未知との遭遇(心と体の健康管理)

人生は出会いと選択で決まる(PPKを目標に自分の健康管理に挑戦しています。)

聖書のある生活

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信仰の土台

 与えられた神の恵みによって、
私は賢い建築家のように、土台を据えました。
そして、ほかの人がその上に家を建てています。
しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
 
 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、
ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリストです。
 
                          第一コリント3章10〜11節
 
キリスト者の信仰と生活の『唯一の基準』は主イエス・キリストご自身のご意志(御旨、みこころ)である。
つまり、キリスト者の『善』とは主のご意志に適うことであり、『悪』とは主のご意志に反することである。
 
ただ、残念ながら、現在は主を直接見たり、手で触れたり、耳でその声を聞いたりすることはできない。
今日の私たちが主イエス・キリストのご意志を知る方法は聖書66巻である。
 
今現在地上に置かれている私たちには『聖書』こそ主イエス・キリストのご意志の表現であり、信仰と生活の
『唯一の基準』なのである。
 
その様な訳で、私たちは基準を知り、正しく理解した上で従うべきである。
 
 *土台とならないもの
 第一コリント1章12節
パウロやアポロ、ペテロ、また今日の宣教師や牧師などを土台とするのではなく、主イエスキリストのご意志は
私たちが聖書によって養われる事なのである。
そのために、宣教師や牧師は聖書を語るのである。(聖書そのものを語るのであり、私的解釈を語る者は
悪人である)
 第一コリント1章20節 
ギリシャ哲学、ユダヤの学問(ミシュナーやタルムードの伝統主義はイエスの十字架を拒んだ)
議論家(ロ−マの政治家は雄弁な代弁者を雇い、自分の口下手を補った)
 
 日本にキリスト教が入ってきた時にも、仏教的キリスト教、神道的キリスト教、儒教的キリスト教、
社会主義的(マルクス・レーニン主義的)キリスト教、人道主義・ヒューマニズム的キリスト教などが
土台となる思想・信条が形成されたと思われる。
 これからも、新しい偽物の土台が現れるだろう。(ポストモダン的キリスト教と言うらしい)
 
 私は若い時にキリスト教会に足を踏み入れた。
その教会は『聖書を正しく理解しよう』をスローガンにしていた。
しかし、実体は私的解釈のオンパレードであった。牧師の役割を果たす方が居なかったのである。
信仰は熱心さと情熱で支えられていたと言える。
今、思えば無牧状態であった。
私もその中で聖書を学んだので、神秘主義的傾向が強かった。それに、私の生まれ育ちから来る信条や思考があった。挫折するのは時間の問題であった。(挫折したから不幸中の幸いであった。)
羊に譬えるなら満身創痍の羊となっていた。(奉げものにはならない羊である)
 
しかし、主イエス・キリストが身代わりに捧げられたことで私の罪が赦され救われるという真理の再確認が成った。
また、古代ヘブル語や古代ギリシャ語から聖書を学ぶ人に出会った。
キリスト教史、聖書解釈学、聖書教理、組織神学などのセミナーに仕事の合い間に出て聞く事が出来た。
以前の教会ではそれらのものは悪魔の業とされて否定されていたのである。
『聖書、聖書のみ』ということであったのだが、しかし、その聖書とは文語訳とか口語訳であり、つまり和訳された聖書である。文語訳しか聖書と認めない人々もいた始末であった。つまり、以前の教会は福音伝道に熱心であったが、その聖書解釈には私的解釈がちりばめられていたというのが実体であった。
(熱心ではあったが急ぐ余りに自分たちの信仰の土台についての聖書知識を無視していたのであった)
50才に近づく歳になって、病気で仕事ができない中で、その事に気づかされた事はとんでもない挫折であった。
自殺しても不思議ではないショックであった。
 
鬱病とパニック障害と診断された。生活習慣病も可也やばい状態に落ち入っていたようである。
元来、甘いもの好きで食品複合添加物と糖分が大好きな体になっていた。
 
 私には『悔い改め』と『食い改め』の後半生が求められた。人生たそがれ時になって老後の備えも無い状態であった。それでも、ともかく生きることにしたのである。
そうすると、様々の人々との出会いが待っていた。
食事改善の専門家や医師、PCの基礎を教えてくれる人、病院ではブログをすすめる患者にも出合った。
その様な訳で、此処に書き込んでいる私が居るのである。
 
ただ、体の健康ばかりにかまけて、聖書の方が疎かであった。
(まあ、それだけ体が老いていたのでもあるが、、、、。)
2011年からは1週間毎のプログラムをよく考えて時間を大切にしてゆこうと思っている。
今年はチデジカでテレビが変わるようである。これを機会にテレビとは縁を切るかもしれない。
新聞もほとんど読まない。
健康問題もあるので教会の奉仕も参加すれば迷惑をかけかねない、教会には礼拝で語られる聖書のことばを聞きに行く、そうすれば祈りの課題も判るだろう。
ともかく身の程を弁えた教会生活をして聖書に親しむことから新年を歩み出したいと思った。
 
@@@ あれ、朝の5時だと思って起きたのに、未だ明るくならない?
     ええ!!未だ2011、1、3‐00:54ですよ。(時計の電池を取り替えなければ!ゼンマイ式の柱時計が      懐かしく思い出されました。)
     今日は新年の挨拶に行く所があるので、もうひと寝入り致します。御休みなさい、、、、。
 
 
 
 

聖書の目的

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
 
聖書はすべて神の息吹きによるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 
それは、神の人が、すべての良い働きのために相応しい十分に整えられた者となるためです。
 
                                     Ⅱテモテ 3;15〜17
 
聖書の目的について、パウロは二つのことを挙げている。
 
 一つはキリスト・イエスに対する信仰による救いである。救いは行いや修行によって得るものではなく、
神の恵みである。このような恵みによる救いは、真面目(?)な青年ほど理解に苦しむらしい。
 
もう一つは、救われた人が、その立場に相応しく成長することである。
 
 
古来より、キリスト教の偽者が後を絶たない。
 
今日、モルモン教や統一教会やエホバの証人が偽キリスト教であることは一般常識ではあるが、
 
彼らの教祖様はキリスト教会のメッセージや聖書を学んで独自の宗教を形成した人々である。
 
ならば、クリスチャンだと思っている貴方は大丈夫でありましょうか?
 
知らぬ魔に!新しいキリスト教の異端を形成し始めてはいませんか?
 
特に日本人は危ない民族だと思います。騙され易いのです。
 
なんだかね、、、、。
 
あわてず、あせらず、聖書に取り組みませう。
 
 

不老・長寿の木

神である主は仰せられた。
『見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。
今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。』
 
そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
 
こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る
炎の剣を置かれた。
 
                                           創世記3章22〜24節
 
 
 生物学的な死を克服しようと人類は悪戦苦闘をしている。
臓器移植もその試みの一つでありましょう。
遺体を冷凍保存して医学の進歩を待つ試みもあります。
クローン技術や自分の細胞で新しい体を造ることも研究されているようです。
それらは、いのちの木への道プロジェクトと言えるかも知れません。
 しかし、人類が不老・長寿の木を見出したとしても、、、、。
 
事態は何も変わらないと思います。むしろ、人類は最悪の世界を形成して行くだけでありましょう。
 
何故なら、神様との関係においては死んでいるのですから!!!
 
私たちが健康であることに御金を注ぎ込む努力は大変なものです。
日本の健康産業は大きく発展を遂げて来ています。
 
しかし、神様との関係における心の健康には関心がなさそうですね。
本当はそこが問題で人類は苦しんでいると思うのですが、、、、。
 
人類が神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡されたと聖書は告げています。
                      (ローマ書1章参照)
 
先日、ある患者さんがA先生の処方を拒否!ケースワーカに相談しました!
結果はB先生が担当することになりました。
A先生の処方は正しいと私は思ったのですが、患者さんは効果を早く望んだのです。
そこで、病院としては患者さんの言い分を受け入れて、薬を増やしたのです。当然、副作用を抑える薬も増やしました。
さて、明日はC先生(内科)が担当です。これからは、B先生(精神科)とC先生(内科)の共同作業となります。
A先生の処方は正しいと私は今でも思っています。
 
しかし、患者さんの言い分を聞きつつ、患者さんを助けるにはバックステップも一つの方法かなと思います。
A先生の処方を知ろうとしたがらない患者さんの言い分は、神を知ろうとしたがらない人類の態度に似ている様な気がいたしました。たぶん、D先生(循環器)の助けも必要になるでしょうね、、、、。
 
さてと、時間切れです。此処までです。(睡眠時間です!)
文章としては完成していないのですが、時間です。
何時の日か、私の生物学的な死が訪れる時、ミカタロウさん時間ですよ!と天使に言われるのかな?
不老・長寿の木よりも早く天国に行きたいですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

良い知らせ

すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
 
主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。
 
まことに、民は草だ。
 
草は枯れ、花はしぼむ。
 
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
 
                           (イザヤ書40章6〜8節より抜粋)
 
預言者イザヤの時代はイスラエル北王国がアッシリヤにより滅ぼされた頃から始まっているようである。
 
イザヤは南ユダ王国の預言者である。
南ユダ王国のヒゼキヤ王は隣国が滅びた事に脅えたと思われる。
 
イザヤ書は第5の福音書と呼ぶ人もいる。其処には希望が預言されているからである。
しかし、南ユダ王国もアッシリヤを滅ぼしたバビロンによりバビロン捕囚となる。
 
そのバビロンもペルシャに滅ぼされて、ユダの民は奇蹟的に南ユダの地に帰還できる事になる。
 
(時間がないので此処で休止)

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聖書そのものを教えてくれる学校
 
『この学校では、何も身に付くことは教えていません。
 
ただ、聖書の読み方を教えています。
 
兄弟がご自身で聖書を読んで得たこと、それを語れば良いのです。』
 
 
                                 (舟喜順一)
 
舟喜順一先生が2010年4月26日に召天されていた。
 
12〜3年前に初対面でネヘミヤ書の講義を聞いて以来のご無沙汰である。
 
私は闘病中の身で睡魔と闘いながら聞いていたことを思い出す。
 
仕事のために月月火水木金金の生活の末に会社からリストラされて、
 
心も体もボロボロの状態であった時に舟喜順一先生に遭えたことは幸いであった。
 
舟喜順一先生については予備知識も殆んど無かった。
 
聖書神学舎の教師陣の幾人かに遭えたことは私にとって幸いであった。
 
短期間の聴講と交わりは『詩篇23篇』を味わうような時となった。
 
私はその後、闘病生活に専念することになるのだが、その前に舟喜順一先生に遭えたことは
 
主の恵みであった。
 
 
 
 

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