marikoinuの ゆうごはん

うまくいくこともうまくいかないこともひっくるめて楽しもう!という気持ちだよ

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(つづき)
越川さんやイタリアの皆さんから預かったメッセージを被災地に届けて、被災された方々の力に少しでもつなげること、それが私のミッションになっていた。周りの方々の協力のおかげで、仙台の放送局の、震災関連の情報番組内で紹介してもらえるまでに至った。そのことだけで十分だと思っていたのだが、ふと越川さんのブログをのぞいてみると、あるファンの方がその番組を見てのコメントが書いてあった。

仙台放送で越川さんのメッセージが放送されていました、ありがとうございます、東北地方の復興のためにがんばります。

そんなコメントだった。イタリアで預かってきたメッセージが、実際に被災地に住む方に届き、その人が復興のための勇気を感じる。その様子を見た時、少しだけ役に立てたのかな、と思うことができた。
仙台放送のディレクターさんと話をした際に、メッセージを書いた模造紙そのものも受け取ってもらえないかと相談した。最初、ウチでお預かりしていいんですか?と恐縮されたが、私が持っていても誰の役に立たない、もし受け取っていただいて、お邪魔でなければどこか場所に貼っていただけたなら、見ていただく方に少しでも元気になっていただける、その方が越川さんの気持ちに沿っていると思います、と伝えると、喜んで受け取って下さった。

少しでも早く、そう思って送付の準備をする。会社からは多分先方行きの荷物もあるだろうから、会社のメールデスクから自分の荷物扱いで送ろうとすると、伝票を見て「仙台市ですか?これ今扱えないかもしれないな」との言葉が出た。そうか、震災当日からは少し経っていたが、まだ通じていないのか、そんなふうに思って心配していると、「あ、放送局か、だったら大丈夫です。お預かりできます。」と伝票に印を押してくれた。なんだかこの場面でもちゃんとつながるように準備されているような気がした。
数日後、仙台放送さんからメールが届いた。先方に届いたメッセージは、仙台放送さんの玄関脇の見やすい場所に掲出してくださったとのこと。DTPなどで美しくレイアウトというよりは、人の温かみが伝わるよう、手書きで、思いを込めて作って下さったことが、いただいたメール文面、報告用の写真から伝わってきた。その写真の中には、仙台放送さんが掲示してくださったイタリアから来たメッセージ、イタリアで発行された新聞紙面、紹介文を目を凝らして眺める老紳士の様子が収められていて、少しでも役に立てたかもしれないと、報われた気がした。

ディレクターさんとのアツいやり取りは続き、最後は番組のモニターを送って下さった。ウチにあるDVDデッキではみることができなかったのだが、それを見た時の私の驚きと感激はあまりに大きかった。1時間の震災に関する情報番組、それはあの状況下では被災者の皆さんにとっては生活を密接にかかわる情報を提供していた番組なのだ。その中で約2分ほどだろうか、映像素材などない中、そんな長いOA時間をよくぞとって下さったな、と恐縮し、また感謝の気持ちがこみ上げてくるのである。

送られてきたモニターは1枚だけだったが、自分の手元に置くのが忍びなくなった。たくさんの人に動いてもらって、つながってここまで来て、それでもここまで自分のやってきたことは自己満足ではなかったか、自分の虚栄心がどこかになかったか、誰かに評価されることを望んでやってきたことではなかったか。そんな思いに駆られることも多くなった。被災された方々はいまだつらい目にあっていて、自分はやれることをやった、なんて満足感に浸っていて、それはどうなの?もっと大きな支援をなし得ている人もたくさんいるのに、これをやったことで評価されようだなんて、何考えているのか。ずっとそう思っていたわけではないが、そんな思いも自分の中に芽生えていった。もちろん私がつなげることができたことも確かだけれど、結局は越川選手がいなければ成り立たなかった。だから、私がモニターを持っているのはただ満足しているように思えて、手放したくなったのだと思う。このモニターは、越川さん宛に送った。目に留まるか分からなかったけれど。(おわり)

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あれから3年。

突然のニュースだった。

2011年8月2日、そのシーズンから松本山雅に移籍してきた松田直樹が、練習中に倒れた、とのこと。

「心配かけてごめんな」そう言いながら、すぐに戻ってきてくれる、そう思っていた。

マリノスのサポーターさんが企画した3万羽の鶴を折るプロジェクトに、その夜から参加した。
絶対に、絶対に良くなる、良くなって、そう願いながら懸命に折った。
プロジェクトのTwitterには次から次へと、折り鶴の画像がアップされていった。


でも、多くの人たちの願いは届かなかった。
2日後の8月4日13:06、彼はこの世を去った。


あれから3年が経った。

今、その3日間のことを思い出して涙が出てくる程、悲しい、辛い出来事だ。

でも、それと同時に、彼が松本山雅を選んでくれたこと、
サポーターを愛してくれたこと、サポーターに愛されていたこと、
彼が彼独自の表現の仕方で表したサッカーへの強い愛情、情熱、
そして、その情熱がチームやサポーターへの心を動かしたこと、
彼が遺してくれたすべてへの感謝の思いが、胸に去来する。

だからこそ、彼が志半ばでなし得なかった願いを、
チーム、選手、サポーター、スポンサー、松本山雅をつくるすべての山雅ファミリーで叶えよう。

彼がみんなを鼓舞して、自分をも奮起させていたように、
私たちファミリーがお互いを鼓舞し合い、奮起させ合って、頂点をつかもう。


「松本山雅を全国区にする」

彼はいつも私たちを鼓舞している。
いつも私たちと共にいる。


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(つづき)
3/21パドヴァから
試合翌日、ホテルで朝ごはんを食べているとakiさんがやってきた。メッセージをどうやってどこに届けるのが得策か、一緒に考えに来てくれたのだ。昨夜の私では使い物にならなかったらしい(笑) ある意味朝から激論。そして、akiさんが、一件当てがあるかも、と聞いてくれることになった。
私はというと、なんか虫の知らせがしたような気がして、報告がてら実家に電話してみると、私をとてもかわいがってくれた大叔父が亡くなったとの知らせが入る。帰国した翌日に告別式があるとのことで参列することにした。
 
どこにどうやって預かったメッセージを送るか、いろんな方法を考えたが妙案が出てこなかった。夜、akiさんのお家に行かせていただいて、そこで日中に問い合わせてもらった内容を聞かせてもらったが、なかなかつながっていくのは難しいようだった。翌日、帰国の途に就く中、私も別の線をいくつかあたってみたが、そちらもつながらない。
 
そうこうしているうちに帰国(23日)。午前中の帰国だったためその日の午後を、作戦を練り直し、写真をまとめたり、経緯を文章にまとめたりする時間にあてた。正攻法で行く、これが結論。メッセージを写真に収め、このメッセージを送るに至った経緯とともに情報として宮城、岩手、福島の各県の放送局にメールで送り、その後メールした旨を電話で連絡するという手段を取ることにした。まとめたレポートにメッセージを写真に撮ったもの添付して各県の放送局に送った。特にCX系の局さんは、高校バレーに力を入れていることもあり、メールにそのことも盛り込んだ。代表の電話番号にかけ、情報としてこういう内容のメールを送ったのでぜひ見ていただき、ご検討いただきたい、それを全ての局に連絡した。
 
するとある局の制作の方から連絡をいただいた。仙台放送さん(CX系)だった。ぜひ紹介させていただきたい、うれしい返答だった。その後はメール、電話でやり取りを繰り返した。そしてそのやり取りのメールの中で驚くようなつながり、縁を感じた。電話をくれたディレクターさんは、かつて東北高校の取材をしていて、その時の最大のライバル校で、東北高校の三冠を阻んだのが越川選手がキャプテンを務める岡谷工業高校、そういう間柄でいつも越川選手と接点があったという。そういう経緯があり、ディレクターさんも強く縁を感じてくださった、とのこと。それを読んだ時の私ときたら、もう一文一文読み進む度に鳥肌の波が押し寄せる状態だった。翌日(3/24)の午前中は大叔父の葬儀だったのだが、ちょうどお昼前の情報番組の中でOAしてくださるということになり、ギリギリまで問い合わせの電話を受けていた。イタリア語の問い合わせも受けてそれには参った。(なんとか乗り越えたけどね)
 
こうしてイタリアからの思いを他の仲間の思いとともにまた人に託して、電波に乗せることができたのだ。人と人とのつながりの不思議さと確かさとダイナミックさを感じる出来事だった。
 

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(つづき)
320日、ぶっつけ本番当日
少し早めに目が覚める。気合と緊張と冷静の真ん中にいる感じで。
ユーロスターでパドヴァへ移動する。ホテルへ到着すると、あ、何度か来るakiの友達ね、みたいな感じで対応してくれ、少し早めの到着だけど空いている部屋を案内してくれた。
部屋に入ると少しだけ緊張感が解ける感じがして、昨夜いただいたおにぎりを一つ頬張り、荷物を解いた。洋服や化粧品などを出すのと同時に、この後会場に持っていく荷物を、段取りを確認しながらまとめていく。出発前、「とりあえず入れておこうか」と投げ入れたようなペンとかテープなどもあるので、どこに入れたか記憶を辿りながら、冷静とは到底言えないような心地の中で。途中、akiさんに電話、akiさんは頼りになる人だから、少し話すとそれだけでも安心する。後から来てくれるとのこと。それと今回の立役者の一人、Mさんから連絡をもらった。車があるからホテル近くまで迎えに来てくださることになり、3時に駅前で待ち合わせた。
一段落したところで、夜に備えて少しだけ横になる。眠れなくても体が少し休まればそれでいい。
 
Mさんとはメールではやり取りしたことがあったが、会うのは初めてだった。でもMさんもいろいろ考えてくれていたようで、打ち合わせがてら話をしていると、「シールみたいなの作ってみたの」「メッセージとかも集めない?!」「そのアイデアいいですね!」なんて遠慮なく言い合って、もうすっかり既知の間柄みたいな感覚になっていた。ParaFabrisまではあっという間についてしまった。
Marcoからは何も言われていないけど、とりあえず開いている扉から入って、Marcoに電話、「今行くよ」とのことで待つ。
“Ciao, Mariko!” 久しぶりに聞く声だ。「よく来たね。今回の震災のことは本当に残念だと思うよ」まずそう言ってくれた。「lotteria(=当たりくじ、今回チームが用意していた日本への支援イベントとして、越川さん提供の全日本ユニフォームやサイン入りグッズなどが当たるくじを販売していた。)を売る場所の横に机置いておいたから好きに使って」と言ってもらったので、あとは即興で、まさに好きにやらせてもらった。
Lotteriaを買ってくれた人への感謝の気持ちをメッセージとして会場に向けて貼る事、会場に来てくれた人から被災地へのメッセージを集める模造紙を貼る事、そしてLotteriaを買ってくれた人に日の丸の即席ステッカーをプレゼントする事、その3つを柱として展開した。
Mさんと少しずつ進めていると、akiさんが到着。またいろんな意見が出てきて話が進む、多少の女子トークを交えながら(笑)。くじがどのくらい売れるのか、どのくらい人がその場所に来てくれるかなど、なかなか事前に予測がつかない中で、打ち合わせをしながら、その場で決めながら急いで準備していく。しびれる時間帯だ。
akiさん、Mさんだけでなく、akiさんが声をかけてくれた在住の日本人の方々にも手伝っていただいた。手伝ってくださった方、皆さんイタリア語ができるので、私が伝えられないことを伝えてもらったり、楽しみながら手伝ってくれたようで本当に助かった。
当然のことながらイタリア時間が流れるここは、観客の入り時間もギリギリ。ということでくじを買う人の出足も最初は遅かった。メッセージを書いてもらう場所は少し離れたところに設定したので、くじ売場付近では様子が分からなかったこともあり、やや不安に。約300枚用意したステッカーが全部はけるかどうかのペースだったので、Marcoに会場アナウンスを入れてもらうようリクエスト。それが功を奏したのか、少しずつステッカーの減るペースが上がっていった。
実際にはモンタニャーニ監督を含むチームスタッフも全員貼ってくれたり、近くにいた子供たちにはプレゼントしたりと、実際の販売数との相違はあったものの、試合が始まって少しした頃にすべてのステッカーをプレゼントできた。会場の観客の様子を見ると、あちらこちらに日の丸を貼ってくれる人の姿が見えて、少しの達成感というかうれしい気持ちが芽生えた。
チームの方には、場所を提供していただくだけでなく、実際にスタッフの方全員が試合中に日の丸ステッカーを貼ってくださっていたし、ホームページに載せるように写真もたくさん撮影していただいたようだ。
 
始まってしまえばあっという間、イタリア語が話せる皆さんに前面に出てもらって、私はせっせこステッカー作りと、全体を見回すこと、Grazie!と言うこと、くらいしかできなかったかもしれない。さらに試合前には全部を配り終えていなかったが、「marikoさんは試合見た方がいいよ」とakiさんに言ってもらい、申し訳なさも感じつつ残りを託したり、メッセージの回収をお願いして試合を見せてもらった。
 
そうそう、この日、日本からパドヴァにある方が越川さんの試合を観に来ていた。当時の男子日本代表監督の植田氏。それを聞いたら貼ってもらうしかない。ということで、試合直前に植田さんが社長と観ているところまで走って行って、胸元に貼らせていただいた。(当日の写真を保存されている方はぜひチェックを!)社長も日本人がイベントをサポートするようなイベントをしていることを喜んでいてくれたようだ。大変失礼ながら、フェイスペイント代わりに、小さいシールをほっぺたに貼らせていただいた(笑)
 
・・・試合を観ていると言っても、今思い出すと興奮していたり疲れが出始めている時に見始めたから、あまり覚えていないな。会場がとても盛り上がっていたのは覚えている。さすがセリエA2随一の観客動員数を誇るだけあった。あの自然発生的にみんなが声を合わせる5拍子のPadovaコール、なつかしいな。試合は3-0Padovaの勝利。(今調べた)この日は勝つことが本当に重要だったと思う。
試合後は、抽選会。そしてそれが終わると越川さんのところにたくさん人が集まっていた。いつも越川さんにはたくさんのファンが駆け寄っていたが、この日はいつにも増して多かったように思う。ひとしきりファンが散って行ったあとで、私たちも時間をもらう。
とりあえず今回やったことを簡単に説明して、メッセージを書いてもらった。そして答えにくいかもしれないが、と前置きをした上で聞いてみた。いろんなところにはこのメッセージを届けられないと思うので、あえて選ぶとしたらどこに送りたい?そう聞くと、彼は少し考えて、宮城県かな、と。高校バレーが盛んなところで、自分が対戦したチームもある。あえて選ぶとしたら、そうですね、と。分かった。じゃあ責任持ってどんな形かで必ず届けるね。そう約束した。
 
とりあえず終わった。腑抜けた。
 
(つづく)
 

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(つづく)
3/19、ミラノで友人と
余談だが、以前ミラノに泊まった時のホテルはなんだか薄暗い寂しげなホテルで、さらに隣にクラブがあったらしく、夜中もうるさいというかなり悲惨なものだった。コーチングで一緒になった仲間のカツさんがミラノに住んでいたことがあるらしく、その後にたまたま同じホテルに泊まったことがあり、「あれはひどい」という評価を二人で同時にハモった。
そんな事があったので、その友人の伝手でミラノのホテルを探してもらい、今回はそこにした。ベッドに横たわると、地震が起こってからの緊張から少し解放されたような気がして、深く息をしていた。
 
おっと、電話電話!帰りの便について確認を取らねば。
コールセンターには予想通りなかなか繋がらない。仕方なく、東京のコールセンターへ国際電話。それで何とか繋がった。まあ、状況が変わることはなく、暗にKLMのスタッフが日本への便を避けたがりスタッフが集まらず、減便により時間が変更になったらしいことが伝えられただけだった。
 
街へ出かける。まずは何となくドゥオモへ。やはりミラノに来たら、そのことを実感したいから足が向く場所。荘厳なたたずまいに背筋がぴんと伸びるのを感じる一方、観光客の自分に時々向けられる押し売りの声のめんどくささ、その両方を味わって、それから行動する。
自分用と、先輩に頼まれた手袋を買いに行く。観光客がごった返す通りに面したお店だが、店内に入るとなんだか静かだ。奥にも商品が並んでいるのが分かって、静々と進むと、「こんにちは〜」と声をかけられた。日本人スタッフだ。少し安心する。いくつか見繕ってもらいながら話題に上がるのはやはり震災の状況について。彼女は原発関連業務の会社に勤務していたことがあり、その時の同僚のことをひどく心配していたし、自分のしていた仕事が関係していることで、罪悪感までいかないけれど、モヤモヤした気持ちを持っているようでもあった。それなりの時間、話を聞いたこともあり、お店を出る時「少し気持ちが楽になった気がする」と彼女は私に言ってくれた。
 
翌日のイベントに向けて、何か足りないものがあるのではないかと思い、ステーショナリーなどを売っているお店を探して歩いたが見つからない。足が棒のようになるとはこのことかというほど歩いた。後から考えれば、郊外のホームセンターみたいなところでないと、探し物は見つからなかったかもしれない。
夕食は、ミラノ在住の友人、前回ミラノに来た時にブログから質問させてもらってその後実際に会って気が合ったleikさんと一緒に、前出のホテルを探してくれたカツさんがミラノに住んでいた時に懇意にしていた日本料理屋に行った。越川選手もミラノに来ると立ち寄るお店で、ブログでも紹介していた。
 
leikさんの旦那さんの車で送ってもらい、一見分かりにくいお店の入り口を入ると、一気に雰囲気が変わった。広めの造りの中2階、お店全体が見えるような2人席に通された。
leikさんとは久しぶりに会ったが、なんだか途切れることなくいろいろ話していた。今回やろうとしていることはもちろん、夢、将来像などを語ったり、leikさんからイタリアでの生活のあんなことやこんなことを聞いたり。時間はあっという間に過ぎていった。
少し遅めの時間になると、お店の奥さんらしき人が席に来たので、カツさんから頼まれたものを持ってきたことを伝えると、奥さんは大切なことを思い出すように「そうですか、○○さんの」と言った。週の半分はお店に来ていて、いつも決まった席で3,4人で飲んでいたこと、時には家まで送っていったことなど、それは懐かしそうに話してくれて、その決まった席ももちろん案内してくれた。面倒見のよいご夫婦で、カツさんが頼りにしていただろうことは、容易に想像できるような人柄の方々だった。そこでも翌日にしようとしていることを伝えたら、帰りにはなんと励ましのおにぎりを作ってくれて持たせてくれた。本番を目前に、気合をいただいて帰るような気がした。
 
お店には、行きも帰りもleikさんの旦那さんが車で送ってくれた。それも、私が探しているものをleikさんに相談していたので、それを聞いた旦那さんが、代用できそうなものを私たちが食事している間にオフィスから持ってきてくれて、ホテルまで送ってくれたのだ。感激!私のやろうとしていることを応援してくれてサポートしてくれて、あー、なんと出会う人に恵まれた旅なのだろう。ホテルまで送ってもらった別れ際も、leikさんはほとんど涙ぐみながら、私がホテルに入っていくのを見送ってくれた。そんなにも思ってくれるleikさんの存在に、目に水を溜めながら部屋に戻った。

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