってた頃は、ブート屋の広告が死ぬほどあったもんだったけど。
今回は「1969年特集」だってさ。

いつだったか、rolling stone誌で「20世紀のロックアルバム100選」ってのをやってた時にも思ったけど、rockの名盤というと、ほとんどが60年代〜70年代。
自分が思春期を過ごした時代は80年代だが、当時の音楽シーンには、イノヴェイティヴな動きはあまりなかった。
ムーヴメントでいえば、スタカンあたりの、ニュー・アコースティック系と呼ばれるもんがあったりもしたけど、「ムーヴメント=社会現象(ファッションその他)にまで発展したもの」であるとするならば、ニュー・アコースティックをムーヴメントというにはちょいと過大評価に過ぎる。ニュー・アコースティックったって、元ネタは60年代だったりするし。だったら元ネタ聴いた方がより理解が深まるよな、なんて思い、中高生の頃、自分が生まれる前の60年代の音ばかり聴いていた。
80年代後半〜90年代に入って、シアトルからグランジ、英国からレイヴというムーヴメントが極東の国にも伝わってきて、ようやっと、自分の生きている時代の音を聴きたいと思うようになった。
古い音楽もいいし、普遍的なものもたくさんあるけれど、やっぱり今に生きているんだから、今のもん聴きたい。

まあ、そうは言っても。
ポップ・ミュージックの流れそのものを知りたいという探求心みたいなのは実に普通の欲求であし、昔のものを聴くことによって今の音楽とどう結びついているか、みたいな興味を持つのもあたりまえのことだし…というわけで、古い音楽にもいまだに興味がある。
今回、rockin' onを買ったのは、1969年という端境期であることもあるんだけど、その当時、すごいスピードで進化していたポップミュージックシーンを、現地の英国でリアルタイムで体験していたピーター・バラカンのインタビューが載ってたから買ってみた。
1969年から40年経つ。
俺みたいな、その後に生まれた世代が1969年の音楽シーンなんてものを語ると、妙に神格化してしまったり、知りもしないくせに適当なこと言って話を歪めたりしてしまいがちだけども、やっぱりリアルタイムで経験していた人の意見というのが一番面白いし信頼がおけると思う。

で、バラカン氏のインタビュー。
…ちょっと拍子抜けだったかな。
1969年に生まれてもいなかった自分からすれば、あのムーヴメントの中で生きていた人から、「69年当時、ワイト島のフェスとか、別にそんなに騒いでなかったように思うけど」とか言われてしまうと、ちょっと脱力する感もある。
が、逆にリアルにも感じた。
日本でも、よく「ビートルズ世代」とか括ったりするけど、そんなコトバも、当時を知る人たちに聞くと、後世のマスコミによる捏造だという意見が多い。そういうのと似ているのかな、と(ビートルズ好きなんてのは学校とかでクラスに2〜3人いればいいほうだったそうだ。武道館のコンサートの時だけ、ワイドショー的な報道が功を奏してか、異様に盛り上がっらしい)。
それに、バラカン氏だって当時18歳の少年だったわけで…18歳くらいだと、まあ、あんまし体系化して音楽を聴くようなこともないだろうし、情報源も今よりずっと少ないわけだから、名盤だらけの1969年の音楽を、結構漠然と聴いてた、っていうほうがむしろ自然かもしんない。
ピーター・バラカンという人がどういう人なのか、全然知らなかったんだけど、「大学行ってた」という発言でアッパーな階級の人であることがわかったのと、「プログレが嫌い。ツェッペリンも嫌い」というので音楽の趣向も大体わかった(笑)。意外に多いよな、そういう人。ちなみに俺は「ヘヴィ・メタル」が苦手(だけどハードロックは好き)。

1969年といえば、eaglesのhotel californiaの歌詞も外せないような。
「ホテル・カリフォルニアに来てみたら、“自らの企みによって囚われの身になった宿泊客”が毎晩着飾ってパーティをやっていた/ボーイにワインを頼むと“お客さん、そんなspiritは1969年以降置いてませんぜ”とたしなめられた/そこから逃げだそうとするものの、“チェックアウトは自由ですが、お客さんも永久にここを離れることはできませんよ”と守衛に言われ、自らも囚われの身であることを知った」
…要約すると、こんな歌詞だったか。
このアルバムが発表された1976年当時的な解釈をすれば、「ウエストコースト幻想の終焉」(ベトナム戦争も終わったし)。
巨視的に、普遍的に捉えるならば「アメリカン・ドリームとアメリカ時代の終末(の予言)」。
ポップな曲のせいか、耳障りのいい音だけが広まってしまっている感のある曲だが、詩はプログレっぽく、重い。
っていうか、今ふと思ったんだが、eaglesは、1stアルバムの「take it easy」から、ラストアルバムの「sad cafe」まで、メドレー状態で通しで聞くと、結構いろんなメッセージを含んでいるんじゃないか、などと思った。
だって、take it easyの歌詞とsad cafeの歌詞って、ホントに同じバンドが書いた曲なのかよ、ってくらい違うじゃん。正反対だもの。
つまり、eaglesという存在の変貌そのものが、ウエストコーストの終焉を具現化している、ということだな。
結構深いな、eagles。
よし、久しぶりに聴いてみるか。
しかし。
ウチのCDの棚のどこを探しても、eaglesの音源がないときたもんだ。
eaglesとか、beatlesとか、dylanとか、そういう基本的なアイテムって、自分で買った記憶があまりない。誰でも持ってそうなアルバムは、ほとんど借りてダビングで済ませてた。中高生の頃はブートに金を割いてたから、正規版ってあんまし買わなかったんだな。
しょーがない。新たに買いそろえるか…
でも、過去に一度聴いた音源を、今再び買いあさるってのも、なんか複雑な気持ちだ。
誰かに貸してもらお(汗

death letter

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忙しくてカンヅメとはこのことを言うのだな、と実感する毎日。
今年の秋は訪れが早く、西暦が変わってからは最も質のよい秋であると、晩秋好きの自分としては思っているのだが、そんな季節の移り変わりすら、あまり感じ取ることができない。
散歩の時間を削って仕事をするという、自分にとってはかなり精神的に厳しい毎日が続く。

自分と外界をつなげてくれるのは音楽くらいか。
毎年、秋の訪れはじめというのは、なぜか blues が聴きたくなる。
それも、わりと古めの、アコギ一本引き語り、せいぜい足してもブルースハープ、みたいなのがよい。
秋は jazz だろう、とよく言われるのだが、もちろんベタに bill evans の autumn leaves でもいいんだけど、今の自分にとっては、まだ jazz は気張って聴く音楽である(jazz を体系的に聴くのは40過ぎてからと14〜15歳のときになんとなく決めた。その理由書くだけでも面白いかもしんないけど、超長くなるんでヤメとく)。その点、blues なら自然体で聴けるからな。
自分の持ってる blues の音源をかけてもいいが、ネットラジオなら、忙しかろうが何しようがほっときゃ1日中流れてるし、自分の知らん音源も流してくれるんで、ここ数年、今時期はネットラジオで古い blues をかけっぱなし。

さっき、ネットラジオから son house の death letter が流れてきた。
思いつきで、自分の iTunes のプレイリストの中から cassandra wilson バージョンの death letter をかけてみた。
相変わらずこれにはやられるな。
古い曲を歌い継ぐ人というのは世間にあふれているが、古い曲をまるで自分の持ち歌であるかのように演れる人はそんなにいない。楽曲のカバーという範疇を超えているというヤツ。
この、death letter をカバーしたアルバム new moon daughter は、個人的にはもうちょっと寒くなってから聞きたい。
11月ごろ、木枯らし一号の寒風と共に。

なんて思ってたら、ついさっきから、東京は強い北風。
木枯らし一号がフライングしやがったのか。
風がビュービュー鳴いてる。
乾いた空気が重い。
この風の音、この風の冷たさ、この風の重さなら、new moon daughter を聴いてもよい季節、と勝手に判断。
仕事の手を休め、もっかい death letter を聴く。
深い。
なんか、仕事する気なくなっちまったよ。
今日はこれを子守歌がわりにして眠る。
…って、いいかげん子守歌ってトシでもないんだけどね。36のオッサンですから(汗

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わらびうた

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横浜は少々秋めいてきたけれど、相変わらず琉球音楽ばかり聴いている。ここんとこずっと聴いてるのがコレ。
去年、BS-1で、夏川りみが、琉球民謡「安里屋ユンタ」の原曲を探って旅するという番組の記事を書いたような気がするけども、その番組で、琉球は本土と比べて童唄(わらびうた、と読むんだろなたぶん)がやたらと多いってことをやっていて、「ふーん、そんなら聴いてみたいな」と思った。

番組見終わってすぐに、ネットで「沖縄 童唄」で検索してみようかと思ったが、やっぱやめた。
なんでもかんでもネットで調べて手軽に手に入れるのは俺の性に合わん。そういうのは実にくだらんことだと思っているんでな。

けど不思議なもんで、心の中で強く手に入れたいと念じたものは、意外にあっさりと手に入るものだ。
番組を見た翌々日、たまたまフラッと入った沖縄料理屋で、このCDが流れていた。
黒真珠(泡盛)呑みながら、店員の石垣美人に尋ねたところ、「島の童歌のCDって意外にないんですよ〜。今かけてるヤツは、ついこの前出たばっかりのヤツなんですけどね」とのこと。

翌日、ダメモトで某CD量販店に行ってみた。
売れ線のジャンルのみしか置いていないハズの量販店で、奇跡的にこのCDを発見。さすがにリリースしたてだから置いてたのか。

内里美香他2名(名前忘れスマソ)の、3人の若い今どきのウチナンチュの女子が、基本的に三線と琉球フルートと琉球太鼓と口笛のシンプルなバッキングのもと唄うという、そんだけの内容。
ちょっとピアノが入っていたり、ディレイ(エコー)の具合が気になるところもあるが、それにしても近年の、やたらに音数の増えた琉球音楽と比べれば極度にシンプルなバッキングといえる。
わらびうただけに、3人で唄っても、ハモりもなにもナシ。素人が唄の力量をはかりやすい「節まわし」もナシ。つうか、「さあ唄うぞ!!」と意気込んで思いきり節まわして唄ったら「童唄」とはかけ離れるわけだから、当然といえば当然か。
3人で唄って、ハモりなし&節まわしもナッシンで3人のオール・ユニゾンというのは、やってみればわかることだが、基礎歌唱力の力量がモロに出る。小手先のテクニックは通用せん(ハモりはゴマかしやすい部分もあるので)。

件の彼女等は、まるで姉妹か母娘のような、息の合ったユニゾンを聴かせてくれる。
それがこう、気負うでもなく、さりとて冷めているわけでもなく…なんかイイんだな、唄に対する距離感が。声質の違いのみの絶妙なハーモニーに、素直に感じるところがある。音楽ってのは、余分な贅肉をとるとこんなふうになるのかと、普段脂肪分の多い音楽ソースばかり聴いてるブタは考えさせられるところアリ…

…おっと、考えすぎはイカンぜ。
童唄なんだから、素直に感じられりゃ、それでいいんだ。
そういうもんでしょ、原初の唄ってのは。

ここんとこすっかり琉球トラディショナルソングの仲間入りをしつある「童神(わらびがみ)」も入っている。これは内里美香のソロ。
オリジナルの、古謝美佐子ヴァージョンがつくられたのが、かれこれ約10年前。
俺は全然知らなかったんだが、NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の主題歌だったらしく、その後、夏川りみがヤマトグチ(本土言葉)でカヴァーしたり、去年はbirdがカヴァーしたりしてた。
birdのは聴いてないけど、夏川のヤマトグチのヴァージョン(しかし、本土言葉にすると、とたんに唄の魅力がなくなるよな)や、花・花ヴァージョン等色々聴いてきた者としては、どれもシックリこなかったんだけども(オリジナルもストリングス入ってたりして違和感あったんだ)、このCDに入っているヴァージョンは、アレンジがシンプルで素晴らしい。
こんなシンプルなアレンジの「童神」を、ずーっと聴きたいと思っていた。
オリジナルの古謝美佐子ヴァージョンより、内里美香ヴァージョンの方が、voの伸びや艶やかさにおいて勝る。もちろん、オバちゃんらしい声質と声量で包み込むオリジナルのvoも捨てがたいけどな。

はずかしながら、「できちゃった婚」をしたヤツらの結婚のお祝いが何度かあり、その都度この唄を唄わせてもらったことがある。俺は三線持ってないんで、アコギ弾き語りだけどさ。いちお言っとくけど、俺はギターも唄もヘタクソなんだけども。
こういう唄は「巧く唄おう」とか思うとかえって逆効果。
普通に、親戚のコドモに子守歌唄ってんだよ俺は、くらいに、サラッと唄うほうが、曲の趣旨にあっていると思った。

とか、色々ムダに長い文章書いたが…
…うーん、俺のこんなつまらない文章じゃ、どうにもこのCDの良さは伝えられんな。
なのでこの辺でやめとこ。

ただ、初めて聴くときは、独りで聴くことをオススメする。
普段は封印されている記憶が解かれて感情が揺さぶられる可能性が高いと思うから。

うたんちゅ

あちいなぁ…毎日。
とは言いつつ、ここ10日ほどの俺は、どっかのblogのコトバを借りれば、わりと「引きこもり缶」だったので、けっこ涼しかったのだがな。毎日オモテで、文字通り「汗水垂らして」働いているヒトから言わせれば「ナメてんじゃねえぞコラ」と呼ばれそうな環境におりやす。
そのように、文明の利器の力に頼った涼しい部屋に引きこもりガシガシと仕事してるわけだが、それはそれで座りっぱなしによる椎間板ヘルニアやらPCのキーボードの叩きすぎによる腱鞘炎やらの持病を抱えるリスクもあるんで、どっちがイイとも言えないよな。
まあでも、俺は特に自然志向ではないが、文明にベッタリ頼った生活には違和感を感じるから(というより夏なのに人工的に涼しいというような不自然な環境にずっと身を置き続けることに身体が悲鳴を上げる)、意識して汗をかくようなシチュエーションにしてたりするが。といってもジムに行くとかジョギングするとかそういう大袈裟なアプローチは自分に合わないんで、もっと自然に普通にな。

話かわって。
若いころは、夏になると、レゲエやキューバなんかのカリブ海系の音楽聴いてた。そのあとはbossaとか。どれもツマミ食い程度で、体系化して聴いたりはしてねえけどな。
それらの音楽は、もちろんイイんだけども、なにかこう「自分の中の内なる何か」とは、ちょっと距離があった。
それと、加齢とともに、タイコのリズムが辛くなってきた。
若いときにはハードロックも聴いたし、人並みに chemical brothers とか rage against the machine とかも聴いたけど、俺は先天的には、リズム系ガンガンなサウンドは身体が受けつけない。小学校高学年から中学生の頃にかけて、自分にとってはウルサいロック系の音に対し免疫をつけようと、身体と耳を慣らして、後天的に聴けるようになったというタイプ。

というわけで、もともとは、あんましガシガシ主張しない、静かな音が好き。
あと、日本人度が高いのかどうか知らんが、海外の曲よりも、日本の土着の民謡とかが好きなんだ。
俺の血の中には、ロックの8ビートよりも、「エンヤ〜トット」のリズムが強く流れているようだ。
時代が恐ろしいほどの速度で変わりゆく現代にあっても、代々受け継がれてきた「血」というものは、そうそう変わるもんじゃないということか。そんなふうに思うと、古くさいものを愛でる自分というのに少し安心してみたりなぞする。

ここ10年くらい、真夏の間は、わりかし琉球音楽を、新旧問わず聴いている。
つうか、真夏の間は、それ以外の音楽は、自分に合わないんじゃないかというような思いが、歳を重ねるごとに大きくなってきている。

最近は自分の持っている音楽ソースをやっとこさデジタルデータ化しはじめたんで、iTunesのライブラリに「島唄」というフォルダつくって、琉球音楽を一日中ランダムでかけっぱなし。
おきなわはおきなわであって、文化的には日本ではない部分があるのだが、なんかなあ…三線の音と、あの独特なレラ抜きペンタの音階聴いてると、ナイチャーの俺すらも、遠〜い世界に連れてってくれるような気がする。

今、よなは徹の「汗水節(あしみじぶし)」がかかっているが、イントロの三線聴くだけで泣けてくるな。全部聴くとさらに泣けるが。
琉球コトバがあんましわからんのに、妙に感情を揺さぶる。英語がわからんガキの頃に洋楽を聴いてた聴き方と一緒。
この唄は、たしか戦前に作られた労働歌だったと思う。
沖縄の労働歌は本土のそれと違って、労働そのものの行為を唄にしてはいない。実はそこが一番のミソだな。
唄っている内容は、気負いもてらいもなく、今日も働き、無事に生活できることの素朴な喜び。
都会の、冷房の効いた部屋で、黙々とデスクワークなんぞしてると、ついつい忘れてしまいがちな、日々のありがたさ。
働くことがバカバカしいとか、なんのために働いているんだろうとか、いらぬ刺激を受けすぎて日々の些細に冷感症気味な現代の都会の飽食ブタは悩みがちだが、日々働けるということに感謝できる素直さはやはり大事なことのように思える。
サビの「シュラヨ シュラヨ シュラ 働かな」というフレーズ聴くと、「ヨシ頑張るぜバリバリ働くぜ金持ちになるぜ人の上に立ってやるぜ」とかいう気負った気持ちではなく、もっとこう普通に、「自分のペースでやりたいことをやっていきましょうや」などというふうに、素直に改心してみたりなぞする。

労働、か…。
琉球で労働といえば、江戸時代の、悪名高き人頭税を思い出す。
加えて、中国大陸との貿易の利益まで吸い上げようとした薩摩藩。
同化の名のもと、本土の言語を強い、島のコトバを奪ったヤマトンチュ(ナイチャー)。
大戦の時は本土の盾。
戦後はアメリカの統治下。
日本に返還されて30数年経っても、いまだに深刻であろう基地問題。
美しい景観とは裏腹に、地理的に(というか国境的に)重要な地域だというだけで、いつの時代も本土の盾になってしまう哀しい島々。

唄うしかねえよなぁ…そんなんじゃ。
呑み屋でつまんないグチ言うより、唄うほうがずっと美しい。
唄うということが、生きるということと同義な場所は、現代の日本ではおそらくおきなわだけだ。
ウチナンチュは、歌手のことを唄人(ウタンチュ)っつうんだったか。コトバの響きがイイので好き。

少し話が変わるが、ツーリングで、この島国国家をあちこち旅していると、海という行き止まりに遮られて行けない場所があることに気づかされる。そんなこと、普段は意識してないもんだろうけどさ。
青森をツーリングしたとき、龍飛崎や大間崎や尻屋崎から北海道を望むことは出来ても、そこへは渡れない自分に、もどかしさを感じた。
手に取れそうなくらい近くに見えるのに、そこへ渡れないというのは、意外に辛いもんである。
去年、やっと北の大地に渡ることができたときには、非常に感慨深かった。

青森ツーリングのときと同じ思いを、九州最南端の佐多岬でもした。
眼前に、種子島、屋久島、竹島、硫黄島などが見えているのに、自分はそこへは渡れず、宮崎発のフェリーで川崎港へ帰らなければいけないというジレンマ。
空しさなのかやるせなさなのかもどかしさなのか、あるいはそれらの思いが混然一体となったような妙な感情が去来。

そんな経験を経て、佐多岬から、船で、南西諸島とおきなわの島々を、ひとつひとつ、じっくりと時間をかけてまわってみたいと思ったのは、かれこれ数年前の話。
沖縄には、各地のツーリングで出会ったワタリ(※)のヤツらが結構生息しているらしいので、そいつらに会いに行きたいという思いもある。
それよりなにより、唄人に会ってみたい。

よし、来年か再来年、行くぞ、琉球。
…って、去年も書いたような気がするが(汗




※ワタリ=一年中、日本をツーリングしている者。主に現地でのバイト収入でガス(ガソリン)代・食費を稼ぐ(宿代は野営・住み込み等が基本なので無料と計算)。沖縄ではトウキビ畑関係等、北海道では秋味(鮭)の解体・コンブ漁関係等が代表的な収入源。そういう合法的なもののほかに、ヤバいバイトが色々あるが…ここではとても書けんのでパス。えっ…俺はやってねーって、いやホント(汗

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