天守からの眺めは・・・
こんな感じでした♪ で、景色も楽しんだので、天守を出ようと階段に行ったら・・・
このおじいちゃんかなり無理してた。 見ているこっちが大丈夫かと思うほど。 以上、掛川城でした。
行きに気になっていたお土産屋さんに寄ってみた。
以上、2泊3日のお城巡りでした♪♪♪
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【日本百名城】
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御殿の出口付近には・・・
御殿の中はこんな感じでした♪ では、外に!
いよいよ天守へ!!! 天守へ行く途中には・・・
櫓があった。 今ある建物は、嘉永7年(1854)の大地震以後に立てられた太鼓櫓。 時刻を知らせる太鼓を置いていた櫓。
調査では、建物跡はわからなかったが、柱穴や礎石が見つかった。 城がつくられる以前は、墓地であったことがわかった。
天守へ向かおうとしたら、小学生くらいの団体(50人くらい)がきて、 「うぎゃー、うおー!ぎゃーぎゃー」 って、騒いでいた。 (o@>Д< oその後、その団体は天守へ入って行った。 天守の中から騒ぎ声がする・・・ ハァ〜・・・ヤダナァ〜 花壇が綺麗だったので、このあたりでガキンチョがいなくなるまで、 ゆっくりしてた。 待つこと30分。 やっといなくなったので、天守へ上る。
掛川城に初めて天守閣がつくられた。 しかし、嘉永7年(1854)の大地震で倒壊し、幕末の混乱の中取り壊された。 平成5年(1993)、城絵図や古記録を元に木造により復元され、 140年ぶりに再建された。 天守閣は、外観三層、内部四階から成る。 六間*五間(約12m*10m)の天守閣本体は決して大きくはないが、 東西に張り出し部を設けたり、入口に付け櫓を設けたりして 外観を大きく複雑に見せている。
天守は目の前!
この時、井戸から立ち込めた霧が城をつつみ、 家康軍の攻撃から城を守ったという伝説がある。
では、中へ! つづく・・・
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藩政の中心となる諸役所と、城主の公邸が連結した建物。 書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、 各室には襖によって仕切られる。 文久元年(1861)に再建されたものだが、現存する城郭内の御殿としては、 京都二条城など全国でも数ヶ所にしかない貴重なもの。 明治2年(1869)の廃城後は、学校、市庁舎などに転用されたが、 昭和47年(1972)から昭和50年の3年間にわたって保存修理され、 国の重要文化財に指定された。
では、中に!
他にも・・・
によって築かれた天険の要塞だった。 今川家の滅亡後は徳川家康の家臣石川家成・康通父子が守将となっていた。 この当時の掛川城は、瓦はおろか石垣すらない軍事目的に徹した中世城郭だった。 しかし一豊は、掛川城に入封すると、この軍事一辺倒の中世城郭を、領国経営の拠点として 大改造する。 一豊は前任地の長浜で、その近世的城郭建築の築城技術を目の当たりにして 知識も豊富であったといわれている。 逆川の水運を利用し、東海道をも城下町にとりこむなど、城下町の建設に力を注いだ。
龍尾神社に奉納される。 その名の由来は、瓦町がなまったとも、獅子の鐘の音や、かんから太鼓を使ったから等、 諸説伝えられている。 一人立ちの3匹獅子舞で、獅子にはそれぞれ「龍」尾「山」の名前があり、 「龍」「尾」が雄で、「山」が雌。 舞は「道行」「三角舞」「本舞」「戻り三角舞」「戻り道行」による構成で、2匹の雄獅子が 1匹の雌獅子を求婚して競い合うが、神前で和合するという筋立ての内容を演じている。 腰を低くして踊る天は、他地域の3匹獅子舞と共通しているが、 獅子の側転が演じられるのは他にない特徴。
そして、ちょっとびびったのは・・・
3名の首級の肉を剥ぎ、髑髏にすると箔濃(はくだみ・漆をかけ、金箔を張る)にして 家臣に披露する。
つづく・・・
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犬山城⇒岐阜城⇒名古屋城⇒岡崎城⇒長篠城と巡り 最後は静岡の掛川城! 功名が辻の人で有名な場所だ。 では・・・
このからくり時計は、殿様行列の先頭にいる奴さんを表しているそうだ。
帰りに寄ってみようっと♪ お城はもうすぐ近く!
で、掛川城に到着♪
掛川古城を築いたことに始まる。 永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となった。 永禄12年(1569)徳川家康がここに立てこもった今川氏真を攻め、 長期にわたる攻防の末、掛川城は開場。 家康の支配下に入った掛川城は、甲斐武田の侵攻を防ぐ拠点となった。 天正18年(1590)豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げ、脅威であった 徳川家康の領地を関東に移した。 さらに、家康の旧領地に秀吉配下の大名を配置し、 掛川城には山内一豊が入った。 一豊は、大規模な城域の拡張を行い近世城郭として整備し、 この時初めて天守閣をつくった。 その後、掛川城は、松平家・太田家など徳川譜代の大名11家26代の 居城として、明治維新まで続いた。
天守に向かうのを我慢して周辺から散策!
十露盤堀という名勝の由来ははっきりしないが、水がたまった部分が そろばんの箱のように見えることがその由来と考えられている。
つづく・・・
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スタンプのある史料館が開いたので、スタンプをゲット! 史料館の入口には鳥居さんの無残な姿が・・・
次の電車までかなり時間があったので、周辺を散策してみることに。
さらに進む・・・
所々に民家があって、家の中が丸見えで、 その家の生活が眼に見えるようだった。 縁側でくつろいでいる感じ♪♪♪ 少し羨ましく感じた。 どしどし進む・・・ 長篠城からブラブラ歩ること、約20分。
自然っていーな。。。 綺麗な景色を見終え、一つのポイントへと移動。 途中に・・・
さらに進んでいくと・・・
お墓の前で貼り付けのポーズをしようかと思ったけど・・・ 仲間思いの勇敢な戦士の前では、することが出来なかった・・・ これにて長篠城見学終了!!! で、駅へと進む道端に・・・
以上、長篠城でした♪ |
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