☆キラキラ日記☆

皆さんとこ訪問出来ずにすみません。

過去の結婚生活

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初めての通院

私は慣れない子育てに疲れてしまっていた。

抱っこして寝たと思って寝かせると泣き出す。

そんな日が、毎日続いた。

育児ノイローゼになり、この子を泣きやます方法ってあるの?!って思っていた。

ニュースには虐待による幼児死亡のニュースが流れるたびに私も・・・。

泣きやまない娘のほっぺたを叩いたことが何度かある。

そして泣きやまない娘にタオルをかぶせ、自分も布団にもぐった。

そんなことが何度も続いたため、もうこの子を殺してしまうかもしれないという不安から

精神科を初めて受診することになった。

内容を一通り説明して、このままでは私もニュースにでるような虐待ママになってしまう。

そう話すと医者はこう言った。

『大丈夫ですよ。あなたはこんなにも娘さんのことを思っているでしょ。』

『ニュースに出ている人みたいにはなりませんよ。』

その言葉が私を安心させた。

その時、薬をもらったかどうかは分からないが心は穏やかだった気がする。

私はそれが最初の通院日。

あの時は、今の状態になるなんて考えもしなかったころである。

幸せな時間

駆け落ち当然で家を出て2り暮らし。

一緒にいれるだけで幸せ。

他人にどう思われようと2人が幸せになればそれでいい。

そう思った時もあった。

100円のジュースを買うか迷ったり、お米が買えなくて1日具なしのお好み焼きだったり。

灯油代節約のために布団にくるまったりしてた。

それでも幸せだった。

何気ないことでケンカして家を出た私を何時間も雪の中探してくれた人。

ケンカの発端が私でも優しく慰めてもらった。

人の幸せは他人の物差しで測れないって思ってた。

貧乏暮しを始めて、節約料理をつくる。

貧しくても幸せにくらしてた時間もあった。

今となっては赤の他人。

離婚してからは連絡いいっさいなし。

この前、目の前を元旦那が通り過ぎていった。

何か言葉かけてくれるのかもしれないと期待した自分。

見向きもしないで元旦那は通り過ぎて行った。

私は何に期待したのか。

あの時はごめんと誤って欲しかったのか。

それとも今ちゃんと生活出来てるって心配されたかったのか。

私が思ってる以上に過去の時間はもう過ぎ去ってしまったんだね。

お互い幸せと思ってた時間はあの時だけだったんだね。

それでも元旦那を思う自分って封印した方がいいかも・・・。

新しい未来に踏み出させねば。

1番好きな人との結婚

離婚するまではこの人と一緒に死ぬまで生きていくのだと決めてました。

大好きな人との結婚。

この人なしじゃ生きていけない。

私を幸せにしてくれるのはこの人しかいないと信じてたのに・・・。


17歳で出産した私は他人に色々言われながらも幸せだった。

大好きな人との幸せな家庭。

そして何よりも求めていた温かい家庭。

ずっと手にしたかったものが手に入ったと思ってた。

子供を出産したとき世界中の誰より幸せだと思った。

なにより支えてくれる人がいたから・・・。

私にはとっても優しい人だった。

泣きごとを言う私を慰めてくれた。

育児で家事に手がまわらないことを文句の一つも言わなかった。

変わったのは私なのに。

私には母親・妻の2つは出来ない。

そう気づいていたのはいつからかな・・・。

それに仕事の顔が増えた私は1年後にうつと診断された。

そして回復した1年後、必死になって支えてくれた人をあっさり見捨てた。

娘と2人で生きていくのを決めたはずなのに、新しい出会いが私を変えていく。

また同じ失敗をしてしまう。

分かってるのに・・・。

頼りたい、一緒に生きたいそう思ってしまう。

同じ過ちを繰り返さないようにと生きていたはずなのに。

一人で乗り越える波は大波過ぎて溺れてしまいそう。

どうせ溺れるなら誰かと一緒にと思うのはいけないことなのかもしれない。

また他人を巻き込んで不幸にしてしまう。

支えられなかった記憶

『うつ病』と診断された3年前、私はボロボロだった。

死にたい気持ちだけだった。

そしてどうして自分だけがこんなに苦しいのだろう。

どうして生きてるんだろう。

マイナスのことしか考えられなかった。

食べられるものと言ったらプリンだけ・・・。

旦那を支えるはずが、私が生きてるせいで旦那に苦労をかけてる。

死んだ方がまし・・・。

そんな中、子育てができるはずもなく両親に娘を預けることになった。

そして夫婦2人だけの生活が実家に入り浸りの生活となり、夫婦の絆は薄れていく。

旦那はギャンブルへの投資で家庭の貯金をすべて使い果たした。

夫婦の危機・・・。

そして消費者金融からの借金。

このままでは私も娘も生きてけない。

そう思い離婚。

結局、私は家族を守れなかった。

旦那を支えれなかった。

そう思うと今を幸せに生きることなんて許されないことだと思い知らされる。

だから今は苦しいんだ・・・。

幸せになれないはずだね。

わたしは旦那の父親の自殺以来、何が何でも旦那をふくめ家族を支えようと決めました。

借金を苦にした自殺だったため、私も旦那にそんなことで苦労させるわけにはいかないと決意し、

働くことを決意!!

しかし・・・3歳の子供をかかえての就職はなかなか上手くいかず、知り合いの保険屋さんに

勧められ保険外交員になることを選びました。先輩たちはみんな優しく笑いの絶えない職場です。

困ったことがあると相談にのってくれる先輩・・・。たまには息抜きも必要だからと喫茶店でお茶☆

仕事に着るためにスーツがなくて困ってた私に、知り合いの先輩はスーツを買ってくれました。

『仕事をするにはバックも必要ね(^−^)』

そう言ってすべて支度してくれました。

『はじめは、安ものでも自分の給料が入ったら高いの買えるわよっ!!』

入社して間もない私にとっては、肝っ玉母さんのような存在でした。

出先にはほとんど毎日、一緒に出向き成績の上がらない私を励まし一緒に成績を上げることも・・・。

1人で成績を上げた時は一緒になって喜んでくれました。

本当に私にとっては母のような存在でした。

そんな先輩の期待に応えよう!!家族を支えよう!!

そう思い雨の日も傘をさしては1軒1軒をまわりました。

話を聞いてくれるのは数人・・・。世間話をして終わる日もありました。

『雨の日に大変だね。保険には入れないけど上がってお茶飲んでいって。』

そんな言葉が嬉しくて、そんな人に出会いたくて、毎日歩きました。

子供を迎えに行って実家にあずけ、夕方に訪問した日も何度もあります。

この人には・・・と思い何度も保険プランを作りなおした日もあります。

私が家族を支える!!そう思って仕事漬けの毎日でした。

しかし、成績は思うように上がらず・・・。

私の頑張りが足りないからだ。そう思い今まで以上に必死に働きました。

それが・・・いけなかったのです。必死になりすぎてしまったのです(;一_一)

夜眠れない・・・ご飯が食べられない・・・体が重い・・・ひどい頭痛・・・。

夏バテかなぁと思っていましたが、夜になると襲ってくる不安と寂しさ。

そして『死にたい。』私は毎日どうやって死のうか考えてました。

家事も育児もすべてできなくなりました。

そして、精神科を受診・・・。

診断は『うつ病』

その言葉は聞いたことはあっても、自分がどんな状況におかれてるのかわからない。

そこから、私と家族のうつ病との戦いとなったのです。

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