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三の丸の手前の窪地に 「月の池」 と名付けられた貯水池が・・・。
今は観光用?に 鯉がいます。
本格的な石垣
ここに一歩、足を踏み入れると 城攻めをしている気分に一気になり・・・。
興奮状態に。(おおっ なんて登りづらいんだ! これでは 攻撃を除けきれない!)
な〜んて感じに。
登り切ると三の丸跡が・・・。観光用に作られた小屋が。
この手前に井戸の跡があり。
小屋の中に入って行くと
史跡、発掘の写真が壁に貼ってあり、
さらに窓から外をのぞくと・・・
(おおっ〜!! これは、あの石垣を登る直前の人間が 丁度、見えるようになって
いるではないか!)
(怪しい者が来たぞう〜! 出会え〜!) と叫びたくなるほど興奮。
隣の小屋には復元だろうか かまど があり 戦いの前のにぎりめしなど 作ったであろう 光景が想像させた。
もう少し 登ると 「日の池」と呼ばれる 貯水池が・・・。月の池は直径が7mらしいが 日の池は 直径が17mほどあると言う。
山の頂上 付近に池があるとは!
この城跡を降りる時、ある記憶がよみがえった。
小1の時、ふもとの大光院にバスで遠足に来た時 、これまたバスで中腹の駐車場が街を見下ろせる展望台になっているので、そこから眺めた時 先生が
「この奥には 日の池・月の池 というところがある。」 と話し、
私は どんな池なんだろう? と想像したことだ。
当時は 駐車場から街を見下ろし そのまま帰るのが定番だった。
日の池より高台に行くと 南の街が見渡せ 地平線がわずかに丸い!と感じさせる。 その昔 小田原の北条氏が攻めて来るのが 遠く 見通せたのでは・・・!
一望を4枚に分けて写した。(あえて横にして載せてみた)
あまり上手くいかなかったようだが・・・。
さらに登って行くと ケヤキ の大木が・・・。
高さ17m 周囲 7m 推定・ 樹齢 800年 昭和の初めは 7本ほどあったらしい。
幹を見上げる
頂上の本丸跡
その隣にある 新田神社
補足 に続く・・・・ |

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これが籠城戦を支えた溜池ですね。
鯉は食料にもなるので、いたと思います。、ま錦鯉ではなかったでしぃうけど。
パノラマ写真、いい仕事してますねぇ。。。
このケヤキは推定800年なら、城の興亡を見てた訳ですね。
将来、科学が進んで、樹から話を聞けるようになったらいいなぁ。
2011/9/23(金) 午後 6:05 [ tot*n3j* ]
左近寺勲です。金山城はだいぶ変わりましたね。昔の面影はほとんどありません。昔から月の池はありましたが、頂上の大きな池が日の池と呼ばれていたのに対して、月の池と便宜上、名づけられたようです。当時はどす黒くよどんでいた水が、少し貯まっていただけでした。日の池もだいぶ整備され、池の底に続くらせん状の石段があるのではないかと、池の水を全部かい出して調べたそうですが、結局何もなかったようです。頂上の大きなケヤキの大木、そこから新田神社に続く古びた石段は、妙に風情を感じさせます。また、松風峠をまたぐ歩道橋ができ、こどもの国に続く石段やふもとに金山ガイダンスの建物も完成しました。これからも、ますます整備されていくことだと思います。
2011/9/24(土) 午後 1:49
トタンさん、なるほど〜冬の寒い日にコイコク(鯉を骨ごと刻んで
味噌で トロトロ煮た栄養豊富な汁・・・昔 中学の給食に出て非常に不評だった)など良いかも知れませんね。・・当時、そういうメニューがあったかどうかは分かりませんが・・・。
パノラマ写真のこと ありがとうございます!
2011/9/25(日) 午後 2:46 [ miru ]
左近寺さん、金山城跡は変わりましたか〜。
>新田神社に続く古びた石段は、妙に風情を感じさせます。・・・・
そうですね。石が不揃いで歩幅が歩きにくくて。
>松風峠をまたぐ歩道橋ができ、こどもの国に続く石段やふもとに金山ガイダンスの建物も完成しました。・・・・
そうですか。また何年かしたら そういうところに行ってみたいです。
2011/9/25(日) 午後 2:53 [ miru ]
本当にお城のあとって感じですね。
鯉こく、子供のころは、たまに食べましたねぇ。
鯉をもらってくるとじいちゃんがさばいて。
たまには鯉こく食べたい気がします。
2011/9/25(日) 午後 9:20
おはようございます。
本当に山城って感じですね!
写真とmiruさんの解説がマッチして横を歩いてるようです^^
僕の日記の言葉と大違い チョット恥ずかしい・・
月池は、先日の中秋に池に映る月も綺麗でしたでしょうネ
ありがとうございました。
2011/9/26(月) 午前 11:02 [ - ]
鯉こく、懐かしいです。
私も子供の頃良く食べました。
また、パノラマは、私達が行ったときも
みんなでぐるっと見回して、
「これなら適が攻めてきた時にすぐ分かるね!」と話しました。
写真がすごくきれいに撮れていて、「そうそう!」って感じです!
2011/9/26(月) 午後 4:39 [ yam*da*i*er ]
私の先祖の一人は貧乏な藩のお侍で、池に鯉を飼い、来客や晴れの日にその鯉を食べる習慣がり、祖父の子供の頃(明治の終わり頃)はまだそういう習慣があったそうです。
一寸面白いな、と思ったのは、食べる為に栗の木を庭に植えてるのですが、わざわざ、道に面した所に植えるんですね。
これは、庭に落ちた栗は家の物、しかし、道に落ちた栗は拾った人の物(皆んなの物)、と言う事で、貧乏ながらも、ある意味助け合いをしてる、と言う事なのでした。
墓石もわざわざ穴をあけて、戦の時積み上げ安くしてバリケードにできるようにした墓石で、オチオチ死んでもいられないのであった。
2011/9/26(月) 午後 10:59 [ tot*n3j* ]
ウィルさん、鯉こく って、皆さんも召し上がっているんですね!
最初に食べた時は 骨まで柔らかく煮てあって 不思議な味でした。
嫁に来てから スーパーで売っていた鯉のぶつ切りをみそ汁にしたら 結構 油があって体が温まり 美味しかったです。
2011/9/27(火) 午前 10:00 [ miru ]
じろうさん、お褒めにあずかり嬉しい限りです。
>先日の中秋に池に映る月も綺麗でしたでしょう・・・
考えてもみませんでした! 確かに風情があるでしょうね。
じろうさんは詩人ですね。
2011/9/27(火) 午前 10:04 [ miru ]
yamさん宅も、鯉こくを食べていたんですね。うちの実家では一度も食べたことがありません。
何人かで行くと意気投合して、楽しいだろうなぁ〜!
写真をお褒めいただきありがとうございます。
2011/9/27(火) 午前 10:30 [ miru ]
トタンさんのご先祖(yamさんのご先祖も)は お侍だったと分かっていて羨ましいです。うちの先祖は何をしていたやら?
>来客や晴れの日にその鯉を食べる習慣が・・・
料理法は、やはり鯉のあらい(お刺身)なんでしょうね。
現在でも、隣の家の敷地の枝に実ったものは、採って良いと聞いたことが・・。ちょっと違うか・・・。
ご先祖さまは、立派なかただったんですね。
墓石までバリケードに?! すさまじいですね。
2011/9/27(火) 午前 10:37 [ miru ]
いえいえ、先祖がエライ訳でなく、藩の方針として、武家屋敷全般で、栗とか、鯉とかお侍皆んなっでやったのです。
2011/9/27(火) 午後 10:24 [ tot*n3j* ]
トタンさん、>藩の方針・・・・だったんですか。出来る藩主さんだったんですね。
2011/9/30(金) 午前 11:20 [ miru ]