さだまさし 作詞・作曲・歌
「療養所」(サナトリウム)
病室を出てゆくというのに
こんなに心が重いとは 思わなかった
きっと それは
雑居病棟のベージュの壁の隅に居た
あの おばあさんが気がかりなせい
たった今飲んだ薬の数さえ
すぐに忘れてしまう 彼女は しかし
夜中に僕の毛布をなおすことだけは
必ず忘れないでくれた
歳と共に誰もが 子供に帰ってゆくと
人は云う けれど それは多分嘘だ
思い通りに とべない心と動かぬ手足
抱きしめて燃え残る夢達
さまざまな人生を抱いた療養所(サナトリウム)は
やわらかな陽溜まりと かなしい静けさの中
病室での話と云えば
自分の病気の重さと人生の重さ それから
とるに足らない 噂話を あの人は
いつも黙って笑顔で聴くばかり
ふた月もの長い間に
彼女を訪れる人が誰もなかった それは事実
けれど人を憐れみや同情で
語れば それは嘘になる
まぎれもなく人生 そのものが病室で
僕より先にきっと彼女は出てゆく
幸せ 不幸せ それは別にしても
真実は冷やかに過ぎてゆく
さまざまな人生を抱いた 療養所(サナトリウム)は
やわらかな陽溜まりと かなしい静けさの中
たったひとつ僕にも出来る
ほんの ささやかな真実がある それは
わずか一人だが彼女への見舞い客に
来週から なれること
雑居病棟に一度だけ入ったことがある。
21才の頃、耳の手術で 国立病院に16日入院したのだ。
その部屋は 原因不明の病気の幼児や 微熱が下がらない中学生の女子、脳にバイ菌が入って、しばらく危篤だったのが良くなった8才の少年、何の病気だったかは忘れたが 元、学校の先生の お年寄りの女性などが 入院していた。
さださんの「療養所」を思いながら入院したのは 2008年の椎間板ヘルニアの
手術をした時だ。40日は、そこにいたが 整形外科に入院したのは初めてだった。
同じ部屋に 大腿骨を骨折した老婦人もいた。毎日、毎晩、「痛い!痛い!」と
騒いで 認知症も煩っていたので 妄想も出て 大変そうだった。私自身も 毎日
叫ぶほど痛くて 気持ちの余裕がなかったので 私に向かって
「おばさん!助けて!」 と懇願されても困ってしまって、何度かナースコールをしてあげた。老婦人は ナースコールさえ押すことが出来なかったのだ。
看護師さんも人手が足りず 娘さん2人が交代で看病に来ていたが 手を持て余していた。娘さん達は ずっと愚痴をこぼしていた。それが現実だった。
でも、私の隣にいた婦人(私の亡き母ほどの年齢)は 大やけどで 右手を使うことが一生出来ない人で、左手で ハシを持ち 鉛筆で文字を書く練習を真面目に
やっていた。どうして愚痴も言わず イライラもせず そうできるのか私には不思議だった。 どうしたら そうなれるのか・・・と考えたりして・・・。
そういえば その人は さださんと 長渕剛さんのファンだと言っていた。聞いたら
「療養所」 も知っていた。そして その人のほうが早く退院して ある日 診察の日に私の所に お見舞いに来て下さった。その時は手術後で 痛みはほとんど取れて
ベッドに座れるようになっていた私だった。
私は脚の神経がやられて 30日も座ることができず 食事も立って食べ トイレも
洋式に座れず 和式に、痛みをこらえながら座ったけど トイレに行くにも 歩行器に
つかまって 痛みにうなりながら 歩いていっていた。
そんな、誰もかれも めいっぱいの中での入院生活だった。
2004年には 突然 卵巣が破裂して緊急入院。陣痛の時より痛かった〜。でも、
同室には 卵巣ガンの人が二人入院していて それはそれは 苦しそうだった。
それでも 「病院食が食べられなかったら パンがあるから・・・。」 と楽天的だったのには 感心してしまった。
さださんは 確か 若い頃 バイトのし過ぎで 過労から 肝炎になって療養した、と聞いているが その時の経験を歌にしたのだろうか?
この歌の曲は とても美しい!
追伸・・・・Uチューブから マイ・ミュージックにダウンロードできたんですが
そこから このブログに貼り付ける仕方が分かりません
どなたか 教えて下さい。