未知との遭遇(心と体の健康管理)

人生は出会いと選択で決まる(PPKを目標に自分の健康管理に挑戦しています。)

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崇台山 その4

2011年1月3日 晴天なり。
 
崇台山に再び登りました。今度は安中市側からです。
安中市上間仁田の学習の森付近(地元の人に聞かないと判らないと思います)にある登り口からです。
このコースは地元の方に教わりました。
 
9時15分に登り始めて9時27分登頂(私の足で13分)下山には8分を要しました。
歩数は3000歩位でした。富岡市側から登ると35〜40分(6500歩)ですから約半分の時間と歩数で登れます。
 
  【ただし、富岡市側からは車(軽か小型車)で頂上近くまで行けます。其処からなら5分掛からないで
  頂上に登れると思います。
  また、車から降りて頂上までのコ−スは丸木の階段が設置されてありますが鉄の杭が出ていますので、
  足元には御注意下さいね。(岩盤があるため鉄の杭を十分に打ち込めないのです)
  また、ロープを張ってあるコースがありますが転び易いのでお勧め出来ません。】
 
それから、地元の人の案内で安中市上間仁田から富岡市側の長学寺への道を教わり、上間仁田に戻りました。(約5000歩)
合計8000歩の散歩となりました。
 
 また、学習の森の道路の北側に『とねりこ』という駝鳥(ダチョウ)料理の喫茶を発見しました。
電車(客車)が喫茶ルームのようです。入って見ようかと思いましたが、営業は1月5日(水)からでした。
 
ダチョウは地元で飼育している様です。他にもランチメニュー(11:00〜14:00)があるようです。
営業時間は11:00〜20;00(17:00〜20:00は予約要)
定休日は毎週火曜日(第2、第4は火水連休) TEL・FAX 027ー382ー7344
西上州に御出での際に如何でしょうか!
県立自然史博物館(もみじ平公園)からも近いですよ。

信仰の土台

 与えられた神の恵みによって、
私は賢い建築家のように、土台を据えました。
そして、ほかの人がその上に家を建てています。
しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
 
 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、
ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリストです。
 
                          第一コリント3章10〜11節
 
キリスト者の信仰と生活の『唯一の基準』は主イエス・キリストご自身のご意志(御旨、みこころ)である。
つまり、キリスト者の『善』とは主のご意志に適うことであり、『悪』とは主のご意志に反することである。
 
ただ、残念ながら、現在は主を直接見たり、手で触れたり、耳でその声を聞いたりすることはできない。
今日の私たちが主イエス・キリストのご意志を知る方法は聖書66巻である。
 
今現在地上に置かれている私たちには『聖書』こそ主イエス・キリストのご意志の表現であり、信仰と生活の
『唯一の基準』なのである。
 
その様な訳で、私たちは基準を知り、正しく理解した上で従うべきである。
 
 *土台とならないもの
 第一コリント1章12節
パウロやアポロ、ペテロ、また今日の宣教師や牧師などを土台とするのではなく、主イエスキリストのご意志は
私たちが聖書によって養われる事なのである。
そのために、宣教師や牧師は聖書を語るのである。(聖書そのものを語るのであり、私的解釈を語る者は
悪人である)
 第一コリント1章20節 
ギリシャ哲学、ユダヤの学問(ミシュナーやタルムードの伝統主義はイエスの十字架を拒んだ)
議論家(ロ−マの政治家は雄弁な代弁者を雇い、自分の口下手を補った)
 
 日本にキリスト教が入ってきた時にも、仏教的キリスト教、神道的キリスト教、儒教的キリスト教、
社会主義的(マルクス・レーニン主義的)キリスト教、人道主義・ヒューマニズム的キリスト教などが
土台となる思想・信条が形成されたと思われる。
 これからも、新しい偽物の土台が現れるだろう。(ポストモダン的キリスト教と言うらしい)
 
 私は若い時にキリスト教会に足を踏み入れた。
その教会は『聖書を正しく理解しよう』をスローガンにしていた。
しかし、実体は私的解釈のオンパレードであった。牧師の役割を果たす方が居なかったのである。
信仰は熱心さと情熱で支えられていたと言える。
今、思えば無牧状態であった。
私もその中で聖書を学んだので、神秘主義的傾向が強かった。それに、私の生まれ育ちから来る信条や思考があった。挫折するのは時間の問題であった。(挫折したから不幸中の幸いであった。)
羊に譬えるなら満身創痍の羊となっていた。(奉げものにはならない羊である)
 
しかし、主イエス・キリストが身代わりに捧げられたことで私の罪が赦され救われるという真理の再確認が成った。
また、古代ヘブル語や古代ギリシャ語から聖書を学ぶ人に出会った。
キリスト教史、聖書解釈学、聖書教理、組織神学などのセミナーに仕事の合い間に出て聞く事が出来た。
以前の教会ではそれらのものは悪魔の業とされて否定されていたのである。
『聖書、聖書のみ』ということであったのだが、しかし、その聖書とは文語訳とか口語訳であり、つまり和訳された聖書である。文語訳しか聖書と認めない人々もいた始末であった。つまり、以前の教会は福音伝道に熱心であったが、その聖書解釈には私的解釈がちりばめられていたというのが実体であった。
(熱心ではあったが急ぐ余りに自分たちの信仰の土台についての聖書知識を無視していたのであった)
50才に近づく歳になって、病気で仕事ができない中で、その事に気づかされた事はとんでもない挫折であった。
自殺しても不思議ではないショックであった。
 
鬱病とパニック障害と診断された。生活習慣病も可也やばい状態に落ち入っていたようである。
元来、甘いもの好きで食品複合添加物と糖分が大好きな体になっていた。
 
 私には『悔い改め』と『食い改め』の後半生が求められた。人生たそがれ時になって老後の備えも無い状態であった。それでも、ともかく生きることにしたのである。
そうすると、様々の人々との出会いが待っていた。
食事改善の専門家や医師、PCの基礎を教えてくれる人、病院ではブログをすすめる患者にも出合った。
その様な訳で、此処に書き込んでいる私が居るのである。
 
ただ、体の健康ばかりにかまけて、聖書の方が疎かであった。
(まあ、それだけ体が老いていたのでもあるが、、、、。)
2011年からは1週間毎のプログラムをよく考えて時間を大切にしてゆこうと思っている。
今年はチデジカでテレビが変わるようである。これを機会にテレビとは縁を切るかもしれない。
新聞もほとんど読まない。
健康問題もあるので教会の奉仕も参加すれば迷惑をかけかねない、教会には礼拝で語られる聖書のことばを聞きに行く、そうすれば祈りの課題も判るだろう。
ともかく身の程を弁えた教会生活をして聖書に親しむことから新年を歩み出したいと思った。
 
@@@ あれ、朝の5時だと思って起きたのに、未だ明るくならない?
     ええ!!未だ2011、1、3‐00:54ですよ。(時計の電池を取り替えなければ!ゼンマイ式の柱時計が      懐かしく思い出されました。)
     今日は新年の挨拶に行く所があるので、もうひと寝入り致します。御休みなさい、、、、。
 
 
 
 

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